箱船航海日誌 2007年09月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’07/09/30 (日)

出てました


 ほぼ1年前の日誌に載せた、米SPEAKERS CORNER RECORDS(以下SCR)による仏HM180g復刻盤だが、しばらく海外ショップ徘徊を中断しているうちに「ロバの祭り」がリリースされていたらしい。たまには覗いてみなけりゃ遺憾のである。

 昨年の日誌にも書いたとおりSCRの復刻盤は、決して悪くはないけれども、オリジナルをはるかに凌ぐほどのものでもない。ヒッシになって買い求めることはない、と思いながら、しかしそれは昨年リリースの2タイトルを聴いての印象である。

 復刻盤というモノ、回を重ねるうち徐々に良くなって行くことが多い。如何にプロのやることとは言え、微妙なノウハウの蓄積があるのだろう。そこに期待して、今回の(と言っても実際のリリースはだいぶんに前かな?)「ロバの祭り」も買ってみたわけである。

 それに応えるような音が出るのか、或いは期待外れに終わるのか。ちょっと楽しみにしながら、現状未だシールを破れないでいる。

 このワクワク感がまた、オーディオを楽しくするワケです。

’07/09/29 (土)

突然、晩秋


 一昨日まで真夏のようだったものが、昨日から一変して晩秋のようになってしまった。最高気温22℃。一気に10℃くらい下がったことになる。細かなグラデーションを描きながら季節が変わることが、本当になくなってしまった感じだ。

 午前中はご覧のとおり鬱陶しい曇り空。午後からは爽やかな秋晴れになったものの、半袖では寒さを感じるような一日であった。

 僕は春と秋に弱い。体調を悪くするのも、決まってこの時期である。風邪を惹いてシンドイのはいやだから、よく気をつけましょう。

 季節の変わり目、皆さんもご自愛ください。

’07/09/28 (金)

百日の説法


 昨年7月17日の日誌を見ると、スーパーネッシーMkIIのメリットデメリットについて触れている。完成する約5ヵ月前の予測、ということになるわけだ。

 実際に音を聴き始めて9ヵ月、長所短所はどんなグワイなのか。現時点での印象を書いてみたい。

 能率は非常に高く、以前に比べてボリューム位置は一目盛り以上下がった。これはまあ当然であって、2発から3発にして能率が下がったらエラいことである。但し、208ES-Rに変わったことで、208ES×3よりはやや低能率、と言っても100dBは軽く超えていて、そりゃあもう壮絶な大音量が出せる。

 混変調歪みも、自ずから少なくなる。これまた当然。同じ音量で見た時の低域大入力大振幅による中高域のモジられグワイが小さくなるわけだから、音としては静かで透明感が出て、細かな音の鮮明度が上がる。つまり、聴感上のDレンジが広くなる。大変ケッコウである。

 F特の暴れは心配したほどではなく、確かにハイ落ちにはなるけれども、最初っからトゥイーターの付加を考えていたから、問題はない。かえってハイ落ちのほうがやり易いくらいだ。

 垂直指向性のナロウさは、まったく気にならない。何故かスーパーネッシーよりもサービスエリアが広いようにさえ感じられる(耳の高さによる音の差が少ない)こともあったりして、何だかフシギである。ひょっとしたら、階段状バッフルの効果が出ている、のかも知れない。

 8Ωユニット3発並列で片chあたりのインピーダンスは2.7Ω。それに8Ωユニット2発並列のリヤカノンLがマトリクス接続されているから、総合ではたぶん1.6Ω(間違っていたらゴメンナサイ)と、非常な低インピーダンスである。アンプ大丈夫か。今のところまったく問題なし。と言うよりも、以前より生き生きと鳴っている感じでさえある。6月に故障したけれど、これはスピーカーの低インピーダンス化とはまったく無関係である。

 3個のユニットがきちんと管をドライブしているかどうか。それはワカリマセン。ただ、聴いていて珍妙な音にはなっていないところを見ると、たぶんOKなのだろう。そーゆーことにしておくのである。内部気流がユニットコーンの動きを妨げているようにも感じない。

 エンクロージャーは、恐ろしく大きく重くなってしまった。1人では到底動かせない。3人でも無理、最低4人、できれば6人は欲しいところ。これは大いなるメリットであり、致命的(まさに!)なデメリットでもある。軽薄短小なワタクシは重厚長大なオーディオが好きだから、個人的にはメリット極大と見る。

 というわけで、ざっと見てメリット>デメリットと、僕は判断している。但し、精妙な測定器を使ってゲンミツに調べたわけではない。恣意的でいい加減な判断であることを、ご承知置きください。よって、「皆さんもご一緒に」とは、とても言えないのである。誰もやらんか。

 理屈はともかく、僕自身がその音を気に入っている、という事実が最も大切なのである。机上のデータがどんなに素晴らしくとも、音が好みでないならば何の意味もない。

 百日の説法屁一つ。

’07/09/27 (木)

レコードは足で買え


 2日間のお休みをいただきました。今年の出張は、例年に比較して効率よく進めることができた、わりに、帰ってみたら疲れが深いのは何故だろう。たぶんトシなのだ。2日間460Km走行、この程度でヘコむようでは、遺憾のである。

 オツトメ終わって帰り道、大阪の中心地、梅田を通ったから、チョイと高速を降りてレコードショップを覗いてきた。実に久しぶりである。ここだと思って行ってみたら閉店、なんてこともあったりして、少々寂しい思いもしながら、しかし収穫もあった。

 「SOUND FORMS FOR PIANO」(米NEW WORLD RECORDS NW203)。言わずと知れたA級盤である。NEW WORLDのタイトルは比較的入手しやすく、このタイトルも十数年前に買っている、のに、昨日中古ショップで見つけて大喜びしたのは、ナーンデカ。

 そこはマヌケな僕のこと。1枚だけの貴重な手持ちに、ウッカリ大きく深いキズを、入れてしまったのである。随分前のことだ。それがもう残念で残念で、以来ずっと2枚目を探し続けていたのだった。

 縁とは不思議なもので、1枚目は簡単に発見できた(しかも未開封新盤)のに、おじゃんにしてしまった後の2枚目はなかなか手に入らない。たまに見つけてもタッチの差で逃してしまう。それが何年ぶりかに立ち寄ったお店で、ひょいと見つかるのである。巡り合わせの妙なのだなあ。

 純然たる開封中古盤だが、盤の状態は極めて良い。センターホールの探り痕もなく、前オーナーさんはほとんど聴いていないンじゃないかな。ジャケットも新品同様の美しさである。この状態で、恐ろしいほど安かった。思わずご店主さんに「本当ですか大丈夫ですか」と訊ねてしまいそうになったくらいだ。うーむ、ナンデこんな値で売れるのか。ナゾである。って、そりゃ仕入れ値が低かっただけなのである。ナルホドなあ。

 海外通販、オークションも良いけれど、やはり自分の足で探す店頭買いは、格別である。実に楽しかった。

 次は、いつ行けるか知らん。

’07/09/24 (月)

秋が始まる

 慌しかった3日間もどうやら無事に終わることができた。おかげさまである。明日からは恒例行事の、京阪方面出張である。早朝の出発になる。昨日届いたレコードを聴くのは、お彼岸が明けるまでお預けということに、なるのだった。

 気がつけば、9月も今週で終りになる。境内の土手では、彼岸花が咲き始めた。いよいよ、本物の秋が、やってくるのである。

 時が過ぎるのは、本当に、速い。

’07/09/23 (日)

買えぬなら


 レコードが届いた。「TASHI plays TAKEMITSU / QUATRAIN II, WATER WAYS, WAVES」(米RCA ARL1-3483)。(C)1980。「長岡鉄男のA級外盤セレクション」第2集184番収録の、優秀録音盤である。

 A級外セレ収録のレコードは、多くのタイトルに思い入れがあるのだった。これもそのうちの1枚である。

 収録盤を集め始めた頃(二十数年前だ)、神戸にあるレコード店で見つけた。その時すでに中古で、今回入手できたものと同様、カットアウト盤だった。値段は記憶が不確かなのだが、たぶんそんなには高くなかったと思う。

 しっかり手に取り「コレハAキューバンデアル」と認識し、ガッチリ買いまショー、ならヨカッタのに、何故か買わなかったのである。たぶんお金が足りなくて、他のタイトルを優先したのだろう。或いは、次に来た時にしようと、甘く見たのかもしれない。いずれにしても、一旦は手に取りながら逃してしまったのだった。

 それっきりである。以来二十数年、実物を見ることはなかった。一度だけ国内通販専門店のカタログ上に見つけたことがあっただけ。それも見事に買い逃した。入手困難盤なのか、或いは僕には縁がなかったのか。

 今になってようやく因縁が熟したそうで、今回は比較的すんなりと手に入れることができたのである。買えぬなら、買えるまで待とうアナログ盤。字余り。

 これが手に入ったことで、第2集は100タイトル中85タイトルゲット、154番〜200番まで番号がつながった。全3集300タイトルで見ると232タイトル。あと68タイトルでコムプリートとなるわけだが、容易なことではないのである。

 メゲず腐らず諦めず、の精神で、がんばりましょう。

’07/09/22 (土)

少々慌しく

 明日はお彼岸中日のお人寄せである。ご婦人方ばかり70人ほど、もう100年くらい続く、伝統ある仏事だ。内外の掃除、荘厳など、今日は終日準備に専一。

 と思ったら、火急オツトメ発生。どうしたことか、今年はこういうことがしばしば起きるのである。これも巡り合わせだろう。

 少々慌しくなってしまった、このお彼岸である。

’07/09/21 (金)

真夏的彼岸

 「暑さ寒さも彼岸まで」。ムカシからこう言ったものである。だが、どうやら今年はそういうわけには行かないようだ。

 昨日20日が彼岸の入りである。にもかかわらずバリバリのピーカンで、そりゃあもうムチャクチャな暑さであった。気温32℃以上。真夏ではないけれども、真夏日である。今日も同様に超好天、気温は昨日を上回って33℃。こんなに暑い彼岸は、過去に経験したことがない。暑さ大好き人間の僕としてはヒジョーにうれしいけれど、何となく気色悪くもある。

 明日22日は、やや曇って28℃止まりと予報されている。それでも充分暑いのである。週間予報を見ると、彼岸明けの26日までずっと30℃以上になるという。何年か前、中日(23日)の恒例彼岸法要にストーブを出そうかどうかと考えたほど寒いことがあった。今年は扇風機(ウチの本堂にはエアコンがありません)が要るか知らん。えらい違いである。

 真夏的彼岸。何だか妙な感じ。

’07/09/20 (木)

リサイクル


 友達から興味深いお便りをもらった。写真をご覧いただけばお分かりのとおり、僕も愛用するLPクリーナー「レコパック」についてである。

 なんと彼は、乾燥させて剥がしたパック膜(と言うのが適当かどうか)を、蒸留水とアルコールで溶かして再利用しているという。うーむ。ヤラレタ。実は僕も以前から、一度は実験してみなくてはと、考えてはいたのである。

 剥離したパック膜(以下、『皮』)を小さく刻みステンレスのコップに入れ、少しずつ蒸留水を加えながらかき混ぜ、ゆっくりと溶かして行く。多少はダマになったり溶け切らない断片があったりするそうだが、細かいことは気にしない。大方溶けたら最後にアルコールを適量添加(ご本人曰く『アル添』、出来の悪い日本酒みたいだ)すれば、再利用版レコパック液の完成である。

 上の写真はその再利用版を塗布したところ。白っぽく見えるのは、再溶解時にできる細かな気泡である。

 さて、この再利用パック液、問題はないのだろうか。剥がれにくかったり乾きにくかったりして、トラブルは起きませんかと、伺ってみたらば、その点まったく問題ないそうだ。乾燥時間は正規品と変わらず、完全乾燥後はきれいに剥離する。パック効果も正規品と同等。となれば、これは極めて有用な方法である。剥離した皮なら、いつか実験すべしと捨てずにいたから、山のようにある。早速僕もやってみんと遺憾なあ。

 さらに、彼の試行はここに止まらないからすごい。再々利用液の実験をも実行するのである。さすがにここまで行くといささか苦しい結果になるという。「実用的には再利用まで」。そりゃそーだろーなー。けれども、そこまでやる気概が、素晴らしいではありませんか。

 この涙ぐましい努力と挑戦を、ケチ臭いと笑ってはイケナイ。仮に、パック効果が激減していたとしても、だ。こういうこだわりを以って名付けて「趣味」と謂うのである。

 心から御尊敬申し上げます。

’07/09/19 (水)

久しぶりに、発見


 ここ数ヵ月、海外レコードショップでの買い物をしていない。特に自重しているわけではない。食指を動かされるようなタイトルが滅多に出てこなくなったことと、たまにあってもバカ高くて手が出せないのである。倒産したからかどうか、M&K REALTIMEレーベルの優秀盤などは1年前に比べてかなり高騰しているし、他の著名なレーベルも軒並み値が上がっている。困ったことだ。

 昨日、久しぶりに以前から欲しかったレコードを発見した。上のタイトルである。「antiphone blues」。写真はFirst Impression Musicレーベルから出ているSACDバージョン(FIM SACD-050)、原盤は瑞propriusレーベルのADである。今回見つけたのが、それだ。

 SACDは以前にも書いた通り、極めて優秀である。レンジが広く、音に艶と輝きがあり、オルガンをバックにサキソフォンが広く高い空間で朗々と響き渡る様は圧巻である。音場感抜群。こりゃあすばらしい、原盤ADがあるのなら是非とも聴いてみたいと、ずっと思っていたのだった。

 尤も、必ずしも原盤のほうが良いとは限らない。SACDが勝っている可能性も充分考えられるわけだ。けれども、聴いてみないことには何もわからない。好奇心が異様に強い僕としては、やはりADも聴かずには居られないのである。

 というワケで、即注文。新盤同様ミント・コンディション(ショップ評価)、とは言え純然たる開封中古盤である。そのわりには高価、だが、一期一会になる可能性大。ここで買わずば男が廃る。オオゲサなのである。

 到着が待ち遠しい。

’07/09/18 (火)

化ける


 FE208ES-Rに換装して以後、印象が大きく変わったタイトルはたくさんある。その中でも特に向上幅が大きかったのが、上のタイトルである。「John Sharp / Better Than Dreams」(米REFERENCE RECORDINGS RR-54CD)。ずいぶん前になるけれども、AD(RR-54)のほうは一度紹介したことがある。CDは、たぶん初めてだと、思うが自信がない。ダブっていたらゴメンナサイ。

 このCD、ADに比べると何だか切れが悪くてモタついて、レンジは広いのだがその良さがさっぱり発揮されず、買った当初から残念に思っていたのである。メインスピーカーが変わるたびに少しずつの向上は見られたものの、やはりADには二歩も三歩も及ばなかった。こりゃこんなモンかな、などといささかシツレイな感想を持っていたわけである。

 ところが、である。ふと思い出して聴きなおしてみて、ビックリ。元々のワイドレンジが本領発揮、切れ良く同時にすごくさわやかで、歪み感ゼロ。以前なら音のくすみが気になったものが、今聴く音は晴々として澄み切っている。ADにある独特の艶、瑞々しさ、みたいなものはもう一息足りないけれども、これなら立派なものである。思わず「うーん、なるほどなあ」と唸ってしまった。

 208ES時代のSネッシーMkIIでもこんな音にはならなかったから、やはり208ES-Rの持ち味が出ていると見るべきだろう。

 このタイトルはことさらに違いが大きく聴こえるわけだが、どんなソースを聴いてもおしなべて同じ傾向に変化するのだった。歪み少なくきれいで透明、楽器や演奏者を取り巻く空間、温度まで再現してしまうような解像度の高さ。モノによっては大人しくなってしまったような印象を受けつつ、しかしよく聴けば実はそれがホンモノだったりする。

 7年越しのモデル・チェンジは伊達じゃない。

’07/09/17 (月)

5ヵ月


 この連休は何だか多忙であった。帰ってきたらすっかり疲れてしまって、日誌の更新もままならず。2日間の穴を開けてしまった。来月が終わる頃までは、こんなグワイが続くかもしれない。どうかご容赦願いたいのである。

 さて今日は、4月半ばの使い始めから5ヵ月を過ぎたところの、FE208ES-Rの近況を書いてみたい。

 音はずいぶんと変わった。イヤ、というよりは、落ち着いたと言うべきだろう。聴感上のピーキーな印象はきれいに消失、かわって透明感と繊細感、加えて色彩感がぐんと前に出てきた。歪み感は圧倒的に少ない。とにかくきれいな音である。

 歪みが少なくきれいな音、というと、何だかアクのない一種ツマラナイ音、のような印象を与えるかもしれないけれど、決してそうではない。猛烈優秀録音ソフトなら、そのとおり猛烈な音で再生される。その最右翼、自衛隊演習の生録(SY-99バージョン、など)では、恐ろしいほどリアルに鳴る。静かな室内楽もヒジョーに生々しく、録音現場をそっくり持って来たかのような音と音場を再現するのである。本来出してはマズい歪みだけを出していない、つまり、音源に正確な音を出すユニット、ということに、なるのだろう。

 表現力に乏しい僕の文章で無理矢理書くと、上記のようなことになる、わけだが、こんなものでは何もお伝えできていないだろうなあと、思う。確かなことは一つ。FE208ES-Rは、極めて優れたユニットである。

 今後も、楽しみである。って、いつも同じこと、書いてます。

’07/09/14 (金)

行事の秋

 お彼岸を前にして、明日からは少々多忙な日が続きそうである。これはもう毎年の恒例であって、特に驚くことでもない。けれども、それなりにキンチョーはするわけで。

 来月半ばまで、行事続きになる。僕としては、その一つ一つが事故なく完遂できますようにと、願うばかりである。

 まずは、明日、だ。

’07/09/13 (木)

AUDIO BASIC


 遅ればせながら、今日AUDIO BASIC誌44号を買った。3ヵ月に1回の発売だが、年々間隔を短く感じるようになって行くのは、歳を喰った所為だろう。

 どの記事も楽しく、大いに刺激を受けたのだった。ヤッパリちゃんとオーディオしないといけませんな。特に炭山アキラ氏の自作記事は、非常に興味深かった。何しろ、20cmフルレンジを使った共鳴管システムの工作なのである。ネッシーの拡大版をメインに据えている僕としては、やはり反応せざるを得ないわけである。

 全高1,800mmを超える、最近の工作の中では大型システムである。三角隅木や1/4円柱などを上手く使い、実にスマートで美しい仕上がりになっている。音道折り返し点に斜めの板を入れ、直角を逃げて反射を軽減する設計。結果できる三角形のデッドスペースには砂を充填し、板のダンプと重量付加の一石二鳥を狙う。上手い設計である。

 長岡先生が亡くなって以降、一般的な部屋にも置けるような共鳴管システムの自作記事は、ほとんどなくなってしまった。やはりマジョリティにはなり得ないのだ。共鳴管マニア(!)としては寂しい限りだと、思っていたところへこの自作記事である。しかも結果は大成功ときた日にゃ、こんなにうれしいことはない。

 是非、購読しましょう。

’07/09/12 (水)

オーディオは?


 パソコンを新しくしてもらって、何がうれしいと言って最もなのは操作感がヒジョーに快適なことと、もう一つ。web上の動画が問題なく見られるようになったことである。

 旧PCでは止まりまくってガクガクして(時にはPCそのものが固まって)、見るに堪えなかったYou Tubeの動画が、実にスムーズに再生できる。僕はもうすっかりうれしくなってしまって、あれやこれや検索して大いに楽しんでいるのだった。初めて火を手にした原人みたいなモン、とまで言うとちょっとオオゲサだな。

 画面は小さいしキタナイし音は悪いし、まっとうなオーディオ・ヴィジュアルの世界から見ればオモチャみたいなものだ。だが、そこを納得すれば充分楽しめるのである。

 大昔、まだ家庭用VTRなど高嶺の花だった時代、記録に残しておきたくてもできなかった音楽系の映像が山のようにある。1977年にNHKで放送された「ロック・フェスティバル」に主演したカルメン・マキ&OZの映像を見つけて感激したり、若き日の竹田和夫(クリエイション、です)にびっくりしたり、他にも懐かしい人やグループががどんどん出てくる。こらオモロイ。

 大変ケッコウですが、ところでオーディオは、どーなってる?

’07/09/11 (火)

おめでたき人

 日誌の話題に詰まって、そうだ音楽を聴こう、聴いているうちに何か思いつくかも知れない。僕がよくやるパターンである。

 この試みは大概、というよりほとんど100%失敗するのである。音楽聴き始めたら面白くなってしまってのめり込み、話題なんか何にも思いつかない。で、気がつくとすっかり遅い時間になっていて、もう寝る、なんてえことに、なってしまうわけである。ナニやってんでしょーか。

 今夜もそのパターンで、さっきまで1階で聴いていた。例によって良いネタに当たることもなく、こりゃダメだどうせなら話題のないことを話題にしちまえと、こうして書いている。書くことがなけりゃ書かなきゃいいだろう、とおっしゃるムキもおありでしょうが、そこはそれ、この日誌はだからこそ「戯言」なのである。申しわけございません。

 まあしかし、自分のシステムを聴いていて時間を忘れられる状況は、オーディオマニアとして幸せと言わねばなるまい。気に入らん音が出ていたり、トラブルがあったりしていたら、そうは行かないわけだから。ヨカッタヨカッタ。

 おめでたき人、ですなまったく。

’07/09/10 (月)

西では秋の蝉


 夏の終りの今、山からは写真の蝉の声が聞こえてくる。ミンミンゼミである。盛夏の間さかんに流される素麺や冷たい飲み物のCMなどのバックには、この蝉の声が付き物だ。暑さをエンシュツするに最適、というわけだろう。

 ところが、である。当地を含めた西日本では、真夏どころかこの蝉は秋の蝉、しかも山の蝉なのである。あの「ミーンミンミンミンミー」という声(正確には音)は、夏の終り秋の始まりを告げているのだった。何故にCMでは盛夏の象徴のように扱われるのか、僕はずっと不思議に思っていたのである。

 調べてみて納得した。静岡以東、東北以南、つまり関東地方では、7月半ば〜8月いっぱい、つまり盛夏に極めて一般的な蝉、なのだそうですね。いやあ、ボカァ今の今まで知りませんでした。当地で言うところのニイニイゼミやアブラゼミと同等、あるいはそれ以上にポピュラーなヤツだったのである。

 近年、東京都心ではますます増加傾向だそうで、最盛期には会話が困難なほどに鳴きまくると聞いた。街路樹の低いところにもとまっていて警戒心も少なく、簡単に手づかみできる、と。うーむ。関西人としてはニワカには信じ難いような話である。

 声はすれども姿は見えず。捕獲するのはもちろん、実物を見ることさえ極めて困難な蝉、ということで、子供の頃には「いつか捕まえてやる」と、憧れるべき存在だったのだ。ナルホドなあ。トコロ変われば品変わる。あのCMを作っている人は、関東人だったのね。

 というワケで、当地の夏は、すっかり暮れてゆくのだった。

’07/09/09 (日)

ヴァーチャル空間でも


 只今主要ファイルフォルダを旧PCから新PCへ移植中。作業手順は簡単だけれども、それなりに時間がかかるのだった。

 PCを使い始めて7年3カ月、モノスゴイ使い方をしてきたとは思わない。基本的にはインターネット閲覧、メールの送受信、webページ編集、あとはチョコッとオフィスを使うくらいである。ところがファイルを調べてみると、決して少ないとは言えない分量が溜まっているのだった。容量にすれば大したことはないものの、数が多い。

 しかも未整理のまま闇雲に保存してあるものも多く、ちょっと困ったなという感じである。実空間をきれいに整理できないヤツは、PCというヴァーチャル空間でも同じことなのだ。子供の頃から、机のひきだしを整頓するのが苦手で苦手で。今もそのまんま、なのである。

 整理できなかったのはPCの階層構造がよく分かっていなかったから。とは、あまりにも都合のよい自己弁護である。7年前に比べて少しはワカルようになった今なら、上手くやれるのか。たぶん、ダメだと、思う。

 でも、今度はできる限り、整理しよう。これじゃ、遺憾わ。

’07/09/08 (土)

新しいほうがよい


 新しいパソコンは、ヒジョーに快調である。動作がムチャクチャに、速い。当たり前なんだな。7年前のものと比べてはイケナイのである。何よりもありがたいのは、起動してから安定するまでの時間が短いこと。全体としての容量が桁違いに大きいこと、CPUが上等なこと、余計なプログラムやアプリケーションが入っていないこと、などが大きな原因なのだろう。

 生半で危なっかしい知識を元にネットワーク設定したわりに、今のことろトラブルもなく順調に動いている。何しろ、設定が正しいかどうかを演繹することすらできないのだから、どーしよーもないのである。便りのないのは元気な証拠、と思って使うしかないのである。いい加減してます。

 あとはパソコンデスクを何とかせんと遺憾のである。このままではどうにもグワイが悪い。もう一つ用意して、L字型配置にしようかと考えている。

 ナントかと畳は新しいほうがよい。パソコンも、そうかな。

’07/09/07 (金)

新PC、始動


 新しいPCを使い始めるには、ディスプレイがもう1台と、LANケーブルが必要になる。早速注文していたわけだが、それが今日届いた。ディスプレイは先月新調したものと同じ型である。LANケーブルは300円の普及品と、何ともハイCPというかケチ臭いと言うか。僕にとってPCは、実用品なのである。

 さて、シナモノが揃って万々歳、かと言うと、決してそうではない。猛烈PCオンチの僕のこと、ここからが大変なのである。

 「3台目のPCとしてLANに組み込む」などと、分かったようなことを言いながら、実はネットワーク設定がちゃんとできるかどうか、ヒジョーに怪しいのだった。

 ムカシ友達が書き残してくれた設定情報を頼りに、ヒッシになって思い出しながらの作業は、はっきり言って苦しいのである。長時間格闘の末、どうやらネットワークに組み込めた、みたいな様子。共有フォルダもちゃんと開けるようだ。僕のやったことにしては、順調といえる。但し、後になってトラブルが続出、の可能性は極めて高い。ダイジョーブでしょーか。

 外界とつながったら、先ずは脅威からのプロテクトを講じなければならない。早速にプロテクション・ソフトをインストールし、ともかくは一安心である。

 今後はメインPCとして十全に働かせたいと思う。それには頻用する各種アプリケーションをぶち込み、ファイルを移植させねばならないのである。一朝一夕には行かないだろう。まあゆっくりやりましょう。

 Iさん、おかげさまでございます。

’07/09/06 (木)

磨かねば


 前に磨いたのはいつのことだったろうかと、思い出すのも難しいくらい永らく研磨していないJA-0506II GM-Cuのホーンである。

 ちょっと調べてみたところ、少なくとも3年は触っていないみたい。そうか、そりゃ曇るしくすむわなと、妙なところで納得してしまった。それでは遺憾ではないか。DHK(大日本偏執的研磨党)自称総裁の名が泣くぞ。

 錆が出るほどまでには至っていないけれども、薄汚れた感じになっている。特に銅部分の黒ずみが目立つのである。このまま放置したら、そのうち緑青を吹くだろう。そうなる前に、ここはそろそろ磨かねばならんのである。

 天板からトゥイーター降ろし、ホーンを外し、イコライザー・プラグも外し、ダイヤモンドペーストで磨いて、アルコールで洗浄し、全部終わったら元に戻す。うーむ。考えただけでもメンドクサイ。

 ヨシ、やるぞ。

’07/09/05 (水)

徹夜はキビシイ

 秋は外へ向けての行事が多く、毎年この時期はそれらの準備にアタフタするのだった。これまでに何度も書いた通り、僕はそーゆー事務がとてもニガテである。だから非常に作業効率が悪く、フツーの人の倍、よくデキる人に比べれば10倍くらい時間がかかってしまう。しかもミスが多いときた日にゃ、こりゃもう底の抜けたヒシャク同然である。すくい様がない、と。

 そーゆーわけで、昨晩はほぼ徹夜のようなことになってしまった。その所為で今日はもう眠くて眠くて仕方がない。20代の頃なら1日や2日徹夜したって何ら問題なかったけれども、50代に近くなった今、そうは行かない。僕はグニャグニャである。

 寝言みたいな日誌(いつもだったりして)を書いていても仕様がないから、今夜はもう寝ることにします。

 また、明日。

’07/09/04 (火)

おニューPC


 久しぶりに、遠方より友来たる。先日も書いた通り、箱船金属パーツほとんどの製作者氏である。箱船サウンドを蔭から支える、縁の下の力持ちさん、と言ってもよいお方である。

 今回は(も、と言うべきか)またまた大きなオミヤゲを持ってきてくださった。写真に見えるが如く、パソコン、である。未だにWin98SEなんぞを使っている僕にお気遣いいただき、わざわざ自作してご持参くださったのである。何ともカンともありがたいことで、僕はもう感謝の仕様もないほどだ。

 OSはWinXP HE、DVD-R/RWドライブ付き。スペックの詳細、については、正確に紹介できるような知識が僕には無いから省略。ただ、これまでのパソコンとは全てについて次元の違う数字であることだけは確かである。この世界で7年の差は、雲泥の差、月とスッポン、なんてえ言葉では表わせないほど大きい。単細胞動物と霊長類くらいチガウか。イヤ、もっとかな。

 この新しいPC、どうやって使うか。単純に現用のものと入れ替えるのが最もカンタンだが、メンドウなこともある。必要なファイルをバックアップして移し替えねばならない。それにはたぶん、すごく時間がかかるはず。僕はイヤダ。

 ので、現用はそのままにし、おニューのほうは「3台目のPC」としてLANに組み込むことにする。頻用するファイルは共有フォルダに保存すれば自由に使えるし、そうして使っているうち自然に移し替えられるだろうと、ヒジョーにグウタラな考え方で行くことにしよう。

 ちょっとだけ使ってみた。恐ろしく高速である。速い速い。現用のような不穏な感じはまったくないし、異様に健全で異様にキビキビしている。そうかあ、新しいヤツって、こんなに素晴らしいンだ。厳密に言うと、これでさえ2世代くらい前(7年モノなんか1000世代くらい前、ハッキリ言って化石みたいなもんだ)の型になるらしいけれど、Win98SEを7年以上使ってきたニンゲンにとっては、感激するよりほかになし。

 HDDが二つ積んであるのにもビックリした。しかも両方とも100GB以上の容量を持っている。PCマニアの方からすれば、これしきのこと驚くに値しない、らしい。今やジョーシキ。うーむ。現用PCが化石なら、それを使う人間も化石並みなのである。遺憾です。今後は、新しいほうをメインPCとして使って行きたいと考えている。

 Iさん、心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

’07/09/03 (月)

木目


 本格的な寒い季節が始まる前にやってきて、一冬越えて春が来て、夏が終わって秋の口。8ヵ月を過ぎるとなれば、季節はもうすぐ一巡りするのである。

 完成当初から、とてもきれいな木目を見せていたSネッシーIIのエンクロージャー、近頃ますます深みが出てきたようだ。全体的に色目が濃くなり、木目が鮮明になった感じ。一般的な突き板とは違い、表層に見えている板に厚みがある分、木目にも深さが出るのだろう。ムクモノ大好きな僕としては、大喜びである。

 なぜかしら、木目の美しい木には、心を癒す効果があるようだ。箱船へ入って、このスピーカーを見るだけで、何となく落ち着いた気分になる。それはとても良いことだ。

 アドレスも「westwoods」だし。なんのこっちゃ。

’07/09/02 (日)

リング1年


 SネッシーMkII専用アダプターリングが加工完了してから、早1年が経とうとしている。当時、新しいエンクロジャーの実物全体像はまだ見えず、リングとユニットが付いたルックスはどんなふうになるのだろうと半ば楽しみに、半ば不安に想像していたことを思い出すのだった。

 20cmユニットをリング付きで3発インラインセンター配置したルックスを、どう見るか。恰好良いと感じる人もいれば、ブサイクだと思う人もいるだろう。肝心なのは、ユーザーであるところの僕がどう感じているか、である。

 個人的には、これはこれでまあ良いンじゃないかと、感じている。大袈裟で武骨で、「美しい」というのとはちょっとチガウと思うけれど。208ES-Rを3発縦並び、なんてえのは僕の知る限り作例が少ないようだし、「あったら見てみたい」を実現できただけでも上等かな、と。

 ルックスはともかく、このリングが音に与える影響は大きい。曖昧さが少なく踏ん張りの利いた瞬発力ある音は、超強力なエンクロジャーとの相乗効果によって実現したものだと思う。この音を聴いてしまうと、武骨でも何でも僕はリングをヤメラレマセン。

 明後日、製作者氏がお出でになる。聴いていただけるのが、楽しみである。

’07/09/01 (土)

ネジ


 9月である。月が変わって夏が終わりに近づいても、日誌を書くのに青息吐息なのはちっとも変らない。何ぞ話題はないかいナと、過去の日誌をかき回すのはいつものことである。

 ちょうど3年前、2004年9月1日の日誌には、その頃使い始めたチタンネジのことを話題にしている。チタンは鉄に比べてドライな印象になる、ナドと言いながら、結局はSネッシーがMkIIに替わる2006年12月まで使った。違いはわずかで、音全体の印象を決定付けるほどではなかったのだろう。

 んで、現在はどうなっているかといえば、写真にご覧の通り。フツーの鉄製キャップスクリューである。リングのユニット取り付けネジ穴をM5からM6にサイズアップした所為で、以前のM5チタンネジが使えなくなったのである。

 今のところ、M6チタンネジに交換する予定はない。チタンがペケ、だからではなくて、鉄も悪くないから、である。但し、欠点はある。時間が経つにつれて、鉄は錆びるのだ。新品のうちはオイルが利いていて問題ないけれど、やがて揮発して錆びるのである。その点、チタンは極めて優秀である。

 この部分のネジが錆びると、如何にもビンボ臭くていけない。実際、2階のD-55はそうなっている。ここはM5のままだから、この際チタンにしたほうがヨロシイ。SネッシーMkIIも、錆びたらチタンに替えようか知らん。

 片chにM6ネジが24本必要。両方で48本。Sネッシーより影響は大きいかな。