箱船航海日誌 2006年08月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’06/08/31 (木)

前向きに


 盆だ暑いぞ大変だと、大騒ぎしているうちに8月も今日で終りになってしまった。8月が終われば愚息ドモの夏休みも終わるわけで、例によって宿題の追い込みに忙しいのである。らくしょーらくしょー、とか言って、ちっとも進んどらんではないか。31日に終わりゃあイイってもんでもないだろうに。

 さて、オーディオのほうは、いよいよスーパーネッシー最後の月になるわけである。箱船に在るのはあと2週間ほど。雑事に取り紛れてなかなかまとまった時間聴くことができないでいるけれど、せめて1日10分でも鳴らしておいてやろうとしている。

 このwebページを立ち上げて以来6年間、まったく変らない箱船のトレードマーク的スピーカーである。それを入れ替えるのだから、僕にとってはまさに一大事、なのである。しかも新システムは、前例のない20cmフルレンジ3発の共鳴管スピーカーだ。

 これまでは実現へ向けてヤミクモに突っ走るだけだったから、成否についてはあまり深く考えていなかった。まあイケるだろ、くらいのものである。それで走れるンだから、いい加減極まりないわけだが。

 今、内外リングが出来上がり、箱の製作も順調に進んでいると聞けば、改めて不安の暗雲がモクモクと湧き上がってくるのだった。ホンマに大丈夫か。とんでもないことに、なりゃせんだろうかと。

 今さらそんなことゆっても遅いわけである。9年間慣れ親しんだものから次へ進むのだから、不安があって当然。ならば、新しい大物をどうやって組み伏せるかを考えたほうが建設的というものだ。

 あれこれ悩みは尽きねども、ともかく前向きに、行きましょう。

’06/08/30 (水)

ペールギュント


 先日、マリンバで演奏されていたのに触発され、グリーグのペールギュント組曲を聴いてみた。僕はこの曲が好きで、幾枚か持っている。

 ノルウェイNKFレーベルのものは、さすがお膝元、民族音楽から深い影響を受けたというグリーグの味を存分に楽しめる演奏である。これで録音が良ければ最高、だが、惜しいかなイマイチである。ちょっと埃っぽい。

 オーディオ的に面白いのは、上のタイトル。米テラーク盤である。レオナルド・スラットキン指揮セントルイスS.O.。ビゼーの「カルメン」とのカップリングである。元はAD(DG-10048)だが、写真はCDでCD-80048。1979年の、古い録音である。

 これは極めてダイナミックである。厚く豊かで音に伸びがある。特にグランカッサの圧力は相当なもので、fffでは吹き飛ばされそうになる。F特ではハイ落ちに見えるが、聴感上はきれいに伸びて繊細である。トライアングルが小さく実物大に定位するのは快感。シンバルも切れがあって良い。

 たぶんグリーグが頭の中に描いていたよりも、ずっとダイナミックで派手な演奏になっているのはないかと、想像する。ちょっと大仰に過ぎるか。NKF盤はおとなしい草食獣、テラーク盤はティラノサウルス・レックス、という感じだ。ノルウェイとアメリカの国民性の違い、かな。

 このCDは優秀である。しかし、あとでADを聴いたら、高域の繊細感と切れ、中低域の厚みと艶、超低域の圧力など、多くの点でCDを凌ぐのである。ディジタルマスターだからCD優位のはずが、そうならない不思議。尤も、こんなことは20年以上前から言われていることだ。マスターのサンプリングは50kHz、それが44.1kHzにダウンコンバートされていることも、CD不利の原因かもしれない。

 最終曲「山の王の宮殿で」、大音量で聴いたらエラいことになります。

’06/08/29 (火)

辛抱


 今朝方の坐禅会には、小学1年生から6年生まで、56人の子供たちが集まってくれた。例年、予定に組む遊びの時間を今年は防火講習にあて、地域の消防署から消防士さんを招いて消火器の使い方を学んだ。それなりに楽しめたようである。「子供だから遊ばせねば」という考えは、オトナの思い込みなのかもしれない。

 肝心の坐禅ほうは、10分間を3回坐って都合30分。経験したことのある子たちはヘでもねえと、余裕をカマしていたが、初めての子はやはり辛かったらしい。「ナンデこんなクルシイこと、するのん?」と言うから、「人間、シンボウが大切なのさ」と言ってやったらキョトンとしていた。「辛抱」などという言葉、既に死語なのである。

 とは言えこうして写真を見ると、なかなか形になっている。やればできるのである。この中から一人でも「リアル坐禅マニア」が出れば面白いのだが。

 昨年集まった子供よりも今年はややおとなしい感じで、指導統率が容易だったのはありがたかった。ひょっとしたら女の子が少なかったのがその原因か。あーいやこーゆー、ってえのは、大体が女の子なのである。

 皆さん、お疲れさまでした。

’06/08/28 (月)

名勝


 明日は早朝から恒例の「子供坐禅会」である。昨年は旧野田川町在のお寺を会場としたから、今年は旧加悦町在のお寺が当番することになった。山の手にある、ウチとは違う古式ゆかしいお寺である。

 ウチは昭和2年(1927)3月に発生した「北丹後大地震」によって、すべての堂宇が倒壊した。土地そのものも山津波で消滅してしまい、元の場所ヘの再建は不可能、ということで、昭和3年に現在の場所へ移転された。

 ので、お寺によくありそうな文化財的お宝の類は、まったく、ナイ。ほんとに、なーんにもナイのである。床下掘ったら小判が出る、なんてことは、絶対にないのである。もともとは墓山だったところだから、掘って出るのは舎利くらいのもんだ。お寺としては最高のロケーションかしらん。

 その点、明日坐禅会場になるお寺は違う。江戸時代初期から続く由緒正しい境内地である。特に本堂裏の庭園は、名勝として京都府の指定を受けているほどだ。如何にも臨済宗寺院らしい面構えである。

 「お庭拝見」の時間を設け、子供たちにも「侘び寂び」の精神世界を味わってもらいたいものだと、思うがたぶん、ムリだろーなー。

 「静かにしろー」と怒鳴り散らすが関の山。

’06/08/27 (日)

海の怖さ


 夏休み最後の日曜日、しかも厳しい残暑、ということで、お盆を過ぎて波が高くなったにもかかわらず丹後半島の海水浴場は随分な人出だったと聞いた。結構なことである。

 が、良いことばかりでもないそうで、この夏もたくさんの人が水難事故で亡くなっている。気の毒なことだと思う反面、夏だからと言って別に海で泳がなくても死にゃあせんのだから、出かけること自体よせばよかったのにと、やるせない気持ちも否めない。

 金曜日の夕方まで仕事して、深夜海に向けて出発する。未明に到着して車の中で仮眠し、日が昇って海岸へ。暑い暑いとキンキンに冷えたビールか何かをガバガバッと飲んで、その勢いで準備運動もせずに海へ飛び込む。

 こんなことすりゃ、脚はケイレン心臓停止、たちまちドザエモンである。自殺行為だ。難に遭遇した人を助けようと、Tシャツ着たまま飛び込む。結果、自分も溺れてしまうわけである。

 夏の海は楽しい。しかし同時に、極めて恐ろしい場所であることも充分に認識しておくべきだ。相手は自然である。誰の所為にも、できない。

 夏の海が好きな方、くれぐれもご用心を。

’06/08/26 (土)

懲りないヘボ


 「花火2000」の音源になった24日の花火大会、実は昨年、録音してあったのだった。なんだかムチャクチャに忙しい時期だったので、まともにPBしていなかったのである。クタクタになって帰ってきて、チョロッと聴いて「あ、こりゃダメだ」とお蔵入り。フと思い立ち、改めて聴いてみた。

 DATレコーダーはお馴染みパイオニアD-C88、96kHz / 16bitのハイサンプリング収録である。マイクはこれまでと違い、ソニーのコンデンサーマイクC-357を使った。これは僕の所有ではなく、親しい友人の厚意によってお借りしているものである。初めて使う高級マイク、僕には分不相応だと、思いながら使わせてもらった。

 昨年の瞬間PBに違わず、やはりイマイチである。ローハイのバランスが悪い。破裂音はそれなりに鮮度があるように聴こえるが、何故かローエンドが非常に甘い。締りが悪く切れ味が出ない。低域だけが一拍遅れたように聴こえるのである。

 低域の量感がやや不足気味だった「花火2000」を上回ろうと、マイクの位置を低くしたのが原因、なような気がする。地面からの低域反射音を、拾いすぎたのかもしれない。締まり不足の低域が中高域にかぶり、音場感を阻害する。うーむ、こりゃやっぱりNG録音だ。

 要するに、優れたマイクを使い切れていないのである。友人が同じマイク同じレコーダーで録音した音源を、幾つか聴かせてもらったことがあり、それはヒジョーに良い音だった。録音の良し悪しは機材では決まらない。最も重要なのは、センスとウデなのである。

 ここで腐ってしまっては面白くない。ので、来年の夏は、この地域唯一10号尺玉が上がる福知山の花火大会を、このC-357で録音してやろうかと、ヒソカに狙っているのだった。

 ヘボだが懲りないのである。

’06/08/25 (金)

残暑お見舞い


 朝晩は随分と涼しくなったものの、日中はまだまだ厳しい残暑である。今日営まれたとあるお寺の法要も、衣に袈裟を着けてお経を詠めば、すっかり汗だくである。

 そこで今日は、写真で涼しくなっていただこうという趣向である。今年の1月8日、最も雪が多かった日の、除雪作業風景だ。当地へお越しになったことのある方なら既にご存知、町道から境内へ登る坂道である。

 この日の最低気温は氷点下5℃、今日の最高気温は33℃。その差実に38℃に達するわけで、なかなかにDレンジが広いのである。思い出すだけでも涼しく、というよりも寒くなるのだが、考えてみればあと3ヶ月もすればまた同じ季節が巡ってくるのだ。暑い暑いと文句を言いながら、過ぎ去りつつある夏を惜しむのである。

 残暑お見舞い申し上げます。

’06/08/24 (木)

花火2006


 愚妻の実家がある町の花火大会を見てきた。以前CD-Rに仕立てた「花火2000」の音源になったのと同じ大会である。

 花火が上がるすぐ近くを新しい自動車道が通ってしまったことで、一時継続が危ぶまれたこともあったのだが、発射場を移動させ、今年も無事に開催された。今後も続けて行くそうである。ヨカッタヨカッタ。もう20年近く観続けている花火である。これを見なきゃ夏が終わらんのダ。

 単発で上がる花火は、確かに遠くなった。しかし、連発花火の発射点は逆に近くなり、まさに目の前からどかすか上がる。距離にして100mもないンじゃないか。音も光景も極めて強烈である。炸裂音と花火の明るさで目の前真っ白。大相撲で言えば「砂かぶり」のようなグワイで、実際に頭上から燃えカスの灰が盛大に降ってくるのである。「灰かぶり」だな。

 今年は純粋に花火を楽しもうと、録音は見送りにした。しかし、この音はやはり記録に残しておきたいと、強く感じた。ので、来年は、性懲りもなく挑戦してみるのである。

 これまでに成功したのは2000年1回きり。「花火2007」は、どうなるかしらん。

’06/08/23 (水)

筒とラッパ


 結局マリンバの録音は叶わなかった。演奏者さんのご都合もあるわけで、あまり無理をお願いするわけにも行かないのである。残念だったが、次の機会もありそうなので、それに期待しましょう。

 マリンバの構造を見ていると、それはまさに共鳴管システムと同等の作りである。一つの音板に対して1本の共鳴管があてがわれ、音板の大きさ、厚みと管の長さ(断面積は一定のようだ)で音程が決定されている。こんなことは誰でも知っているわけだが。

 低域は太く柔らかく、おおよそ木の板を打って出てくる音とは思えないものがある。その昔、ソニーから出ていたコントラバス・マリンバのCDで聴くおっそろしくパワフルな低音も、ナルホドと納得できるような気がした。

 余韻が長く、シロフォンに聴けるような切れの良さ、鋭さは控えめである。打撃音のあとに響く共鳴音の割合が大きいからだ。

 高忠実度再生を旨とするオーディオにとって、共鳴音が残るような構造のスピーカーは使い物にならない。マリンバの構造にソックリなネッシーなど、絶対NG、のはずが、実際はそうならない不思議。少なくとも僕の耳には、ボーボーゆってダメダメ、とは聴こえない。

 ただ、同じユニットを使ったBHシステムに比較して、やや柔らかく幾分か線が太めになるのは、はやり共鳴管構造の所為だろう。僕はその辺りに、魅力を見ているのである。ユニットの後にズンドウの筒をあてがうか、ラッパをあてがうか。

 随分と違うものだと、思う。

’06/08/22 (火)

マリンバ


 愚妻の友人が持ち込んだマリンバである。堂々たるものだ。楽器なるもの、何を見ても機能美というべきか、実に美しいものである。

 こおろぎ社製スタンダードシリーズ 660DX。音域4+1/3oct.、1,700W×780D×830H。音板はホンジュラスローズウッドである。グレードが下がると、これがアフリカンパドゥグになる。プリアンプC-AX10とほぼ同等価格、やはり高価なのである。

 午後7時から9時まで、「遠慮なしに叩いても大丈夫ですか」とおっしゃるから、どうぞどうぞ、まったく問題ございませんと言うと、とても喜んでいらっしゃった。まず一音出してみて、「家よりも随分音が良い」とおっしゃる。おそらくは床の強度、それと、箱船のクセで低域が増強されて聴こえる所為だろうと思う。必ずしも「良い音」とも言えないわけだが、一般的な住宅で鳴るマリンバよりはパワフルなのかもしれない。

 練習の邪魔をしては遺憾ので、「あとはご自由に」と早々に退室し、一応外への音もれを検分してみる。まったく問題なし。窓際でかすかに聴こえる程度で、1mも離れればほとんど無音状態である。これなら僕のオーディオのほうがよほどキンジョメーワクなのだ。

 グリーグのペールギュント組曲から「アニトラの踊り」などを演奏されていた。ご本人は「まだまだです」とご謙遜なさるが、イヤイヤなかなかにお上手である。練習最終日(と言っても明後日だ)には、一通り聴かせてもらおうかしらん。

 こうなると、生録の虫が、ウゴメき出すのだった。

’06/08/21 (月)

3年7ヶ月ぶり


 今週末、遠方より友来たる。関西方面への出張ついで、というわけだが、京都大阪からでも3時間弱かかる当地、「ついで」とも言い難いのが申しわけない限りである。

 とても久しぶりになる。どれくらいのご無沙汰かと過去日誌を辿ってみれば、前回のお越しから3年7ヶ月にもなるのだった。わりと頻繁に電話やメールで連絡を取り合っているから、感覚としてはそんなに経ったように思えない。随分時間が過ぎていたのだなあ。

 ある意味、非常に良いタイミングである。現用スーパーネッシーを聴いていただくのは、おそらくこれが最後になるだろう。次回の機会には、MkIIになっているはず。現状の音を、確かな耳を持つこの方に聴いておいていただくのは、大きな意味がある。将来はMkIIに関しての的確なアドヴァイスをもらえるだろうという、小狡い読みもあるわけだ。失敬な話でゴザイマス。

 再会を楽しみに、お待ちしています。

’06/08/20 (日)

あと4週間


 現用スーパーネッシーを箱船で鳴らすのも、あと1ヶ月足らずになった。9月中旬には、次のオーナーさんのところへ引き取られて行く予定なのである。

 完成以来9年2ヶ月。この間にはいろんなことがあった。フルレンジユニットはFE-208SS→208ES→208ES Ver.2と変遷し、トゥイーターはT-925A×2→同一発→T-500A→JA-0506II→T-500A+T-300A→JA-0506II+T-300Aと、こうして書いてみると随分忙しかったのだなあと、思う。最も長く使ったのはFE-208ES Ver.2+JA-0506II+T-300Aの組み合わせである。

 ADプレーヤー(カートリッジ)、CDプレーヤーにも変化があったが、パワー、プリともアンプには変更なし。途中ちょっとC-AX10に浮気した時期もあれど、基本的にはC-280V+P-700+B-2302のセットで鳴らし続けたことになる。導入以来それぞれ15年、9年、12年の御老体アンプ、進歩がないと言えばその通り。最新アンプにはない独特の魅力を持っているのだから仕方がない。四六時中機器を交換しまくる趣味もなければカネもないのである。

 勢いだけでヤミクモに作ったスピーカーとしては、よくがんばったと思う。9年間でエージングが行き届き、ヒラタキクイムシの食害を除けば現状とても良い状態である。

 この9年間でスーパーネッシーに学んだことを、次のMkIIに活かせるかどうか。それが現状を凌ぐ音を実現させるための鍵だ。しばらくの間は右往左往するに違いない。しかし、それがまた、楽しいわけである。

 オーディオファンの本懐である。

’06/08/19 (土)

音環境


 愚妻の仕事仲間が趣味でマリンバを演奏している。近く発表会があるそうで、只今猛練習中だそうだ。練習は仕事を終えた後、つまり夜間になるわけで、そうなるとご近所さんへの騒音問題が出てくるのである。

 実際にお隣さんから度々苦情が入っていると言う。さもりなん、ごく普通の住宅で夜間にマリンバを叩けば、そうなるのが当然であろう。楽器の生音は、ある意味オーディオ再生音を超えるパワーを持っているのだから。

 困り果てた彼女、愚妻から箱船のことを聞き及んで相談してきた。3日間程度でよいから、箱船で練習させてもらえないだろうか、と。

 断る理由は、ない。夜間であっても、マリンバなら2階でも問題ないと思う。が、安全を見て1階オーディオルームを使ってもらうことにした。と言っても、そのままでは遺憾ので、椅子を移動しスペースを作る。ご覧の通りである。これくらいのスペースがあれば大丈夫、かしらん。

 時間帯や曜日に左右されず、誰に気兼ねすることなく音を出したい、という欲求は、楽器を演奏する人、オーディオファンに共通するものである。音色や音質がどうこう言う以前、一般的にはその条件を実現することすら、困難なのだ。

 極めて恵まれた環境にあることを、僕は感謝せねばならない。

’06/08/18 (金)

お疲れの貴兄に


 フとハープシコード(チェンバロ、と言ったほうがいいのかしら)を聴きたくなった。チェンバロの録音には優秀なものが多く、長岡先生もしばしば取り上げておられる。外盤A級セレクション第1集23番、バッハの平均律クラヴィア曲集(独HM HM20309〜13)などはわりと知られたタイトルだろう。音、演奏とも最高である。

 個人的に好きなのは上のタイトルである。「FISCHER / LE PARNASSE MUSICAL / PIECES DE CLAVECIN / WILLIAM CHRISTIE」(仏harmonia mundi HMC 901026)。(P)1980の、旧いCDである。全18トラック46分21秒。元々はADタイトルで、それをそのままCD化してあるから、最近のCDソフトに比べて収録時間が極端に短い。もったいないようだが、当時はこれが普通だった。

 クラシックやバロック、古楽を聴くようになって間もない頃に買ったものである。その頃は録音の良し悪しがあまりよく判らず、しかし曲がとても素敵で大好きだった。今もそれは変わらない。

 録音ロケーションなど、詳しいことはまったく不明。ただ、曲の切れ目に小鳥のさえずりが聴こえるところからすると、厳重に管理されたスタジオではないことだけはわかる。おそらくは教会か、或いは古いお城のような所だろう。

 昔は判別できなかった録音の良し悪し。今なら少々判るようになった、と言うと不遜だが、しかし、このCDは優秀である。先に挙げた平均律クラヴィア曲集のような透明感、輝き、切れなどの点では明らかに劣っているけれども、極めて柔らかく繊細で、聴く者をまろやかに包みこむような優しさがある。音像はやや肥大気味、それがまた独特の抱擁感につながるわけだ。

 響きと余韻が暖かく豊かで、時折聴こえる小鳥のさえずりが何ともいえない雰囲気をカモシ出すのである。早春のような匂いがする、と思ったら、1979年3月の録音だった。

 このCDは大音量で聴いてはイケナイ。イヤまあ、それも趣味だからリスナーの自由であるわけだが、できれば中小音量で聴きたいところだ。そうすれば、ささくれた神経が癒されることウケアイ。音も然ることながら、曲が、イイ。たぶん再発盤が出ているはず。中古ショップを丁寧にあたれば、ADも見つかるだろう。

 世知辛い今の世に疲れたお方には、お薦めである。

’06/08/17 (木)

宇宙へ


 「SPACE RACE 宇宙へ 〜冷戦と二人の天才〜」。NHKで放送されたこのドキュメンタリー映画を、ご覧になった方は多いと思う。14日から今日まで4夜連続の再放送を、僕はヒッシで見てしまった。午前零時からの番組だったから、実は日誌の更新が捗っていなかったのはその所為だったりするわけである。

 アメリカ(と言うよりもフォン・ブラウン)が、アポロ11号で人類初の月面着陸を成功させた1969年7月20日、僕は8歳だったが、今もその様子は鮮明に憶えている。前後1ヶ月間くらいは、マスコミすべて月面ニュース一辺倒だったような。アポロアポロと草木も靡く。某お菓子メーカーの「ア○ロチョコ」が発売されたのも、この頃である。

 セルゲイ・パブロビッチ・コロリョフとヴェルナー・フォン・ブラウン。2人の天才の執念には鬼気迫るものがあり、実に面白いドキュメンタリーだった。随所に挿入される実際の映像はすごい迫力である。さすがBBC。

 映画「APOLLO 13」を、もう一度見たくなってしまった。

’06/08/16 (水)

要睡眠


 久しぶりに音出ししたシステムである。いやあ、やっぱりオーディオはヨロシイですなあ。「溜飲が下がる」とはまさにこのこと。ストレスがほぐれていくのがわかるようだ。ほぐれ過ぎて聴きながらウトウトしてしまったのは、何だかおっさん臭いのである。

 昨日よりも疲労感を強く感じるのも、あまり若くはないことの証左だろう。一晩寝ても疲れが取れにくく、消え去るのは前日の記憶だけ、なんてえのは笑い話にもならない。バカボンのパパみたいだ。

 充分な睡眠が、必要である。

’06/08/15 (火)

お盆終了


 今日を以って2006盆終了。明日、隣りの宮津市天橋立では「灯篭流し」が催され、お盆の間こちらへおかえりになっていた諸精霊を送り出すのである。今年も無事に終われたのも、お世話になった方々のおかげさまである。ありがとうございました。

 昨年の日誌を見ると「5日から15日まで、まったく音を聴かなかった」と書いてある。今年も同様である。オーディオなんてただ眤として音を聴いているだけのものだから、体力なんぞ要らん。という論は誤りだ。心身ともにクタビレていては、まともにオーディオできない。

 体力気力充実してこそのオーディオである。

’06/08/14 (月)

お盆終盤


 今日、明日は近隣寺院の施餓鬼法要お手伝いである。これを完遂してお盆全日程が終わる。今日も朝からバリバリの好天気、どれほど暑くなるかと思ったら、さほどでもない。気温は相変わらず30℃超だが、梅雨明け直後ほど湿度が高くないようだ。

 夕暮れが早くなったのがはっきりわかるし、やはり秋に近づいているのである。お盆の終盤、ホッとしかけたら夏が終わっている。ちょっと、寂しい。

 あと、1日である。

’06/08/13 (日)

棚経終了


 棚経最終日、終了。今年も最後まで無事に終われました。恒例行事とは言え、それなりに緊張感はあるわけで、何事もなく完遂できたことを喜ぶばかりである。

 明日からは近隣寺院へのお手伝いと、お盆の来客がピークになる。帰省していらっしゃる方々が、お寺参りにみえるわけだ。「イナカのお寺」としての存在意義は、大きいのである。

 7日の施餓鬼法要から早1週間。過ぎてしまえば、お盆もあっという間である。

’06/08/12 (土)

あと1日


 棚経4日目、終了。声嗄れはまずまず無事であった。ただ、昨晩に降った雨の所為か、早朝から蒸し暑いのにはマイッタ。汗が乾きにくいのはヒジョーにつらい。しかし、何となく秋の気配が感じられ、少し寂しいような気もする。

 帰ってみたら先月MYUタカサキさんに頼んでおいた仏HMのSACDが届いていた。「皇帝ティートの慈悲」である。早速聴いてみたい、と思えども、さすがに元気がゴザイマセン。お盆が終わってから、聴きましょう。

 棚経、あと1日である。

’06/08/11 (金)

声嗄れ


 棚経3日目も、無事終了。しかしさすがに疲れが溜まってきたようだ。体はわりと元気だが声が遺憾。嗄れ始めたのである。今日の後半は、キーを変えてゴマカシた。明日は大丈夫かな。

 普段でもお経を読まない日はない、とは言うものの、短期間に数百回まとめて読めば、やはり声嗄れを起こすわけである。そうなると、出にくいものをムリヤリ出そうとして余分な力が入り、疲れが倍増する。低能率スピーカーを大音量で駆動するには、大きなパワーを必要とするのである。

 声が嗄れれば棚経も終りに近くなった、ということで、明日もがんばりましょう。

’06/08/10 (木)

秋の雲


 棚経2日目、終了。今朝5時の気温は20℃程度と、非常に涼しい。エアブラシで引いたような細い雲が、青空高く見える。季節は確実に、秋へ変り始めているのである。

 しかし日中は、そんなユーチョーなことを言っているバヤイではない。昨日と変らぬ猛暑である。実働時間はやや短くて済んだものの、帰り着けばやっぱりグニャグニャである。助っ人愚息ドモは、ヘーキな顔をしている。うーむ、若さですなあ。

 明日は棚経中日である。

’06/08/09 (水)

秋の月


 棚経1日目、終了。台風直撃大雨大風傘もヒトもムチャクチャ、になったらイヤだなあと、そういう心配はまったくの杞憂であった。朝からバリバリのピーカン、午前10時の時点で30℃を超える猛暑の日になった。

 それでも傘を持って歩くよりずっといい。お盆のオツトメは、暑くなきゃイケナイのだ。と、虚勢を張ってみても20代30代の頃のようには行かないのだった。有体に申し上げて、僕はもうグニャグニャである。

 明日も暑い日になるだろうグニャグニャと、夜の空を見上げれば、何とも美しいお月様が皎々と輝いている。そうか、昨日8日は立秋だった。夏の月から秋の月へ、自然風景は正直である。

 あと4日間。がんばりましょう。

’06/08/08 (火)

サンプルIR


 スーパーネッシーMkII用インナーリングのサンプル版が届いた。今回は諸事情あって製作工程に少々変更あり、それに伴い仕上がりグワイに差異が出る。そこを検分してほしいと、製作者氏が送ってくれたのである。

 申し分ない仕上がりである。加工面が粗くなることを心配されていたようだが、まったく問題なし。寸法精度もバッチリ、現用に具しているインナーリングにまったく劣らない。見事なものだ。サンプル版そのまま本番製品でOKである。

 これがSネッシーMkIIの一部が具現化した、初めてのパーツになるわけである。なんだか感激一入。本体製作は既に始まっているし、日を追うごとに実現が近づいてくるのはヒジョーに嬉しい。頭の中にしか存在しなかったスピーカーが、徐々に形を現してくるのである。ワクワクせずに居られましょうか。

 お世話になる諸氏には、ただただ感謝するばかりである。

’06/08/07 (月)

三つまとめて


 施餓鬼法要は、おかげさまで無事終わった。しかし、いやあ、暑かった。毎年同じことを言うようだが、終わったら汗でズブズブである。準備をお手伝いいただいた方々、ご参詣くださった方々、皆々様、本当にありがとうございました。

 ということで、9日からは恒例の棚経、全檀家回りである。先日「1993年には棚経の最中に台風が来て大弱り」と書いた、のが悪かったのかどうか、今年はご覧のとおりの有様である。三つもお出ましになっている。

 幸いにコチラ方面直撃は避けられそうな様子だが、まったくの無影響、というわけにも行かないようである。1日目は、傘が要るかしら。不徳の致すところなのである。

 ともかく、13日までの5日間が、無事に終われますように。

’06/08/06 (日)

感謝を込めて


 1年はあっという間に過ぎ去り、明日は今年の施餓鬼会である。夏の一大イヴェントであるこの行事を日誌の話題にするのも、2001年から数えて6回目になるわけだ。

 僕自身は歳を取って準備がツラくなるくらいで、他には何も変らない。しかし気がつけば、10歳8歳だった愚息ドモは15歳13歳になっている。特に1号のほうは、高校受験を控えるシャレにならん時期に来ているのだった。そう考えると、5年は短くない時間なのである。

 僕の業務は、正月、春彼岸、盆、秋彼岸と、春夏秋冬に応じて大きな行事がある。これがあるおかげで、季節の移り変わりを身近に感じることができるし、同時に1年が短く感じられる遠因にもなっているのかもしれない。

 しかし思うに、月日が過ぎるのを早く感じていられるということ、これは大いに感謝すべきことなのである。毎日を、どうやら平穏無事に過せている証なのだ。決してオノレが手柄ではない。ご縁のある多くの方々の、お陰様である。

 「何かいいこと、ないかなあ」などと、バチ当りな僕はしばしば呟いてしまう。平穏無事こそ、最大の慶事であることに気付かない。凡夫なのである。恥ずべきことだ。

 明日は、三界萬霊十方至聖に感謝を込め、供養させていただくのである。

’06/08/05 (土)

重いことはいいことだ


 スーパーネッシーMkII専用アウターリングの図面である。今回は内外リングと同時製作ということで、インナーリングを作ってくれた友達に依頼することになった。とんぼさん、その節にはお気遣いをいただき、大変ありがとうございました。

 仕様はとんぼさん謹製DFリングに準ずる。砲金製、最大外径250mm、内径185mm、厚みはバッフル板厚にあわせて18mmに増やしてもらった。DFリングは実測重量2,720g、今回は厚み増加分(3mm)だけ増えて2,800gを少し超えるくらいになるか。

 ユニット配置はフレーム間10mmの3発インラインである。リング外径250mmではバッティングする。ので、最接近する部分は削らねばならない。2発使用なら1ヵ所でOK、3発だと中央ユニット用だけ両端を削ることになる。上は、その中央ユニット用図面である。3発になると、いろいろとヤヤコシイことが起こるわけである。

 外リング約2,800g、インナーリング1,050g、ユニット10.5kg。バッフルに取り付く総重量は43kg超と、それだけでちょっとしたスピーカーシステム1本分くらいになる。エンクロジャーはオールバーチ、システムとしての総重量は1本何kgに達するのか、なんだかすごいことになってしまいそうだ。床は少々の大重量にも驚かないけれど、搬入設置には相当な苦労が要るだろう。心してかからねばならん。

 重いことはいいことだ。確かにその通りなんだケレドモ。

’06/08/04 (金)

すわ、一大事


 昨晩、箱船で音を聴いていたら、母屋にいた愚妻から内線あり。「なんだかすごく音が漏れてるよ」という。母屋の中にいて、音が鳴っているのがハッキリわかるというのである。ンなはずはない。箱船ができて13年、今までになかったことなのだ。バカを言っちゃあイケナイよと、検証するため音出ししたまま母屋へ行ってみると。

 エライこっちゃ。愚妻の言うとおりである。ダダ漏れ、とまでは行かないまでも、従来にないレベルで音楽が聴こえる。特に低域、バスドラムはもちろん、ベースラインまで判るくらいだ。これは一体どうしたことだ。箱船どこかに穴でも開いたか。それとも先日裏庭の樹を盛大に刈って伐ってしたから、その分遮音が劣化したか。そーゆーレベルの話でもないような。

 とりあえずボリュームを下げ、箱船の中をグルグル歩き回る。ドアはちゃんと閉まっているし、どこにもおかしなところはない。うーむ困った。経年劣化で見えないところに大きなクラックができてしまったのだろうか。それなら現状お手上げである。

 弱った弱ったとブツブツ言いながら、マグライト片手に外周りを調べてみる。異常なし。いよいよ以ってワカラン。秋にはSネッシーMkIIがやってくるというのに、これじゃあ楽しめないじゃないかどーするのよと、半泣きになってハッと気がついた。

 そういえば先日、SネッシーMkIIの搬入を考えるのに、1階南側の窓を開けたのだった。ネッシーMkIIを搬出した時以来だから、9年ぶりくらいに。そのあとちゃんと閉めたっけ。急いで箱船へ戻ってカーテンを開いてみたれば。

 バカである。アホである。外側のサッシは閉まっていた。内側サッシ大開放。何を思ったか、外側だけ閉めてカーテンを引いていたのである。これじゃあ漏れるわな。まさに、穴が開いていたわけだ。それも巨大な穴が。

 キッチリ閉めて再度音出し、母屋へ行って「これでどうだ」と言ったら「あ、元に戻った。どうなってたの」と愚妻。事情を話したら「大ボケやね」と言われてしまった。ハイ、おっしゃる通りでゴザイマス。しかしヨカッタ。大ゴトではなくて大ボケくらいで。

 それにしても改めて感じたのは、二重サッシの効果である。窓の面積が広いだけに、影響も大きい。一般的な二重サッシではなく、ガラスの厚みを増やし空気層を大きく取ったことも効果が顕著な原因か。内8mm厚、外6mm厚、間隔は最も広いところで240mmある。

 秋、SネッシーMkIIを搬入したあと、閉め忘れには充分気をつけねば遺憾なあ。

’06/08/03 (木)

巣立ち


 今朝早くのこと、裏庭へ出てみたら、隣りの小学校へ通じる道にアオサギが1羽、超然と佇んでいた。田んぼでも畑でもないタダの道を、彼らが歩くことは稀である。こいつはシャッターチャンスと、ソォっと近づいてみる。

 このアオサギ、なんだか警戒心の低いヤツで、かなり接近しても一向に逃げようとしない。それどころか、こちらへ向かってトットッと歩いてくる。様子が変である。どこかグワイでも悪いのか。

 よーく見ると、彼(彼女?)はまだ幼鳥なのである。胸と頭には、ヒナ特有の産毛が抜け切らずに残っているし、クチバシの黄色は色が薄く、シッポの風切羽も短い。ナルホド、この鳥は、まだ人間のオソロシサをよく承知していないのである。

 草をついばんだり、上空を飛ぶ親鳥をついと見上げたり、羽を拡げて飛翔準備運動してみたり、初めて(かどうかはワカランが)の地上散歩を満喫しているようだ。巣立ちを、したのだろうなあ。鳥とは言え、所作進退に幼さのようなものが感じられ、僕はちょっとシアワセな気持ちになったのだった。

 人間の凶悪さを、僕が最初に植え付けてしまっては大いに不本意である。早々に引き上げ、箱船2階の窓から遠目に眺める。しばらく遊んだあと、表庭の桜の木へ飛んでいった。少々危なっかしい飛翔だが、さすがアオサギ、幼くとも悠々としたものである。

 彼はこれから独りで生きてゆかねばならん。がんばってくれ。

’06/08/02 (水)

オリジナル「はじチュウ」


 先月15日の話題にした「はじめてのチュウ」。ハイスタのカバーではなくアニメに使われていたオリジナルを聴きたいと、いろいろ検索しているうちに、この曲を作曲されたご本人のwebページにヒットした。「ワンダーへんだぁランド」がそれである。

 歌っているのは「あんしんパパ」ということになっているが、正体は作詞作曲者ご本人、実川俊晴氏である。知る人ぞ知るカレッジフォークグループ「マギー・メイ」オリジナルメンバーの1人。webページでは、「はじチュウ」以外にも氏の曲をたくさん試聴できるし、氏自らの手によって丁寧に焼かれたCD-Rを直接購入することもできる。

 氏曰く「お煎餅工房」。このコンテンツから、CD-Rを注文購入してみた。上の写真がそれである。「あんしんパパ(A)」というタイトル。僕のお目当てはもちろん「はじめてのチュウ」だ。

 DTM(Desk Top Music)で作られた曲である。オケはすべて、イワユル「打ち込み」だ。おそらくアクースティックな楽器は使われていないはず。よって、原音場なるものは存在しないわけである。だが、非常に上手く作ってあり、ウチのようなスピーカーマトリクスで再生すると、音場がふわりと拡がって気持ち良い。歪み感は少なく、レンジも広い。一昔前のシンセサイザーミュージックのような埃っぽさは皆無である。

 ボーカルはピッチ・チェンジャーを使ったようなこそばゆい声だが、どうしたことかあまり人工的には聴こえない。通りが良く実にチャーミングなのである。これにはヒミツがある。詳しくは氏のwebページ「はじチュウレコーディング秘話」をお読みいただきたい。ディジタルの権化みたいなDTMにあって、アナログフォーマットが決め手になっているのは興味深い。

 個人的には大いに楽しむことができた。感激して涙が出るほど、僕はこの曲が好きなのである。サウンドマニアに推奨できるものではないかもしれないが、DTMを大掛かりなシステムで鳴らす面白さもある。

 しかしおそらく、リアルハード・オーディオマニアは、聴かンだろうなあ。

’06/08/01 (火)

懊悩


 今日から8月である。遅まきながらも夏本番だそうで、猛烈な陽射しの強さと暑さの1日だった。イヤ、結構なことでゴザイマス。

 今月はADの話題から始めたい。写真は「LED ZEPPELIN / HOUSES OF THE HOLY」(米CLASSIC RECORDS SD-7255)である。ご存知、クラシック・レコーズからの180g復刻盤だ。邦題「聖なる館」。1973年発表の、レッド・ツェッペリン5thアルバムである。

 彼らは、ジョン・ボーナム(Ds)の死去により解散するまで、10タイトルのアルバムを遺している。一般的には「天国への階段」が収録されている4thに人気があるようだが、僕はこの5thが最も好きである。個人的には最高傑作だと思う。180g盤に加え、200g復刻盤も持っている。結果的には180g盤のほうが音が良かったのだが。

 今、レコードショップでは、彼らが遺したアルバムを、全タイトル200g盤45回転片面カッティングし、48枚組とした限定BOXセットが売られている。春頃からインフォメーションがあり、ファーストプレスは既に売り切れ、現在はセカンドプレスの予約中である。

 買おうか買うまいか、見つけた時からずっと悩んでいる。悩んでいる内に初回売り切れ、まァいいかと諦めていたら2ndプレス発表。そしてまた悩む。

 45回転片面カッティングの優秀さは、体験的に充分承知している。以前リリースされた1st〜4thの200g33回転BOXセットのオマケに付いていた「天国への階段」1曲のみの45回転盤は、非常に優秀だし、RCAリヴィングステレオの同ヴァージョンも素晴らしい。ツェッペリンの全タイトルを、あのクオリティで聴けるとなれば、一も二もなく買い、だとは思うのだケレドモ。

 大好きな「聖なる館」も、ライブ「永遠の詩」も、「プレゼンス」も、ぜーんぶ45回転で聴けるぞ。きっと良い音に違いない。売り切れてから悔やんでも遅い。3rdプレスの可能性は低いかもしれん。「一生一度のチャンスを逃すな!」とも書いてあるし。

 と、悪魔が耳もとで囁くのだった。