箱船航海日誌 2007年07月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’07/07/31 (火)

リアルすぎて


 生録の名手、SY-99さんから音の便りが届いた。音源は、最早氏のライフワークとも言えるところの、八ヶ岳に於ける野鳥の声、である。「音の風景/八ヶ岳 2007年6月6日」(YO-00078DVD-V)。

 昨年は、PCM-D1による96KHz/24bitマスター、48KHz/24bitのDVD-Vにダウンコンバートしたものを聴かせていただいた。極めて優秀であったことは、昨年の日誌に書いたとおり。

 今年はさらに(飛躍的に、と言ってもよい)グレードアップ、KORG製1-bitレコーダーMR-1000による最上位フォーマット1bit/5.6448MHzマスターである。もちろんそのままでは再生不可能(MR-1000を使えば可能)なので、箱船の再生環境に合わせ48KHz/24bitDVD-Vにダウンコンバートした盤をいただいたのである。SY-99さん、いつもお気遣いいただき、本当にありがとうございます。

 如何にダウンコンバートしてあるとは言え、マスターはSACDを超えるフォーマットで録音されているわけだ。期待しないわけには行かない。どーんな音がするのかなー楽しみだなーと、ワクワクしながら聴かせていただいた。

 音が出た瞬間、明らかにこれまでとは質の違う音であることが分かる。極めて透明清澄でありながら、冷たさが皆無だ。上質のアナログを思わせるような艶と厚み、ウォームな感じがある。けれどもやはり、アナログとは違うのである。この辺りは非常に微妙で、僕如きの貧困な文章力では表現し切れない。

 Dレンジは圧倒的に広く、自然な音量でも微小な音まで鮮明に聴こえる。つまり、音場感最高。これまでの録音も極めて優秀だったが、今回のものはさらに優れている。そりゃあもう恐ろしいほどの立体感で、360°音場録音とはまさにこういうものを指すのである。奥行き、高さ、拡がり、すべての点で圧縮感や抑圧感がなく、リアルそのものだ。

 部屋の壁を突き破り、遥か彼方でカッコウが鳴いたかと思えば、すぐ近くからキツツキのドラミングが聴こえ、足元でうごめく小動物の気配にギョッとする。右後方でカラスがカァと鳴き、天井を突き抜けて左上方奥へ飛び去って行く。風に木の葉がざわめき、緑の匂いが部屋に充満する。これはオーディオだ、生ではないのだと、自分に言い聞かせながら聴かずには居られなくなるような、ある意味ヒジョーに不気味な音源と言ってよい。ぶっ飛びの、超優秀録音である。

 氏の言をお借りすれば、まだまだMR-1000の能力を十全に発揮させられてはいない、ということだった。マイクの調子もイマイチだったそうである。とすれば、この録音はベストではないことになるわけだ。この先、SY-99さんがMR-1000を我が物とされた暁には、どんな凄い音が聴けるのだろうか。期待せずには居られないのである。

 SY-99録音は、進化して止むことはない。

’07/07/30 (月)

大違い


 ややクタビレ気味の夜には、さすがに爆音ソフトを聴くのは辛い。ヤバンなオーディオマニアを自認する僕だが、そういう時にはバロックや古楽を静かに聴きたくなるのである。

 このソフトは以前にも一度紹介している。「fro fro / IOCULATORES」(独RAUM KLANG RK-9503)。言わずと知れた(知れないか?)長岡先生の推奨CDである。(C)(P)1995。

 昨日の夜、これを久しぶりに聴いてビックリした。スーパーネッシーの頃とはゼンゼン音が違って聴こえたのである。優秀録音盤であることは重々承知していたつもり、しかし、今スーパーネッシーMkIIから出てくる音は、圧倒的だ。

 高域の切れと輝きがぐんと増し、しかも耳障りにならない。以前は少々粗さを感じたものが、驚くほどスムーズになっている。中低域はタイトで、厚みと深みがあり豊かだ。ボーカルは生々しく極めてリアル、人がそこに立って歌っている様子が鮮明に再現される。全域に渡って情報量が増えた感じで、音場感も大幅に向上した。余韻とエコーの美しさは最高である。

 これほどSネッシーとSネッシーIIの違いをあからさまにするソフトは、少ないのではないかと思う。僕としては、SネッシーIIが失敗作ではなかったことが改めて確認できて大喜びである。ヨカッタヨカッタ。

 長岡先生が永くテストCDとして具されていたのは、こういうことだったのか。と、今頃になってようやく分かる。我が愚鈍さを思い知り、恥じ入るのである。

 姉妹盤「JOCULATORES」(RK-9301)も、聴かねばならん。

’07/07/29 (日)

端正

 数日ぶりに音を聴いた。スーパーネッシーMkIIは、絶好調である。208ES-Rはますますスムーズになり、もう一息と感じていた艶やかさ、瑞々しさが、だいぶんに出るようになって大喜び。こうなってくれば聴いていても居心地が良いのである。クタビレとの相乗効果か、聴きながらウトウトしてしまった。シアワセなことです。

 換装後3ヶ月半、これまでに感じた208ES-Rの音を表現するならば。暴れ、歪み、滲みがが少なく極めて正確、同時に切れと浸透力があり情報量大、何時までも聴いていたくなる音、と僕は感じている。語彙の貧困を承知の上、一言で表わすならば「端正」と言うべきか。とてもきれいな音だと思う。

 尤も、ユニットの経時変化のみならず、エンクロージャーのこなれグワイも大いに関係しているはずだ。叩いてみれば、完成直後に比べてかなり締まってきたのがよく分かる。余分な音が減り、透明感の向上につながっているはず。

 時々刻々変化するスピーカーを聴くのは、とても楽しいのである。

’07/07/25 (水)

言い訳日誌

 今月も「毎日更新」の看板に偽りアリ、になってしまった。まったくもう仕様がないのである。以前に比べて仕事の量が増えていることは確かなのだが、更新のペースが守れないのはそれが原因ではない。実は僕の体力的な問題なのである。夜の踏ん張りが、まったく利かなくなっている。

 夜型で多少の寝不足は問題なし、などとゴーマンかましていられたのは、やはり若かったからだろう。web始めた時39歳、今46歳。同世代の友達は皆「徹夜できなくなった」とボヤいている。年寄りではないけれど、若くはないのである。

 思いっきりの言い訳である。申しわけございません。

’07/07/24 (火)

明けました


 近畿地方の梅雨明けが宣言された。正確には「明けたとみられる」という表現だから、宣言とするには心許ないものなのだが、ともかく、今日からホンモノの「夏」である。

 昨年は10日程度の「盛夏」だった。今年はそれに比べて少し長くなる。8月8日が立秋だから、ちょうど2週間あるわけだ。それでも昔に比べて随分と短くなったような気がするのは僕だけだろうか。子供の頃にあった光と影が強烈なコントラストを見せる「夏」は、もう来ないのかしら。温暖化ってえのは、季節にコンパンダーをかけてDレンジを狭めているようだ。

 短い夏を、大切に楽しみたい。

’07/07/20 (金)

コーディネート


 業務が多忙だった所為か、数珠紐の消耗が非常に激しい。昨年11月に交換したものが、今にも切れそうになってしまった。オツトメの最中に切れたら玉が飛び散って紛失するし、何よりも非常に感じが悪い。もうすぐお盆だし、そうなる前に換えてしまおう。

 先日、友達の徳さんからも直しの依頼を受けていたから、今回はちょっとまとめて紐を買っておいた。いつもの伊藤組紐店である。正絹江戸打特細を6色7束。写真左から、本紫、藤色、水色、灰色、わさび、山吹。1束10尺(約3m)ある。常用の数珠にはちょうど良いグワイの長さだ。

 前回はわさびを使ったけれど、これから夏が来るということで、涼しげな水色を合わせてみた。まずまず、ヨロシイのではないかと。

 さて、徳さんの数珠にはどの色が合うだろうか。茶色系の珠だから、フツーに考えれば山吹か、以前から手持ちにある金茶か。僕としては水色か灰色を使ってみたいところだが。徳さん、如何かしら。

 数珠紐のコーディネートも、なかなかに楽しいのである。

’07/07/19 (木)

ジメジメ

 今年はカラ梅雨、と予測されたのは大ハズレ。九州はもちろん、当地でも近年になく雨が多く湿気が強いと感じている。実際、そこらじゅうカビだらけで困っているのである。業務用革カバンの色が何だかヘンだな、と思ったら、カビで変色して見えたのだった。こんなことは初めてだ。

 タタミもカビて、歩くとタビの裏はマックロケ。ジメジメとした天気で喜ぶのは、ナメクジとムカデさんくらいで、できれば見たくないのだが頻繁に現れて往生している。草刈りしてたらムカデが足に登ってきてギャアと叫んでしまった。イヤダイヤダ。

 アブラゼミが鳴き始めた。早く明けてくれー。

’07/07/18 (水)

羽化が始まると


 夕刻、裏庭の杉の木にセミの幼虫がよじ登っている。姿形からしてたぶんこれはアブラゼミだ。彼らの羽化が始まるということは、近畿地方の梅雨明けも近いのかもしれない。夏が、来るのである。

 昨年、アブラゼミの羽化を見たのは7月27日で、梅雨明けは30日だった。この伝からすると、今年は21日に明けねばならんわけだが、どうもそうは行かないようなグワイである。九州南部地方は昨年より7日早く18日に明けたという。こっちは早くても25日くらいかしらん。

 暑い暑いと文句を言うに決まっていながら、僕は夏が好きである。早くおいで。

’07/07/17 (火)

20年前のエラー


 久方ぶりにADソフトを話題にしたい。「HEIKKI SARMANTO / NEW HOPE JAZZ MASS」(芬FINLANDIA FA201 LP2)である。長岡先生のファンなら既に御存知、外盤A級セレクション第1集97番に紹介されたタイトルだ。(P)1979。2枚組である。古いレコードだが、最近手に入れることができ、大いに喜んでいる。

 僕にとっては思い出深いレコードなのである。今から約20年前、本格的にA級外盤を買い始めた頃のこと。

 当時関西では、A級外盤を店頭で入手するのは容易ならざる状況であった。関西の中でもヘンピなところに住んでいることもあって、専ら通販(もちろん国内の)を利用することが多かったのである。

 随分たくさんのお店を利用したが、その中でも特に品揃えが多く、しかも極めて親切で良心的だったのが、レコード芸術誌に掲載された小さな広告を見て知った、「CANTATE」という通販専門店だった。

 特に欧州系レーベルが充実していて、仏独HM、仏ALION、洪HUNGAROTON、英CRD、英CANDOS、瑞BIS、諾NKFなどはここで随分と買った。単価もかなり安かったと思う。芬FINLANDIAもたくさんあり、今日のタイトルも新盤でカタログに載っていたのである。

 見つけた時僕はたぶん、このタイトルよりも優先して欲しいレコードがあったのだろう。それが何であったかはもう忘れてしまったけれど、ともかく購入リストには入れなかったのである。また今度にしよう、と。

 以後、このタイトルがカタログに載ることはなかった。そうこうしているうちに、「CANTATE」が廃業閉店してしまったのだった。もちろん他の店でも探し続けたけれども、見つけるには至らず。たった一度のチャンスだったわけである。「今度」は無かった。痛恨のエラーである。

 それから20年、巡り巡ってようやく手許にやってきた。ジャケットは少々くたびれ気味、純然たる中古盤だが盤面は綺麗である。あの時縁を逃したタイトルだ。感慨無量なのである。

 機を逸したものは他にもある。諦めさえしなければ、いつかは入手できるだろう。

’07/07/16 (月)

明るく気楽に


 自分の耳に自信があるかと問われれば、答えは否、である。ハッキリ言って自信などありません。友達の中には恐ろしいほど耳の良い人が複数いて、そういう人たちと話をしていると、オレはなんてタコ耳なのだろうとゲンナリすることしばしばである。

 だからと言ってゼツボウする必要はない。と思う。オーディオを生業としていたならば、致命的絶望的欠陥、ということになるわけだが、幸いにも僕はアマチュアである。多少のグワイの悪さがあっても、明るく気楽にオーディオを楽しめばよい。何ともシアワセなことではありませんか。

 208ES-Rの音も随分とスムーズになり(それくらいはワカル、らしい)、現状何を聴いても楽しくて楽しくて。特にADがよい。なかなかまとまった時間が取れないのが残念である。寸暇を惜しんで聴いている。結果、またぞろ日誌の日付がずれてしまった。遺憾です。

 久しぶりに聴いた、ハリー・ジェームスのD2Dは、良かったなあ。

’07/07/15 (日)

接点掃除


 予定されていた業務が、台風4号の影響で明日へスライドし、今日はやや余裕のある時間を持てた1日だった。忙中の閑、という感じである。

 10日に発売されたMJ誌8月号を読んでいたら、アナログディスク再生の基礎知識を特集していた。自分はよく分かっているから読むまでもない、などと考えるのは思い上がりも甚だしい。ふだん疎かにしていることや、いい加減に済ませていることなどが浮かび上がってきて、実に勉強になった。

 中でも、接点をクリーンに保つことは極めて重要。と、これは当然なのだがついついメンド臭くて放置していることが多かったりするわけである。AD周りはやたらと接点が多く、しかも通過する信号のレベルが低いだけに影響は大きい。放置して良いわけはないのである。

 ちゅうわけで、突然心配になって接点大掃除実施。カートリッジからヘッドアンプ、フォノEQに至る信号経路はすべてクリーニングした。特にオーディオ用のクロスやリキッドは使わず、無水アルコールと大小の綿棒、それにミクロスター(めがね用ハイテククロス)を使った。

 万全を期するならば、フォノEQから先も掃除すべきだが、そこは僕のやること、トチューで息切れしてしまった。また今度。今度って、いつでしょうか。

 汚れはそんなに酷くなかった。それでも音は間違いなく良くなるから、やはり定期的なクリーニングは欠かすべきではないのだ。遺憾遺憾。

 時間がある時に、全接点クリーニングせねばならん。1日でできるかな。

’07/07/14 (土)


 4日間のご無沙汰でした。

 11日朝から本山での研修会に出かけ、12日に帰ってきた途端、突然大忙しになってしまった。非常に急を要することばかりで、少々混迷している。

 まったくオーディオできず。何をおいても、オツトメ第一である。

’07/07/10 (火)

気の長い話


 生物としてのヒトは、誕生から十数年を過ぎると、後はひたすらに劣化(老化)してゆくものだと聞いた。ヒトの手は非常に複雑な骨格をしていて、それが形成完了するのは15歳くらいというから、その辺りが生命としてのピークなのである。現在、日本人の平均寿命は82歳(世界一である)、生命が右肩上がりに充実して行くのは、全人生の1/5程度に過ぎないことになる。

 スピーカーはヒトとは違って工業製品だから、使い始めから劣化が始まることになる。しかし、出てくる音としては徐々に良くなってくる(と、僕は感じている)。それを製品としての充実と見なせば、どこかにピークがあり、そこを過ぎれば劣化して行く、という過程をたどるはず。こんなことはわざわざ僕が言わなくても、オーディオファンなら体験的に知っている事実である。

 208ES-Rの前、208ES(Ver.2)を僕は5年間使った。基本的に大音量派だから、かなり酷使した部類に入ると思う。それでも明らかな劣化(音の腰が抜けたとか、トランジェントが悪くなったとか)は、まったく感じられなかった。それどころか、まだ良くなりそうな雰囲気さえあったから、ピークはまだ先のことだったのかしら。スピーカーユニットなるものは存外丈夫で、しかもエージングには時間がかかるもの、と見るべきなのかもしれない。

 208ES-Rが、オーディオ製品としてのピークを迎えるのはいつだろうか。208ESの例に拠れば、少なくとも5年間は坂を登って行くと考えられる。だが、片ch3発使用になり、同じ音量で見た時にコーンの振幅が小さくなっているわけで、そうであってみれば5年ではまだまだ、ピークに至っては何時のことになるやら、という感じでもある。実に気の長い話。

 だからこそ、趣味たり得るのだと、僕は思う。

’07/07/09 (月)

量感と質


 低域の変化は量だけに非ず。いろいろなソースを聴いてみるに、質にもずいぶんな違いがあるようだ。

 最もよく分かるのは、明瞭度の向上である。バスドラムの切れが良くなったし、ベースの音程がとても明確になった。非常に良い傾向である。低域の量感と質を両立させるのは、多くのバヤイ極めて困難なのだ。

 エージングが進むにつれて、208ES-Rがタダモノでないことを強く実感するのだった。先々月19日に「エージング第一段階終了」と書いた。どうやら今、第二段階が完了しつつあるようにも感じている。ただし、極めて恣意的な印象である。そもそもが、何段階まであるのかすら、ワカランのだから。

 ホンの駆け出し程度、ヒヨッコのようなスピーカーシステムで、ここまで鳴れば立派なものだ。よくできました。今後への期待が、ますます大きくなるのである。

 SWとの繋ぎ様も、再点検しておかないと。

’07/07/08 (日)

リニアでない


 昨日の七夕は昨年と同様、曇空で星はまったく見えなかった。だいたいが新暦七夕は無理があるのだ。ほとんど梅雨の真っ最中である。

 さて、FE208ES-Rである。エージングが単なる老化現象であることはともかくとして、音が変ることは確かである。んで、鳴らし始めに比較してどう変ったのか。それが肝心だ。

 低域が非常に良く出るようになった。これはかなり明確な変化である。エージングと言えば、しばしば耳が慣れただけだとか気の所為だとか体調による聴こえ方の違いだとか、否定的な見方もあるわけだが、そういう次元の話ではない。うっかりミスで、SWのレベルを上げてしまったのかと思い違ったほどの変化量である。

 力強い低域がモリモリ出始めたものだから、総合的なバランスは低い方へ偏ってしまった感じだ。補正しないと遺憾。そこでSWのレベルを、C-AX10のボリューム表示で2dB絞ってみる。とりあえずはこれでOK、だが、ベストバランスとは言えないようだ。

 振動系がこなれて、低域の応答性が向上したのだろうか。リニアリティが良くなった、と言ってもよいのかな。尤も、無学なドシロウトが闇雲に理屈を考えたところで屁のツッパリにもならんわけだ。実際に起った現象だけを素直に受け止め、対応して行くしかないのである。

 音は今後さらに変わって行くと予想される。ならば今、功を焦っても仕方ない。使用たかだか3ヶ月である。せめて1年間は様子を見て、少しずつ追い込むことにしよう。それにしても、わりと突然に低域が出始めたから、僕はちょっとビックリしてしまいました。

 エージングはリニアに変化するわけでも、ないようだ。

’07/07/07 (土)

Aging


 ユニットを208ESから208ES-Rに交換して、間もなく3ヶ月が経過する。体調が悪かったり業務繁忙だったりで満足には鳴らせていないのが実情だが、それでもエージングは確実に進んでいるようである。

 aging(『ageing』とも)。英和辞典を引いてみると「1.年をとること、老化、加齢 2.熟成、ねかし」とある。オーディオ用語(?)としては後者の意で使うわけだが、要するに老化であることに違いはない。例えば、おろしたてでゴワゴワのジーパンが、はいているうちにだんだん柔らかくなって動きやすくなるのもエージング。老化である。はき続ければ最後は破れてしまうわけだ。老化の行き着く先、破壊(生物で言えば『死』)である。

 スピーカーユニットもまったく同じことだ。出来たてで動くことに馴れていなかった振動系が、音を鳴らしているうち徐々にほぐれて動きやすくなって行く。やがてはエッジやダンパーが裂けたり破れたり、コーンが歪んだりして、破壊する。「エージングで音が良くなった」とは、老化させて喜んでいるに過ぎないのである。

 ジーパンや服には、人それぞれの体型や動きに合わせてクセが付く。サイズが同じでも他人の服は違和感が強くて着ていられない。オーディオ(特にスピーカー)にも同じようなことが言えるのではないかと、思う。

 仮に、機器、部屋、再生音量などの条件が同等だったとして、日常的に鳴らす音楽の種類が違えば、エージングのグワイも変ってくるはずだ。結果、同じユニットであっても出てくる音は別物、という可能性もある。

 僕は未だ他所で鳴る208ES-Rを聴いたことはない。web上でのインプレッションならいくらも読めるけれども、やはりオーディオは「百聞は一聴に如かず」である。機会があれば、他の仲間が鳴らす208ES-Rも聴いてみたいものだ。

 ウチのは、たぶん、例によってヤバンな音で鳴っているンだろうなあ。

’07/07/06 (金)

動機


 スーパーネッシーMkIIの製作は、これまでに何度も述べたとおり山越木工房さんに依頼した。ちょうど4年前、同社謹製「ブーツ」をお借りできたことが、その大きなきっかけになったのだった。

 それ以前から山越さんとはメールの遣り取りがあり、互いに情報交換していた。そんな折、stereo誌2003年7月号に「ブーツ」が紹介され、あまりに見事なディザインと仕上がりに感激し、その旨お便りしたのである。「機会があればお聴かせ願いたい」とも、書いたと思う。もちろん、貸し出していただこうなどというド厚かましい考えは毛頭なかった。

 お借りできたのは、ただただ山越さんのご厚意によるものだ。わざわざ専用の輸送ケースまで新規に製作された上、お送りくださったのだった。通常なら考え得ぬことである。

 実物を一目見て、僕の気持ちは決まった。次のメインスピーカーは、ゼッタイに山越木工房(当時は高原木工所)さんに依頼しよう。この圧倒的工作精度、美しい仕上がり、加えて高品位バーチ合板でスーパーネッシーMkIIを作ってもらったならば、それはそれは素晴らしいものができるだろう。未だ見ぬスピーカーを夢見て、僕はウットリしてしまったのだった。

 依頼した理由はもう一つある。もし、MkII化したならば、従来以上に永く使うことになるはず。いい加減なものでは納得できないのである。自分で板の裁断から始めるのも、それはそれで楽しいことだが、精度は期待できない。そこで山越さん、というわけだ。

 スーパーネッシーを9年間使って、僕の貧弱な工作技術では大音量再生に耐え切れない部分があることも分かってきた。工作精度の悪さが音に与える影響は、大音量下では特に大きいのである。ラックでも痛感したことだ。

 とまれ、スーパーネッシーMkIIは今、箱船にある。

’07/07/05 (木)

ネジバナ


 本堂前の芝生では、今ネジバナが盛りである。これまでに何度か話題にしたはず、と思ったのは勘違い。過去日誌を調べてみたら、2001年7月の1度だけだった。6年ぶりの登場である。

 一時はぐんと株数を増やしたネジバナだが、この6年間では特に増えもせず、と言って減りもせず、横這いの状態で咲いている。もとよりネコの額ほどの芝生だ。規模に応じ、ちょうど好い加減の繁殖グワイで落ち着いているのである。

 増やすのは容易だと思う。種子をきっちり管理し、肥料をやればどんどん増えるはず。花ももっと立派なヤツが咲くだろう。しかしそこまでやる気はない。い つの間にやらどこからかやって来て、自生したところに、ネウチがあると言うものだ。自然の流れに任せておくのが良い。

 季節を告げる花には、大いに癒されるのである。

’07/07/04 (水)

感慨


 昨年7月の日誌では、しばしばスーパーネッシーMkIIについて触れている。ちょうど1年前、4日には、本体後部に運搬用、転倒防止用ハンドルを取り付けてもらうことになったと、書いてある。それが現在はご覧のとおりの様子である。

 新しいスピーカーはどんなルックス、どんな音になるかと不安に思いながらも大いに期待しつつ、山越さんと基本設計をまとめて行った作業過程は、実に楽しかった。自作(正しくは『ハーフ自作』、或いは『クォーター自作』と言うべきか)の面白さである。

 あれから早1年。完成してからでも既に7ヶ月近くが経った。未だに僕は3mを越えるこのスピーカーを見上げては「よくできたなあ」と、感慨深く思うのだった。まったく以って山越さんのおかげさま、有益なアドヴァイスをしてくれた友達のおかげさまである。

 見ていてばかりもケッコウだが、何よりも鳴らさねば遺憾。

’07/07/03 (火)

運痴のクセに

 僕がヒドイ運痴だということは、これまでに幾度か書いた。どんなスポーツでも、人並みになるまでに随分と時間がかかってしまうのである。たぶん5倍とか6倍とか。ひょっとしたら10倍かかるかもしれない。それが何を間違ったか、中〜高生時代はバレーボールをやっていて、当然結果はヒサンなものだった。

 実際にやるのは大ニガテだが、スポーツを観るのは大好きである。中でも、プロゴルフ、テニスは面白い。選手のわずかなメンタル面のゆらぎが、試合に大きく影響するからである。

 テニスと言えばちょうど今、全英(ウィンブルドン)大会の最中だ。四大大会の中では、特に全英が面白いと思う。毎年楽しみに放送を見ている。室外芝コート、というのがいい。どうもクレイコートはスピード感に劣り、観戦するにはイマイチなような気がする。

 3日夜に放送された女子シングルス、アメリ・モレスモ(仏) vs ニコラ・バイディソバ(チェコ)の3回戦は、実に見応えのある試合であった。

 モレスモはATPランキング4位、バイディソバは10位(どちらも6月25日現在)だから、明らかにモレスモが格上だ。加えて彼女は昨年の同大会で優勝している、ディフェンディング・チャンピオンなのである。モレスモ優位(圧倒的に)、と見るのが当然、なわけだが。

 現実は必ずしもそのとおり、にならないから面白い。結果はフルセット、7-6、4-6、6-1でバイディソバの勝利、である。序盤から中盤、どちらに傾くか非常に微妙だった試合の流れが、徐々にバイディソバ優位へと移り変わってゆく様は、まさにテニス観戦の面白さである。ちょっと残念だったのは、第3セット後半。集中を欠いて半ば投げ気味のモレスモが、少々痛々しかった。

 などと、運痴のクセにエラそうなことを言っている。観るとやるとで大違い、オマエやってみろと言われたって、ゼッタイに不可能なのである。まあ、そこはオーディエンスの戯言、ということで。

 4回戦からが、またまた楽しみなのである。

’07/07/02 (月)

合歓


 7月になった途端、山では合歓の花が、庭ではネジバナが咲き始めた。両者とも例年なら今月10日を過ぎてからの花である。ニイニイゼミの声とほぼ同時に開花するのが通常。今年は10日ほど早いわけだ。何故だかわからない。

 僕が育った大阪府高槻市山間部(ほとんど京都府南部である)には、合歓の木が非常に多かった。だから僕はこの花を見ると子供の頃を思い出し、とても懐かしい気持ちになるのである。

 合歓の木(ネムノキ)。マメ目ネムノキ科の落葉高木である。学名Albizia julibrissin。アカシアと同科。マメの仲間は総じて生命力が強く、荒地にもどんどん侵入する。ただし、どちらかと言えば水分の多い土壌を好むそうで、川や湖の周辺に多く見られる。

 「ネム」(ネブ、とも)の名の由来は、夜になると葉を閉じて眠ったようになるから。専門用語では「就眠運動」というのだそうな。そのままですな。これとソックリな植物に「オジギソウ」がある。こちらはブラジル原産の多年草(木ではない)で、同科だが別モノである。オジギソウはその名の通り、葉を触るとたちまち閉じてしまうが、ネムの葉は触っても動かない。

 花と樹皮は、それぞれ「合歓花」(ゴウカンカ)「合歓皮」(ゴウカンピ)と呼ばれ、漢方薬として用いられている。薬効は、なんと上手くしたものか。不眠、である。天日乾燥させた花、樹皮を煎じて服用すれば、気持ちが安らぎよく眠れるようになるという。夜になると眠る木が不眠症に効く。偶然、とはいえ不思議な一致である。

 この花が早い、となれば、梅雨も早めに明けるかもしれない。

’07/07/01 (日)

気がつけば7月


 昨日の一大行事は、梅雨の最中としては天候にも恵まれ、どうやら成功裡に終わることができた。僕はもう本当にヤレヤレである。無事完遂できたのも、関係諸氏の強力なバックアップあってこそ。当然の話だが、僕一人では何もできない。ただただ感謝するのみである。ありがとうございました。

 先月24日から今日までの1週間をふり返ってみれば、まともな記憶がないくらいに業務繁忙であった。この業界で仕事をし始めて二十数年、これほどまでに忙殺されたのは初めか。否、過去にもあったのかもしれないが、若さがそれを感じさせなかったのかしらん。今月、僕は46歳になる。いずれにしても、ああ、忙しかった。

 明日からは平常に戻る、予定。少しはオーディオする時間も取れそうなグワイである。と言ってもただ音楽を聴くだけ。それが僕にとっては、何物にも代え難い大切な時なのである。

 停滞気味な拙航海日誌の更新も、ネジを巻き直してかからねば遺憾。もとより何の役にも立たない、すこぶるつきの悪い頭の屁、みたいな駄文拙文である。続けることにのみ、何かしらの価値がある、と、勝手に決めてしまって、これからも書いて行きたいと考えている。

 お読みいただくのも申しわけない戯言ながら、今後ともよろしくお願い致します。