箱船航海日誌 2007年12月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’07/12/31 (月)

回顧と御礼

 2007年も暮れて行く。今年は例年にも増して最後までバタバタと慌しく、そこへ体調不良も重なって、何だかムチャクチャな年末になってしまった。それでもお正月はやってくるから、どうと言うこともないのだが。

 さて、恒例によって2007年をふりかえってみたい。

 オーディオについては、昨年末のスーパーネッシーMkII導入以来、特に変わりはなく、専ら新しいスピーカーシステムを鳴らし込むことと、例によってソフトの充実を図ってきた、つもり。鳴らし込みは充分だったかと言えば決してそうではなく、4月にユニットを208ESから208ES-Rへ換装したこともあって、お目覚めまでは程遠い、という感を強くしている。聴いた時間を1日にならせば、おそらく2時間にも満ちていないだろうと思う。とても満足できるものではないのである。2008年は、もう少しでも聴く時間を取りたいと、今は考えているが、どうなるかしらん。

 web、これはヒジョーに情けない状態であった。年間休載日数は、不名誉にも過去最高を記録した。3月3回、4月11回、6月3回、7月9回、9月4回、12月8回。計38回休載。休みなしで更新できたのは年間の半分、1、2、5、8、10、11月となってしまった。完全に「看板に偽り有り」である。

 にもかかわらず、年間アクセス数は過去最高を見た。今日、12月31日には1,300,000アクセスを突破、昨年末から数えて24万件以上のご閲覧をいただいたことになる。これはもう本当に御礼を申し上げるばかりである。ありがとうございます。と同時に、我が身を恥じ入るばかりでもあるわけで、来年はもう一度性根を入れ直し、毎日更新を偽りのないものにせねば遺憾と、今、思いを強くしている。

 ご閲覧の皆さんからは、いつも大いなるお力をいただいている。しばしばの休載ありながらも、ここまで続けられるのは、まったく以っておかげさまなのである。本当に、ありがとうございます。2008年も、変わらぬご愛顧を、伏してお願い申し上げるのでございます。

 皆さん、どうか良いお正月をお迎えください。

’07/12/26 (水)

焦る

 よく効く薬であればあるほど、モドリ、つまり副作用も大きいわけである。喉の痛み、咳、ハナミズ、頭痛など、風邪の諸症状は著しく軽減されたけれども、倦怠感はひどくなったようだ。ヤル気がまったく起きません。疲れてもいないのにグッタリしているという、実に傍迷惑な状況である。

 今日からはフツーに行けると、思ったのに。

’07/12/25 (火)

どうやら

 何とかお医者様にかからず治してやろうとがんばったが、とうとう我慢できずいつものHDに受診した。対症療法的な投薬しか出来ません、と、これは風邪だから当然のこと。しかし専門医にきちんと処方してもらう薬は、売薬とは一味も二味も違うのである。

 非常によく効いて、今日だけでずいぶんと楽になった。こんなことならもっと早くに診てもらえばよかった、と思うけれども、何となくお医者様は敷居が高いのである。たぶん、コワいんだな。チューシャされるわけでもないのだが。

 明日以降は、ほぼ通常の健康状態に戻れそうな気配になってきた。ともかくは今夜も早寝をして、年末年始の業務に専一となろう。

 思えば2007年は、体調不良の多い年だったなあ。

’07/12/24 (月)

この時期に、風邪

 年末のクソ忙しい時期になって、見事風邪を惹いてしまった。全身ダルくてさっぱりダメである。20日から今日までで、症状は少し改善されたようだが、まだまだ。

 早く治してしまわないと、お正月は待ってくれないのである。

’07/12/19 (水)

気楽が吉

 2階で日誌を書いている。階下からは超低域がブルブルと響く。ナゼだ。愚妻と愚息が、映画を観ているのである。先日、WOWOWでハイヴィジョン放送された「カーズ」。今日は2回目の上映である。

 CG仕立ての映画は日進月歩で、黎明期に比べて発色と質感、細部の描き込みなどは恐ろしいほど向上している。動きもやけにスムーズで、ある意味実写を凌いでいるようなところもあり、何だかブキミにさえ見えてくるのだった。もちろん、ハイヴィジョン(ウチの環境では1125i止まりだが)の威力もある。

 映像方面への熱意は、近頃すっかり冷めてしまっている。どーでもええ、とまでは言わないけれど、今以上のものを望もうとも思わない。僕には現状程度で充分だ。

 本音を言えば、マトモな音を出すのにさえ汲々としているような輩に、映像まで手が回るワケはない、っちゅうことなのだ。

 映像は、気楽に楽しめれば吉、としておこう。

’07/12/18 (火)

窓から


 10尺脚立を注文してから気がついた。2.9mもある長尺モノ、ひょっとしたら入り口からは入らないのではないか、と。

 もちろん、入らないのである。アホ丸出し。我ながら思慮の浅さに呆れてしまうのだった。仕方がないので愚息2号に手伝わせ、南側の窓から搬入した。これじゃスーパーネッシーMkII並みである。長いけれど重くない(14kg)のは、大いに助かった。

 早速使ってみる。写真に御覧の通り、これだけの高さがあればエアコンフィルターの取り外しも楽々である。高いところがニガテな僕でも、さほど怖くない。落ちませんでした。ナーンダ、もっと早く買えばよかった。こういう作業は、道具が命です。

 ついでに、本体とドレンパイプを吊っている金具を点検する。本体のほうはガッチリ締まっていた。これが緩んでいたらタイヘンである。問題はパイプ金具のほうで、かなり緩んでいる。エアコン運転時にカタカタと音を出していたのは、これが犯人だったのである。

 フィルターを掃除し、緩んでいた金具を締め直したら、ずいぶんと静かになった。効きも良くなるだろう。ヨカッタヨカッタ。

 お役が済んだら脚立は出さなきゃいけない。また窓からだな。

’07/12/17 (月)

あまりにも無責任

 今年最後の大きな行事が終わった。有体に言う。表面上はスムーズに運営されたように見えるが、一皮剥けば裏方はムチャクチャである。朝令暮改の大連発、行き当たりばったりな無責任執行部の所為で、命令系統大混乱。

 本来なら前日までに準備を終わっておかねばならないようなことを、当日の朝、受付開始寸前までやっているような運営方法が、正しいと言えるのか。各部署の長を、全体会議もなしに当日になってから任命するのは何故だ。働き手の頭数を揃えたところで、状況を把握できていなければ何の意味もないだろう。これではタダの「烏合の衆」である。

 こんなふうでも、時間が経てば終わってしまう。それで「無事円成」などと、執行部の手柄のように言う。アホか。アンタらの手柄じゃありません。一日中不愉快な思いをして、僕はもうすっかりくたびれてしまいました。

 どうしようも、ない。

’07/12/16 (日)

落ちれば死ぬに違いなし


 大掃除、というほどではないけれど、年末近くになれば箱船も少しはきれいにしておかねば遺憾。ちゅうわけで、先ずは最もの難物、エアコンのフィルター掃除にとりかかろうとした、わけだが。

 昨年までは梯子をかけてフィルターを取り外していた。一歩間違えばフィルターもろともオーディオ装置の真上に落下、キカイもニンゲンも致命的損傷を受ける、というヒジョーに危険な作業なのだ。毎年、それがイヤでイヤで。

 そこで今年は、背の高い脚立を仕入れることにした。現用のものは最大高1,740mm、これではゼンゼン足りない。箱船出来て14年、今までそーゆー状態でよく事故がなかったものだ。アホである。

 床からエアコンフィルターまでが約3.8mあるから、少なくとも2.5m以上のものでないと用を為さない。近所のホームセンターで物色するも、そこまで高いヤツは店頭在庫なし。メーカー取り寄せするとヒジョーに高価で、しかも送料を取るという。CP最低である。

 結局、ネット通販で買うことにした。最大高10尺(約2.9m)モノが送料込み18,190円。ホームセンターでは送料加えて25,000円を超えていたから、まあこんなものだろう。これがあれば、今までよりは安全に作業できる、はず。

 いずれにしても、落ちたら死ぬには、違いない。

’07/12/15 (土)

表紙実写


 ヒジョーにくだらんことだが、一度やってみたかった。「外盤A級セレクション」の表紙を飾るADの、実写である。

 3集中、使ってあるADの数が一番多いのは第2集の表紙(8タイトル)なので、それを選んで撮影してみた。わけだが、イマイチ企画倒れだな、これは。何だかパッとしません。

 ただ、こうしてみると、表紙だけでもフルカラーだったらば、きっと美しい本になっていただろうなあと、感じた。解説ページのジャケット写真もカラーだったら、とも思うけれど、そんなことをしたら随分高価な本になっていたかも知れない。

 1、2集が1,200円、3集は1,300円。3冊全部買っても3,700円。第1集初版から23年以上、この値段で未だに楽しく読めて有効に使えるのである。恐るべきハイCP。さすが長岡先生だ。

 表紙タイトルは、1集、3集とも揃っている。しかし、全タイトルコムプリートにはまだまだである。未入手タイトルの中には「超」の付くレア盤もあるようだから、そう簡単には行かないのだった。

 いつかは、きっと。

’07/12/14 (金)

狂騒


 20年ぶり(だったかな)の再結成で話題沸騰中の、LED ZEPPELINである。先日も書いたとおり、新しく編集されたベスト盤、ライブ「永遠の詩」リマスター盤も出て、周辺はえらく盛り上がっているのである。

 再結成コンサートの様子は、ニュース映像でちらりと見た。故・ジョン・ボーナムの代役は、実の息子ジェイソン・ボーナムが務め、あとの3人も非常に元気な様子だった。しかしながら、さすがに歳を取りました。最年長(1944年生まれ)のジミー・ペイジなんか、もうオジイチャンである。おおかた64歳だものなあ。

 その所為かどうか、海外中古ショップでは、彼らの旧譜ADが高騰の兆しを見せている。ついこの間までそんなには高価でなかったのに、タイトルによっては倍くらいになっているものもあって、僕はビックリしてしまいました。

 上の写真は米Classic Recordsが2002年と2004年に復刻した5thアルバム「Houses of the Holy」(邦題は『聖なる館』)である。2002バージョンは180g盤、2004バージョンは200g盤である。最近カタログ上に見かけた2004年モノ未開封盤には、$100の値が付いている。売れるからこそこの値が付くわけだ。

 僕は、どちらも発売された直後に買っているから、冷静に見送ることができるけれども、この復刻盤なら$100の値打ちは充分にあると思う。ジャケット、内袋、横帯、すべてオリジナルに極めて忠実に再現されているし、何よりも特筆すべきは、音の良さである。「ロックに優秀録音なし」の偏見を、見事に打ち破るレコードなのである。

 再結成コンサートのチケットは超入手難、プラチナ・チケットどころの騒ぎではない。当然プレミアが付き、それでも奪い合い状態だったと聞く。

 5thアルバムがリリースされて34年、活動停止からは27年。四半世紀以上経ってこの人気、何ともはや、凄いグループである。

 まさに、ロック・クラシック。

’07/12/13 (木)

乗船1年


 スーパーネッシーMkII、箱船乗船満1年である。昨年の今日、手伝いに来てくれた友達3人と運転手さん、それに僕の5人で「生命の危険を感じるような恐ろしい重さ」のエンクロージャーを、箱船へ運び込んだのだった。

 今日、山越木工房さんから電話をいただいた。「昨年の夏から冬にかけては、本当にありがたい仕事をさせていただきました。1年ですね。懐かしくなって電話を差し上げました」と。なんともはや、僕は恐縮してしまうのである。「ありがたい仕事」とおっしゃる。とんでもないことだ。これほどの素晴らしい仕事をしていただけて、感謝すべきは僕のほうなのである。

 この1年、工房へは複数のカスタムメイドスピーカー注文があったと聞いた。その様子は工房のwebページに詳しいので、そちらを御覧いただきたい。

 「素晴らしい逸品」「所有することに誇りと愛着が沸く」「素晴らしい出来映え」「スピーカーではなくもはや楽器」。工房謹製スピーカーユーザーの感想である。そして皆、異口同音にこう言うのだ。「山越さんにお願いして、本当によかった」と。

 僕もまったく同様である。スーパーネッシーMkIIのエンクロージャーは、はっきり言って工芸品レベルの出来だ。正に、所有することに誇りを持てるものである。1年経った今も、僕は毎日眺め眇めつ、喜びを感じているのだった。

 山越さん、本当にありがとうございました。

’07/12/12 (水)

大勢に影響なし

 先日「TAS List」のことを話題にしたら、それを読んでくれた親しい友達から「参考になった」とメールをもらった。とてもうれしいことである。

 だが、正反対の反応もあった。「要らんことを書くな」というものである。「TAS List入りしたレコードは高価だ」なんてことをわざわざ知らしめたりしたら、レコードの高騰を助長するだけで有害無益。そういうことは知っていても黙っておくものだ、と。

 確かにそういうことはあるかも知れない。しかし、少しでも詳しくレコード検索したことのある人なら、リストの存在は知っているだろうし、リスト入りタイトルがおしなべて高価なことも既知の事実であるはずだ。今さら僕が何を書こうと、大勢に変わりはないのである。

 中古レコード(に限らず)の価格なんか、いい加減なものである。同じレコードがあるところでは数万円、またあるところでは千円程度で売られていたり。どちらに当るか、それはその時の運であったり縁であったりするわけで、高く買ってしまったと悔しい思いをするも、安く買えたとほくそえむも、すべて含めてレコード探索の楽しみであるとも言える。

 僕のような一介のエンドユーザーに過ぎない者の書くことに、レコード相場を左右させるほどの影響力など、あろうはずもないのである。

 ご安心ください。

’07/12/11 (火)

完成から1年


 昨年の今頃をふりかえってみれば、それはもうスーパーネッシーMkIIの話題一色である。早いものだと思う。完成の連絡をいただいたのは2006年12月7日だったから、すっかり1年経ったのである。

 山越木工房さんのwebページに詳しく掲載されている製作工程を、改めて見てみる。よくぞこんなにムチャな設計を実現してくださったものだと、今さらながらに感慨一入である。まったく以って、おかげさまというほかないのである。

 尤も、早1年といえども、この大型スピーカーシステムが完全覚醒するに充分な時間であるとは、言えないようだ。未だ、日々変化し続けていて、いろんなソフトを聴くたびに新しい発見と感動がある。オーディオファンとして極めて幸せな時間を、持てているのである。ありがたいことだ。

 これまではほとんど何もせず、ただ鳴らすに専一となってきた。今後は、少々細かい部分に目をやり、対策を打ってみたいとも考えている。時には意識的に重箱の隅をつつくようなマネもしてみよう。それがまた、大きな楽しみになるのである。

 作って(もらって)、ヨカッタヨカッタ。

’07/12/10 (月)

読むか、聴くか


 書籍とレコードを読んでは聴き、読んでは聴きしている。「ニーベルングの指環」である。僕は最近「ながら」ができない。本を読みながらレコードを聴くと、頭の中がゴチャゴチャになってしまって、読んだ気も聴いた気もしなくなるから、読んだり聴いたりしているわけだ。

 レコードは複数のヴァージョンを持っている。長岡先生がA級外セレに取り上げられた独プレス盤は、低域に厚みと力があって非常に良いけれど、総合的には写真のDECCAオリジナルRING SETが最も優秀である。聴くのは、これ。

 曲、内容、レコード、カルショウさんの著作、すべて打ち揃って重厚長大な作品である。読むにも聴くにもそれなりの体力と知力が必要になる。

 「指環」をじっくり聴くのは久しぶりで、今さらながらその優秀さに驚いている。オリジナルセットの入手は6年前、多くのご縁ある方々のご尽力によって手にすることができた。改めて僕は、感謝するばかりなのである。ありがとうございました。

 今夜は読もうかな。聴こうかな。どちらにしても、実に楽しいのである。

’07/12/09 (日)

光の道


 朝からお昼過ぎまでは冷たい雨、午後遅くなってから雲が切れて晴れ間が覗く今日の日曜日であった。イワユル、典型的な冬の日本海側気候である。

 写真は午後3時頃、西の空に現れた光景である。厚く重い雲の切れ間から陽の光が漏れて、天空から降り注ぐスポットライトのように山を照らしている。これは日本海側の冬にしばしば見られる現象である。

 空からの光の道は、人知を超えた何かを地上へと導いているようにも見えて、何かしら不思議な気持ちになるのである。古代の人は、あの光に乗って空から神が降臨する、というような神々しい思いを持ったかもしれない。

 日本中の神社の総本山的存在、大国主大神を祀る出雲大社があるのは日本海側、島根県出雲市である。おそらく、出雲でも写真のような光景はよく見られるはずだ。そういう気候風土と、「神の国」出雲の成り立ちは決して無関係ではないような気がするのだった。

 まったく根拠のない、私見である。

’07/12/08 (土)

リング・リザウンディング


 買おう買おうと思いながら、随分と遅まきながら、になってしまった。「ニーベルングの指環/リング・リザウンディング」(ジョン・カルショウ著 山崎浩太郎訳 学習研究社刊 ISBN978-4-05-403393-1)である。

 8月の末にAmazonから新訳刊の知らせがあり、9月の初めには掲示板にも歌66歌さんからご投稿いただきながら、モタモタしていたのである。

 もはや説明するまでもない。英DECCAの歴史的録音歴史的名盤、ショルティ指揮「ニーベルングの指環」全曲の誕生全記録、である。

 今のところ、最初の100ページほどしか読めていないのだが、既に僕はこの本に引き込まれている。実に、興味深く面白い。僕のようなクラシック音楽に暗い人間が読んでこうなのだ。造詣の深い人が読めばどうなるか、推して知るべし。

 「ラインの黄金」の録音が始まったのは、1958年、この頃はステレオフォニック黎明期である。ジョン・カルショウはステレオフォニックの可能性についてこう書いている。

 「録音する側が適切な操作をした場合には、スピーカーの両側の外から響く音〜(中略)〜なども伝えられる」

 50年前に「2chステレオ再生で、音像はスピーカーの外側にも定位する」と言っているわけだ。こういう記述を読むと、オーディオは以降今に至る50年間で進化したのか退化したのかと、僕は考え込んでしまうのだった。

 全400ページを超えるこの作品、先を読むのが楽しみである。

’07/12/07 (金)

鉛薄板の用途


 友人から、鉛シートをもらった。何でも、お仕事関係から出た「廃棄物」だそうで、僕としては大喜びでいただいてしまった。

 大きさは300mm×1000mm、2mm厚が2巻。重さを量ってみたら、1巻6.5kgあった。厚みが2mmあると、見た目なかなかの迫力である。シートというよりは薄板、という感触だ。オーディオ用途として販売されているものに多いのは0.3〜0.5mmくらい、厚くても1mm止まりだから、これは極厚と言える。

 さて、この鉛薄板、何処にどのように使うか。今考えている用途第一候補は、現用のフルレンジユニット、FE208ES-Rのマグネットに巻き付けてやろうかと。

 208ESの重量は10.5kg、208ES-Rは6.3kg。ちょうど40%の重量減である。軽くなったから良くない、などというのは極めて短絡的な考えだ。全体的なマスは大きいほうが良いのは当然だが、ESのようにマグネット側に重心が偏っているのは、あまり良くないとも言える。その意味ではES-Rのほうがバランスが良いわけだ。マグネットがスマートになったことで、ユニット背面の気流がスムーズになるというメリットもある。

 ただ、ES-Rを4月から8ヶ月間聴いてきて、低域の押し出し、重量感が後退したように感じているのも事実なのである。何故かは、分らない。分らないけれども、僕の貧弱な経験則からして、40%の重量減も無関係ではない、のではないかと、考えるのだった。

 そこで、鉛薄板の登場である。マグネットのダンプよりは、重量付加を狙う。尤も、2mm程度の薄板をマグネットに巻き付けてみたところでそれは九牛の一毛に過ぎず、何らの効果も現さないかも知れない。

 ナニ、それでもまったく構わない。少なくとも現状より悪くなることはないだろうし、大切なのは、先ずはやってみること、なのだ。

 オーディオを、愉しんでいるわけです。

’07/12/06 (木)

ヒラはいい

 午前中、近隣同業の定例会合あり。2ヶ月に1回、年6回あるうちの、今年最後の会合である。

 2003年12月会合から、2007年10月会合まで、僕は役回りによって出来もしない議長を務めてきた。その役割も先月30日に任期が満了し、今日は4年ぶりの「ヒラ」身分での参加だったわけだ。

 なんという気楽さだろうか。前準備をする必要もないし、議事をスムーズに進行させるに腐心することもない。ただ、時間中黙って座り、時々いい加減な相づちを打って、決を採るときはシャンシャンシャンとやっていれば、よい。任期が満了したことを、ヒシヒシと、ありがたく実感したのだった。ヒラって、こんなに身軽で気楽だったのね。

 後任のB君は、大学生時代からの同級生である。僕とは違って当地に生まれ育った人だから、この土地に合ったチカラ加減と物事の運びようをよく知っている。鄙では、そういうことが極めて重要なファクターに、なるのである。僕などよりもずっと上手くやってくれるだろうと、確信している。

 いずれにしても、向後の4年間、なかなかにお大変なのである。

’07/12/05 (水)

TAS-List LP


 海外レコードショップのカタログを探っていると、レコードの説明の中に「TAS Superdisc」「TAS-List LP」という文句をしばしば目にすることがある。僕は最初、何のことやらさっぱり分からなかった。ただ、そのレコードがそーゆーリストに選定されているらしい、ということだけが分かったくらい。もちろん、既にご存知の方も多いと思う。僕が無知なだけである。

 「TAS」とは、アメリカのハイエンド・オーディオ誌「The Absolute Sound」の頭文字である。その誌が優秀録音(おそらく演奏も)盤として選定した「TAS Superdisc」を集めたリストが「TAS-List」なのだ。と知ったのは、わりと最近のこと。オーディオ・マニアとしては恥ずべきことである。

 この表記があるタイトルは、おしなべて高価である。恰もそれはレストランやワインに付される「ミシュランの三ツ星」「ドメーヌの格付け」のようなもので、それだけの権威があるリストなのである。

 不思議、と言おうか、或いは当然と言うべきか。長岡先生が推奨された優秀録音盤には、TAS-List入りしているものが少なくない。

 例えば、彼の有名な「古代ギリシャの音楽」(仏HM)、最近入手困難になった「DAFOS」(米REFERENCE RECORDINGS)、ロリン・マゼール指揮/クリーヴランド響の「チャイコフスキー4番」(米TELARC)、「HOT STIX」(米M&K Realtime)、「Center Stage」(米Wilson Audio)、「Percussion Music」(米nonesuch)、などなど。これらはほんの一部で、他にも沢山ある。

 アメリカのハイエンド・オーディオ誌と長岡先生の評価が、少なからず一致しているという事実。ちょっと愉快である。極左の左に極右がいる。

 ちょっと残念なのは「あっ、このレコード欲しいっ」と思っても、TAS-List入りしていると高くて手が出ないこと。これはヒジョーに困るのである。

 少々メーワクなリストでもあるわけだ。

’07/12/04 (火)

MOTHERSHIP


 LED ZEPPELINファンの間で、ちょっと話題になっているCDソフトがある。ジミー・ペイジ自らがリマスターしたという、曰く「決定版」ベストアルバムである。「LED ZEPPELIN / MOTHERSHIP」。CD2枚組2,780円、DVD付きのデラックス版なら3,380円(どちらもAmazon調べ)。

 僕はディープなZEPファンではないから、実はあまりよく知らなかったのである。先日、海外ショップを徘徊していて、たまたま見つけたのだった。

 そのとき見たのは、2008年3月下旬発売予定の、ADバージョンだった。このAD、初期のTELARCやMO-FI、REFERENCE RECORDINGSなどのマスタリング・エンジニアを務めて名を馳せた、スタン・リッカーによるハーフスピード・マスタリング盤なのである。RTI180g盤4枚組8面仕様。CDはわりとどーでもイイ(失礼!)けれど、ADバージョンには興味津々である。同時にライブ「永遠の詩」も同様のマスタリング、4枚組8面仕様で発売される。

 これまで僕が聴いてきたZEPの復刻盤は、Classic Recordsからのものがほとんどだった。マスタリング・エンジニアはバーニー・グランドマン、以前にも書いたことがあるが、どのタイトルも非常に優秀である。もちろん「永遠の詩」も。

 今回のベストと復刻ライブは、大元Atlanticレーベルから、しかもマスタリング・エンジニアが違うとなれば、これはもう聴かずば男が廃る、のである。買うぞ。

 調べてみると、Amazonでも輸入盤アナログ・ディスク扱いで買えそうだ。どちらも6,580円。送料は無料だし、圧倒的にこちらで買うほうがお得である。

 さっさと予約してしまうのである。

’07/12/03 (月)

死ぬまで飽きない


 先月26日の日誌に載せた「Mache / Danae, Malec / Dodecameron」(仏INEDITS/O.R.T.F 995 013)、それと同時に入手できたLPである。「PRIMA VISTA」(独THOROFON CAPELLA MTH224)。外盤A級セレクション第3集288番収録。

 このレーベルのLPもまた、今となっては入手困難である。第3集にはTHOROFONレーベルのLPが3タイトル取り上げられていて、僕は未だ揃え切れずにいる。286番「まじめな楽器による愉快な音楽」(MTH171)、これがなかなか見つからない。

 287番、バラライカ演奏を録音した「赤いサラファン」(FTH221)を買ったのは'90年8月22日だから、第3集の発刊('89年6月16日)から約1年後になる。これは随分と早くに入手できていたのである。

 それからもう早17年が過ぎ去った。何だかウソのように思う、と同時に、よくも飽きずに続けているものだと、呆れたり感心したり。

 初めて買ったA級盤は'88年2月8日、第2集収録の「カルミナ・ブラーナ Vol.5」(仏Harmonia Mundi HM339)で、それから数えれば20年にもなろうとしている。20年前も今も、まったく変わらず面白くて楽しいから、ちっとも飽きないのである。

 300タイトルコムプリートまで、あとどれほどの時間がかかるか分からない。おそらく、死ぬまでかかっても飽きないのだろう。

 これもまた、長岡先生の遺産である。

’07/12/02 (日)

叶わず

 今日、12月2日は、オーディオサークル「ミューズの方舟」主催で「自作スピーカーコンテスト2007」が開催される日である。7月の末、ばっかすさんから拙掲示板にご案内をいただき、今年こそはゼッタイに行くぞと、ヒソカに決めていた、のだが。

 行けなくなってしまった。例によって例の如くである。こればかりはどうにも致し方ない。次の機会を待つとして、コンテストの様子は、参加した友達からの土産話を楽しみにしよう。

 東京へは、もうずいぶんご無沙汰です。

’07/12/01 (土)

初雪近し


 12月である。庭の桜、小学校のイチョウはすっかり葉を落とし切り、村の風景は冬である。箱船も、ファンヒーターなしでは過ごせなくなった。今日の午前中は比較的暖かく穏やかだったが、午後からは例によって時雨れるのである。来週初めからはぐっと冷え込んでくるという。初雪を見るのも間もなくか。

 カメムシ予告どおり、少雪に終わればありがたいことだけれども、こればかりはその時になってみないと分からない。市民生活にとっては厄介な存在の雪も、写真のように結晶をクローズアップしてみれば、とても美しいものである。自然の造形とは、なんとも不思議なものだ。

 と、雪を愛でるくらいのヨユーがあれば、寒い冬も楽しく乗り切れる、のだが。