箱船航海日誌 2007年03月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’07/03/31 (土)

無断休載お詫び


 ついに休んでしまいました。3日間のご無沙汰である。年度末の事務処理、通常業務に非常業務、それに体調不良(おそらく風邪です)が重なり、さすがに更新する気力が途切れてしまったのだった。何を言っても言い訳ですが、無断休載、誠に申しわけございませんでした。

 業務のほうは一段落したけれど、どうも体調のほうがイマイチである。今夜もできるだけ早寝して、来月からは再び元気に更新できるようにしたいと思う。

 話題のユニットも、届くようだし。

’07/03/27 (火)

日記


 日誌を書いていて、いつも思い出すのは、小学生から大学時代まで続けた「日記」のことである。始まりは小学校入学式の日、1968年4月8日だった。内容も覚えている。

 「しょうわ43ねん4がつ8か(げつ) はれ。きょうは、たかつきしょうがっこうのにゅうがくしきでした。ぼくは1ねん1くみになりました。せんせいのなまえはくめせんせいです」

 「小学生になったら、毎日日記を書け」と父から手渡されたのは、原稿用紙を分厚く綴じた父自作の日記帳であった。そう言われて自発的に毎日書けるような克己心、辛抱強さを持ったコドモ、だったら僕はもっと立派な大人になっているのである。

 もう厭でイヤで仕方がなかった。何とかサボってやろうと思うのだが、毎日必ず父の検閲添削を受けることが決まりになっていて、それもできず。メンドクサイから「きょうはなにもありませんでした」なんて書いた日にゃ、余計にヤヤコシイことになるのである。

 「人間が毎日生きておって、何もない日、何も思わない日などあるわけがない。必ず何かしらの変化があったはずだ。それを書け」と、説教を食らうわけだ。

 高学年になってからは、「検閲」に一層厳しさが増した。字が汚い、漢字を使え、誤字が多い、表現が貧困だ、同じ言い回しを何度も使うな、文末の「〜です」「〜だ」は統一しろ云々と、まあウルサイこと。自我の発現もあって、僕はますます億劫になっていた。それでも書き続けていたのは、偏に父への畏怖からである。

 中学生以降、さすがに「検閲」はなくなった。が、夜になると必ず「日記を書いたか」とクギを刺される。この頃になると、既に習慣付いてしまって、日々のルーティンワークとして書いていたような気がする。イヤヨイヤヨも好きのうち。ちょっとチガウ。結局、修行へ出る直前、22歳頃まで続けることになるわけだ。

 役に立ったか立たないか、僕にはわからない。大して文章力が向上したとも思えず、文章をヒネるのが大好きになったわけでもない。けれども、永い空白期間があってなお、2000年から「航海日誌」を書いているのだから、「日々の事柄を文章化する」という訓練は、それなりの成果を上げたと見るべきか。三つ子の魂百まで。幼児教育は恐ろしいのである。

 少なくともこの日誌は、毎日楽しみながら、書いている。

’07/03/26 (月)

難しいから面白い


 高校入学をキメて、只今余裕の春休みを送る愚息1号である。運動系クラブへの入部も決めたようで、チカラ有り余るであろう年代の彼には、大変ケッコウなことだと親も喜んでいる。

 クラブはクラブとして、もう一つ、ドラムも続けて行く、というよりも、最近ますます病は進行しているように見える。昨晩も遅くまでドラム談義してしまった。ドラマーとしてはすっかり錆びついた親父だが、タイコについての知識と体験だけは30年分ある。年寄の昔話を嫌う若え衆も、自分が関心を持つジャンルになると様子が違うようである。

 2号は4月から中学2年生になる。こちらのほうはドラムや音楽などにはまったく無関心で、専らクラブ活動に一所懸命である。春休みに入ってからも、朝早くから練習だ試合だと出かけて行く。夕方、マックロケの顔で汗臭くなって帰ってくるのは痛快である。圧倒的な大運痴であった僕から見れば、これまた誠にケッコウ。何事も、継続は力なり、である。

 子育ては難しい。その一方で、実に面白いものでもある。

’07/03/25 (日)

眠気覚まし


 日誌を書くのはたいがい真夜中である。その日の業務を全て終わらせ、家族も寝静まってから、書き始めるわけだ。この時間帯が、最も落ち着けるからである。尤も、落ち着いて書いたところで駄文であることに変わりはなく、気忙しい中で書くよりゃちっとはマシ、という程度のものなのだが。

 デメリットは、眠気、である。業務予定に余裕のあった日はともかく、繁忙だったりしたらモウダメである。オートオフ機能つきのプレーヤーみたいなもので、動きが止まれば眠ってしまいそうになる。それを避けるため、あれこれ対策を打つわけだ。

 写真はそのうちの一つである。これをグヨグヨ噛みながら日誌を書く。本当はガムが最適だが、只今メントスを試用中。なかなかヨイけれど、困ったこともある。

 食べてしまうタイプなので、糖分が気になる。食べ過ぎるとオナカのグワイが悪くなる。ならば控えめにすればよい、ことが分かっていて、日誌に集中し始めると、知らん間にグヨグヨグヨグヨグヨグヨ。好い加減を知らない馬鹿は困るのである。

 やっぱりガムにしようかな。

’07/03/24 (土)

一日千秋


 このような写真を、これまでに何度載せたことだろうか。ちっとも珍しくないのである。しかし、この時期が来れば、話題にしないワケには行かない。今年は記録的暖冬であったとは言え、僕は冬の間、ずっと桜を待っていたのである。

 一つの花芽が四つに分かれ、いよいよ蕾が見えてきた。開花まであとどれくらいか。3月14日気象庁発表の「桜前線」によると、この辺りは3月31日帯と4月5日帯のちょうど境目になっている。ちょっと驚いたのは、北陸信越地方とほぼ同時期の予想になっていること。やはり丹後は丹後なのであって、関西ではないのである。

 週間予報を見ると、月末まで17〜20℃くらいの最高気温で推移しそうだから、予想より早くに咲いてしまうかもしれない。3月中に開花すれば、2004年以来3年ぶりである。昨年の花は少々寂しかったから、今年はパッと行ってほしいものだ。

 一日千秋の思いで、開花を待つ。

’07/03/23 (金)

ダンパー


 上は2001年3月12日の日誌に載せた、FE108ESIIの画像である。もう6年も経ってしまったわけだ。このユニットは今、スーパースワンにくっつき、いささか閑職にあってアクビをしている。

 エージングに時間がかかり、しかも充分にパワーを入れてやらないと鳴りが悪いユニットである。やや使いにくいユニットであるという意見もよく見かける。エッジのみならず、ダンパーまでがUDRタンジェンシャル形状になっていることも、深いエージングが必要な原因の一つになっているのだろう。

 間もなくエンドユーザーのもとへ届き始めるであろうFE208ES-R、このユニットは20cmフルレンジでは初めてUDRタンジェンシャルダンパーを採用している。旧ESは、一般的なコルゲーションダンパーだった。

 108ESIIの伝からすれば、208ES-Rもエージングには時間がかかる、或いは経時による変化の度合が大きいタイプなのかも知れない。基本的には反応のよいダンパー、しかしその複雑な形状は、狙い通りの動きを達成するに手間が要りそう。

 と、まあ、これは僕の勝手な想像である。実際には、聴いてみるまで何もワカラン。7年ぶりの20cmFE、その正体や如何に。

 実に楽しみである。

’07/03/22 (木)

遺憾です


 春はいいけれど、やはり暖かくなるとカラダの切れが悪くなって困るのである。このところの業務繁忙もあって、夜のフンバリが利かず、ほとんどオーディオしていない。これでは遺憾と思いつつも、如何ともし難いのであった。歳の所為もあるのだろうな。

 スーパーネッシーMkIIは、鳴かずに泣いている。

’07/03/21 (水)

彼岸中日


 21日は春分、彼岸中日である。朝のうちは寒さが残っていたが、お昼過ぎからは随分と暖かな日になった。暑さ寒さもナントヤラ。昔の人はよく言ったものである。昨年、一昨年に比べると、春らしい中日であった。気象予報は大当たり。

 昨日書いた桜、である。ご覧のとおり、花芽は小さく固い。と思っていたら、午後からの陽気で急激に膨らみ始めた。上の写真を撮ったのは21日午後2時ごろ、夕方には蕾の形が分かるほどになったのである。桜も暖かくなるのを待っていたらしい。

 今日から夕方の鐘(昏鐘:こんしょう)を撞く時間が午後6時になる。日が長くなり、夜明けは早くなった。ウグイスも鳴いた。ツクシも顔を出した。

 春は、いい。

’07/03/20 (火)

まだまだ


 東京では、日本一早く桜の開花宣言が出された。彼岸の中日を前にしての開花、ソメイヨシノではなくてヒガンザクラみたいだ。まだ寒いけれど、春は来ている。

 当地の桜はまだまだである。2月があまりにも暖かく、どれほど早く咲き始めるのだろうと期待したけれど、3月に入って冬に逆戻り。結局は例年通りか、わずかに早めの開花になりそうなグワイである。

 昨年の開花は4月7日だった。当地としても遅めである。現状、花芽のグワイからすると、これよりは早くなりそうな雰囲気だ。4月に入ってすぐ咲き始め、入学式の頃に満開になれば言うことないンだけどなあ。ニンゲン様の都合では決められないから仕方がない。

 昨年は開花後の天候が非常に悪く、加えて黄砂現象が猛烈で、大好きな青空と桜の風景がまったく見られなかった。上の写真は2005年の桜である。今年は是非ともこんな風景を期待したい。

 明日からは寒さがやわらぎ、確かな春が始まるという。うれしいなあ。

’07/03/19 (月)

再々結成


 このレコードジャケットを見て思わず「懐かしいっ」と叫んだアナタ、相当古いロックファンです。「サディスティック・ミカ・バンド/黒船」(日東芝EMI ETP-40135)である。写真のものは1983年の廉価再発盤、オリジナルは1974年(33年前!)発表。そちらも持っているけれど、聴き過ぎてジャケットハゲハゲ。綺麗なほうを載せた。彼らの2ndアルバムである。

 加藤和彦、ミカ(加藤の奥さん)、つのだ☆ひろ、高中正義のオリジナルメンバーで1972年デビュー。のち、小原礼、高橋幸宏(つのだ☆ひろは脱退)、今井裕の参加を見て制作されたアルバムで、彼らの最高傑作とされている。このあと2枚のアルバムを発表し、1975年11月に解散。

 実際、よく出来たレコードである。嘉永6年(1853)の黒船襲来を題材に取り、トータル・コンセプトされた楽曲は一聴の価値がある。当時は国内よりもむしろ、ロックの本家欧米で評価されたバンドである。確かに、欧米ロックの拡大再生産然としたグループが多かった中、彼らの音楽は非常に個性的でひときわ異彩を放っていた。時代よりも先を行っていたのである。

 このアルバムのA-3に、近年少しく話題になった曲、「タイムマシンにおねがい」が収録されている。キリンビールのCM曲に使われていたのである。TVからチョイと聴こえてきて、「これ、サディスティック・ミカやんか」と呟いたら、愚息1号が「知ってるの?」と言う。

 「知らいでか。ロック中年をナメたらアカンで」とエラそうにしたら「歌ってるのは木村カエラだよ」「へ、ミカやろ」「いや、カエラ」「なんでやねん」と、折角の威張りが台無し。面目丸つぶれである。

 木村カエラをボーカルに迎え、「Sadistic Mica Band Revisited」という名で再々結成(再結成は1989年、ボーカルは桐島かれん)されていたのだった。うーむ、知らんかった。早速ネット上でカエラの「タイムマシンにおねがい」を聴いてみると。

 演奏は極上、これは当然である。ボーカルは、まあ、上手い。けれども、どうも今風に上手くて、僕には違和感がある。ミカのボーカルは、はっきり言ってヘタ、しかし、ヘタウマというか何と言うか、実に味があってよい。言うなれば、ロック魂を感じるわけです。時代かな。

 解散から30年以上経った今、人気が再燃している。今秋には彼らを主役とした映画も公開されるという。

 70年代ロックは、ダイ・ハードなのである。

’07/03/18 (日)


 東京、大阪での試聴会も終り、いよいよ正体を顕にしてきたFE208ES-Rである。大阪はもちろん、東京まででも出かけて行きたいほどだったが、残念ながらどちらにも参加できなかった。実際に聴かれた方々のイムプレッションによれば、噂に違わぬ優れたユニットであるらしい。期待感は大きいのである。

 但し、現箱船環境で208ESと混用するには、いささかならず勿体無いユニットであることも確かなようだ。ピュア・マグネシウムセンターキャップによるメカニカル2ウェイが上手く決まっていて、ハイの伸びとクオリティがすばらしい。中高域の歪みは減り実にスムーズ、低域の力感も向上。と聞けば、3本のうち1本だけをES-R化するのは如何なものかと、考え込んでしまうのだった。

 3本(両chで6本)全てをES-R化するのが理想である。当たり前の話だ。現状、経済的にも、人気の高さからしてもそれは不可能である。ので、どうにか1ペアは入手しておいて、2回目以降の発売に期待するか。

 我が身を顧みず、ともかく聴いてみたくなる。オーディオマニアの性である。

’07/03/17 (土)

火の要慎


 公共施設的側面を持つ寺院のヌシとしては、官公庁へ届出ねばならない書面がいろいろあるのだった。上の画像に見える書類もその一つである。「防火管理者選任届出書」。これと合わせて「消防計画書」も提出しなければ遺憾。提出先は、当然のことながら所轄消防署、である。

 防火管理者となるには資格が必要である。各都道府県の消防協会などが実施する講習を受け、修了証を出してもらうわけだ。通常は1日講習でOKである。10年ほど前に受けたことがあるが、なかなかメンドウなもの、だったような覚えがある。

 まとまった人員が集まる施設には、防火管理者を置くこと、消防計画書を作成することが、法令により義務付けられている。重要な書類なのである。しかし最も重要であるのは、何といっても火災を起こさないことだ。

 寺院の火災は、珍しいことではない。灯明(ロウソク)、焼香炭、線香など、荘厳に欠かせず、しかもウッカリすると火元になり易いものが多くあるのだ。加えて建物が古く、電気配線の老朽化による漏電の危険性も高い。実際、ウチでも数年前、本堂庫裏の天井裏配線を調べたら、わずかではあるが漏電していて、慌てて全交換したことがあった。ちょっと曲げたらポクッと折れてしまうような大昔の蝋引き線(銅線に蝋を被せ、木綿のチューブで覆ったヤツ)がゾロゾロ出てきたのである。よくも無事だったこと。

 地震雷火事親父。近頃のオヤジはちっとも怖くなくなったけれども、TOP3の座は、今も揺るがない。

 空気が乾燥している。皆さんも火の要慎専一に。

’07/03/16 (金)

進路確定


 高校受験を終えて発表を待つ心境がどんなものだったか、僕はよく憶えていない。あまり深刻には考えていなかったのだろう。ハラハラするのは周囲のほうで、案外本人は気楽なものなのかしら。

 愚息1号は、無事希望校に合格した。獲得目標点数をわずかに上回り(近年は受験内容を開示するのだ)、まずまず安全圏でのクリアだったそうだ。これで進路が確定したわけで、親としてはヤレヤレと胸を撫で下ろすのである。ヨカッタヨカッタ。

 彼が選んだ高校は、最も近場にある府立高校である。自転車で10分程度。冬場、天候によっては通学が困難になることもある当地では、家から近いことは大きなメリットだ。

 ごく一般的な公立校だが、III類(体育系)はなかなかにがんばっている。ウエイトリフティング、スキーはインターハイや国体で優秀な成績を修めるのである。さらに有名なのが女子合唱部だ。これはもう世界レベルで、この部にあこがれて越境入学してくる学生もいるくらいである。

 高校3年間は、中学時代にも増して楽しく、しかも重要な時期である。将来の大勢がここで決定すると言ってもよい。楽しむことにばかり呆けてしくじった僕が言うのだから、間違いないのである。

 健闘を祈る。

’07/03/15 (木)

卒業お祝い


 愚息1号が中学校を卒業した。13歳〜15歳。心身ともに最も変化が大きく、それだけに最もコントロールの難しい時期である。心してかからねば遺憾と思ってから3年間、まずまず大過なく終わることができて、本人よりも親のほうが安心している。

 中学生、特に男子生徒はめざましい身長の伸びを示す時期である。入学当時、僕(167cm)よりも20cm近く低かった1号も順調に成長し、今やほぼ追い付かれてしまった。最早、抜かれるのは時間の問題である。体格だけはすっかりオトナ、しかし中身はまだまだコドモ。だからこそ、手綱捌きが難しいわけだ。

 卒業祝いに何か美味しいものを食べに出かけようかと言ったら、ウチで作った巨大ハンバーグが食べたいと言う。なんじゃそりゃ。「そんなもん食べ切れるのか」「食べる」。祝いを受けるべき本人さんがそう言うのならばと、愚妻腕まくりして大量挽肉コネ回す。

 出来上がったのは、ご覧のとおり恐ろしいようなシロモノである。人のカオくらいある。使った挽肉は1kg以上、愚妻もよくこんなモノを作ったもんだと、妙なところで感心するのであった。

 ウマイウマイと言いながら、ホントに食べて仕舞った。そら身長も伸びますわな。考えてみれば、僕自身15〜20歳の頃は、モノスゴイ大食いしていたような覚えがある。若さですねえ。

 オナカ一杯になったところで、残すは高校受験の合否、である。大丈夫かしら。

’07/03/14 (水)

超傑出


 音元出版刊analog誌最新号(Vol.15)で、ヒジョーに気を惹かれるカートリッジが紹介されている。My Sonic Labの新製品、「Hyper Eminent」である。4月上旬発売予定。税抜460,000円(税込483,000円)。Eminentの「低インピーダンス/高出力」というコンセプトはそのままに、振動系のグレードアップを図り、ベース、ボディの物理的強度を向上させたものだという。

 Eminentはベースがブルー、ボディはいぶし銀で、比較的シックなルックスである。新作はベースが陶器のような艶を持ったブラック、ボディはヘアラインゴールドという、一種独特の凄味を感じさせるいでたちだ。ボディの稜線にはRが付けられ、ややヌメッとしている。色の変更とわずかな意匠の違いで、随分と印象が違うものである。

 僕は、現状Eminentの音に何の不満もない。素晴らしいカートリッジである。その名の通り、傑出しているのである。されど新作は「Hyper Eminent」。「超越して傑出した」カートリッジなのだ。実際、試聴された貝山知弘氏は「もう前作には戻れない」と述べていらっしゃる。3年間Eminentと付き合ってきた僕である。これが興味を持たずに居られましょうか。

 どんな音なのだろう。機会があれば、是非とも試聴してみたいと思う。けれども、一度聴いてしまったら、Eminentを導入した時と同じようなことになるかもしれない。聴かないほうが良いかしらん。

 この春は、オーディオ意欲を沸き立たせる新作が多い。幸せなことである。

’07/03/13 (火)

VNSOP


 レコードwebショップを徘徊していたら、滅多に出ないタイトルを発見した。米M&K REALTIMEレーベルのD2D「Flamenco Fever」(RT-107)である。検索の上手下手にもよるが、僕のウデでは数年に一度くらいしか見つけることができない、レア物である。

 カタログの詳しい説明を見てひっくり返った。なんと、$499.99という、オソロシイ値が付いている。現在のレートで換算して、約60,000円である。正にプレミア盤だ。こら買えん。僕が3年前に買ったものは、$100程度だった。3年間で、ネウチがさらに上がったのかしらん。

 コンディションはどんなものかと、説明をさらに読み進めば「Mintly ! VNSOP !」と書いてある。「VNSOP」。何だかブランデーの格付けみたいだが、これは「Virtually No Sign Of Play」の略である。「実際には演奏した形跡はありません」というくらいの意味だろう。「新品同様! 針は通っていません!」っちゅう感じか。

 確かにこのレコード、針が通っているかいないかは、大きなポイントになる。超低域が猛烈ハイレベルでカッティングされているため、下手に再生すると針が音溝を切ってしまうのである。一度切ってしまうと肝心なところで針が音溝をバイパスし、飛びグセがついてしまうのだ。「VNSOP」はその懸念がない(或いは少ない)から、いきおい高値になってしまうのだろう。なにしろ29年前(1978)のD2Dなのである。

 というわけで、今回はビックリするような値になっている。しかし将来は、さほど良い状態でなくとも高値を呼ぶようになる可能性は大きい。少なくとも、安くなることはないはずだ。良いレコードがどんどん買い辛くなる。残念なことである。

 それでも市場に出てくることを、喜ぶべきか。

’07/03/12 (月)

佐野元春


 突然ですが、僕は佐野元春のファンです。初めて聴いたのは1981年、佐野がメジャーデビューして間もない頃である。思えば26年も経つのだなあ。何だかウソみたい。

 '80年代にデビューした日本のミュージシャンには珍しく、骨のあるロックを歌う人だ。今ではすっかり大御所になり、落ち着いてしかも精力的な活動を続けている佐野だが、デビュー当時の扱いはアイドル然としたところもあり、佐野コピー(良く言えばフォロワー)というか、随分拡大再生産されたこともあった。

 今日紹介するCDは比較的新しい、なんてとんでもない。クレジットをよく見たら(C)1991になっていてひっくり返った。ついこの間買ったばかりだと思っていたら、16年前か。ナルホドねえ。

 「Slow Songs」(日Epic/Sony ESCB-1230)。デビューから1991年までに発表された佐野のアルバムの中から、スローバラードばかりを12曲収録した企画物ベスト盤である。これがナカナカにヨロシイ。独特の優しさと憂いを含んだ曲は、佐野の独擅場である。

 尤も、ファンでも何でもない人にはナニのことだかサッパリわからん。間違ってもオーディオ的ソフトにはなり得ず、サウンドマニアにはおそらく無縁のCDだと思う。

 こういうものを聴く時僕は、音楽ファンに変身するのである。

’07/03/11 (日)

「馬」は「馬」


 「スーパーネッシーMkIIは最高最適」と浮かれている。しかしそれは、あくまでも「僕にとっては」という但し書きつきの文言である。

 オーディオを趣味とする人、それぞれみんな自分の好きな音があるはずで、その音が実現できる装置と出合った時、それが「最高最適」となる。他者がどんなに高く評価するものでも、自分にとっては最低かもしれない。自分は最高と感じたものが、他者にとってはゴミ同然かもしれない。

 スーパーネッシーMkIIは、そういうスピーカーシステムだと思う。僕が聴きたい音を、おそらく実現できるはずと踏んで設計し、然るべきプロに依頼し作ってもらったシステムである。「万人向け」という普遍性はまったくないと思っているし、他者に推奨しようとも思わない。況してや、全てに勝る、それこそ「最高最適」のシステムである、などとは毛頭考えていないのである。

 「己のやり方が何物にも増して正しく、その方法論から外れたものは全て間違い」。リアルハードなオーディオマニアが陥りやすい落とし穴である。長岡先生は常に「○○だから良い、という売り文句はすべてウソである」とおっしゃっていた。まったくその通りである。

 「アンプはMOS、スピーカーはフルレンジBH(或いは共鳴管)、ソフトは外盤」。これらはいわゆる「長岡アイテム」として有名になったものだが、先生は「MOSだから良い、BHだから良い、外盤だから良い」とは、どこにも書いてはおられないし、直接にも聞いたことがない。あくまでも先生の個人的嗜好として、挙げたられたに過ぎないのである。MOSだろうとBHだろうと外盤だろうと、良いものは良く悪いものは悪い。それを決めることができるのは、長岡先生でもなくどこかのマニアでもなく、自分だけなのである。

 僕はスーパーネッシーMkIIの音が好きである。同時に、それに固執する偏狭なマニアには、絶対になりたくないとも思う。自信を持つことは大切である。それが過剰になり、世界は自分中心に回っていると思い違ってしまった輩のことを、古来「馬鹿」と呼ぶのである。

 誰が何と言おうと「馬」は「馬」だし、「鹿」は「鹿」なのだ。真理は変えられない。

’07/03/10 (土)

最高最適


 スーパーネッシーMkIIの箱船乗船から、早3ヶ月が経とうとしている。冬のかかりにやってきて、季節は春になる。と、今晩はひどい雪降りなのだが。2月よりも3月のほうが寒いではないか。どーなっとるンだろうか。

 画像にあげたCDタイトルは、僕の記憶が正しければ2回目の登場だと思う。「LULLABY JOURNEY」(米DORIAN DOR-90232)。(P)(C)1996。ちょっと心配になって調べてみたら、2003年12月4日の日誌に書いていた。確かに2回目である。

 古いタイトルだが、僕は大好きである。音、音楽も然ることながら、テストディスクとしても好適で、システムのどこかを変更した時には必ずこれを再生してグワイを看ることにしている。

 当然、スーパーネッシーMkII乗船当初にも聴いたわけである。その時は、音にいささかケンがあり、特にフルートには滲みが多く、ボーカルもややきつめに出て、ケルティック・ハープは厚みが不足しリアルさに欠ける。これはやはりユニット3発のデメリットかと、少々ガッカリ、しながら、イヤイヤエージングで変るはずと、期待するような言い訳がましいような気持ちで居たのであったが。

 最近聴き直してビックリしてしまった。ケンも滲みもきつさもきれいさっぱり消え失せている。特にケルティック・ハープの厚みと音色は激変と言ってもよい。実にソリッドで分厚く、音像はカチッと締まって生々しさ抜群。フルートもボーカルも含めて、リアルさが格段に向上した。生そのものと言ってもよいくらいである。最良時のスーパーネッシーでもこんな音は聴いたことがない。3発のデメリットはまったく感じない、どころか、却ってメリット極大だったのではないかとさえ、思えるのである。

 この他にも乗船当初に聴いたタイトルを、幾つも聴き直している。おしなべて向上していることを確認した。エージングが進んでいるから当然、とも言えるわけだが、変化の度合が大きいことに、改めて驚かざるを得ないのである。

 この3ヶ月間、スーパーネッシーMkIIには驚かされることが多い。今後もきっと驚き続けるのだろう。サウンドマニアの僕にとっては、最高最適のスピーカーシステムである。

 幸せなのである。

’07/03/09 (金)

電池交換


 最近、ケータイの電池の保ちが著しく悪くなった。何もせず待ち受けているだけでも、2日と保たない。web閲覧やメールをしようものなら、あっという間に電池切れ。これでは使い物にならないのである。使い始めから2年、リチウムイオンバッテリーは凡そこの辺りが寿命だとも仄聞する。実際、電池パックは中年太りのおっさんのオナカの如く、随分膨らんでいる。

 こうなると本体から交換するのがフツー、だそうだが、物持ちのよい僕としては電池だけを交換したいのである。機能そのものに何ら不都合はないからだ。近所のauショップへ行き「電池だけ頂戴」と言ったら、若くて綺麗な窓口のおねいさんはこう言った。

 「電池だけを新しいものにされても、またすぐに保ちが悪くなりますよ」

 そうだったのか。要するにこれは、本体からして新しくしろと暗に営業しているのだな。分かりましたそれでは本体交換をお願いします、と言わないところがアマノジャクである。「今回はとりあえず電池だけでヨロシイ」と突っ張って帰ってきた。

 さて、電池交換である。充分に充電して使ってみる。OKである。まったく問題なし。本当に電池交換だけではグワイが悪いのか、これから検証してみたい。1年以内にくたばったら、おねいさんは正しかったことになるわけだが。

 皆さんなら、どーしますか。

’07/03/08 (木)

ジャンプ


 スーパーネッシーMkIIの製作をプロに依頼した僕が、自作派を自称するのはおこがましい気もするわけである。だが、スピーカーシステムに関しては既製の市販品を使わず、一部自作品も使っているから、末席くらいには置いてもらえるかしら。

 スピーカー工作を始める以前、自作に対して僕はどちらかと言えば否定的だった。ドシロウトがベニヤ板で作ったようなもので、良い音が聴けるはずはないと、考えていたのである。しかしまた一方では、長岡先生の存在が気になって仕方なかったのも、事実。

 「オーディオショップのオヤジにでも聴かせれば、腰を抜かすこと受け合い」「市販システムでは絶対に聴くことのできない異次元サウンド」「100万円のシステムをはるかに凌ぐすごい音」

 こんなふうな評を聞かされて、気にならなかったらオーディオファンに非ず。「ベニヤ板かよ」と見下しながら「聴いてみたいなあ」と羨望する。それは「キツネとブドウ」のキツネ的心境だったわけである。

 そうは思えど、実行に移すまでには随分と垣根が高かったように感じている。不器用な自分に作れるのか、箱はできたとしてもちゃんと鳴らせるのか。実際にD-70を作り始めるには、まさに一念発起が必要だった。

 出来上がったものは工作精度最低、直角平行狂いまくりのいい加減極まりないD-70である。しかも再生環境は劣悪。だが、そんな状況でも「オヤジが腰を抜かす」ような音の片鱗は充分に感じられたし、「市販では絶対に聴くことのできない」音だとも思った。長岡先生の言に偽りはなく、ここにおいて僕のオーディオは決定(けつじょう)したのだった。キツネはブドウに手が届き、食べてみたらやっぱり美味しかったわけだ。上の画像は決定後の第二作目、スーパーウーファーDRW-1MkIIである。

 かれこれ20数年前の話である。今、長岡先生は故人となられ、あの魅力的な文章にリアルタイムで接することは叶わない。しかし、長岡遺伝子を受け継ぐ評論家の存在はある。炭山アキラ氏などは、その第一人者である。自作派がオーディオ界の主流になり得ないのは今に始まったことではない。ではあっても、間もなく発売されるFE208ES-Rの売れ行きから思うに、自作派は力強くしぶとく存在しているのである。

 潜在的自作派も、多いはずだ。ただ、ブドウに手が届いていないだけのことだろう。ともかくはジャンプしてみることだ。美味しいか酸っぱいか、それは食べてみてから各々自分の感性で判断すればよろしい。

 長岡先生が居られない今、大切なのは自分を信じることだ。

’07/03/07 (水)

脚下照顧


 僧としての出発点となった修行道場から、ある法要の案内が来たのは先月の20日だった。どうあっても欠席できない種の法要であったから、今日、盟友徳さんと共に西宮市の海清寺まで出向いてきた。

 まったくに久しぶりである。直接の師匠、春見文勝老大師が遷化(せんげ:逝去と同意)されて以来、足が遠のいていたのだ。集まった大勢の和尚さん打ち揃い、本堂でお経をあげる。道場の本堂は、昔といささかの変りもなく、ひやりと張りつめた透明感ある空気で満たされていた。匂いまで同じである。道場は、時に左右されず凛として清らかだ。

 お経を唱えながら、僕は修行時代を思い出していた。ここで、来る日も来る日も坐禅とお経と作務(さむ:掃除、炊事、畑仕事など)に明け暮れていたのだ。当時は厳格な規則に不自由さばかりを感じていたけれど、今にして思えば、最も自由で身軽な時代だったのである。苦しくも楽しい、修行時代。

 時々はこうして道場の空気に触れること、それは極めて重要なことだと、大いに感じた。今の己が有様を顧み、恥じ入り、今後の糧とすることができる。正に脚下照顧(きゃっかしょうこ)である。脚下を照らし顧みよ。

 「坐禅する時は坐禅になり切れ。お経を詠む時はお経になり切れ。作務する時は作務になり切れ。おまえさんは要らんことばかりに囚われかかずらわって、何にもなり切れてないからいかないんだ」

 老大師。僕は未だに、ナニモノにもなり切れていません。

’07/03/06 (火)

通過儀礼


 予報に相違せず、今日は真冬に逆戻りである。たぶん最高気温は7℃もなかったと思う。午後からは雪も降り始めた。

 まあ大したことにはならんだろうと、タカを括っていたらとんでもない。夜になってからは2月にもなかったような勢いで、今やご覧のとおりである。予報によればこの雪、明日の夜まで止まずに降り続けるという。昨日「拍子抜けする」などと書いた、そのバチが当たったかな。要らんこと書かにゃよかった。

 明日の朝、ひょっとしたらこの冬最初で最後の除雪機出動になるかもしれない。できればそうならないで欲しいとは、思うわけだが。

 3月初旬の雪は、もうすっかり恒例の感あり。春への通過儀礼か。

’07/03/05 (月)

今日初夏、明日冬


 今日の最高気温は23℃、明日の予想は7℃。いったいどうなってんでしょーか。一昨晩あたりから裏山ではフクロウさんが鳴き、アオサギが巣作りを始めたけれど、急に寒くなったらどうするのかな。初夏と冬を行ったり来たりするのだから、彼らだってオロオロするだろう。

 上の画像は昨年3月14日の境内である。稀有の厳冬だった昨年を象徴するような3月の大雪。明日からしばらくは低温が続くという。まさかこんなことにはならんだろうな。

 雪はキライだ。しかし、こういう景色を一度も見ない冬というのも何だか拍子抜けするから不思議である。

 と、言えるのも、春が間近だから、なんだな。

’07/03/04 (日)

春眠


 「春眠暁を覚えず」という。いやもうまったくその通りであって、3月に入ってからというもの、眠くて眠くて仕方ないのである。特に晩ゴハンが終わった後はイケナイ。暗闇に引きずり込まれるような恐ろしい眠気がやってきて、今もそれとヒッシで戦いながら日誌を書いている。

 昨日今日は、5月になってしまったかのような陽気で、なおいっそう眠気がひどかったようだ。明日からは一気に気温が下がり、厳冬に戻るという。「春」でなくなれば、この眠さも少しはマシになるかしらん。

 平和なお話でゴザイマス。

’07/03/03 (土)

何をするでもなし


 イマイチ上手くつながらないスーパーネッシーMkIIとSW、だが、箱船乗船から2ヵ月半、何となく光明が見えてきたようにも感じている。特定の帯域に見られた突出感が、わずかながらも抑えられてきたのである。

 決定的な打開策を発見した、などということはゼンゼンなくて、何もしていない。ただ、鳴らしているだけである。これがエージングの妙、というヤツか。「耳が慣れただけ」っちゅう話もあるわけだが、いろいろ思いを巡らすに、どうもそれだけではないようだ。

 自分にとって好ましくない音は、どこまで行っても好ましくないわけで、「慣れる」ことなどあり得ない。もし、慣れることができるとするなら、好きな音を再生しようと奮闘するオーディオそのものが無意味だ。いっそ、ヤメてしまったほうがよいくらい。

 つながりが良くなってきたのは、エージング効果と見るのが自然である。10年使ったSWよりも、やはりここはスーパーネッシーMkIIの側に何かしらの変化が起っているのだ。

 スピーカーは生き物である。

’07/03/02 (金)

ブーム


 アナログディスクプレーヤーが静かなブームになっているという。有名オーディオショップには、ADプレーヤーの最新モデルがズラリと並んでいて、しかも売れ行きは好調だと聞いた。おっさんやジイさんがムカシを懐かしんで買うほかに、若い衆にも人気があるのである。トレイにポン、ではなくて、音が出るまでにメンドウな手順(儀式と言ってもよい)を踏まねばならないことが、却って恰好良く見えるのだろう。

 25年前、「あんなものは過去の遺物だ」とメーカー、販売店、評論家、ユーザー打ち揃い悪し様に言って放擲したものを、今になってありがたがるのは一体何故か。ともかく一旦は捨て去らねば遺憾かったのだろうなあ。

 まず以って、結構なことだと、喜んでいる。

’07/03/01 (木)

春近し


 平成18年度最後の運営評議委員会を開いた。これが終われば、もう春は間近である。

 今年は任期満了の年である。一つの節目ということで、議事終了後はささやかな一席を設け、17名の委員諸氏を労わせてもらった。寺院評議委員というもの、なかなかに骨の折れる役なのである。この方々の存在なくして円滑な寺院維持運営はあり得ない。ありがとうございました。

 この場所実は、1997年5月、長岡先生をご招待申し上げた席と同じである。ホテルの3階にあり、壁2面総ガラス張り、天橋立が一望できる特等席だ。以前は大浴場だったところを改装し、今はホテル内レストランになっているわけだ。

 素晴らしい眺めに加えて料理も美味しく、新装開店以来ずっと贔屓にしている。皆さんにもご満足いただけたようで、ホスト役の僕としては大いに安心したのである。

 3年間、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願い致します。