箱船航海日誌 2007年02月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’07/02/28 (水)

心配ご無用


 FE208ESユーザーとしては、各部寸法そのままでES-Rに換装可能かどうか、その辺りが非常に気になるところである。特に、奥行き、バッフル抜き穴、フレーム径の寸法は、場合によって換装不能になるおそれもあるから重要だ。

 上の画像は、208ESの各部寸法図である。信頼のおける筋からの情報によれば、ES-Rのフレーム裏面(バッフル接触面)から磁気回路最後端までの寸法は、ESのそれ(125.5mm)よりも若干浅くなると聞いた。

 バッフル抜き穴径はφ185(ESに同)、フレーム径、ネジ穴位置寸法もESに同じである。入力端子の位置がESとは異なり、左右に1個ずつ独立配置になる。FE108ESII、168ESと同じタイプである。但し、バッフル穴に端子(ケーブル)逃げの切り欠きは不要。磁気回路がスマートだからだ。

 従って、D-57、58、リング付きD-55などには何ら問題なく換装可能である。もちろんネッシー、スーパーネッシーにもOK。第1パイプの断面積が大きいスーパーネッシーMkIIに至っては、語るに及ばない。換装に関しては、心配無用である。

 m0やQ0、総重量、能率、F特、f0なども知りたいところだが、これらは今後の正式インフォメーションに待つほかはない。「そんなものは静特性に過ぎない」と、カタログスペックを軽視するムキもあるように仄聞するが、僕はそうは思わない。エンクロージャーを設計するにあたっては、極めて重要有益な情報となるし、特性から音を想像するのも、自作派にとっては大きな楽しみの一つなのである。

 新しいFEサウンドへの期待は大きい。

’07/02/27 (火)

2本だけ


 FE208ES-Rの正式発表からしばらく経って、反響は深く静かに広がっているようである。キムラやコイズミの先行予約はすでに満杯、キャンセル待ちが出るくらいだという。自作オーディオは下火、なんてウソだな。このユニットがあっという間に売れてしまうンだから。皆さん勢いがあって、大変喜ばしいことだと思う。願わくは、投機的購入されざることを。

 僕は、誠に恥かしながら、2本だけ予約した。さすがに6本は、今の時期ヒジョーにクルシイのである。これまでの限定ユニットは、すべて地元の小さな電気店で取ってもらっている。今回もそのお店に依頼したわけだが、さて大丈夫か。この人気ではひょっとしたら取れんかもしれん。まあ、その時はあっさり諦めましょう。

 仮に首尾よく入手できたとして、2本だけである。それでどーするのだ。まずはスーパーネッシーMkIIの2番(センター)ユニットだけをES-R化してみる。見た目は上の画像みたいな感じかしら。愚行かもしれないが、これも一つの実験だと、無理矢理押し切ってしまうのである。

 それがまったくのNGだったらば、二の手で2階のD-55をES-R化してみたい。こちらのほうは間違いなく大幅グレードアップになるし、それが正当な使い方とも言えるわけだ。D-5×タイプへの搭載を想定するユーザーがおおかた9割、あとの1割がネッシー、或いはオリジナル設計のエンクロージャー、という感じではないか。

 いずれにしても楽しみである。2本と思い切って予約してしまったら気が楽になった。あとは無事入手できることを願いながら、春を待つのみである。

 見る前に跳ぶ、にもそれなりの心構えが、要るわけで。

’07/02/26 (月)

半鐘受難


 北関東では、火の見櫓に吊られた半鐘の盗難が相次いでいるという。昨今の金属材料高騰の影響か、かっぱらって売り飛ばし、荒稼ぎを狙う不逞の輩が跳梁跋扈しているのだ。

 ウチには業務の関係上、屋外には梵鐘が、屋内には半鐘(業界では『殿鐘-でんしょう-』と呼ぶ)がある。前者は、先代が戦時中に供出接収され、今あるものは昭和50年に再鋳した二代目である。後者は享保15年(1730)鋳造の年代物で、277年間に渡りこの寺で使い続けているものだ。ピッチは高いが浸透力のあるいい音で鳴る。

 梵鐘は重量が600貫目(約2.2トン)あるから、如何に屋外設置であっても容易には盗めないだろう。夜中にこっそり重機で盗む。ちっとも「こっそり」ではなくなってしまってダメだ。殿鐘はご覧のとおり小型である。近頃の様子からすると、屋内とはいえ少々危ないかもしれない。用心しなければ遺憾のである。

 それにしても、結構な高さのある櫓から、結構な重量の半鐘を人知れず盗むリスクは低くないような気がする。確かに青銅は高価だが、そのリスクを補って余りあるほどの大きな稼ぎになるとも思えない。ハイリスク・ローリターン。数をこなしてナンボか。乱暴な話である。マジメに働くことを考えたほうが、よほど高効率だろうに。

 「正直者が馬鹿を見る」ような世の中に、どんどん傾いているのである。

’07/02/25 (日)

恒例悪戦苦闘


 恒例の、年度末事務処理悪戦苦闘が始まった。毎年思うことは同じである。どーして僕はこうも事務処理がヘタクソなのだろうか、と。おそらくこれも「空間認識能力」というヤツが欠落している所為である。

 時間ばかりかかってちっとも捗らず、今夜はもう半ば徹夜である。明日は早朝から業務があるというのに、いい歳になっての徹夜はカラダに堪えて遺憾。しかし、やるべきことはどうあってもやらねばならぬ。代表役員の責務なのである。

 とゆーわけで、再び処理に戻ります。暫し、断オーディオ。

’07/02/24 (土)

おめでとう


 公私とも大変お世話になっている方のご子息が、このたびご結婚なさった。今日はその披露宴へお招きいただき、京都市内のホテルまで出かけてきた。

 今を去ること18年前、僕の結婚式の折、今日の新郎M君には重要な役割をお願いし、見事務め上げてもらったことがある。当時9歳、その彼の結婚披露宴に招かれるのだから、時の流れの速さを改めて感じるのである。

 細面でナヨナヨした、男とも言えないようなオトコが多い昨今、彼は骨太で頼り甲斐のありそうな男性である。何をするにもヨメさんとガキの顔色を窺うような馬鹿な亭主にはならんように、今後は一つ頑張っていただきたいのである。

 幾久しく、お幸せに暮らされることを、切に願いたい。おめでとうございます。

’07/02/23 (金)

やっぱり、ウソ


 BOSTONデビュー30周年記念リマスターCDがリリースされたのは昨年の7月である。随分な旧聞だ。1st、2ndが紙ジャケットで限定発売、と、仄聞していて、買わなきゃ買わなきゃと思っているうち、1stは見事に買い逃し、手に入ったのは2nd「Don't Look Back」(日SMD MHCP-1109)だけ。

 ギタリストにしてグループリーダー(実はボーカル以外全部この人が演奏している、というウワサもある)の、トム・ショルツ自身によるディジタル・リマスター盤である。キャッチコピーには「驚異の音質で名作が甦る!」とあるが、実際にはどうだろうか。

 もともとこの2ndは、1stに比べるとイマイチ録音である。中高域に歪みが多く、低域に力がなくボソボソしている。一聴派手に聴こえて、実は影の薄い音である。CBS、SIMPLY VINYL、MO-FIなどのAD復刻盤リリースが1stのみであることからも、録音の差が窺い知れるわけだ。

 これまでに聴いた「Don't Look Back」からすると、ずいぶん良くなっていると感じた。歪みが減って厚みが出るし、中低域もソリッドで実在感がある。まだちょっとボソボソした感じは残るけれども、これはもう仕方ないのだろう。かなりの大音量でもイケる。僕の手持ちの中では、これが最良だと思う。あくまでも「ロックとしては」の但し書きつきでの、お話だが。BOSTONファンにはお薦め。

 と、エラそうなことを言いながら、とても楽しく聴けた。こうなると1stも聴きたくなってくるわけである。通販がダメなら、自分の足で買うしかない。近所にあるような場末のCDショップなら、1枚や2枚残っているかもしれないから、ちょっと探してみようかな。

 「今度こそ」と書いたのは、やっぱりウソでした。

’07/02/22 (木)

煮え切らないお話


 FOSTEXからの新しい20cmフルレンジユニット、FE208ES-Rの詳細と発売日が、各オーディオ誌上でインフォメーションされている。購入申込受付は2007年3月23日午前10時30分から。時間まで指定してあるのは、混乱を見越してのことか。何しろ限定数500(250ペア)だからなあ。

 僕がまず驚いたのは、そのルックスである。コーンは黒に近い灰色と見え、その中心にピュア・マグネシウムのセンターキャップが妖しく光っている。これまでの20cmFEとは、まったく趣を異にするのである。JBLのDシリーズのようなイメージだ。ブアイソにも見えないことはないが、独特の凄味と精悍さを感じさせる佇まいであることも確かだ。

 コーン強度を上げるため、カーボン繊維を混紗した結果である。狙いの一つに「20kHzまで伸ばす」ことを掲げたというから、センターキャップはボイスコイル直結のメカニカル・2ウェイになっているのだろうか。亜鉛ダイキャストフレーム、巨大なアルニコマグネット外磁型磁気回路、特殊なアニール処理をされた純鉄ポールピース、Cu-Ag合金ボイスコイル。音の姿を窺い知れない現状、ルックスと仕様から受ける印象は、従来のFE208シリーズとはまったく別物のように思えるのだった。

 税込78,750円/本。20cmフルレンジユニットとしては、かなり歯応えのある価格である。しかし、従来の路線から大きく飛躍(おそらくはゼロからの出発に近かったと想像できる)し、これだけの素材と技術を注ぎ込んだ工業製品の価格としては、極めて妥当だと言える。チマタでは1本9万円だ、イヤ10万円だと、まことしやかにウワサされていたのだから。

 さて、ところで僕はどーするのか。有体に言えば、大いに迷っている。主な理由は、恥かしながら経済的状況によるものである。スーパーネッシーMkIIの全ユニットをES-R化しようと思えば、半端な額では済まない。まあ、はっきり言ってヒジョーにクルシイわけです。2本だけ買って、2番ユニットをES-Rにしたら、などと中途半端なことも考えたりして。

 何とも煮え切らん話、なのである。

’07/02/21 (水)

目覚め


 C-17、システムへ復帰するの図。昨日の日誌は、スイッチON直後の音を聴いて書いたものである。それから約24時間のウォームアップを経た今晩、改めて聴き直してビックリギョウテン。どこか間違っているンじゃないかと思えるほどの、激変である。

 昨日書いた印象に加え、低域の出方がまったく変ってしまった。ややもどかしいかと思ったらとんでもない。猛烈パワフルな低域がモリモリ出始めたのだ。それはもうモノスゴイ音である。ギクシャクした感じはどこかへ吹き飛んでしまった。通電しておくだけで、この大変化。ウォームアップの重要性を、痛切に思い知らされるのである。

 1日で見事に目覚めたC-17だが、これで完全覚醒、というわけでもないと思う。まったくの新品ほどではないにしろ、落ち着くまでにはもう少し時間がかかるかもしれない。それもまた、楽しみなのである。何と言っても、AE86PEQとともに箱船ADシステムの中枢を担う重要機器なのだ。

 やはりAD再生は、面白い。

’07/02/20 (火)

C-17復帰


 C-17の修理が完了し、今日、メーカーから送られてきた。左chの不グワイは確かに再現され、しかし調べてみると、右chも出力低下を起こしていたことが判明したという。要するに、両chとも故障していたわけである。左のレベルが下がる前から、音には変調があったのだろうなあ。それに気がつかない僕は、ヤッパリ愚鈍である。

 主な原因は、電解コンデンサーの容量抜け、リレーの接点不良など。結局今回は単なる修理ではなく、完全オーバーホールである。不良パーツはもちろん、劣化が目立つパーツも全て交換し、初期特性の回復を図る。そのあと、メーカーで様子見のエージングがあって、今回は修理期間が16日間と少々長かった。エンジニア氏曰く「これで今後も永く安定してお使いいただけます」。何とも心強い言葉である。さすが、A社だ。

 早速システムに復帰させ、修理完了後の音を聴いてみた。

 完璧である。積年の曇をきれいに拭き取ったように、見通しと音抜けが大幅改善されている。特にSNが良くなっているのは非常に印象的だ。実に清澄で汚れのない音である。ただ、一部のパーツが新しくなった所為か、どことなくギクシャクした感じがある。おろしたての靴、のようなフィット感の無さ。修理完了直後の機器にはよくあることだ。時間とともに解決するから問題はない。

 メーカーには、この個体の保証書に基く購入記録が残っていた。それによると、ファーストオーナーさんは1986年12月15日に買っているようだ。以来、実働20年以上を経て、初の故障修理になる。信頼性は極めて高いと、言わざるを得ないのである。

 まだまだ使うぞ。

’07/02/19 (月)

La Foliaだらけ


 知的好奇心はオーディオの原動力である。と、今日の日誌を始める前に、オノレに都合のよい言い訳をしておいて。

 昨日に続いてアトリウム・ムジケの話題である。「古代ギリシャ」「タランチュール」ときて、ドン尻に控えしは「ラ・フォリア」(JM-XR24201)である。これまた非常に優秀で、買って絶対損はない。3タイトルまとめてのお買い求めを、強くお薦めしたい。と言っても、僕はJVCの回し者ではないから念のため。

 このCDを聴いていて、さて僕はこのタイトルのヴァージョン違いをいくつ持っているのだろうかと、思った。初めて出会ってから約20年、随分買ったなあと、改めてラックから出してみて驚いた。7タイプも、あったのである。

 1.仏HMフランスプレス盤、2.同ドイツ・テルデックプレスDMM盤、3.日ビクター国内プレス盤、4.独Helikonレーベル盤、5.仏HM盤CD、6.同SACD、7.xrcd24盤、の、7ヴァージョンである。こうして見ると、やはり5番のジャケット絵だけが反転している。

 4番のHelikon盤は、ちょっと変り種である。1989年に限定盤としてリリースされたもので、「ラ・フォリア」「タランチュール=タランテラ」「ヴィリャンシーコ」が3枚一組になったBOXセットADである。「ラ・フォリア」だけがフランスプレス、あとの2枚は独プレスDMM盤という、ちょっと妙な組み合わせ。当時は事情をよく知らないまま、セットで2,000円という超安値につられて大喜びで買ったものだ。

 この7タイプに音質的順位をつけてみる。

 第一位1番、第二位7番、第三位2番、第四位6番、第五位3番、第六位5番(4番は実質1番と同一なので除外する)。

 一位と二位はかなり肉迫していて、リスナーや再生環境によっては逆転する可能性もある。それほどに今回のxrcd24盤は、良く出来ているわけだ。少し水が開いて三、四、五位も差はわずか。と言うより、この三者はそれぞれにキャラクターが強めで、単純に優劣を決められない感じだ。六位は、残念ながら蚊帳の外。

 尤も、マスターやマスタリングの差異もあるから、このレースはかなり無理があるわけで。異論をお持ちの方もいらっしゃるはず。あくまでも、僕の個人的嗜好による順位付けであると、ご承知ください。

 同じ内容のものを、こんなに沢山持つ必要があるのか。フツーに言えば、まったくない、と思う。どのヴァージョンを聴いても「ラ・フォリア」は「ラ・フォリア」である。他のものに化けたりはしない。しかし、である。

 ヴァージョンが違えば音が違う。そこに、オーディオマニアたる僕は大いなる好奇心を持つわけだ。このヴァージョンは持ってなかったな、どんな音がするのだろうかと、パブロフの犬よろしく買っていたら、知らん間に7枚になっていた、というお話。

 んで、冒頭の言い訳である。好奇心は、大切です。

’07/02/18 (日)

これまた特薦盤


 残るタイトルは2つ、「ラ・フォリア」(JM-XR24201)と「タランチュール=タランテラ」(JM-XR24202)である。xrcdマスタリングは前者が2006年12月29日、後者が2007年1月9日。プロデューサー、マスタリングエンジニアは「古代ギリシャ」と同様に杉本一家氏である。「タランチュール」のほうは正に出来立てのホヤホヤだ。マスタリング日時からエンドユーザーに本番製品が届くまで1ヶ月強とは、異例な速さではないか。ちゅうことで、今日はこれを紹介したい。

 原録音は1976年10月というから、昨日紹介した「古代ギリシャ」よりも古いのである。これもADには仏プレス盤と独プレスDMM盤の二手があり、例によって仏プレス盤のほうが良い。中古市場でも仏盤は高値を呼んでいる。皆よく知っているのだ。

 「古代ギリシャ」に同じく、このCDも優秀である。'80年代後半にリリースされた仏HMのCD、DMM盤AD、さらにはSCRの180g復刻盤をも上回る音である。オリジナルの優秀さを、ほとんど害さずそのままCD化したような印象である。「古代ギリシャ」に比べSNが少し劣るのは、マスターに由来するものか。

 一音一音に実在感がある。CDの音には、一種独特の影の薄さがつきまとうように感じているのだが、このタイトルにはそれがない。ソリッドで腰の据わったいい音だ。分解能も優秀、歪み感、埃っぽさは皆無である。音場は透明感抜群で、見通しが利いて爽快である。これまた特薦盤だ。

 これほどの音が実現できるのであれば、是非とも他のタイトルもxrcd24で復刻してほしいものだと、思う。「アラブ=アンダルシアの音楽」「ヴィリャンシーコ」はもちろん、入手難で困っている「陽気なヨーロッパ」(仏ERATO STU71098)のxrcd24化は、大いに期待するところ、だが、版権関係からして難しいだろうなあ。

 JVC、いい仕事してます。

’07/02/17 (土)

特薦盤


 アトリウム・ムジケのxrcd24化第一号に敬意を表し、先ずはこのタイトルから紹介したい。改めて掲げるのも気恥ずかしいくらい有名なタイトルである。「古代ギリシャの音楽」(日JVC JM-XR24200)。CDとしての(P)2006。原録音は1978年6月である。「2chオリジナルマスター使用」とあるが、仏HMのオリジナルマスターなのか、1982年にリリースされた国内盤ADに使われたマスターなのか、それについては触れられていない。

 xrcdマスタリングは2006年11月25日、横浜のJVCマスタリングセンターで行われている。プロデューサー、マスタリングエンジニアは杉本一家氏である。氏とは平成12(2000)年に、自衛隊富士総合火力演習でご一緒したことがある。MYUタカサキさんが復刻された彼の名盤、「日本の自衛隊」ADのマスタリングも、氏の手によるものだ。

 一言で言ってしまえば、このCDは極めて優秀である。1986年リリースの仏HM盤CDを遥かに凌ぐばかりか、オリジナル仏プレス盤(独プレスDMM盤もある)ADに、一歩の引けも取らない。

 冒頭からドッヒューンとくる「響きの爆発」は、正に大爆発サウンドである。切れが良く厚みがあり、CDにありがちな抑圧されたような印象がない。SNはADを上回り、背景に聴こえる小鳥のさえずりが非常に鮮明で、距離感がよく出る。音場感抜群、CD化されたことによる劣化や変形は、感じられない。ディジタル的な音のドライさがなく、潤いと艶が感じられるのは、xrcd24の威力か。

 では、ADと同じ音なのか、といえばそうではないから面白い。ディジタル臭さはほとんど感じられないけれども、やはりADの音とは違うわけである。この違いはあまりにも微妙で、僕の文章力では表現できるようなものではないのである。強いて言えば、音の力感と伸びという部分で、個人的にはADに魅力を感じるのも事実。

 実際には、テュンパノン(小型の両面太鼓)の音を聴けば、比較的分かり易いかとも思う。CDではややスマートで控えめ、ADでは太く力強く、存在感と浸透力がある。この差が何に由来するものか、僕には分からない。ADとCDの音を違えるファクターが、沢山あり過ぎるからだ。

 いずれにしてもxrcd24盤「古代ギリシャ」は、AD再生環境を持たない多くの人にとって大いなる福音である。「24bit super analog」の名に恥じない、素晴らしいCDソフトだ。16bit/44.1kHzフォーマットも、やればここまでの音が実現できるのである。

 二重丸、いや、三重丸四重丸の特薦盤です。

’07/02/16 (金)

Atrium Musicae de xrcd24


 拙掲示板でMYUタカサキさんからお知らせいただいたアトリウム・ムジケのCDが、早速に3タイトルうち揃って届いた。もちろん、MYUタカサキさんのお世話によるものである。早々のご発送、ありがとうございました。

 今日は少々業務が込んでいて、ゆっくり聴くヒマがない。最近聴いたばかりの「La Folia」だけをチョコっと聴いた限りでは、かなり良く出来たCDのように感じた。期待感、大。

 詳しいイムプレッションは、明日以降の日誌に譲りたい。

’07/02/15 (木)

果報者


 今日の話題は何にしようかと、リスニングポイントの椅子に座る。思案がまとまるまでちょっと音を聴こうかと、一旦鳴らし始めたらオワリである。そこから離れられなくなる。ハッと気付けば夜はすっかりふけてしまっている。スーパーネッシーMkIIの音には、僕を惹きつけて止まない魔力があるのだ。

 時間を忘れるほど聴き入ってしまう、最大の魅力とは何か。それは、Dレンジの広さである。極めて細かい音を鮮明に描き分け、同時に、強烈な音を危機感なく力感豊かに再生する能力。旧スーパーネッシーに大きく差をつけるところである。

 この音は、聴いていてヒジョーに楽しい。抑圧感がまったくないから、清々しい気持ちになるのである。爽やかに晴れ渡った青空のような抜けの良さと明るさ。何を鳴らしても暗く陰鬱になることはない。聴いている僕の気持ちも一緒に明るくなる、ので、放っておいたらいつまでも聴いているわけである。

 オーディオファンにとってこれ以上の幸せはない。こういう気分を味わうために、オーディオしていると言ってもよいくらいだ。ワタクシは、果報者です。

 などと言いつつ、再びスーパーネッシーMkII方面へ去る。

’07/02/14 (水)

乗船2ヶ月


 今日はお菓子屋の陰謀渦巻く日である。日本中でどれくらいの人たちが喜んで巻き込まれるのか、エラいことだ。そんなことはどーでもよろしい。

 スーパーネッシーMkII箱船乗船から2ヶ月を過ぎた。日を追うごとにエージングが進み、実に快調に鳴っている。当初、少しく気になっていた中域のキツさとツッパリ感はすっかり消え失せ、全域に渡ってスムーズになった。圧倒的なDレンジの広さ、SNの良さはますます冴えてきたし、初期エージングは極めて順調と言えるわけだ。

 いいことばかり、みたいなことを書いているけれども、まあしかし問題点もあるわけで。と言っても本体側の問題ではない。サブウーファーとのつながりが、やはりイマイチなのである。

 現状fc70Hz、遮断特性−36dB/octでつないでいる。いろんなソフトを聴いてみるに、グワイの悪いものがあるようだ。特定の帯域だけが妙に突出して聴こえることがある。スーパーネッシーMkIIの低域とSWのfc付近で、何らかの干渉が起きているモヨウ。

 位相を入れ替えたり、レベルを上下させたり、位置関係を調整したり、fcと遮断特性を変更したり、イロイロやってみたが根本的改善には至らない。結局現状がベター、ということに、なってしまうのである。

 では、将来へ向けての改善方法は。SWの新調か、デバイディング・ネットワークの変更か、である。我が身を顧みず一気の大勝負に打って出るなら、両者の実現、だが、そんなことは到底不可能である。

 問題点は明確である。ちゅうことは、慌てず焦らず、鷹揚に構えて一つずつ改善して行けばよいのだ。分をわきまえず、無闇に走ってしくじっても仕方がない。

 今の音を、存分に楽しみましょう。

’07/02/13 (火)

時計新調


 13年3ヶ月働き続けた1階の壁掛時計が、ついに寿命を迎えたようだ。先月半ば、ひどく遅れだしたので、いつもの電池切れかと思ったがちょっとヘンである。昨年の秋頃にも電池切れを起し、新しい電池に交換したはずだ。まだ半年も経っていない。

 それでもともかくはと、電池を新しくしたのだが、1ヶ月も経たないうちにまた遅れだした。それも1分や2分ではない、20分とか30分とか、盛大に遅れるのである。これはもう駄目だ。980円で買って13年以上使えたならば、文句はまったく言えない。超々ハイCPである。よく働きました。

 そこで初の時計交換である。今度は前回のしくじりを教訓に、多少値が張ってもよいから運針音がなく、しかもできるだけ正確なものを選びたい。近所のホームセンターへ出かけて物色してみる。

 従来のクォーツはベラボウに安く、ほとんど投売り状態だ。980円どころの騒ぎではない。何故か。時代は今や電波時計、なのである。ナルホドなあ。またぞろハイCPを狙うのもどうかと思うから、今回はちょっとフンパツして電波時計にしよう。

 同じ壁掛電波時計といっても、やはりピンからキリまであるわけだ。下は2,000円台から上は20,000円台まで。キリはプラスチック枠で非常にチープである。面白くない。6,000円くらいから金属枠、7,000円台から天然木枠になる。ピンは豪華な意匠入りでデジアナ表示、これは無駄だから要らない。

 ちゅうわけで、選んだのは10,000円クラスの、写真のものである。セイコーKS231B。天然アルダー材の枠にガラスカバーの、チョイと高級品である。残念なことに展示品しかなく、しかしその所為で約35%OFFで買えた。

 秒針はノンステップ・スムーズ運針で、カチカチ音を出さない。電波時計だから、受信さえ確かならば誤差はほとんどなく、正確無比である。はがね山西日本電波(60kHz)、おおたかどや山東日本電波(40kHz)、どちらでも適宜自動受信するタイプで、初期の電波時計に比べると随分使いやすくなっている。

 写真は、電波受信を完了し現在時間に向かって忙しく針が動いているところ。長針がブレて写っているのはその所為である。「12時」表示の下で受信状況を示すLEDが光っているが、これは安定受信状態に入れば消灯するからうるさくなくてよい。

 安定受信後、早速定位置に掛けてみた。うむ、なかなかヨイ。上品な高級感があるし、少々レトロ(死語です)な雰囲気もヨロシイ。運針音が無いとは、こんなに静かなものだったかと、改めて驚いてしまった。運針モーターの唸りを心配したが、それはまったく問題なかった。

 今度は何年持つか。当然のことながら、壊れるまで使うのである。

’07/02/12 (月)

乾いた冬


 今日も好天であった。日中13℃、この時期としては異様な陽気である。相変わらず雪はまったく降らず積もらない。今冬は太平洋側と日本海側の天候差がほとんどないようだ。

 当地の冬としては湿度が少なく、これはオーディオにも少なからず影響しているように感じている。音に鈍重さが少なく、明るくスピード感があるのである。スーパーネッシーMkIIに替わった所為だけではないと思う。

 オーディオのことだけを考えれば、湿っているよりは乾いているほうが良いに決まっている。箱船が完成して数年間、猛烈な湿気に悩まされた身としては、乾いた冬はありがたいのだった。

 キカイには良くても、人間にはあまりよろしくないのである。体調管理には注意しないと、遺憾。いくら音が良くても、己がビョーキになってしまってはどうしようもないのである。

 人間もシステムもみんな元気。こうでなくては。

’07/02/11 (日)

春に向けて


 ついこの間年が明けたばかりだと思っていたら、もう早2月も半ばにさしかかってしまった。恒例、年度末業務のハシリが始まり、身辺の慌しさを感じ出している。毎年やっていることだが、相変わらずニガテ意識は払拭できない。気が重いのである。

 それに加えて今年は愚息1号の高校受験である。これまた気が重い。受験日まで1ヶ月を切り、そのわりに余裕をカマしている彼だが、大丈夫なのだろうか。お願いしますよ、ほんとにもう。

 身も心も、晴々とした春を、迎えたいものである。

’07/02/10 (土)

ミステイク


 老化現象なのかどうか、以前にはあり得なかったうっかりミスが続き、気が滅入っている。

 先日も書いたように、大切なレコードを床に落っことしてキズを付けたのに続き、昨日は階段でCDを落し、ケースをぶっ壊してしまった。幸いCD本体は無事だったから良かったものの、ケースから飛び出したCDが階段を転がり落ちて行く光景には、血の気が引いた。

 握力が落ちているのか、注意散漫なのか、それとも何か深刻な病気の予兆じゃあるまいかと、46歳にもなればあれこれ考えるのである。年寄、とは言えないまでも、少なくとも若くはないわけだ。身を慎むことを強く自覚しなければ遺憾のかもしれない。

 老化とはすなわち、「エージング」である。ミスが増えるのは、エージングが行き届いた証左、とも言えるわけだが、同時に生物としてのピークを過ぎ、下り坂に入ったことの証明でもあったりして。ジジ臭くなる必要はない、けれども、歳とともに意識の持ち様は変えねばならないと思う。

 AD、CD程度では済まない、大きなミスを犯す前に。

’07/02/09 (金)

これもいい


 これも2回目の掲載になる。前回は5年前、'02年3月20日にADを紹介している。今回は同じ内容のCDである。「EILEEN FARREL Sings Torch Songs」(米REFERENCE RECORDINGS RR-34CD)。(P)(C)1990。全12トラック57分10秒。

 僕がこのタイトルを聴くのは、決まって業務で疲れた日の夜である。とても静かで、ゆったりと寛いだ気持ちになれる曲ばかりだからだ。録音は極めて優秀で、しかし斬った張ったの壮絶録音ではなく、実にリラックスして聴けるのである。

 たいがいはADを聴く。久しぶりにCDを聴いてみた。ホントに久しぶりで、どこに仕舞ったかすっかり忘れ去り、しばらくラックを捜してやっと見つけたくらいだ。

 なかなか良いのである。RRはAD、CDで録音機材をきっちり分けている。ADにはディジタルプロセスの入らないAAA、CDにはDDD、そういったこだわりが音に反映されているのである。ADに比較して、ハイの伸びと繊細感はもう一息、しかし中域の鮮度と艶は充分に保たれている。ボーカルは非常に通りがよく美しい。低域も良く伸びて、空気感があり心地良い。ここまでのCDには滅多に出会えない。優秀録音盤である。

 古いCDだが、RRの公式webで調べたら今もちゃんと買えるようだ。ADも、上手くすれば新盤が手に入る可能性もある。どうしたことかRRは、時々新盤がまとまった数で出てくることがあるのだ。

 女性ジャズボーカルがお好きな方には、推奨盤である。

’07/02/08 (木)

実にリアル


 このタイトルは'03年11月16日にも載せたことがある。「GREGORIO PANIAGUA / La Folia」(仏harmoina mundi HMC801050)。ハイブリッドSACDである。ついこの間買ったばかり、と思ったら、もう3年以上経っているのである。時が経つのは、如何にも、速い。

 スーパーネッシーMkIIの慣らし運転は今も続いていて、毎日少しの時間でも鳴らすように努めている。できるだけ音が良くレンジの広いもの、という選択基準から、久しぶりに上のタイトルを聴いてみたのである。

 '03年の日誌にも書いてある通り、このSACDは極めて優秀である。CD鎧袖一触、ADに迫る、ある一面ではADを凌ぐほどのものだ。今、スーパーネッシーMkIIで再生すると、その優秀さがさらに際立って聴こえるのである。

 透明感抜群、パワフルで切れがありトランジェントが良い音は、非常に痛快である。立ち上がり立ち下がりが良く、音に艶と輝きが出るのはスーパーネッシーMkIIの恩恵か。前回(スーパーネッシー時代)聴いたときよりも、明らかにリアルで生々しい。特に、歪み感の少なさ、Dレンジの広さは圧倒的である。

 内容も面白いタイトルだが、それ以上に音を楽しく聴くことができて、僕はもう大満足である。まさに、オーディオ的快感、だ。

 スーパーネッシーMkIIは、順調に覚醒しつつある。

’07/02/07 (水)

二つでも音は出る


 メインスピーカーがスーパーネッシーMkIIになり、リスニングポイントから見えるユニットの総数は、トゥイーターも含めると14発になった。チャンネルあたり7ユニット3ウェイ(正確にはSW+フルレンジ+トゥイーター)である。何とも大袈裟と言うべきか、僕は見慣れてしまっているからさほどには感じないものの、初めて見る人には随分と威圧感を与える光景なのかもしれない。

 最近やってきた近在の友達は部屋に入って開口一番、「なんだかすごいことに、なってるな」と言った。オーディオマニアでも何でもない、自身で曰く「ただのヤジウマ」である彼はさらに言葉を継いだ。

 「ナンデこんなにたくさんのスピーカーが必要なのか。二つあれば音は出るだろ」

 あまりにも単純明快で、しかもある意味真理を突いた彼の言に、僕は刹那言葉を失ってしまった。その通りなのだ。ムカシムカシ中学生の頃、馬鹿でかい音でロックを聴いていたら、額に怒りマークを貼り付けた父親が「そんな大きい音で鳴らさんでも聴こえるやろ!」と怒鳴り込んできたことがあった。真理なのである。

 オーディオマニアでない人に、それを納得が行くようにセツメーするのは、ヒジョーに困難である。イヤ、ひょっとしたらオーディオマニアであっても難しいかな。でき得る限り一般的な言葉を使い、一応の解説を試みたが、やはり彼には分かってもらえなかったようだった。

 ただ、「百聞は一聴に如かず」と実際に音を聴かせたところが、そこに至って多少なりとも納得する部分が、あったようななかったような。試聴後に一言、「大きな音だがやかましくはない」と、いっぱしのオーディオマニアみたいなことを言うから、「オオ、分かってくれはりましたか。それが狙いでスピーカー沢山使うわけよ」と切り返しておいた。

 箱船システムに一般性がないのは、よーく承知している。「皆さんも御一緒に」などというつもりはまったくないのであって、しかしながら友達のこういった反応を見るにつけ、改めて思う。随分と浮世離れしたことを、やっているのだなあ、と。

 尤も、システム云々以前、今やオーディオそのものが浮世離れした趣味、とも言えるわけだ。事ここに及んで「一般性」もクソもない。最早オーディオに市民権は、ないのである。

 友達は「また来る」と言って帰った。ちっとは面白かったのかしら。

’07/02/06 (火)

雪、消える


 2日に降った雪は、その後の陽気ですっかり消えてしまった。今日も朝から非常に暖かく、昼前で13℃を超えている。こんな日が3日も続けば当然である。そうでなくとも、2月になれば日照時間も長くなり、今の時期に当地で根雪になるなどあり得ないのだ。

 昨冬は、日照時間が最も短い時期、冬至の前後にメートル雪が降った。これはもうタイヘンである。朝、暗いうちから除雪を始め、作業が終わらない尻から日が暮れる。大袈裟でなくそんな感じだった。除雪機のライトを点灯したのも昨冬が初めてである。今冬は、未だ出動機会なし。おそらくこのまま一度も使わないンじゃなかろうか。滅多にない、というよりも、これまた初めてのことである。

 雪が積らなければ地熱が下がらず、ご覧のとおり庭のクロッカスが咲き始めている。webページを始めてからの7年間では、最も早い開花である。特に遅かった年に比べて1ヶ月以上早い。まだ2月初旬ですよ。フツーなら真冬なのである。

 今後、また強い寒気団がやってくると言う。しかし、大したことにはならないだろう。そのうち季節が進んでホントに春になっちゃうのである。イヤハヤ何とも、珍しい冬ですこと。

 桜の花も、今年は早いかな。

’07/02/05 (月)

久しぶりの新譜


 中古盤ばかり漁っていては遺憾と、久しぶりに新譜ADを仕入れた。と言っても元の録音は1999年、(C)2005だから、新譜と言うにはおこがましいような気もする。

 「Patricia Barber / Companion」(米Mobile Fidelity MFSL 2-45003)。(C)(P)2005。45回転盤2枚組限定BOXセットである。このレコードには「00295」のナンバーが入っている。どの程度の「限定」なのか。

 1999年7月17日〜19日、シカゴ・アップタウンのザ・グリーンミルというクラブでのライブ録音。パトリシア・バーバーのボーカルとオルガン(ハモンド B-3)に、ギター、ベース、ドラム、パーカッションのバックがついた、ジャズ・クインテットである。

 恥かしながら、僕はパトリシアさんのことを寡聞にして不知である。ジャズ方面には真っ暗なのだ。少々調べてみたところによると、お父さんはグレン・ミラー・オーケストラのサキソフォン演奏者だったそうで、生まれながらのジャズ人なのである。作品も多く発表していて、そのスジでは有名なアーティストであるらしい。公式webもある。

 「Companion」は、もともとPremonition Recordsというレーベルから出ていたもので、これはこれで今も手に入るようだ。その録音をMO-FIが、得意のハーフスピードマスタリングと45回転重量盤でリリースしたのがこのレコードである。クレジットには「GAIN 2 ULTRA ANALOG SYSTEM」とあるが、イマイチ何のことだかワカリマセン。「ULTRA ANALOG」というくらいだから、何か良いものなのだろうな。

 わりと落ち着いたジャズで、パトリシアさんはさすが歌が上手い。45回転盤の威力か、音にトゲがなく非常に素直で自然である。ローハイのバランスが良く、極低歪み。鬼面人を驚かすような派手さ、壮絶さは少ないものの、切れも力もありリアル。音場感からして小規模なジャズクラブといった雰囲気で、ライブとは思えない優秀録音である。どちらかと言えば美音系か。ジャズ、特に女性ボーカルファンにはお薦め、サウンドマニアも充分楽しめるレコードである。

 MO-FIでは既にアウト・オブ・プリント、ショップによっては早くもプレミアがついている。A店では$100、B店では$50、C店では$45。もちろん僕はC店で買った。店頭在庫はまだ余裕がある様子で、今も購入可能である。

 MO-FIのレコードは、品薄になると高騰することもある。買うなら今か。

’07/02/04 (日)

怪我の功名


 ロック好きが昂じてオーディオマニアへ変化(へんげ)した所為か、クラシックにもコントラストが効いた派手な曲風を求めてしまうのである。ベルリオーズの「幻想交響曲」、ストラヴィンスキー「春の祭典」「火の鳥」、チャイコフスキー「4番」などは大いに好むところ、翻ってマーラーやブルックナーなんかはヒジョーにニガテである。

 特に「火の鳥」は、いい。中でもロバート・ショウ指揮アトランタSOのテラーク盤(DG-10039)は、厚みと切れが両立した優秀録音盤で、最もの愛聴盤である。

 メインスピーカーがスーパーネッシーMkIIに変り、ますますパワフルに鳴るようになって喜んでいる。あんまりうれしいものだから、またしては聴く。そうしているうちに、うっかり手を滑らせて盤を床に落し、ひどいキズを付けてしまった。ADマニアにあるまじきしくじりである。

 しまった、と叫んでも時既に遅し。針を通してみるまでもなく、絶望的な深さのキズである。この盤はモウダメダ。幸いにしてスペア盤があるから救われたものだが、どうにも心持が悪くて仕方ないのである。

 そこでもう1枚買うことにした。実は、以前から目をつけていたヤツが、ネット上にあるのだった。早速注文して、昨日、無事に届いた。これで胸のつかえがいささか軽くなったような気がする。キズをつけてしまった盤には、申しわけない話だが。

 盤を見ると、これまで持っていたものとは様子が違う。センターレーベルが、金色なのである。テラークはほとんどが赤(国内プレス盤はその限りに非ず)で、少なくとも僕の手持ちに金色はなかった。プレス時期の違い、か。リードアウトエリアの刻印を見る限り、赤も金も同じスタンパーのようだ。スタン・リッカーのSRサインも同じである。

 聴いてみて驚いた。音が違うのである。明らかに金のほうが良い。特に分解能で差が出る。スタンパーが同じでも、プレス時期が違えば音は変る、とはADの常識である。テラークにもこういうことが、あったのだなあ。ともかく、音の良いバージョンが手に入ったのは、素直に喜ぶべきだ。

 これも「怪我の功名」と、言うのかしらん。

’07/02/03 (土)

懐かしい音


 C-17は今日の午前中、修理へ送り出した。メーカーから送られてきたのは、「C-17」の赤字刻印も鮮やかな、サラピンの専用元箱である。僕はちょっと感激してしまった。テキトーな箱で流用するのではないのだ。ちゃんと用意されているンだなあ。

 さて、C-17が不在の間、AE86さん謹製PEQは暫し休息、AD再生はC-280Vに頼ることになる。カートリッジ出力を直接ADファンクションに入力し、MCモードで再生するわけだ。最もシンプルな方式とも言える。

 久しぶりに聴くC-280Vのみで再生するADサウンド、これがなかなかのものである。非常に馬力があり、切れ味抜群。空間を一刀両断するかのような痛快さがある。解像度が高く、楽器の質感がよく出る。音場感も非常に良い。

 これはこれはといろいろなレコードを聴いているうち、僕はC-280Vを初めて聴いた時のことを思い出していた。1991年9月7日。16年前、僕はこの音にナミダが出るほど感激したのだった。懐かしい音でもある。

 今やすっかり御老体アンプになってしまったC-280Vである。しかし、僕としてはまだまだリタイヤさせるわけには行かない。外付けPEQがメインであったとしても、この音には捨て難い魅力があるのだ。発売当時、長岡先生をして「高価だがハイCP」と言わしめたこのアンプ、まさにその通りである。

 「20年使う」とは購入当初の公約、それでは終わらんかもしれない。

’07/02/02 (金)

雪の研修会


 更新遅れ、お詫びいたします。先月31日から今日まで、業務関係の研修会があり、京都市内の本山まで出かけていたのである。たまにはマジメに勉強もせんと遺憾のだった。

 二泊三日の日程はなかなかシンドイ。ヤレヤレ終わったと帰途についたら、思いっきりの雪降りで参ってしまった。京都縦貫道の入口には職員が検問を張っていて、ちゃんと冬タイヤを履いているかチェックする。通行止め寸前のようだったが、どうやら無事に帰れた。3時間弱の雪道走行は、はっきり言ってツカレるのである。何もこんな時期の研修会にせんでもエエだろうに。

 開催時期には文句をつけたくなるものの、内容はそれなりに充実していて楽しかった。人前で話をすることの難しさを、改めて感じた三日間であった。

 幹事担当の方々には、心から御礼申し上げたい。ありがとうございました。

’07/02/01 (木)

節分が近づけば


 2月である。この時期に雪のカケラもない、とはまったく以って異常である。こんなことは何十年ぶりだと、村の古老が呟いた、途端にまとまった雪降りである。さすが、節分が近づくとこうなるわけだ。これで正常に戻った、かと思ったら、日曜日くらいからは再び春の陽気に戻る(?)そうだ。フシギな冬である。

 昨年は何十年ぶりの大雪で、今年は何十年ぶりの暖冬で、来年はどーなるンだろう。今後は厳冬と暖冬が交互にやってくる、という説もあるところをみると、また大雪厳冬か。「ちょうど好い加減」を知らないのは、人間だけではないらしい。

 僕にはありがたい冬だけれども、ちょっと気色悪くもある。