箱船航海日誌 2005年11月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/11/30 (水)

厄除け


 江戸時代、寛政2年(1790)6月のお話。江戸は本八丁堀二丁目、半兵衛長屋に住む釣船の船頭、清次が語る。

 「本八丁堀二丁目半兵衛の長屋に住まいする清次が申し上げます。

 私が奇怪な話を言い広め、疫病除けの札を差し出しているということが御上に聞こえ、お尋ねがありましたので申し上げます。

 私は釣船の船頭として世を渡っております。船を雇う客がないときには、自分で釣るために船を出します。この5月24日も客がなかったので、朝の6時ごろから私一人で品川沖に船で参りました。

 品川沖の瀬でキスを100匹ほども釣りまして、同日午後2時ごろ、以前より懇意の南小田原町の魚屋鉄蔵方に売り渡すつもりで、築地本郷町の岸の波よけ内に船を留め、船内を掃除しておりましたところ、どこから来たのか『見事なキスだな。ひとつ呉れないか』と申す者がおります。

 振り向くと、顔つきは定かでないながら、背丈は6尺あまり、髪も髭も逆立てた男が、紫がかった栗色の兜羅綿(とろめん)のような衣類を着て、船の中程に立っておりました。

 疵のないキスを1匹差し出しますと、受け取ってその場で喰い、薄気味悪いことに、私の名前を尋ねました。『清次』と答えますと、その男は『おれは厄神なのだ。おまえは正直者だから、おまえや親類の家が≪釣船清次≫と名前を書いて出しておけば、その家には行かないようにしよう』と申しました。

 『かたじけない』と応えたような気がいたします。その男はどこかへ姿を消してしまいました。私はふと正気づいて怖くなり、早々に南本郷町の河岸に漕ぎ着けて、残った魚を鉄蔵方に売ると、船でわが家に帰りました。

 奇怪なことでありましたから、そのあらましを妻子や長屋の者に話して聞かせました。すると、たまたま藤八の妻の綱と申す者が疫病で患っておりましたので、私の名を書いて呉れるよう頼まれました。無筆だからと断りましたところ、長屋の字の書ける者が『釣船清次』と見本を書いて見せてくれました。それと同じに書いて藤八方に遣りますと、綱はすっかりよくなりました。

 この次第が長屋及び近隣で評判になって、方々から名前を書いて呉れるように頼んできますので、よんどころなく書いて遣りましたが、いささかも礼物など受け取ってはおりません。

 もっとも、私は毎日釣船稼業に出なければなりません。あちこちから名前を貰いに来られては稼業に差し支えますので、このごろは頼んできても断っております。

 以上、お尋ねにつき申し上げました」

                  (大田南畝『半日閑話』巻三『釣船清次が事』より)

 「釣船清次」と書いたお札を戸口に貼っておくと風邪を惹かない。このおまじないは昔、誰かから聞いた覚えがある。しかし、その詳しい因縁は知らなかった。ナルホド、こういうことだったわけだ。面白いなあ。

 今年は新しい型のインフルエンザが大流行し、大きな被害が出る可能性があると聞く。得体の知れないウイルスが跳梁跋扈しているのである。疫病神の一種だ。風邪に弱い僕としては藁をも掴みたいような心境である。保温、加湿、充分な睡眠、手洗い、ウガイ、自前のお札。さらに加えて、おまじないもしておこうかしら。

 ボウズが神頼みするとは。

’05/11/29 (火)

気がつけばいつも独り


 映像信号の受け渡しがディジタル化されていく流れの中で、三管式プロジェクターは主流から取り残されようとしている。今やi.LINKさえも主流ではなく、DVI、HDMI伝送の時代だという。と、これは知ったかぶり。情けない。この方面にはさっぱり弱くて困るのである。

 さりとて「ワカランからもうエエわ」などと言うては居られんような状況になりつつあるようだ。現用三管は、当然のことながらディジタル信号をそのまま入力することはできないし、入力を可能にするようなオプションパーツがあるわけでもない。今後はディジタル化の波に呑まれるだけ、つまり、早晩使えなくなるのである。

 さあてどうしよう。三管を捨ててディジタル対応最新液プロやDLPに乗り換えるか。ディジタルを捨てて三管諸共心中するか。いっそのこと映像そのものを捨てるか。

 どれもイヤダ。ぶっ壊れて修理不能、まったく動かなくなり粗大ゴミと化すまでは三管を使いたい。しかも、最新ディジタル映像も見たい。BDやHD-DVDも見たい。液プロはキライだ。僕はバカでスケベなのである。

 そこで映像系のwebサイトで、最新の映像事情はどうなっているのかと検索してみたれば。イマイチよくワカランけれども、救済の道が開けつつあるようにも伺える。傍流と呼ぶことさえ憚られるようなアナログ・ディスクに未だ強力なファンが存在するの如く、三管プロジェクターにもダイ・ハードなファンがいるのである。

 しかし僕は、何故いつも主流から外れてしまうンだろう。好んでそうしているワケではないのんだが、気がつけば周りに人がいなくなっているのである。

 何だか寂しいのである。

’05/11/28 (月)

ヒョウ


 豹ではない、雹である。子供の頃「ヒョウが降る」と聞き、空から豹が落ちてくるのか怖いなあと、そんなことを考えたアホは僕だけか。

 日本海側はまったくの冬型である。数時間の内に晴れ、雨、虹、アラレ、雹などの気象状況がランダムに繰り返される。太平洋側はおそらくピーカンだろう。なんだかな〜。

 しかしさすがに雹が降るのは珍しい。ゲンミツに言えばアラレと雹の中間くらいになると思う。直径3mm〜5mmくらいの氷塊である。数字にすると小さい印象だが、傘を差さずに歩くとだいぶんにイタイのである。車で走ればビシバシと凄い音がする。

 古い文献によれば、大正6年6月29日に埼玉県北部で、カボチャ大重量3.4kgの雹が降ったという記録がある。世界最大の雹はボウリング球くらいの大きさだったとも。とんでもねえのである。そんなもんが数千m上空からウナリをあげて落下してくるのである。どんなことになるのか。想像するだけで恐ろしいのである。「デイ・アフター・トゥモロー」で、東京に巨大な雹が降るシーンがある。都市機能完全麻痺。大災害である。

 ゴルフボールくらいのヤツは、今でも世界の何処かで日常的に降るという。家も車も人も、何もかもボコボコである。さすがにここではそんなことにならないけれど、ブキミであることに違いはない。

 来月4日には初雪の予報あり。いよいよ本格的な冬に、入ったようだ。

’05/11/27 (日)

興味あり


 今月21日に発売された、AA誌119号である。ほぼ1週間遅れで、今日読んだ。以前は発売日を待ち焦がれたものだが。遺憾である。

 新製品の秋、ということで多くのニューモデルが掲載されている。海外製品に元気があるという印象が強いのである。国産は、グレードの二極分化がさらに進んだ感じだ。良いことなのか悪いことなのか、よく分からない。個人的には、購買意欲の涌く製品は少ないと思った。

 そんな中で、いささかならず興味を惹かれたのは、フォステクスからの新しいホーントゥイーターである。T90A-EX。これには食指が動いた。

 税込35,700円 / 1本、300本(150ペア)の限定販売である。11月25日からの受付とあるから、すでに始まっているわけだ。

 再生周波数帯域5kHz〜35kHz、出力音圧レベル104dB/W(1m)、寸法62mmΦ×147mmD、重量1.6kg。マグネットは3段重ねのアルニコ、奥行きが異様に長いのはその所為である。振動板は純マグネシウムで、これが一つのポイントになっている。この他にも多くの新技術が盛り込まれているようだ。スーパートゥイーターである。

 現状、T-300Aの上を補強するのはヤマハJA-0506IIである。これをT90A-EXに置き換えたらどうなるのか。ヒジョーに興味深いのである。諸元に見る限りでは、ちょっと能率が低い感じ。これは実際に繋いでみないことには何とも言えない。只の勘だが、案外すんなり繋がっちゃうンじゃないかという気もする。

 マグネシウム振動板とは、どんな音が出てくるのだろうか。もちろん、振動板だけで音が決まるとは言えないわけで、周辺技術に注目すれば、ヒジョーに良い音が期待できそうな感じもある。あとはT-300Aとのマッチングの問題である。

 限定バージョンだから、あまり考えているヒマはない。さあ、どーしよーかなー。

’05/11/26 (土)

主役のような脇役


 二作目、三作目が一作目を超えることは、滅多にない。シリーズもので続く映画の定説である。いちいち例を挙げるまでもないことだと思う。中でも「○ターシップ・○ゥルパーズ 2」。あれは酷かった。DVDを買ってしまった僕は、思わず踏んづけてやりたくなりました。

 ので、今日WOWOWで放送のあったこの映画にも、期待はしていなかったのである。一作目はDVDで見た。それがあまり好みではなかった所為もあり、「2」のDVDは買わなかったのだった。「シュレック 2」である。

 これは面白い。ストーリーは他愛もないものだが、シュレックとプリンセス・フィオーナを固める脇役がヒジョーにいい。主役を食っている印象さえある。おしゃべりドンキーはもちろん、妖精ゴッド・マザー、プリンス・チャーミング、ピノキオなど。

 特に秀逸なのが今回初登場、怪傑ゾロ気取りの「長靴を履いたネコ」である。初め敵役、突然味方役。変わり身の早さ、人をまんまと篭絡してしまうキャラクターが大いに気に入った。ネコっちゅうのは、こういうイメージなのかしらん。

 声優にもヒネリが利いている。ネコの声は、アントニオ・バンデラスが演じているのである。ナルホドそう来るかと、僕は嬉しくなってしまったのだった。

 画も最高だ。もちろんハイヴィジョンである。同じCG映画の「ニモ」より良いかもしれない。少なくともウチの映像環境ではそう感じた。ヴァーチャル・リアリティもここまで行くと侮れないのである。

 ここのところ、映画ばかり観てますな。

’05/11/25 (金)

既に分不相応


 テーブルタップを重量級真鍮製にしたことで、トッププレート(って言うのかしら)に1枚余りが出た。デッドストックにしておくのももったいないから、壁コンセントに流用する。

 交換前はごくフツーのプラスチックプレートだった。それを真鍮製にしたわけである。松下電工製フルカラー美サイトシリーズ黄銅プレート、WNV3306という。名前長い。裏面には「MADE IN ITALY」と刻印がある。

 なかなかの高級品で、1枚4,000円くらいだったか。記憶に自信がないから検索してみたら、現在は税込3,756円で売っている。同じ口数のプラスチック製なら260円だから、14倍以上の値段。一般的な住宅では、まず使われないだろう。はっきり言ってムダである。最初っからこういうのを指定する人って、どういうお方なのでしょう。

 1.5mm厚真鍮製で125g。プラスチック製は29g。この伝で行けば1,200円くらいで買えそうだがそうは行かないらしい。目方と値段は比例しないのである。僕が買ったのは'98年7月、電源ブームが始まった頃である。今ほど選択肢が多くはなく、重量級といえばこれくらいしかなかった。

 プレートを丈夫なものに換えれば音が良くなる、という。それならばと何枚か購入、テーブルタップと壁コンセントの一部をこれに交換したのだった。結果、音は飛躍的に向上。14倍の価格差は伊達ではなかった。

 というほど上手くは行かないようである。悪くなった印象はないけれども、劇的向上を見たかといえば、どうだかわからない。少なくとも音が14倍良くなることは、ないと思う。そりゃあそうだろう。

 まあしかし、普及品では到底及ばないルックスの良さがあり、見た目が良くなれば音も良くなるのは常だから、これでイイのである。オーディオは顔が命です。

 購入から7年、その間に電源パーツは進化につぐ進化を重ね、今やヴァリエーションは無限に近い状態である。恐ろしく分厚いプレートが恐ろしい価格で出ていたりもする。買ってみようかと、考えたこともあったが思い止まった。電源無間地獄に落ちそうな予感がしたからだ。

 このあたりで止めておくがよいと、個人的には思う。既に分不相応とも言えるわけだ。プレートなんかにウツツを抜かすヒマがあるのならば、アンタはもっとソフトを充実させなさいという声が、どこからか聞こえてくるのであった。その通りである。

 今あるものは、折角だから無駄なく使うべしと、坊主は考えるわけである。

’05/11/24 (木)

三毒


 ネタ探しにと昨年の日誌を読んでいたら、11月23日の画像は「ファインディング・ニモ」のワンシーンだった。DVD再生映像からである。偶然の一致というべきか、ちょうど昨日、WOWOWでハイヴィジョン放送があったのだ。残念ながら日本語吹き替え版だったけれど、画への興味から録画してみた。

 上のようにスクリーン映像をデジカメで撮った写真では、DVDとハイヴィジョンの違いはゼンゼンわからない。だが、実際に見比べるとその差歴然である。発色、深み、鮮やかさ、質感など、多くの点でハイヴィジョン圧勝。基本的な情報量が違う。圧倒的高画質と言ってよい。当然といえば当然である。

 ニンゲンとは強欲なものだと思う。ハイヴィジョンを見慣れると、それが当たり前になってしまい当初の感激が薄れてくるのである。次に出てくるのは、さらに綺麗な画を求める気持ちだ。これは音についても同じことで、一度良いものを見たり聴いたりしてしまったら、後へは戻れなくなる。

 仏教では「人心に三毒あり」という。「貧(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」。「貧」は貪りの心、「瞋」は怒りの心、「痴」は愚かな心。これらを三つの毒と称するわけである。

 今ある状況にいつも満足できず、もっともっとと欲しがる様は、まさに「貧」。それが手に入らないことに怒って「瞋」。己が努力することを忘れ去って「痴」。三毒うち揃って、何とも情けない話である。

 己が罪深さを思い知るところから、向上心が芽生えるのだから、これでいいのだ。

 という解釈は、あまりにも都合が良すぎるのである。

’05/11/23 (水)

この道40年


 「Ozzfest」を見た。ブラック・サバスのオジー・オズボーンが主催するメタル・ロック・フェスである。今年は10周年ということで、ベテラン新人取り混ぜての大騒ぎ。トリをとるのはもちろん、ブラック・サバスである。

 彼は1948年(昭和23年!)12月3日生まれだから、もうすぐ57歳になるわけである。他のメンバーもそれくらいか、或いはもっと年寄(失礼)なのに、とてもそうは見えない。異様に元気である。日本で言えばベビー・ブーマー、いわゆる「団塊の世代」にあたる。この世代の人って、元気な人が多いような気がする、のは僕だけだろうか。

 写真は随所に挿入されているオジーのインタヴュー場面である。ステージでは妖しげな風体でおどろおどろしい歌を歌う彼だが、話をする姿は穏やかだ。言葉づかいはあまり上品じゃないケド。

 イギリスの貧しい労働者階級の家に生まれた彼は言う。「最初は無一文で裸同然だった。ツアーに出てもイジメられたしね。"出てやってる"という態度のアーティストは多いが、俺はそうじゃない。ファンを愛している。ここまで生き残れたのはファンのおかげだ」と。謙虚なのである。

 出てくるグループはどれもこれもガチャガチャした力任せのメタル・ロックで聴くに堪えなかったが、サバスは聴けた。「ウォー・ピッグス」「アイアン・マン」、最後は「血まみれの安息日」前奏から「パラノイド」でキメる。いやあ、かっこいい。

 「次の10年後もやる」そうだ。おおかた70歳ですよ。

’05/11/22 (火)

もう一度


 久しぶりにファミリーシアターである。出し物は、今なら言わずと知れた「ハウルの動く城」だ。「出せば売れる」の宮崎アニメ、今回はどんなものかしらと、僕も家族と一緒に観るのである。

 画のクオリティはなかなかのものだ。いつもながらの丁寧な描き込みには脱帽。背景にも手抜きがない。人物よりも力が入っているか。城の室内風景は国籍不明、だが、どことなく和風でもあり面白い。発色がきれいで極めてカラフルだ。さすがである。

 音はレンジが広く抜けが良い。城の走行音(っていうのかな)がリアルである。超低域に馬力がある。爆撃シーンも恐怖感充分、大画面で観る映画はこうでなくてはイケナイ。最近、ハイヴィジョン放送音声を聴くことが多いわけだが、画はともかく音声はDVDに一日の長があるように感じた。

 内容は、う〜む。どのように評せばよいのだろうか。少なくとも駄作ではないと、思う。ただ、ストーリーテリングに強引さ(というか性急さ)が感じられ、イマイチ物語の深まりが不足しているようにも思われるのだった。原作を読んでから観るべき映画なのかな。1度くらいの鑑賞では遺憾ような気もする。

 一人でもう一度、じっくり味わってみるか。

’05/11/21 (月)

いつも心に太陽を


 のっぴきならぬ業務により、少々遠出してきた。前後の予定が切迫していて、早朝出発深夜帰宅という日帰り強行軍である。ひたすら走って明石海峡大橋、鳴門大橋を渡り、四国でチャッチャッと業務遂行すること数時間、再び橋を渡って帰ってきた。

 こんなことが可能になったのも、立派で美しい2本の大橋のおかげである。架けてくださった方々の智慧と労苦に大感謝。以前ならこうは行かなかった。

 写真は淡路島側から望む明石海峡大橋だ。遥かに見ゆるは右神戸市街〜左姫路方面。ご覧の通りたいへん良いお天気で、青い空と蒼い海にかかる姿は、如何にも雄大である。見ていると勇気が出てくる。意味もなく、僕もがんばらな遺憾なあと。

 毎日こんな風景を見ながら暮らせたなら、どんなにか素晴らしいだろう。細かいことに拘らない大らかな人間になれそうである。冬場、日照時間が少なくなりがちな日本海側住人としては、いささか羨ましくもあるわけだが、そこは気持ちの持ちようだ。見ることができただけでも価値がある。今日の勇気で、これからの寒い冬を追い払え。前向きでなくては遺憾のである。

 いつも心に太陽を。

’05/11/20 (日)

突然繁忙


 昨日に続きHDDレコーダーのイムプレッションで日誌を書こうと思っていたら、予定業務に加えて火急業務が出来。明日は明日で早出になり、時間が取れない。久しぶりに少々余裕のある日曜日になるはずが、やたらと繁忙なことになってしまった。よくあることだケド。

 ともかく1回目のムーブは上手く行ったことだけご報告し、今日はレコーダーリヤパネルをご覧に入れながら失礼したいのである。

 明日は、もう少し書けると、思います。

’05/11/19 (土)

増設


 HDDレコーダーを1台増設した。「容量250GBは必要にして充分」と言った舌の根の乾かない内にこうなってしまうのだから、いい加減極まりないのである。相変わらずウソツキだ。ご勘弁くだせえ。

 これで500GBの容量が確保され、BSハイヴィジョンなら約42時間の録画が可能になるわけである。2時間の映画プログラムなら約21本分。WOWOWと契約してしまった今、またすぐに足らなくなる可能性は高い。その時はその時でまた考えましょう。

 2台目も早速チューナーとリンクし、さあムーブさせよう、と思ったら何だかおかしい。付属のリモコンがまったく利かず、レコーダーのメニュー画面が出ないのである。無反応だ。ナンデかな。

 考え込むこと数分。あっと気がついた。このレコーダーは背面にスイッチがあり、ディスクモードとD-VHSモードとを切り替えるようになっている。プログラムをムーブさせるには、受け渡し両方ともD-VHSモードにしないと正常に動作しないのである。

 2台とも初期設定からやり直しである。1個のリモコンで両方別々に操作できるようにし、送り手と受け手を決め、ムーブするプログラムを指定し、コマンドを開始する。慣れない作業でひどくマゴつき、2時間くらいかかってしまった。純粋なオーディオ機器とはグワイが違い、どうも勝手がワカランのである。

 ご存知のとおり、あくまでもムーブ(プログラムを移動する)であって、コピー(ダビング)とは違う。失敗したらすべてオジャンである。文字通り「元も子もない」のだ。ここのところ、どうにかならんものでしょーか。まずは消えてしまってもいいようなプログラムで実験してみるのである。只今ムーブ実行中。

 上手く行ったら、明日は編集に挑戦してみよう。全部飛んじゃったりして。

’05/11/18 (金)

道草


 学生時代、一緒にバンドを組んでいた友達から1本のカセットテープをもらった。両面45分のテープには、彼が好きな曲が10曲ほど入っていて、おそらくその内のどれかをコピーしようという話になっていたのだろう。結局は叶わなかったのだが。

 その中に小椋佳の曲があった。穏やかでひそやかで、澄み切った水面に静かな波紋が拡がってゆくような曲風と頼りなげな声は、間違いなく小椋佳である。僕はその曲が、とても好きだった。

 先日、ちょっとしたことからそれを思い出し、CDが欲しくなったのだが曲名がわからない。どのアルバムに収録されているのかも。さて、困った。手当たり次第にチェックするのも手ではあるが、気の短い僕には不向きである。

 手掛かりは歌詞である。「君といられることを 誰に感謝しようか」。こう歌うサビの部分をキーワードに、検索してみた。

 さすが小椋佳。1発である。曲名は「スタンド・スティル」、'76年発表の「道草」に収録されていることが判明。こんなことは小椋ファンなら常識である。僕はまったく知りませんでした。

 早速Amazonで注文、あっという間に届いてしまったのが、上のCDである。「道草」(日UNIVERSAL MUSIC UICZ-6009)。紙ジャケット仕様。水晶の1万倍精度を持つルビジウムクロックを採用してのディジタルリマスター盤、とある。

 ヒジョーに懐かしい。間違いなくこの曲だ。見つかってヨカッタ。音も悪くはない。ただ、ルビジウムクロックの威力のほどは、よくわからなかった。

 バックを務めるミュージシャンが凄い。ギターに高中正義、是方博邦、大村憲二、ベースに後藤次利、小原礼、ドラムに村上ポンタ、高橋ユキヒロ、井上茂、林立夫、パーカッションに浜口茂外也、斉藤ノブなど。サディスティック・ミカ・バンドとティン・パン・アレイとYMOと高中正義グループが合体したようなメンバーである。超々一流だ。これまたまったく知りませんでした。曲以外にも、発見の多いCDだった。

 '70年代は、思い出が多くある。

’05/11/17 (木)

バチ当たり


 14日の午後から崩れた天気は未だ快復せず、最高気温はそれまでの半分にも満たなくなってしまった。完全に冬である。箱船はついに1階2階ともファンヒーター稼動開始。僕はヒジョーな寒がりである。

 昨日、WOWOW視聴契約を完了した。ネットから申し込んだわけだが、あまりにも簡単に手続きが済むのには拍子抜けしてしまうのである。利便性にビックリ。と同時に、バックグラウンドでは計り知れないナニカが動いているのだと思うと、いささかブキミでもある。こういう時代なのだなあ。

 それはさておき、あっという間に視聴可能となったのは嬉しい限りである。早速番組表をチェックし倒し、面白そうなプログラムを録画予約するのである。その第一号は、今日の夕方放送のあった「デイ・アフター・トゥモロー」である。

 画はハイヴィジョン放送だから文句なし、ただ、「メッセージ・イン・ア・ボトル」に比べるとちょっと落ちる感じだ。これはもともとの画なりだから仕方がない。音は凄い。圧縮を感じさせない力強さと圧力を持っていて、超低域の空気感はなかなかのものである。ウルサイことを言えば、切れがイマイチとかソリッド感がもう一息とか、いろいろあるわけだが、個人的にはこれで充分だと思った。DVDはもう要らない。

 映画としても楽しめた。ただし、今の季節に見る映画ではないと、その意味では少々後悔するのである。ユーウツな日本海側気候が、ますますイヤになってしまうのダ。この地方では、夏に見るべき映画である。逆説的に言えば、パニックものの怖さが倍増して良いのかもしれないが。

 11月以降の番組を調べてみれば、見たい映画がゾロゾロ出てきて困ってしまうのである。「バッド・ボーイズ」や「リバー・ランズ・スルー・イット」がハイヴィジョンで見られて、しかも高品位録画できるなんて。夢のようだ。

 LD時代からVをやっているニンゲンとしては、バチが当たりそうで怖いのである。

’05/11/16 (水)

もっと楽しく


 BSディジタル放送を正常に見るには、このカードを本体に挿し込まねばならない。一般放送を見るだけなら挿し込まずともとりあえず受信できるものの、有料放送を受信するには絶対不可欠である。契約するにはカード識別番号が必要になるからだ。こんなことは今や常識ですな。

 これまで一般放送の受信だけで視聴してきたわけだが、HDDレコーダーの導入で録画可能になった今、とうとうガマンできなくなってしまった。ともかくはWOWOWである。大いに興味を惹かれる映画やライブ映像を、バンバン放送しているワケだ。しかもハイヴィジョン、オマケに録画できるとなれば、これはもうシンボウ堪らんのである。

 ついこの間までは、有料放送を見るなど、まったく頭になかった。録画できるようになっただけでこの変り様である。「パソコン? そんなもん要らんもんね」とほざいていた奴が、現状の如くになってしまったのと同様だ。身勝手というか、世間知らずと言うか。

 映像に関しては、さほどのこだわりを持たない。音に対するほどの熱意はないのである。しかし、まったくどーでもいいわけでもないのであって、映画やコンサート映像は大好きだし、同じ見るならきれいなほうが良い。今ある機器の能力を精一杯使い切って楽しみたいという思いは強いのである。

 古色蒼然たるプロジェクターではあるけれど、一応まっとうなハイヴィジョンが見られる。ストイックにならず、気楽に見る分には充分すぎるクオリティだ。楽しまない手はない。

 WOWOWであれもこれもなどと録画していたら、あっという間に容量オーバーするだろう。最低でもあと1台は増設しなきゃ遺憾のである。HDDレコーダー。

 美しい画には、一種の魔力がある。

’05/11/15 (火)

石膏ボードには


 箱船の内側の壁は、重量ブロック・コンクリート充填積みの上に石膏ボードを重ね、壁紙を貼って仕上げてある。ブロック壁との接合方法は、彼の悪名高きGL工法である。この工法、遮音の専門書ではボロクソだ。絶対にやっては遺憾と書いてある。

 まあしかし、実際に12年間部屋を使ってみて、酷い不グワイがあったかというとそうでもない。夜中に大音量でガンガンやっても、ご近所や家族から苦情が来ることもなく、平穏無事に過せている。これでいいのだ。

 ただし、箱船の例がGL工法の優位性を証明するものではないことだけは確かである。たまたま問題が出なかっただけのことだ。専門書に書いてあることは、間違いではないと、思う。

 石膏ボードを使うデメリットは、他にもある。クギやピンがほとんど利かないことである。壁紙仕上げだから、両面テープの類もNGだ。ちょっとフックを取り付けたいと思っても、ハタと困ってしまうのである。金属スリーブを打ち込み、木ネジやクギが利くようにする方法はあるものの、大ゲサだし跡が残るのも感じが悪い。

 大丈夫。今は、写真のような良いものが、あるわけだ。「ダブルピンフック」という。フックの裏側には壁に対して直角に入る固定ピンが1本と、ナナメ下向きの可動ピンが1本付いている。まず本体を画鋲のように刺し、そのあとナナメの可動ピンを押し込む。こうすることで石膏ボードを掴んだような形になりしっかりと固定される、という仕掛けである。

 これはなかなかグワイが良いのである。工具不要でカチッと喰い付くし、外した時の傷跡が目立たない。うれしくなって3つも付けてしまった。埃払いや小型のモノサシなどを引っ掛けてある。

 過信は禁物である。しっかりくっついているように見えても、下地は石膏だ。モロいのである。1本あたりの最大荷重は2kg、斜め方向の力には弱い。いい気になってどんどん吊り下げたら、たちまち落ちてしまうのである。

 そこは上手く考えてある。フック部分が小型で、たくさんは掛けられないようになっているのだ。

 カレンダーや小物をチョイと引っ掛けておくには、重宝するグッズである。

’05/11/14 (月)

ラック統一の夢


 昨年今頃の日誌を見ると、ラック新調ネタ一辺倒である。それだけ嬉しかったのである。気がつけば1年を過ぎているのだった。早いものだと、思う。

 写真のとおり、箱船に届いたのは昨年11月7日である。「(株)高原木工所」とあるが、現在は「山越木工房」と改められ、極めて高品位な木工製品を生産していらっしゃる。

 この1年間の状況は、9月4日に書いたとおりである。文句なし、どころか、ますます絶好調だ。良くなったのは音だけではない。時間とともに色合いと木目に深みが増し、実にイイ感じである。この辺りは石や金属にはない良さだと思う。もちろん、丁寧な塗装の恩恵もあるわけだ。未だにナデナデして喜んでいる。

 先日から左右両脇にGTラックを増設した。どうもルックスが不釣合いで、気になって仕方ないのである。マックロケなのがブアイソで気に入らん。ついでに中央にあるプロジェクターラックにも文句が出てきた。キタナイのである。これは今に始まったことではないのだが。

 将来的にはこれらもカスタム化したいと考えている。全てのラックを山越木工房謹製で統一する。夢である。音も画も向上すること間違いなし。美観も最高だ。是非とも実現したいものである。

 masaさん、その時は、またよろしくお願い致します。

’05/11/13 (日)

遷り変わり


 TV番組のBGMに懐かしい曲が流れていた。PRINCESS PRINCESSの「Diamonds」である。大ヒットしたのは1989年、もう16年も前のことである。最近ますます音楽にご執心の愚息1号に「プリプリって、知ってる?」と訊いたら「ゼンゼン知らん」と言う。そりゃそうか、彼が生まれる前のことだもんなあ。

 僕はファンでもなかったけれど、女性らしからぬ骨太なサウンドには好感を持っていた。CDはこの曲のシングルが1枚あるだけ。あまり大きなことは言えないのである。

 何年ぶりかで聴いてみた。とても懐かしいのである。音は、言わずもがな。まあちょっと苦しいわけです。面白かったのは歌詞の一節である。

 「ブラウン管じゃわからない 景色が見たい」

 ブラウン管とは、もちろんTVのことだろう。1989年当時、一般的なTVといえばブラウン管しかなかったから、これでいいわけだ。しかし、これからはどうだろう。液晶、プラズマなど、完全に薄型軽量TV主流の時代である。重く厚いブラウン管を使った新製品はどこにもない。パソコンモニター、プロジェクターも然り。「ブラウン管」といってすぐにTVを連想することが難しくなるんじゃないか。

 「コードレスのアンテナ伸ばし ベランダに出てあなたに 近づこう」

 同じ頃、今井美樹が歌っていた歌詞である。「コードレス」。コードレス・テレフォンの略である。一人暮らしの若い女性がモチーフになっているこの歌、今時こういうシチュエイションで固定電話をコードレスで使っている人はいない。しかも伸縮アンテナ付き。きっとアナログ式なんだろうな。

 どちらの歌詞も、ごく一般的なライフスタイルを織り込んだものである。何十年も前のことではない。僕の感覚からすれば、ついこの間のことという印象だ。それが今やすっかり陳腐化してしまうわけだから、世の遷り変わりはずいぶんと加速しているものだと、思う。液晶TVもプラズマも携帯電話も、これほど爆発的に普及するとは誰が予測し得たろうか。

 10年後、20年後が楽しみでもあり、また恐ろしくもある。

’05/11/12 (土)

活躍


 HDDレコーダーを導入するまでは、2ヶ月に1回稼動するかしないかだったプロジェクターである。宝の持ち腐れ状態だったわけだ。それがこの頃大活躍。毎日のように動いている。何度も見たくなるようなものがきれいに残せるようになったのと、もう一つは、やはりハイヴィジョン映像の美しさ、である。

 先日フォーカス調整をしたおかげで、ますますきれいに投影できるようになった。毎日電源を入れることでのウォーミングアップ効果もあるようだ。時々思い出したように動かし、チョイと見てOFFにしているようでは遺憾。

 アンプやプレーヤーも同様である。電源常時入れっぱなし、なんてえのは一部のウルトラマニアがやることだから別格として、仮に聴かなくてもよいから一日一度は電源を入れてやることも大切なのではないかと、思う。そうしたほうが故障しにくくなるような感じもある。「電気代がもったいないでしょ!」と叱られたなら、「故障して買い替えるともっと金がかかるぞ」と脅しましょう。「もう買うな」と言われたらたいへんですな。

 今月の末から来月の初めにかけて、BS-hiの映画プログラムがなかなか面白そうである。録画しない手はない。ますます稼動時間が増えそうだ。

 WOWOWの視聴契約なんかしてしまったら、どーなるンだろう。

’05/11/11 (金)

Ginkgo


 全国的に紅葉が遅くなっていると聞く。近くに大きなイチョウがあって、毎日黄葉を待っているのだが、なかなか染まらない。黄色くなるのをスキップして散ってしまったら残念である。

 と思っていたら、ようやく色付き始めて一安心。まだ緑とのグラデーション状態だが、これはこれでたいへんに美しく、自然のカラーリングに人工物は適わないといつも感歎するのである。

 全体が蛍光黄色に染まったあと、大量の葉を散らすわけで、地面は黄色いカーペットを敷いたようになる。これもきれいである。落ち葉掃きが、たいへんなのだが。境内になくてヨカッタ。

 この樹は雄株で、ギンナンは成らない。ちょっと残念だが、ご近所さんは助かっているのかもしれない。食べるとおいしいギンナンも、熟して樹から落ちたばかりのものはヒジョーにクサいのである。強烈な腐敗臭。鳥も食べないくらいだ。おまけにアクが強く素手で触れるとかぶれるし、始末に困るのである。新鮮なギンナンは、ものすごく美味しいンだけどなあ。

 1億5000万年前、イチョウは地球上で盛大に繁殖し、その頃は17の属があったそうだ。氷河期にほとんどが絶滅し、しかし中国において1属のみが生き残った。それが現在のイチョウである。だから、イチョウは「イチョウ綱イチョウ科イチョウ属」という1綱1科1属1種の、類稀なる植物なのである。「生きた化石」と呼ばれるのはそのためだ。原始的な樹だけあって、葉に直接実が成ったり幹から澱粉が採れたりと、変わった性質を持っている。

 学名をGinkgo bilobaという。ginkgo? 如何にラテン語とはいえ、このスペルをどう発音すれば良いのか。困ってしまうじゃアリマセンカ。

 これにはちゃんとした(?)理由がある。イチョウの漢字表記「銀杏」を音読みして「ギンキョウ」、ラテン語に音訳して「ginkyo」。本当はそれが学名のアタマにくるはずだった。ところがどこでどう誤ったものか、「k」の次にくる「y」を、「g」と取り違えてしまったのである。確かに筆記体で書けば紛らわしい。どうやらその辺りが間違いの元らしいのだ。

 間違いでも何でも、ともかく「ginkgo」と決まった。学名というもの、一旦決まってしまうと絶対訂正できないという、ヒジョーに不自由な規約になっているらしい。で、このようなワケのワカラン綴りで通っているのだそうな。何だかイチョウが不憫になってくるのである。

 そんなことにはお構いなく、この種は悠久の時を超えて今ここにある。

’05/11/10 (木)

第三の眼


 ひどい近視の僕がフォーカス調整するに必要不可欠なもの。第二の眼、いや、それは眼鏡だから、第三の眼か。

 双眼鏡である。裸眼で0.06〜0.07、矯正視力で辛うじて1.0にとどくかという眼では、完璧を期することなど絶対不可能。スクリーンに近づけばよいようなものだが、レンズフォーカスにリモコンは利かないからグワイが悪いのである。

 そこで双眼鏡登場。一昔前は高価なものだった。今は明るくきれいに見えるものが安く手に入るのである。有名ブランド品でも3,000円程度だ。6〜18×18のズームつき。5mに満たない距離を見るには充分すぎるものである。

 これを使えば完璧、とまでは行かずとも、かなり良い線まで追い込めるので重宝している。ただ、何事も一長一短、デメリットもある。ナンボ調整してもレンズフォーカスがまったく合わない。ついに機能しなくなったかとオロオロしたら、実は双眼鏡のフォーカスが合っていなかった。こりゃデメリットじゃなくて僕がマヌケなだけか。

 レジストレーション調整には使えない。スクリーン至近でぴったり合っていることを確認し、視聴ポイントからこれで覗くと見事に虹色。バラバラである。内部でプリズムを通るし、レンズの色収差は大きいし、この辺りはローコスト版の苦しいところである。レジ調整はリモコンが使えるから問題ないわけだが。

 高い視力を持っている人を羨ましく、思う。中学1年の頃までは1.5を保っていたのに。それ以後、坂道を転がり落ちるが如く悪化し、高校1年になって0.1を割り込み下げ止まった。よく見えていた時のことなんか、すっかり忘れちゃった。裸眼で1.5なんて、どんな世界だろう。

 眼は大切にしましょう。

’05/11/09 (水)

調整が命


 ハイヴィジョンを見ているうち、どうもレンズフォーカスの甘さが気になり始め、調整してみることにした。トップカバーを外すのは久しぶりである。

 始めてみれば思っていたよりズレていて、ちょっとばかり驚いた。特にG管の狂いが大きく、これでは影響を無視することはできない。道理でいくらレジストレーション調整しても、きちんと合わないわけである。こんなままで喜んでいたのだから、我ながらいい加減さにあきれるのであった。お恥ずかしいことである。

 B管はホワイトバランスを取るため、もともとわずかにデフォーカスしてあるから、ジャストフォーカスには追い込めない。ウルトラマニアならそれでも触ってしまうのだろうけれど、僕如きでは触らないほうが無難である。R管の狂いはG管ほどではなく、微調整の範囲でOKだった。

 最後にR、G管とも電気フォーカスで細部を追い込み、ついでにレジを合わせ直して調整完了。フォーカスが合っていれば作業は楽である。当たり前だ。

 調整後は俄然立体感が増し、よりリアルになった感じである。発色も良くなったようだ。先日見る機会があった最新高級大型液晶テレビよりも、ずっときれいで深みのある画が出ている。三管は調整が命です。面倒な機械ではあるけれど、作業の結果が如実に現れてくるのはヒジョーに楽しいのである。

 放送波のディジタル化、メディアの大容量化で、いつまで使えるか先行き不安な三管式プロジェクターである。しかし、趣味性は高い。使いこなしの妙もある。ぶっ壊れて動かなくなるのが先か、信号に対応できなくなるのが先か、いずれにしても僕はギリギリまで使い倒すのである。二の手は、ダメになったその時に改めて考えましょう。

 来年早々、導入以来10年になるVPH-1252QJ。ご老体、がんばってます。

’05/11/08 (火)

妥協の産物


 現状のセッティングを裏側から見た写真である。映像機器を追加し、ケーブル、ACコードが増え、ついでにBSアンテナ線も増えた。個人的にはあまりゴチャゴチャさせたくないわけだが、いつでも気軽に映像を見ようと思うと、これくらいは止むを得ないのだろう。

 映像系、ディジタル系のケーブルが増えて最も気がかりだったのは、AD再生への影響である。綺麗な画を見られるのはたいへん結構なことではあるが、そのせいでADの音が悪くなってしまったのでは元も子もない。

 今のところ、一聴して分かるような劣化はないようで安心している。それどころか、どちらかと言えばレイアウト変更前よりも良くなった部分もあり、これは予想外だった。(レイアウト変更)−(機器を増やす)=0、つまりメリットデメリットの差し引きがゼロになってくれれば萬々歳、多少悪くなっても仕方なし、くらいに考えていたのである。

 システムはシンプルであればあるほど音は良い。当然である。ディジタル全盛の今なら、ユニバーサル・ディジタルプレーヤー1台、高品位プリメインアンプ(或いはパワーアンプ)1台、スピーカー1組。これで事足りるわけだ。最もシンプルなシステムである。

 それが良いと分かっていながら強欲なものだから、ADも聴きたい、画も見たい、プレーヤーは独立させたい、アンプはセパレートしたい、スピーカーはレンジを広げたい、あれもしたいこれもしたいとワガママを言うのである。結果、システムはどんどん複雑化し、大掛かりになって行く。

 箱船システムはまさにそうなっていて、今さら後戻りはできない。だからこそアレコレと策を講じるわけで、しかし全てを高い次元で並び立たせるのは極めて困難である。僕にはそんな能力も技術もない。自分なりのプライオリティを明確に決めておかないと、全てが中途半端に終わるという危惧を、いつも感じている。

 僕の優先順位第1位は、AD再生である。それを軸にして周辺環境を整える。「整える」とは聞こえが良すぎる感じだ。言い換えれば、どこに妥協点を持って行くかということである。この辺りの力加減が、それぞれオーディオマニアのいわゆる使いこなしであり、同じ機器を使っていても出てくる音は違うという遠因に、なっているのだろうと思う。

 オーディオとは、妥協の産物である。

’05/11/07 (月)

悲運のグループ


 僕のオーディオ原初体験がロックにあることは、プロフィールのページに書いた通りである。「音が良ければ何でも聴く」という無節操なオーディオマニアになった今も、やはりロックから足を洗うことはできない。レコードショップで古いタイトルの復刻盤を見つけたりすれば、大喜びで飛びつくわけである。条件反射みたいなモンだ。

 そういうレコードのうちの1枚が、上のタイトルである。「LYNYRD SKYNYRD / Street Survivors」(米Universal Records 111 535-1)。180g復刻盤。原盤は米RCA、'77年発表。同グループ最後のレコードである。

 レイナード・スキナード。'70年代ロックファンなら誰でも知っている、サザンロックの雄である。「Sweet Home Alabama」は大ヒットした。映画「フォレスト・ガンプ」でもBGMに使われていたから、知らず耳にしている人も多いはずだ。

 ルックスが良いわけでもカッコイイわけでもなく、ただひたすらに泥臭く汗臭いロックだった。スマートさなんかカケラもない。少なくとも日本では、ファンの99%が男だったのではないか。イヤ、100%かもしれない。不器用で骨太な音と楽曲が、僕は大好きであった。特に、テクニックよりも馬力と勢いでグイグイ押してくるドラムが好きで好きで。

 一種野暮ったいグループだったが、上のレコードでは少しく方向転換。これ以前に比べるとやや都会的でスマートさをカモシ出しているのである。初めて聴いた時、へぇ、彼らも柔らかくなったのかしら、これからが楽しみだと、思った。

 ところがこれがラストアルバムに、なってしまったのである。原因は、飛行機事故だった。

 アルバム・プロモーションの全米ツアー移動中、メンバーを乗せた飛行機が墜落したのだった。'77年10月21日のことである。この事故でメンバーのうち3人が死亡、1人が重態。死亡した中にはボーカルでリーダー格のロニー・ヴァン・ザント(ジャケット写真左から3人目)が含まれていて、これがグループにとっても致命傷であった。

 とても残念で悲しかったのを覚えている。ロニーの実弟で、38スペシャルのボーカルだったダニー・ヴァン・ザントを加入させて復活、という噂もあったが、結局叶わなかった(後年、トリビュート・ライブでは歌っている)。悲運のグループである。

 今聴いても、なかなか出来の良いレコードだと思う。もともと持っていた国内盤は、かなりの低音不足ながらロックとしては比較的きれいな音である。だからこそ復刻盤には期待したわけだが、惜しいかなイマイチである。低域不足は大幅に改善されているものの、締まりがサッパリだ。ブカブカドンドン、量感だけで質は低い。如何にも不鮮明な低音でヒジョーに聴きづらい。残念でした。

 けれども、僕は満足している。なにしろ、レイナード・スキナードなのだから。

’05/11/06 (日)

穏やかな秋のあとには


 夏、きれいな花を楽しませてくれた百日紅は、今やすっかり紅葉である。桜もそれなりにきれいである。今日(5日)はとても良いお天気で暖かく、空には一片の雲もなかった。紅葉とのコントラストが美しい。周辺の山も、近年になく美しく紅葉しているようである。

 今年は今のところ強力な台風の襲来がなく、平穏な秋である。昨年とは大違い。ありがたいことだ。このことは、美しい紅葉が見られることと無関係ではないのである。

 ここは海が近い(日本三景天橋立まで車で15分)所為もあり、台風が来ると潮風が盛大に入ってくる。塩気たっぷりの風が山に吹きつけると、木々の葉は紅葉する前に茶色く枯れてしまうのである。いわゆる一つの塩害だ。その時の風向きにもよるけれど、この時期に一度台風が来れば、影響ゼロというわけには行かないようである。

 これでもう少し昼夜の寒暖差が大きくなれば、さらに美しい山の風景が見られるだろう。イナカ住まいも悪くない。

 穏やかな秋を喜び、さて、今後気になるのは冬の雪である。これに関してはヒジョーに不気味な兆候がある。

 カメムシが異様に多いのである。そこら中カメムシだらけ。近所の小学校の壁が真っ黒になるほど寄り集まっている光景にはサムケがした。こりゃもう異常発生だ。加えてカマキリの卵鞘が高いところにあるのが目立つ。どちらも大雪の予兆と言われるものである。

 ボカァ、心配です。

’05/11/05 (土)

音は、凄い


 LD映像を見なくなったのはいつからだろうか。箱船の片隅に追いやられていたプレーヤーMDP-999をラックに置いたところが、久しぶりに見てみようという気になった。

 ハイヴィジョンを見慣れた目に、LD映像はいささかならず苦しいのであった。まるでスダレ越しに風景を見るようなものである。走査線シマシマ。ジャギーの嵐でギザギザである。加えてノイズの多いこと。中間色はひどくマダラになるし、強い赤は右にずれて見苦しい。色の境目にはジラジラしたノイズが出る。お世辞にも綺麗な画とは、言い難いものである。

 しかし僕は、ヒジョーに懐かしかった。Vを初めて導入した13年前を、思い出したのである。まだ「ホームシアター」という言葉が市民権を得る前、'92年の話だ。

 始まりは、ローコスト三管プロジェクターVPH-100QJとMDP-405である。このセットでの大画面(100インチだった)は、今見るLD映像よりもさらにクオリティの低い画だった。それでもあの感激は、今も忘れられない。スクリーンに映像が映った瞬間、涙が出たのを覚えている。手軽にハイヴィジョン映像が見られる現状とは、隔世の感あり。

 改めて驚いたのは、音の良さである。多少粗い感じはあるものの、馬力と切れの良さ、輝きは大したものだ。今や家電に成り下がった(失礼!)DVDプレーヤーでは、こんな音は絶対に聴けない。さすが30.3kg、装甲車のような重量級プレーヤーの威力は凄いものがある。非圧縮リニアPCMの良さもあるのだろう。放送音声の圧縮Bモードなんぞ鎧袖一触である。音だけは、LD今も健在だ。

 ハイヴィジョンにこのくらいの音がつけば、こりゃもう言うことなし。天下無敵なのだが、そう上手くは行かないらしい。ただ、新しく出てくるメディアには圧縮なしの音声が入るとも聞くから、それには期待したい。

 30kgを超えるようなプレーヤーが出てくることは、絶対にないだろうケレドモ。

’05/11/04 (金)

本末転倒


 向かって右側にGTラックを1台増設し、床に野積みしたような機器が整理されてスッキリした。と思ったら、今度は左右対称配置でなくなったのが気になり始めた。どうにも居心地が悪いのである。なんだか右へ傾いているような気がする。

 整理がヘタクソで不精者、かなりとっ散らかっていても大して気にならないクセに、妙なところだけは神経質なのである。パンツに穴が空いていてもちっとも構わないけれど、洗濯済みのヤツに毎日履き替えないと絶対イヤダ。何の話だ。

 対象性を保とうと思えば、増設をヤメるか、左にもう1台増やすか、である。左側には滅多(まったく、に近いくらい)に使わないLDプレーヤーLD-S1とカセットデッキが積んである。ブサイクである。2階には、サイドボードと化したGTラックがもう1台あるし、これを下ろして設置するか。

 というわけで、上の写真のような状態に、なったのである。これでラックの配置は左右対称になりバランスが取れる、はずだったが何だかイマイチである。ハッキリ言って並べ過ぎ。なんでもかんでも並べりゃイイってモンではないのだった。いちばん左側のラックに入っている機器は、どこともつながっていないのだ。音に良いわけはないし、空間の無駄遣いでもある。

 さりとて折角ひーひーゆって下ろしたGTラックをまた持って上がるのも馬鹿げている。何よりもしんどいしキケンである。ので、無駄と悪影響を知りながらしばらくはこのままが続くのだろうと思う。他人事みたいに言ってます。

 左右対称結構だが、余分なものは置かないほうがヨイに決まっているのである。

’05/11/03 (木)

舶来パワー


 今日は、秋も半ばを過ぎた11月3日である。春でもなければ初夏でもない。当たり前である。しかし、庭では当たり前でないことが、起っている。

 写真は、昨日の夕方に撮ったものである。タンポポの綿帽子だ。だいたいが、これは春の終りから初夏にかけて見られるものであって、百歩譲って夏、半ばを過ぎた秋に出てくるのはどう考えてもオカシイ。

 いや、ちょっと待て。エラく珍しがっているけれど、秋のタンポポっちゅうもの、ひょっとしたら常識なのではないのか。ふと、そういう疑問を持った。驚いているのはオイラだけ。アヤシイのである。そこで調べてみたれば。

 モノを知らないということは、恥ずかしいことである。写真のタンポポはセイヨウタンポポであって、この種は一年中花を咲かせると判明。冬でも珍しくも何ともないんだそうだ。なんのことはない。己が無知を恥じ入るのであった。

 しかし、蝶も蜂もいない寒い時期に花をつけて、受粉はどうするんだろう。と思ったらそこは上手くできている。タンポポは自家受粉だそうで、ムシの助けがなくてもちゃんと結実するのである。子孫繁栄戦略にヌカリはないのだ。

 元々日本には「ニホンタンポポ」という在来種があり、昔はどこでも見ることができた。最近ではヨーロッパからやってきたセイヨウタンポポに駆逐されつつあるという。種が軽く、遠くまで飛べることに加え、生命力の強さでも大きく優っている。自家受粉もそうだが、小さく切り刻んだ根からでもバンバン芽を出すのである。ウチの周辺でも、ニホンタンポポはぐんと少ない。

 外来種に脅かされる在来種、この類の話はいくらもある。ブラックバスやブルーギルにイジメられる琵琶湖のニゴロブナ、ニホンタナゴ然り、アカミミガメ(いわゆるミドリガメである)に生息域を狭められるクサガメ、イシガメ然り、アメリカザリガニによって絶滅寸前に追い込まれたニホンザリガニ然り。ニゴロブナがいなくなると鮒鮨が食べられなくなる。日本古来の動植物は、舶来パワーに脆弱なのである。

 オーディオは、大丈夫かしら。

’05/11/02 (水)

蹴ったら痛い


 テーブルタップ完成。最もキライ(というか不得手)なSFチューブ被せが終わってからは早かったのである。途中、ケーブルクランプを締め付けるための大型モンキースパナが行方不明、探し出すのに手間取り、さらにはあるはずの3Pコンセントプラグ見つからなかったりして少々慌ててしまった。

 出来上がってプラグを挿してみたれば、やはり使い心地はとてもヨロシイ。ペコペコした感じはまったくなく、カチッと決まって爽快である。丈夫な床の上で厚い板にクギを打ち込んだ時の気持ち良さを連想してしまった。妙なたとえである。

 繋がっているのはディジタルBSチューナーとHDDレコーダーである。これまでは市販のテキトーなタップ(6口、2.0sq平打コード)を使っていたわけだが、交換したことで画や音の向上はあるのだろうか。僕としてはそんなには期待していないのだが。

 大幅向上、というわけには行かない。それでも音に繊細感が出、切れも良くなる。画は多少なりとも明るさカラフルさが増したと感じた。やることをやればそれなりの効果はあるようだ。プラグ、コンセントともロジ銀メッキタイプを奢ったからか、太いケーブルを使ったおかげか。はたまたタップの強度と重量が飛躍的に大きくなった所為か。

 何が決め手だとは一概には言えないのだろう。おそらくタップの構造的強度増加が最も効いているンじゃないかと、思う。大音量派にとって、頑丈なブツのメリットは大きい。如何にもわかり易いのである。

 うっかりけっ飛ばしたらものすごく痛い、ことが最大のデメリットかな。

’05/11/01 (火)

何を今さら


 冬のかかり、11月である。ついこの間2005年が始まったと思ったら、あっという間に残り2ヶ月、ああ、時人を待たず。

 さて、テーブルタップである。先ずはキャブタイヤケーブルにSFチューブを被せるところから始めよう。個人的にはこの作業がキライである。何がイヤだといって、この編組チューブはヒジョーに切りにくいのである。そんなもん鋏かなんかでバッサリ切ればよい。その通りである。だが、一度でもこれを扱ったことのある人なら、そーゆーことをやるとどーなるか、よくお分かりだろう。

 切り口からどんどんほつれてくるのである。こうなると始末が悪い。テープを巻いたりして防ごうとするわけだが、どうもイマイチ上手く行かない。皆さん、どうしてらっしゃいます?

 そこで考えついたのが、写真の方法である。ハンダ鏝にカッターの刃を取り付け(コテ先を止めてあるネジで簡単に付けられる)、即席ホットナイフにする。ケーブルにチューブを被せ終わったら、よくしごいて密着させ、切断部分をテフロンテープでマーキングする。そこをホットナイフで溶断するわけである。

 これはなかなかグワイが良かった。極めて楽に切れるし、何よりもほつれにくくなる。編組の切り口が溶着してしまうからである。こりゃ一石二鳥。上手く行きました。って、こんなこと常識だったりして。何を今さら。お恥ずかしい限りです。

 念のために切り口から5cmくらいのところまで熱収縮チューブを被せ、SFチューブ作業は万全である。キライな作業が無事終わりました。

 明日は完成まで行けるかしらん。