箱船航海日誌 2007年08月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’07/08/31 (金)

秋の口

 8月が終わる。つまり夏が終わるわけで、僕としてはヒジョーに悲しいのである。特に今夏は陽射しが強くコントラストがはっきりしていて、昔の夏が帰ってきたようであった。一般的には猛暑で悪評サクサクだったみたいだが。

 明日からは9月。もう完全に夏とは言えない。秋の口である。実際、当地では夜になると冷たい風が吹き始め、草むらではキリギリスに代わってエンマコオロギが鳴いている。

 寂しいなあ。

’07/08/30 (木)

CHAR


 久しぶりのソフトネタである。僕のやることだから、新しいものではないわけである。例によって古い、と言っても僕の中ではわりと最近、と思ったら、1992年のCDだった。ヤッパリ昔ムカシのタイトルなのである。

 「PSYCHEDELIX LIVE / no one's wastin' time」(日edoya records PSY-7)。(C)1992。PSYCHEDELIX。1991年、稀代のギタリストCHARがJIM COPLEY(Ds)、JAZ LOCHRIE(B)、DAN MATRAZZO(Key)らと結成したロックカルテットである。そのライヴ盤だ。

 録音日時、場所とも、クレジットがなくまったく分からない。CHARの熱狂的ファンなら分かるンだろうけれど、残念ながら僕には不明。グループの結成が1991年、(C)が1992だから、おおよそその頃、だろう。音の雰囲気からして、比較的大きいホールでの収録のようである。

 僕は「熱狂的」ではないCHARのファンである。その昔「闘牛士」や「気絶するほど悩ましい」でオンナノコにキャーキャー言われていた時代から、JL&C(JOHNNY LOUIS & CHAR)、PINK CLOUD、PSYCHEDELIX、現在のソロまで、思えば30年経っているのだった。

 このCDは、ヒジョーに良い。CHAR独特のちょっと上品で、しかし骨のある男らしいロックが、存分に楽しめるのだった。CHARのギターはもちろん、ドラムとベースが素晴らしい。特にJIM COPLEYのドラムは最高である。切れ味鋭く、シンプルなようで実は手数足数が多いという、この人ならではドラムである。イワユル一つの「痒いところに手が届く」というヤツだ。聴いていて痛快である。

 但し、録音はイマイチ。だが、このジャンルとしては比較的良いほうに入ると思う。中低域が薄っぺらくならないのがよい。歪みは多いものの、耳を塞いで逃げ出すほどではないし、何となく音場のようなものも感じられ、ライヴの雰囲気は出ている。

 惜しいことに現在は廃盤で、中古でしか買えない。同グループのベスト盤なら新盤入手可能、それにこのCDから数曲収録されている。

 ロックファンには是非聴いて欲しい1枚である。

’07/08/29 (水)

 先週とは打って変わって、今週は天気の悪い日が多くなった。月曜日の夜から降り始めた雨は、今日も止まない。ここまで随分な少雨だったから、降らなきゃ困るムキも多いわけで、その意味では「慈雨」ということになるのである。

 しかし僕は、雨が嫌いである。ドロンと曇った空から落ちてくる雨を見ていると、何とも言えないユーウツな気持ちになるのだった。夏は終わってしまった。そう思うと、ますます気分が沈んでしまうのである。あー、雨はイヤダイヤダ。

 まあしかし、涼しくなって良いこともあるわけだ。3日ほど前まで炎熱地獄のようだった箱船室内も、陽射しが弱まってかなり涼しくなった。涼しくなればエアコンの稼働率が下がり、電気代抑えられてSNも良くなる。オーディオするには好条件、と。

 それでもヤッパリ、僕は夏が続くほうがいいなあ。

’07/08/28 (火)

大とろ


 「砂場」のことを話題にしたら、また別のS玉県在住の友達から写真が届いた。どういうわけかS玉方面には、縁あるオーディオ仲間が多いのである。

 「とろろ蕎麦 大盛り」(通称"大とろ")。長岡先生が「砂場」へ出かけられた時、必ず注文されたメニューだそうだ。僕はとろろ芋がニガテ(カユくなります)なので、専ら「ざる大盛り」を食べていた。

 この蕎麦が、実に旨い。香りが良くてコシがあって、ツルツルクミクミしていて、ああもう思い出すとムチャクチャに食べたくなるのである。Uさん、この写真は目の毒、オナカの毒ですよ。

 関東方面へは永く出張っていないし、この際S玉県のオーディオ仲間襲撃を兼ねて蕎麦食いに行ってやろうか、などと乱暴なことを考えてしまうのである。

 来られる方はメーワク極まりないのである。

’07/08/27 (月)

砂場


 本家方舟近くにある蕎麦屋さんの「砂場」。拙掲示板へご投稿くださったstarsheepさんへのご返信に「閉店したと聞いた」などと、いい加減なコトを書いてしまって猛省している。ご覧のとおり、今も立派に健在である。S玉県在住の友達が、写真付きで知らせてくれた。ありがとうございました。

 僕が方舟へお邪魔する時には必ずここでお昼ゴハンを食べた。あまりに美味しいから、帰りにも寄ったこともある。ダシは濃くて甘めの、イワユル関東味だったけれども、蕎麦そのものが本当に美味しいのである。長岡先生もヒイキにされていたようだ。

 僕の思い出の中では、砂場と方舟、長岡先生はワンセットになっていて、この写真を見ていると、本当に懐かしくて涙が出そうになってしまった。今、このお店へ行って蕎麦を食べれば、その香りによって当時の方舟を生々しく思い出すだろう。過去の記憶を最も鮮明に呼び覚ますキーは、匂いなのである。最後に行ったのは'99年12月だから、もう8年もご無沙汰しているわけだ。

 あの蕎麦、また食べたいなあ。

’07/08/26 (日)

強烈残暑


 昨日今日は、暑の戻りとでも言うべきか、少しく涼しくなり始めたと思ったところへ再び猛烈残暑である。僕は夏が好きだし暑いのはわりとヘーキだから大歓迎だけれども、年中毛皮を脱げないウチの愚猫ドモは、やっぱり暑さが堪えるらしい。

 写真は、昼寝をする愚猫2号ユズの勇姿(?)である。ノビてます。如何に暑いと言えども、これはケダモノにあるまじき姿である。仰向け両脚おっぴろげ、全急所丸出し。イエネコだから仕方がない、のだが。

 この猫は、1号ラクに比べても明らかにセキュリティレベルが低い。寝付いた直後は猫玉になっていても、しばらくすると大概はこんな恰好になってしまうのである。それだけ安心して眠れるような周囲の環境なのだろうな。シアワセなことである。

 この残暑、もうしばらくは続くという。しかし、もうツクツクボウシとミンミンゼミが鳴き始めている。夏は確かに終わろうとしているのである。

 ユズがノビるのも、あと少し。

’07/08/25 (土)

押し売り

 当地は典型的な地方都市、と言えば聞こえはヨイ。早い話がヘンピな田舎町である。最近、近隣三町で合併したけれど、それでも人口は25,000人足らず、見事「市」になり損ねた。全町民が甲子園球場へ入っても、キャパシティの半分にも届かない。なんだかウラ寂しいのである。

 そんな町でも近年は徐々に都市化していて、十数年前には深夜営業のスーパーマーケット、それに少し遅れてレンタル・ソフト大手のTSUTAYA、数年前には24時間ローソンが進出してきた。あとはこれにマクドとミスドが揃えばカンペキ(?)なのだが。

 TSUTAYAはウチから自転車で10分ほどのところにある。i-pod nanoを手に入れた愚息2号は、早速にメンバーカードを取得し、足繁く通い始めた。今日も幾枚かのCDを借りてきたようだ。ナニを掴んできたのかと覗いてみれば、ウルフルズ、ハイロウズなど、J-ROCKの中ではわりと骨のあるグループを選んでいる。ナルホドなあ。

 そーゆーものを聴くのならば、この道30年のロック中年は黙っていられないのである。頼まれもしないのに僕の手持ちからブルーハーツ、奥田民生、ついでにROLLING STONESなどを押し付けてやった。

 これらを彼が聴いて、気に入るか入らんか、それはワカラン。けれども、少なくとも損にはならないだろうと、オヤヂは考えるのである。選択肢は多いほうが楽しいのだ。大きなお世話、かも知れんケレドモ。

 イムポートしたものを、付属のステレオ・イヤフォンで聴いてみた。充分すぎるほど良い音である。タイトルから曲名まで全部表示されるし、聴きたい曲へのアクセスも瞬時である。うーむ、いいなあこの機械。CDを押し付けておいて、僕のほうがi-podを欲しくなってしまった。

 ナニやってんでしょーか。

’07/08/24 (金)

隔世の感


 1号に遅れること数年、愚息2号も音楽に目覚めたようである。チクチクと貯め続けたチョキンをはたき、i-pod nanoを購入の図、である。

 1号は3年前(だったかな?)、当時発売されたばかりのminiを買っている。それに比べて体積重量半分以下、液晶ディスプレイはカラーになり、HDD容量は4GBから8GBへ倍増、加えて価格は安くなっているのだから、まさにテクノロジーの進化を目の当たりした感じである。

 聞けばこの赤nanoは、アップルwebストアでしか買えない限定色なのだそうな。フツーの電気屋さんでは入手不可能。それにどれほどの意味があるのか僕にはよくワカランけれども、イワユル一つの「付加価値」なのだろう。将来は「レアモン」になるのか知らん。

 それはともかく、本質的な価値は非常に高く、実に良くできた機械である。ディザイン、質感、使い勝手、音、すべて◎。特に音は、極めて立派なものだ。

 miniを箱船のメインシステムにつないで聴いたことがあるけれど、ロック、ポップなら圧縮による劣化はほとんど(てゆーか、まったく)わからない。Dレンジが広く立ち上がりの鋭いソースではちょっと苦しくなる。尤も、そーゆー妙なモノをこれで聴くヤツなんか何処にもいねえのである。

 一般的な曲なら約2,000曲のストックが可能。並べ替えも削除もイムポートも自由自在、ついでに動画も楽しめるとくれば、これ1台で他に何にも要らないンじゃあるまいか。二十数年前、「ウォークマン」に大騒ぎしていた世代としては、なんともかんとも、凄い時代になったものだと感慨無量。「隔世の感あり」とは、正にこのことだ。

 さて愚息2号、これで彼はどんな音楽を聴くのか。僕は楽しみである。

’07/08/23 (木)

返礼


 少しくご無沙汰であった友達から、久々に便りが届いた。常に多忙を極める彼である。元気そうな様子に、僕は安心した。何せ、日本にいることのほうが珍しいくらいのヒトなのだから。

 この友達に、僕は一方ならぬお世話になっている。箱船にあるオリジナル金属パーツのほとんどが、彼の手によるものなのだ。GMホーン、ADスタビライザー、テーブルタップ、アダプターリング等々、これらに加えて小さなものまで挙げていったらキリがない。

 最もの近作は、スーパーネッシーMkII専用アダプターリングである。内外合わせて6本、すべてこちらの身勝手な注文に寸分違わぬ形で作ってくれた。写真にご覧のとおりである。

 厚みを変えろ、穴を開けろ、ここをケズれ、誤差はできる限り小さくしろと、何にもできんクセに注文だけは一人前のアホでワガママな僕に、いつもとことんまでつきあってくれるのだった。まったく以って、深く感謝するほかにないのである。

 そのリングを使ったSネッシーMkIIの音を、彼にも来月には聴いてもらえそうなグワイである。僕はとても楽しみにしている。

 お世話になった返礼の意味も込めて。

’07/08/22 (水)

光陰惜しむべし


 度々書いていることだが、1年が過ぎるのは本当に早い。昨年の今頃、山越木工房さんではスーパーネッシーMkIIの製作真っ最中であったことを思うと、この1年まさに夢の如し。僕の感覚では、ほんとうについこの間、という感じである。

 そのSネッシーMkIIも箱船乗船から8ヶ月を過ぎ、もうすっかり箱船のヌシのような顔をしてキツリツしている。春から鳴らし始めた208ES-Rは随分とエージングが進み、しかも箱にも馴染んできたようで、208ES時代を上回る歪み感の少なさとスムーズさ、加えて透明感と切れがますます目立ってきている。

 今さらながら、208ES-Rは非常に良いスピーカーユニットだと感じている。ただ、一点だけ、208ESに譲るところがあるようにも思う。全域に漲る力感、というか底力、あるいは重量感と言うべきか、そういうものが僅かに後退したように聴こえるのである。尤も、多寡だか4ヶ月しか鳴らしていない現時点での印象である。今後の鳴らし込みに応じて、また変って行くだろう。

 乗船1周年まであと4ヶ月。これまたあっという間なのだろうなあ。

’07/08/21 (火)

夕立のあとは

 今月4日夕方の、ディスプレイを破壊した強烈な雷雨以来昨日まで、雨はまったく降っていない。連日ピーカン暑さ強烈、この16日間はまったく以って見事な「夏」であった。

 しかしそれも終わりに近づいたようである。今日は朝から雲が多く、暑さの質も少し変って妙にムシムシした日だった。こりゃ久しぶりに降るかしらんと、思っていたら案の定。

 夕方5時前、猛烈な夕立がやってきた。4日とは違って雷はさほどではなかったけれども、雨の降り方は凄かった。なんだかもうヤケクソみたいな量である。時間にしてホンの30分程度でスカッと上がってしまって、アレが2時間も3時間も続いたら間違いなく災害になるだろう。

 降り止んだあとは随分と涼しくなって、空気にもどこか秋の匂いが混じっているようなふうである。夏が好きな僕としては、いささかならず寂しいのである。

 夏を惜しむには、まだちょっと早いかな。

’07/08/20 (月)

オヤヂの陰謀


 CDを3枚ほど買った。例によって新譜でも何でもない、古いADのCDバージョンである。

 僕と同世代の方ならよくご存知だろう、70年代後半ジャパンロックの雄、「カルメン・マキ&OZ」のアルバムである。「閉ざされた町」(日KITTY RECORDS KTCR-1518)、「III」(同 KTCR-1519)、「LIVE」(同 KTCR-1520〜21)。CD化そのものも随分と前だ。1994年の「Q盤シリーズ」である。

 「閉ざされた町」は、ADのほうを2004年5月11日の日誌で話題にしたことがある。「III」も「LIVE」もADがあるのに、今さらCD買ってどーする。

 主に、自分が気楽に聴くためと、付録として愚息ドモの教育のためもある。近頃二人してロックにめざめつつある彼らに、骨があった頃のJ-ROCKを聴かせて気合を入れようという、オヤヂの陰謀なのだ。CDならi-podへのイムポートが簡単だし。

 3タイトルをざっと聴いてみる。ヒジョーにヨロシイ。ただ、今の時代には間違ってもウケないだろう。「川原の土手にくさった猫がよこたわり」「飛ぶのを忘れた極楽鳥が無理に笑う」(閉ざされた町)なんて歌詞が、オーディエンスの共感を得られるとは思えない。

 僕は大好きですが。

’07/08/19 (日)

ガーンと一発


 お盆直後の日曜日、ということで、今日はオツトメもなく比較的余裕のある日だった。ので、久しぶりにゆっくりと音楽を聴いた。思いつくままアレコレと3時間ほど、いや、実に楽しいひとときであった。ヤッパリ聴かんとあきまへんな、オーディオは。

 聴き始めたら理屈なんかどーでもよくなってしまうのだった。ヤバンだろうがなんだろうが、僕の好きな音で好きな音楽を聴ければそれでヨロシイ。でっかい音でガーンと一発、ストレスもずいぶんと発散できたようで、ヨカッタヨカッタ。

 システムは絶好調である。僕もがんばらねば。

’07/08/18 (土)

死ぬまでにやること


 盆ネタばかり書いていて、いったいオーディオはどーなっとるのかケシカラン。と、お叱りを受けそうな8月の航海日誌である。申しわけゴザイマセン。只今オーディオは開店休業状態であります。

 と言ってもまァ、鳴らしすらもしていないわけではなくって、短い時間ながらちゃんと働かせてはいる。何かしら対策を打ったり、調整したり、イワユル「オーディオ」ができていないだけのこと。尤も、普段でもあまりそーゆーことはやっていないのだが。

 何にもせんでも満足できるような音が出るのだ、オイラのオーディオはアガってしまったのだ。なんてことがあるはずもないのである。どこまで行ったってオーディオに「アガリ」なんぞありゃしない。スゴロクじゃあるまいし。できて14年も経つのに部屋を使いこなしたとも言えず、況してやスーパーネッシーMkIIに至ってはこの間できたばっかり、まだまだ青臭いのである。やるべきこと、やりたいことは山のようにある。

 んじゃさっさとやりゃあイイのに。そこは趣味である。いつかやります。そーゆーいい加減さが通用するのが趣味のいいところなのだ。箱船の壁には「死ぬまでにやること」と書いたメモが、何年も前から貼り付けてある。

 ホントにやりきれるかしらん。

’07/08/17 (金)

新ディスプレイ


 お盆前の4日に、雷害でにぶっ壊れたパソコンディスプレイ。電気屋さんからの借物のお世話になったのは4日間だけで済んだ。注文していたものが、8日には届いていたのである。

 I・O DATA製17型液晶ディスプレイ、LCD-A176G。僕はこの方面にはトンと暗いから、これがどの程度のグレードの物なのか、評判がどうなのか、なーんにもワカラン。ただ、値段から想像するに、少なくとも高級品ではないのだろうと。

 しかし、僕如きのパソコンオンチには、モッタイナイくらいにきれいで、使い勝手もよい。何といっても軽くてスペースファクターに優れているのはヒジョーにありがたいのだった。画面は小さいのに、やたらと重くて奥行きが深かったCRTが、随分と古臭く見えてしまうのである。重くて頑丈なのは、オーディオだけでいい。

 ちょっと戸惑っているのは、写真の見え方がだいぶんと違うこと。デジカメで撮ったものを、ソフトで処理してwebに具しているわけだが、調整パラメーターの数値が大幅に変ってしまった。以前と同じでは、色や明るさ、コントラストが不自然になるのである。

 どちらかが正しい、ということでもないのだろう。単純に、CRTと液晶の違いである。ただ、ご閲覧いただいている皆さんの目には、11日の写真あたりから画像の傾向が大きく変ったように映るかもしれない。尤も、もともと大した写真でもないわけで。どうかご勘弁願いたいのである。

 ディスプレイは新調成った。さて、本体は。

’07/08/16 (木)

夏は続く


 毎日お暑いことです。16日、埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市では、40.9℃を記録したと、ニュースで聞いた。エラいことである。我が盟友であることろの憲さんは、修行時代を多治見市で過している。夏はさぞ暑かったろうな。

 当地も38℃はあったと思う。夕方になって空を見上げたら、巨大な入道雲が高く上っている。昼間、強烈な陽射しで地表から蒸発した水分が、積乱雲を作っているのだ。夏の風景、大変ケッコウです。

 僕はといえばお盆が終わって一息ついているところだが、左のフクラハギが引き攣って困っている。痛いです。棚経の疲れが、こんなところに出ているのである。ムカシにはなかったことだ。

 バ○テリン塗って、おとなしくしていよう。

’07/08/15 (水)

最終日

 今月初めから数えてちょうど半月、たった2週間のことだが、毎年この日は遠い。とまれ、今年も大過なく最終日を迎えることができて、大いに安堵している。

 例年になく多忙で、しかもヒジョーに暑いお盆であった。疲労感は少なからずあるけれども、それよりも達成感のほうが強く、精神衛生上たいへんヨロシイ。何事も一所懸命にやることが、大切なのである。

 明日から少しばかり休ませてもらって、次は来月の彼岸と、秋の恒例行事の準備に取りかかるべし。

 すっかりご無沙汰のオーディオも、少しはカマってやらんと遺憾のである。

’07/08/14 (火)

あと1日

 今日と明日は近隣寺院へ施餓鬼会のお手伝いに出かけるのが恒例である。例年なら両日ともかなり秋めいた感じがするものだが、今年は違う。空高く入道雲が立ち上り、陽射しは強烈風は熱風、思いっきり真夏である。

 本日舞鶴市では37.9℃。当地もおそらく同じくらいあったはず。暑かった。けれども、無事に終われてヨカッタヨカッタ。お疲れさまでした。

 お盆の行事も、あと1日である。

’07/08/13 (月)

夏と秋の境い目

 今日で棚経2007終了である。体調を崩すことも、事故もなく終われたことを感謝せねばならない。これも仏様のご加護である。

 昨年今頃の日誌を読むと、かなり秋めいてきたようなことが書いてある。今年はそうは行かないようで、今日もバリバリの真夏が続く。年中で最も暑い時期とされる土用の頃よりも暑いのである。煮え切らない夏が多かった近年、こんなお盆は珍しい。

 では、秋の気配はカケラもないかというとそうでもなくて、夜になるとキリギリスに混じって秋の虫の声も聴こえるようになった。やはり夏と秋の境い目なのだ。よくできているのである。

 お盆もあと3日に、なりました。

’07/08/12 (日)

夏が続く間は


 予報に違わず今日も絶好天、これ以上ないような棚経日和である。暑い暑い。本日を以って村内終了、明日に村外を残すのみとなった。今年はなにやらムチャクチャに忙しかったけれども、ここまで来ればヤレヤレである。

 世間一般的には明日からがお盆の本番である。帰省されたり旅行されたり、或いは海へお出かけになる方もいらっしゃると思う。いずれの方も、くれぐれもお気をつけて。海も山も空も道路も、お盆は事故が多いのである。

 この時期、都市部では人が減り、当地の如き地方辺境は俄にニギヤカになるのだった。村を出て行った若え衆が、帰省するからだ。普段が普段だけに、一時的でも人が増えるのはケッコウなことである。ただ、お盆が過ぎ去ってしまった後の寂しさは、禁じ得ないのだが。

 夏が続く間は楽しい。

’07/08/11 (土)

夏日長し


 「乱蝉吟ずるところ清風起こり、緑樹蔭濃やかにして夏日長し」(らんせんぎんずるところせいふうおこり、りょくじゅかげこまやかにしてかじつながし)。今日はまさにそんな日だった。早朝から空には一片の雲もなく、抜けるような青空が広がっている。

 こんなに思い切りのよい夏の日は、いったいぜんたい何年ぶりだろうか。ただムシ暑いだけの日ならいくらもあったけれど。ムカシの夏が戻ってきたようで、僕はとても嬉しかった。

 気温37℃超。棚経3日目はヒジョーな汗かきになった。しかし、暑いのが何だ、苦しいのが何だ。雨が降るよりずっといい。こうであってこそ、棚経なのである。

 中日を過ぎてあと2日。明日も絶好天(?)だそうです。

’07/08/10 (金)

2日目も無事に

 立秋を過ぎても、思いっきり夏である。今日も35℃を超える猛暑で、それに加えて超混み混みスケジュールで動かねばならず、全部終わって帰ってきたら、ヘロヘロになってしまった。けれども、すべて滞りなくコトが運べたのは、何よりの幸いである。皆さん、ほんとうにお疲れさま。ありがとうございました。

 というわけで、明日は棚経3日目、中日である。がんばりましょう。

’07/08/09 (木)

1日目終了

 棚経1日目終了。今日は(も)ヒジョーに暑かった。午前6時半から始めて、涼しいのは1時間半くらい、8時になったらもう暑くて暑くて。真夏(と言っても既に残暑だが)に4枚の重ね着は、クルシイのである。イヤイヤ罰当たりなことを言ってはイケナイ。これも僕の修行なのだと、ありがたく思わねばならないのである。

 明日はかなりキツキツの時間割になるから、手際良くコトを運ばんと遺憾。昨晩、だいぶんに思案し、頭の中でシミュレートしたから大丈夫かな。

 無事終わることを、祈ろう。

’07/08/08 (水)

誠意を以って

 9日からはお盆の恒例行事、棚経が始まる。終日読経三昧、となるわけだが、今年はそれに加えて思いがけないオツトメが出来してしまい、いささかならず慌てている。どちらも疎かにはできないのは言うまでもないことである。

 しかし、僕の身は一つだし、時間にも限りがある。最も上手く動くにはどうすればよいか、只今思案の真っ最中。こういう時、「パーマン」に出てきた「コピーロボット」があればいいのになあナドと、馬鹿げた想念が浮ぶのだった。

 何はともあれ、誠意を以ってあたることが、最も肝要である。

’07/08/07 (火)

施餓鬼会


 ああ、暑かった。けれども、施餓鬼会は暑くなきゃァ遺憾と昔から決まっている。してみれば、今日は最高の日和だったわけだ。大いに汗をかいて、ちょっとはスマートになれたか知らん。

 ともかくも無事に終えることができて、如何にもほっとしている。毎年毎年、もう20年近くやっていることだが、何度やっても緊張することに違いはない。お手伝いいただいた方々、ご参拝くださった方々には、心からの感謝を申し上げねばならないのである。ありがとうございました。

 施餓鬼が済めば、次は棚経のお参りである。今度はこちらから全檀家さんのお家へ出向き、お仏壇の真前でオツトメさせていただくわけだ。施餓鬼と同様、お盆の極めて重要な法務である。

 明日(8日)は立秋、だが、僕の夏はこれからが本番である。

’07/08/06 (月)

古くとも


 明日は年に一度の一大行事、施餓鬼会(せがきえ)である。準備もほぼ整い、一息ついたところである。暦の上では最後の夏の日、暑いけれども、がんばりましょう。

 さて、今日はADを1枚紹介したい。例によって大ムカシの長岡先生推奨盤だが、A級セレクションには入っておらず、僕のいい加減な記憶では「AV FRONT」に連載されていた「DISC HOBBY」での選ではなかったかと。先生推奨盤の中では、どちらかと言えば目立たないタイトルである。昨日突然思い出し、急に聴きたくなった。

 「ZAKIR HUSSAIN / MAKING MUSIC」(独ECM 831 544-1)。(C)(P)1987。1986年12月、オスロはレインボウ・スタジオでのディジタル録音である。タブラの名手ザキル・フセイン、それに3人のサポートメンバーが加わり、民俗音楽ともフュージョンともジャズともつかぬフシギな音楽を演奏する。

 サポート、と言ってもかなり豪華なメンバーで、アクースティック・ギターにはその昔「マハビシュヌ・オーケストラ」というグループでブイブイ言わしたジョン・マクラグリン、サックスは前衛ジャズ界で名の通ったジャン・ガルバレク、ウッド・フルートにインド古典音楽界では有名(サントゥールの名人、シヴクマール・シャルマとも共演している)なハリプラサド・チョウラシア。強力なのである。

 もちろんザキルさんのタブラがメインになるわけだが、どの曲も独特の静寂感と透明感があってヒジョーに良い。タブラは立ち上がりがよくバシバシ決まって痛快爽快、ギターも素晴らしい切れと透明感、それに厚みもあってチープな音にならない。サックスは特に優秀で、A-2「Zakir」で聴けるソロはバリバリ鳴り渡って浸透力抜群、こんな音は滅多に聴けないのである。フルートは厚く優しくまろやかで、ウッドの質感がとても心地良い。

 演奏は、最高である。特にザキルさんのタブラは恐ろしいほどの超絶テクニックで、これはもうほとんど神技だ。打楽器に興味のない人でも、これを聴けば感嘆の声を上げずにはいられないだろう。どーやったらこんなふうに叩けるのか、まさに「タブラの天才」である。

 録音風景を見ると、スタジオ内にパーティションを立て各楽器をブースに仕切ってある。マイクの数も多い。いわゆるマルチ・トラック録音、ということになるのだろう。少ないマイクでの音場録音、とは趣を異にするわけだが、各楽器とも実に鮮度が高く、マルチによくある厭味はまったくない。明らかにエフェクター(エコーなど)を使っているように聴こえるけれども、それがまた実にセンスがよく、雰囲気作りに一役買っているのだった。ECMは、上手いねえ。

 20年前の古いタイトル(こんなのばっかり)だが、さりとて最新録音でここまでものが幾らもあるかと言えば、それは否である。古くったって何だって、良いものは良い。ADの入手は難しくとも、CDなら現在もAmazonで買える。

 ちょっと聴いてみてください。

’07/08/05 (日)

代ディスプレイ


 新しいヤツが届くまでの間パソコンが使えないのは困る、なんとならんか。ナドとワガママなことを電気屋さんにゆったら、「それじゃ店にあるものをお貸ししましょう」と持って来てくれたのが写真のものである。イイヤマのワイド14インチ液晶ディスプレイ。

 おかげさまでお盆の書き物作りに支障が出ずに済むし、こうして日誌の更新もできるのである。ミノルさん、ありがとうございます。

 すごくきれいだ。同じ液晶でも、4年前に導入した母屋のPCディスプレイとは雲泥の差である。極めて明るく鮮明、視角の深浅による明るさ、色の差もかなり改善され、CRTにひけを取らない。ナルホド、液晶の進化は止まらないのである。尤も、僕がその方面に暗いだけなのだが。

 ちょっと困るのは、ワイドだから写真の縦横比が狂っちゃうこと。ヨコに伸び(上下がつぶれ)て表示されてしまうのである。もちろん調整は可能なのだろうけれど、やり方がよくワカラン。無理をゆってお借りしているわけだから、文句を言ったらバチが当たるのである。

 表示装置がきれいになっただけで、パソコンそのものまで上等になったような気分になる。まったくの錯覚なのだが、悪い気はしないからフシギである。

 おめでたいことです。

’07/08/04 (土)

雷害


 4日は、午後5時ごろから猛烈な雷雨になった。いつもなら、遠雷からだんだん近づいてくるものが、今日はイキナリ近距離で暴れ始めた感じである。こりゃ遺憾。慌ててすべてのオーディオ機器の電源を切ってACコードを抜き、2階へ駆けてパソコンの電源を切ろうとしたら。

 その瞬間、「パッシーン!」とごく近く(だと思われる)に落雷あり。今まさにスイッチを切らんと手を伸ばしたディスプレイからは「ポヒン」という音が。モウダメだ。画面はシマシマのだんだら模様で、何を表示しているのかゼンゼン分からない。

 ダメもとで両脇をとんとんと叩いたら、少しの間だけ正常に戻った。「壊れたテレビはどつけば直る」。昔の人はよく言ったものだ。どうやら本体は問題なさそうである。たぶんまたすぐに表示不能になるだろうからと、慌ててOSを正常に終了させた。

 2000年6月26日に使い始めて7年1ヶ月と9日。まさに御老体CRTディスプレイである。あなたはがんばったと、表彰してやりたいくらいだが、さすがに修理してまで使おうとは思わない。重いしでかいしデンキは食うし、今となっては古色蒼然。液晶の新しいヤツに交換しよう。

 さりとて、あまり高級なものを買っても仕方がない。本体の寿命も間もなくだろうと考えるからである。最近、エラーの頻度が高いのだ。いつもお世話になっている近所の電気屋さんに相談したら、ワイドでも何でもないフツーの14インチ液晶ディスプレイの出物があるというので、あっさりそれに決めてしまった。

 雷害(?)は困る。けれども仕様がない。相手は大自然なのである。

’07/08/03 (金)

台風一過


 昨夜は少しばかり風が強かったけれども、当地ではその程度に終わった台風5号の通過であった。雨もほとんど降らず、境内に山からの葉っぱが散らかったくらいである。

 愚息ドモも普段と変らずに出かけて行った。1号は「夏期講習が休みにならんかったー」とバチ当たりなことを言い、2号は「やったー、試合ができるー」と喜んだ。ナルホドなあ。

 吹き返しの風、というのだろうか。今夜も非常にムシ暑く、寝苦しくなりそうなグワイである。2頭の愚猫は、床の上で寒い季節の3倍くらいの寸法でノビている。

 台風一過。明日からは、本格的にお盆の準備を始めねばならない。

’07/08/02 (木)

祈り


 台風5号は、発生後何の躊躇も見せず日本列島目指してまっしぐらにやってきた感じである。その影響か、今日はおそろしくムシ暑い日になった。気温36℃、湿度はどれくらいだったか、体感的には100%、っちゅう感じである。

 当地が本格的に荒れ始めるのは明日の早朝から日中にかけてとなりそうで、愚息1号2号とも夏期講習やクラブが警報の発令で中止になるやらどうやら、電話連絡に忙しくしている。2人とも、それなりに多忙なのだな。

 僕は僕で、お盆前に建物などに被害が出ないか心配している。法要、来客が頻繁になるこの時期、境内がワヤになるとヒジョーに困るのである。無事であることを祈りたい、ところだが、宗教者の端くれとしては、我が身を優先して祈っては遺憾のである。

 先ず、第一に祈らねばならぬは、他者の平穏無事、である。我が身は優先順位最下位。他者が無事であればこそ、我立つ瀬あり。これを利他行と言う。別の言葉で言い換えれば、菩薩行とも。

 言うは易し、行うは難し。だが、とまれ、皆の無事を祈ろう。

’07/08/01 (水)

刻苦光明

 お盆の月、8月である。先々月は異例の繁忙さ、7月は少々でも余裕を持って過せるかと思いきや、とんでもない話で、6月以上に慌しくなってしまった。こんなことは滅多にない。もちろん、拙webを立ち上げて以来初めてのことである。月間休載9日は、体調不良による休載以外では最多ではないかと思う。

 休載が続くと、必ずと言ってよいほど、複数の方からお励ましやご心配のメールをいただけるのである。何ともありがたく、心強く、僕としては最もの励みになるのだった。本当にありがとうございます。

 「無理しなくてもいいから、続けて欲しい」。このようにおっしゃっていただけると、何ともはやありがたく、また同時に申しわけなくもある。僕は生来馬鹿でスケベで懈怠な人間だから、ついついお言葉に甘えそうになるのである。イヤ、遺憾遺憾。月間休載9日、「看板に偽りあり」となろうとも、「毎日更新」の縛りを持たせていないと、ムチャクチャになってしまうのだ。

 刻苦光明。苦し紛れながも、続けて行きたいと、決心するのでありました。