箱船航海日誌 2005年09月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/09/30 (金)

産地


 9月が終わろうとしている。今月は近しい人に悲しい出来事が多く、ヘコんでいるうちに過ぎ去ってしまったようだ。そうでなくてもウラ寂しい秋なのに。

 ヘコんでばかりいても仕方ないわけで、秋は実りの季節でもある。たんぼは見事な黄金色、5月頃は雨が少なく心配もしたそうだが、その後持ち直して作柄は非常に良いと聞いた。そうなれば是非とも新米を食したい、と、思っていたら。ご近所の親しい方からいただいてしまったのだった。ありがたいことである。ウチのすぐ近くで育った、新米だ。

 堪えられない美味さである。よくぞ日本に生まれけり。何とも言えない良い香り、弾力ある歯応え、かみしめるほどに増す甘味、もう文句なしである。いやあ、新米って、本当に美味しいものです。

 お米は、育ったところの水で炊くのがいちばんだという。有名なブランド米「魚沼産コシヒカリ」も、魚沼の水で炊けばなお一層おいしいそうだ。そうであってみれば、当地米を当地水で食べるわけだから、ウマイのは当然とも言えるわけだ。

 オーディオにもこれと似た話がある。西日本のメーカーが作った機器を東日本で使うと、何だかイマイチ冴えないという。その逆も然り。これは単純に電源周波数の違いによるものであるのは、周知の事実。一般的に50Hzよりも60Hzのほうが有利だとされている。

 圧倒的な差、とまでは行かないようだが、関東から訪れる友達などによれば、音の力感、押し出し、浸透力などに違いがあるようだという。僕が使っている機器はほとんどが関東製で、ひょっとすると産地で聴くよりも随分ヤバンな音で鳴っているのかもしれない。ヤバン大好きだからいいケド。

 尤も、米と違って今時の電気製品は、どこで作っているかわかりゃしない。現用機器はまっとうな国産品だろうけれど、将来はどうなるか。モノ作り日本は絶滅しかかっているのである。

 せめて米くらいは、間違いのない国産品を食べたいものだと、思う。

’05/09/29 (木)

めでたし


 イヤー嬉しい。ワタクシ贔屓するところの某在阪球団が、今夜の試合に勝ってリーグ優勝しました。万歳万歳万々歳。K子園で、しかも巨Jをやっつけての優勝は、この上ない快感である。

 夕方から箱船でハイビジョン観戦である。極めて美しい大画面とグルリ取り囲まれるサラウンドは申し分なし。ああ、Vやっててヨカッタと、妙なところで感激するのであった。

 2003年は、マジック対象チームの結果を待っての優勝だったから、いささか間延びした感じだった。今回は試合終了と同時に決まったので、喜びは一入である。

 この球団が優勝すると、関西は活気付くと言う。経済効果はハンパではないらしい。店主がファンのお店は軒並み大盤振る舞いである。ウチの近所にもそーゆー店がある。

 店主が阪Sファンのレコードショップやオーディオ店って、ないのかしらん?

’05/09/28 (水)

半額で半分


 昨日載せたレコードと一緒に届いたのは上のタイトルである。これは以前にCDを紹介したことがある。今回はADだ。「CHRISTOPHER CROSS」(米WARNER BSK3383)。(C)(P)1979。国内盤には「南から来た男」という邦題がついていた。

 当時、わりと売れたレコードだから、ご存知の方も多いと思う。明るく優しいウエストコーストロック、いや、ロックというよりはポップスと言ったほうがよいと思う。学生時代、それはもうテープ(ビンボーでレコード買えなかった)が擦り切れるほど聴いたタイトルである。'86年にCDを買い、それでOKだったのだが。やはりADが欲しくなり、たまたま激安未開封新盤があったから喜んで注文したのだった。

 確かに新盤である。中古盤なら盤質や汚れが気になるところである。新盤ならその心配は無用、安心して針を乗せたわけ、だったが。

 録音を云々するようなレコードではないから、純粋に音楽として楽しむ。それでもCDに比べると瑞々しさに違いが出るからADヤメラレマセン。満足満足とA面を聴き終え、B面に進んだところが、問題発見。

 B-2の途中からLchに盛大な雑音が。AMラヂオの離調ノイズのような、持続性雑音である。ジャージャーとヒジョーに耳障りだ。最初はアンプのトラブルかと肝を冷やした。慌てて針を上げ、確認のため他のレコードを聴けば問題なし。明らかに盤に起因するものである。

 たぶん無駄だと思いながらレコパックするも、やはり改善せず。傷でもなく汚れでもない。これはミスプレス盤である。早い話が不良盤。激安とは言え悔しい限りだ。

 しかし怒ったりクサったりしてはイケナイ。こういうことはよくある。特にポピュラー系米盤には。好きな曲はA面に多いし、相場の半額で半分買ったと思えば腹も立たない。

 次に期待しましょう。

’05/09/27 (火)

今度こそ


 「またまた買ってしまいそう」と書いたのは昨年7月である。ヤッパリその通りに、なった。懲りもせず、このタイトルはAD、CD、SACD含めて10枚目。同一タイトル保有枚数記録更新である。「BOSTON / More Than A Feeling」(米MOBLE FIDELITY MFSL 1-249)。

 今回はMO-FI盤である。高価で手が出せなかったものが、どういうわけか安く出ていた。盤に問題があるわけじゃなし、中古とは言えジャケットも綺麗。おまけに限定シリアルナンバーは非常に若い。一時ほどの人気がなくなり売れ残ったのか。常識的な値で買えたのである。

 MO-FI得意の「anadisc200」、200g盤である。10日に載せたレコードと同じシリーズだ。できるだけ劣化が少なくなるように気を遣って作られたレコードであるからして、その伝からすれば、これまでの中で最も良い音を聴ける、はず。と、勝手に考える。

 中高域の歪み感が少なく、ギラギラしない。情報量も多い。音がツブれず細かいところまで鮮明に出て、ヒジョーに爽快である。CBSのハーフスピードマスタリング盤とはずいぶん違う。低域はややスマートで押し出しが弱い感じ。明瞭度は高いが馬力感がもう一息。

 但し、歪みが少ないおかげでかなりの大音量で聴けるから、そうなれば低域の弱さもあまり気にならなくなる。中小音量ではツマラナイ音になる可能性大。ロックのレコードとしては、これが正しいカタチ、とも言えるわけだ。音場感は、この手のジャンルだからして言わずもがな、だが、それなりの広がり感はある。水平整列型なのは致し方なし。

 とゆーわけで、MO-FI盤買って大正解。期待を裏切られずに済んだわけである。ヨカッタヨカッタ。ここでスベっていたら、また買わなきゃならないところだった。

 今度こそ、打ち止め。ホンマかいな。

’05/09/26 (月)

冬支度


 お彼岸が終った途端、急に涼しくなった。昨夜は実家へ泊まったのだが、高槻の山奥はすでに秋深しの様相である。冬フトン必要。何だか悲しいのである。

 夏から突然秋が深まった感じで、ヒガンバナも慌てているようだ。この2日間ほどでニョキニョキ芽を出し軸を伸ばし、あっという間に咲いてしまった。こんなに短期間で開花するのも珍しい。ある日突然季節が変るのは、ここ数年間特に顕著である。草木もたいへんです。毎歳毎季同じことを書いているような気がするわけだが。

 風が吹くたび桜の葉が音を立てて舞い落ちる。柿の実はすっかり色付いた。空からはツバメの姿が消え、蝉はパタリと鳴かなくなる。愚猫ラク、ユズは冬毛でムクムクし始めた。

 みんな冬支度を始めたのである。3日前まで夏だったのに。寂しいなあ。

’05/09/25 (日)

学校は残った


 業務で京都、大阪方面へ出かけてきた。今年はまたまた日曜日にあたり、商用車が少ない分だけ混雑が軽くて助かった。時間に少々余裕ができたので、ムカシ通った高槻市の高校へ立ち寄ってみたのである。

 阪急電鉄高槻市駅から南へ徒歩6〜7分。便利で静かなところにある。写真は表校門である。校舎は多少補修してあるようだが、基本的には通っていた頃とちっとも変らない。如何にも懐かしい。僕は新学制第27期生である。

 と、思いながら学校名のプレートを見たら何だか様子が違う。ゼンゼン別の名前に、変っていたのである。そう言えば思い当たることがある。

 高槻市内で最も古いこの高校。高槻城跡の真上に建っている。城主はキリシタン大名だったことで有名な高山右近である。数年前、少子化に伴う統廃合で、廃校となる予定だったのである。ところが「最も歴史ある学校を廃するとは何事か」と同窓会猛反対。結局、周辺にある新設校(といっても20年以上継続している)を合併吸収、ここが残ることになった、らしい。

 ただし学校名は変更。カリキュラムにも独自性を持たせ、まったく新しい高校としてリスタートした、というのが真相である。校門脇には「大阪府立○○高校跡」と、旧名を深く彫り込んだ石碑が建っている。歴史遺産じゃあるまいに。これも同窓会のサシガネかしらん。

 僕が通った当時、この学校のレベルは市内でもあまり高いほうではなかった。府内では推して知るべし。まったくのダメダメでもないがクレバーでもない。ノンビリしていたというか、ヒジョーに自由だったというか。いちおう制服はあったが、夏などはほとんど私服に近いような格好でOK。いい加減である。何だかノホホンとした学校で、僕は大いにティーンエイジを楽しんだのである。楽しみすぎてセンセイ方を困らせたことも、あったかな。

 あの自由でいい加減な校風は、今も生きているのだろうか。

’05/09/24 (土)

3年間の変化は


 先週から業務が立て込み、バタバタしているうちにお彼岸も終りに近づいてしまった。暑さ寒さも彼岸まで。確かに随分と過ごしやすくなった感じである。夜はフトンをもう一枚。愚猫たちも丸くなって寝ている。

 箱船は最もS/Nの良い時期を迎える。空調なしで音が聴けるようになるからである。こういう時にお客様があれば、クリアで静かな音が聴いてもらえるのに。

 と思っていたら来月、3年間ご無沙汰だった旧友が遊びに来てくれるという。なんという良いタイミング。忙中閑あり、仕事があってこそのオーディオであると同時に、オーディオあってこそ仕事にも活が入るというものである。

 3年間の変化は大きいような小さいような。基本的には何も変っていない。さて、彼がどんな評価を下すのか。

 大いに楽しみである。

’05/09/23 (金)

さらに上を


 オーディオ、殊にAD再生は、本当に不思議で面白いものだと、改めて思う。昨日の日誌に書いたSP-10MkIIAシステムである。約48時間、何もせずにホッタラカシておいただけで、すっかり音が変ってしまった。何故だかゼンゼンわからん。やはり、接触面の変化なのだろうか。

 音に雑味が減るのは良いが、腰高になるのは困ったものだと、当初は思ったわけである。ところが今日になって聴いてみたれば、随分と落ち着いている。締まりは出るものの浮ついたように鳴っていた低域に、力とソリッド感がついてきたのだった。これならイケる。ソフトの選び様によってはSP-10MkIIIシステムを上回ることもあり、これでこそADプレーヤーを2台置いた甲斐があるというものだ。

 両者の共通点は、意外に少ない。アームとヘッドシェルだけである。それ以外、キャビネット、モーター、TTプレート、スタビライザー、カートリッジ、リード線、信号ケーブル、ヘッドアンプ、フォノEQ、これらは全部別物だ。音が違う。そんなことは当たり前なのである。

 違うは違うなりにどちらもある程度のクオリティは確保したい。簡単なようで難しいことである。特に僕は無能で不器用だから、両者に同じだけの力を注ぐことができない。eminentの音が良い所為もあり、そっちばかりに偏っていたのだった。HELIKON、さらにはこのシステムを借りている友達に、申しわけなかったのである。

 TTプレートの交換で、かなりのクオリティアップが実現した。大いに喜ぶべきである。しかし、質感、艶、色気など、微妙な部分では追い込み切れない感じが残っている。どことなくドライで生硬い印象なのである。元々HELIKONには僅かにそういう部分がある、とはいえ、この程度で見切ったナドと、偉そうにしてはイケナイ。ポテンシャルはもっともっと高いはずだ。

 支配力を発揮し、さらに上を目指さねば遺憾。趣味だから。

’05/09/22 (木)

こちらもハードに


 左側に設置したADプレーヤーである。ふと思い立ってこういうことをやってみた。TTシートの交換である。

 JP-501からテクニカのAT-677へ。アルミ削り出しハードタイプTTプレートである。買ったのは20年くらい前だ。現在ではディスコンかしら。取説も当時のカタログも見つからず、定価がどれくらいだったか分からない。たぶん20,000円程度だったと、思うのだが。もっと安かったかな。

 見た目黄色っぽいのは、表面処理してあるからだ。テクニカ得意のテクニハード処理。表面をアルミナ化し、硬度強度を上げ酸化を防いでいるわけである。ヘッドシェルLHシリーズもそうなっている。実際立派なもので、20年経ってもほとんど劣化が見られない。中心に向かってわずかな傾斜がつけてあり、スタビライザーの併用で盤を密着させる狙い。

 当時は何もわからず使い切れなかった。以来、ずっとお蔵入り。ひっぱり出すのは何年ぶりか、たぶん箱船で使うのは初めてだと思う。

 そのまま置いたのでは面白くないから、ターンテーブルとの間に2mm厚fo.Qシートを挟んでみる。単体ではカンカン鳴くが、置いてしまえば問題なし。fo.Qの効果もあるのだろう。JP-501に比べて、音はどうなるか。

 カートリッジはHELIKONである。随分と明るい音になる印象。変化が最も顕著なのは低域だ。締りが良くなり明瞭度が上がる。が、ちょっと軽薄にも感じられる。何となくアルミの軽さが音に出てくるような。中高域も見通しが良くなり、非常にきれいな音だ。しかしやっぱり、どこかソリッド感に欠けるのは、低域の印象に同じ。情報量は多いし、S/Nは良いし、とても良い音なのだが力感が殺がれるのは残念である。

 尤も、以上のイムプレッションは、交換した直後のものだから、これですべてが決まったわけではないはずだ。例によって、接触面が落ち着いてからでないと本当のところはわからないのである。ので、しばらくはこの状態で使うことにして、今後の変化を見て行きたい。

 して、思いを至すのは、Y31さん謹製砲金TTプレートである。やはり、優秀です。

’05/09/21 (水)

ちょっとハズして


 このレコードは、たぶん稀少だと思う。「Chris Hinze / Flute and Mantras / recorded live at the Ellora caves, Aurangabad, India Vol.1」(蘭Keytone Records KYT-703)。(C)(P)1980。

 インドのエローラ石窟第10号窟で、フルートとマントラコーラスを録音したレコードである。ナグラIV-S使用。マイクについては記載がない。

 マントラとは「真言」のこと、ヒジョーに平たく言えばお経の一種である。それにメロディーがついているわけだから、日本なら「真言声明」に相当する。

 「Vol.1」というからには「Vol.2」があるわけだ。その通り。「Vol.2」はA級外セレ第3集244番に取り上げられている。曰く「実に豊かで深いエコーで、不思議な音場感がある。SN比、透明度はイマイチだが、エローラ石窟でのライブということもあり、1枚は持っていたいレコードだ」。

 ちゅうことは、「Vol.1」も優秀なのかしらん、と思うがさらに曰く。「Vol.1の方はL、Rが分かれすぎて、2chモノになっており、推奨できない」とある。なーんだ、ガッカリ。

 と、知っていて、$3で出ていたから買ってしまいました。表紙は右下が四角く切り抜いてあり、ジャケット内側の写真が素通しに見える仕掛けである。録音は良くなくても稀少盤には違いなく、しかもジャケットは変。これで350円なら損はない。ビンボー人根性丸出しである。

 こりゃ確かに2chモノだ。フルートは右、マントラは左、エコーはいずれも左だけに定位する。如何にも聴き心地が悪い。マイク間隔を広く取りすぎたのだろうか。曲は催眠ミュージックというかニューエイジというか。お香を焚きながら聴けば雰囲気万点。本堂のBGMに使うか。一昨日のタイトルとは違い、間違っても元気の出るものではないのである。なんとか「Vol.2」も手に入れたいものだが、見つかるかどうか。

 凡そ売れそうにないレコードだし、難しいだろうなァ。

’05/09/20 (火)

ポンポコ


 どっちがアタマでどっちがシッポだか、よくワカラン写真になってしまいました。今日の夕方5時ごろ、ウチの裏庭(つまり箱船の脇)にやってきた、タヌキ君である。夏の草刈で積んでおいた枯草山に、とんがった鼻先をつっこんでムフムフやっている最中の写真である。箱船階段室の窓から撮った。右が頭、左がシッポである。

 ムクムクとよく太って毛並みもきれいな固体である。まだ若そう。タヌキは最近めっきりご無沙汰だったし、明るいうちに姿を見せるのも珍しい。枯草山にはカブトムシの幼虫か何かがわいているのだろう、彼(彼女?)にとっては大ご馳走である。

 カミさんによると、昼過ぎから頻繁に出てきているという。恰好の餌場を見つけて味を占めたか、或いは若さゆえの無警戒さか。ムカシならタヌキ汁にされちゃうよ。

 しばらくムフムフやっていたが、すぐ近くの道を自転車が走った瞬間、ぱっと身を翻して側溝に逃げ込んだ。タヌキはマヌケだというが、走る姿にはしなやかさがあって、なかなか美しい。さすが野生動物である。イエネコ、イエイヌとはわけが違う。

 まだ近くいるケハイがする。今度はちゃんとご尊顔を撮りたいものである。

’05/09/19 (月)

前向きに


 16日から今日にかけて、ヒジョーに気が滅入る業務が続け様にあり、少々元気がない。凡そ僕のオツトメというもの、楽しくて仕方ないような内容は少ないわけで、それにしてもこの4日間には参ってしまった。悲しいことの連続は、誰だって好まないのである。

 こういう時には何か元気の出る音楽を聴かなくちゃならない。取りいだしましたるは上のレコードである。

 「ORLEANS / WALKING AND DREAMING」(日ワーナー P-10216Y)。1978年1月購入の古いレコードだから、番号はまったくアテにならない。原盤は米ELEKTRA / ASYRUM / NONESUCH RECORDSである。(C)(P)1976、得意の'70年代アメリカン・ロックだ。Amazonで検索したところ、輸入CDが一件だけヒットした。残念ながら現在在庫切れ。

 オーリアンズ。1972年結成、'70年代ウエストコースト・ロックの旗手である。どこまでも明るく開放的、一片の雲もなく澄み切った青空のような彼らの音楽は、購入以来27年経った今も、僕に元気を出させてくれるのである。ただ、ジャケットディザインが暑苦しいのは遺憾。

 今日もこれを聴いているうちに鬱々とした気分がだいぶんと晴れた。音楽とオーディオがあればこそ、僕はまた業務と前向きに取り組めるのである。

 悲しみは悲しみとしてあるがままに受け容れ、また前を向いて歩きましょう。

’05/09/18 (日)

買えるンです


 analog誌9号を読んだ。毎号楽しみに購読する、今や数少なくなったオーディオ誌の一つである。今号で僕が喜んだのは、炭山アキラ氏の記事が多かったこと。個人的にも親しくさせていただいている氏が、活躍の場を広げて行かれるのは、とてもうれしいのである。今後も大いにご期待申し上げております。

 氏が執筆された記事の一つ「スタビライザー15モデル聴き比べ」。非常に興味深く読んだ。その中に取り上げられている「BELLDREAM STB-310」というモデルを見て、少なからず驚いたのである。僕がムカシ買ったものとそっくり、というより、たぶん同じもの、だと思う。上の写真がそれである。

 買ったのは'97年頃か、或いはそれ以前。購入年月日を書いた外箱を捨ててしまったので判然としない。僕としたことが。秋葉原のとあるお店で、不確かな記憶によればデンオン(現デノン)のADプレーヤーのオプションパーツとして売っていた、ような気がする。ビクターのプレーヤーだったかな。違っていたらゴメンナサイ。

 純粋な単売品とは違い、当時はきちんとした型番も定価もなかった。外箱もタダのダンボールで味も素っ気もない。イワユル「無印良品」のような感じである。値段はいくらだったか、STB-310は21,000円、それよりは幾分安かったような。が、これも不確かである。

 ディザインがとても良く、しかも作りは非常に丁寧である。防錆塗装がしてあって、10年近く経った今もご覧のとおりピカピカに輝いている。何ら特別な扱いはしていないのに。レコードとの接触面には薄いモスグリーンの不織布が貼ってあり、これがまたモノとしての質感を高めているわけだ。重量310g、「STB-310」の型番は、ここからきたものだろう。手持ちスタビライザー11個中最軽量である。

 僕が驚いた理由。それは、今もこれが市場にあり購入可能だということ。今買わなきゃ次はない、みたいなAD周辺パーツが多い中にあって、既にこれは貴重なロングランモデルである。稀有の存在だと言えるだろう。

 箱船の乱暴オーディオ環境では、少々重量不足の感は否めない。炭山氏も書いていらっしゃるが、見た目通りの輝きが音に乗る感じ。だからと言って価値はいささかも変らない。スタビライザーによる音の変化、それはAD再生の妙味なのだから。出番の少ないスタビライザーだが、ディザインは良いしきれいだし、僕はヒジョーに気に入っている。

 記事を読んでいると、他のものも欲しくなるンだなあ。使いもしないクセに。

’05/09/17 (土)

45圧勝


 昨日載せたレコードのセンターレーベルである。「45rpm」の表示明らかなり。33回転盤のものとはディザイン、レイアウトとも随分と違うのである。これとカッティング幅を見るまでは、完全に疑ってかかっていたわけである。

 この盤、(P)こそ1981年だが、録音は1957年(48年前!)のものである。RRの中心人物キース・O・ジョンソン博士が当時最新鋭の3chデッキと3本のマイクで録音した、とある。本人さえ忘れ去っていたテープを掘り起こしてのカッティングである。

 レッド・ノーヴォのヴィブラフォン(鉄琴です)とギター、ベース、リードのカルテット。ジャズクラブでのライブ録音である。

 冒頭、客席のざわめき、コップや食器をカチャカチャさせる音から始まる。雰囲気抜群である。この音が、45回転盤ではヒジョーにリアルで鮮明、音場も広く深くなる。楽音を聴く前に、45回転のメリットがよくわかる。

 曲が始まるとさらに圧倒的。これはもう45回転盤の圧勝である。鮮度、切れ、透明感、生々しさ、パワー感、雰囲気、すべての点で33回転盤を大きく上回る。演奏の最中でも、客席のヒソヒソ話や食器の音、本来ならノイズであるはずの音が、楽音と見事に分離して邪魔にならない。むしろ雰囲気作りに大きな役割を果たしていると言える。

 楽器の定位も極めてナチュラル、ややオフ気味だがそれがまたイイ。僕はやや遠めの音が好きで、だからこそこのレコードのファンであるわけだ。こりゃあ良いレコードです。

 尤も、45回転だからといって必ずしもグッドとは限らない。中にはとんでもないカスもある。どちらかと言えばNGのほうが多いかもしれないのである。これは成功45回転盤だ。こうなってくるとRR-16 / 45が、ますます聴きたくなるわけである。

 しょーこりもなく、ハズレを覚悟で再度捜してみようかしらん。

’05/09/16 (金)

ホンモノでした


 米リファレンス・レコーディングスのタイトルには、同じ内容で45回転盤と33回転盤の両方がリリースされているものが幾つかある。初期プレスを45回転盤でリリースし、後になって33回転盤へ切り替える、というパターンらしい。カタログナンバーの比較的若いものに多く、確かではないが20番くらいまでに限られているようである。

 例えば、長岡先生が外盤A級セレクション第三集で紹介されているウォルトンのファサード(RR-16)がそれにあたる。掲載されているのは45回転盤、僕の手持ちは33回転盤である。この辺りのことについては、ちょっとしたインネンがあるわけで、こちらをお読みいただきたいのである。

 早い話がRR-16の45回転盤には、未だ巡り会えず。買うたびに外している。売っているほうもよくわかっとらんのではないかな。

 そういう経緯があり、だから今日紹介するレコードを見つけた時は、またまたアヤシいブツが出てるなあと、半信半疑だったのである。

 「Red Norvo QUINTET / THE FORWARD LOOK」(RR-8)の、45回転バージョンである。少なくともショップのカタログには「後期プレスは33回転だが、これは初期プレスの45回転盤である。稀少盤」とハッキリ謳ってあった。33回転盤は持っているけれど、これがホントに45回転盤なら、是非もなく欲しい。

 ちょっと待て。安心してはイケナイ。RR-16の時だってそうだったのだから。でありながら、届いたものはきちんと33回転盤だったのである。う〜む、ヒジョーにアヤシイ。しかし僕は異様に好奇心の強い馬鹿である。加えて元々僕はこのタイトルが大好きだ。結局見過ごすこと能わず。カートへ入れてしまうのであった。

 半ば、或いはそれ以上、諦めていたのである。どーせまた33回転盤だろう、と。実物が届き、ジャケットに貼ってある「45rpm」シールを見てなお信じられない。盤を出してみる。センターレーベルには「RR-8 / 45」の表示がある。オヲ、こりゃホンモノかと、33回転バージョンと盤面を比較してみれば。

 音溝のカッティング幅がゼンゼン違う。今回のもののほうが明らかに広いのである。ここまで確認してやっと信じられた。これは間違いなく45回転盤である、と。

 というわけで、無事本物ゲット。ヨカッタヨカッタ。ジャケットは多少なりとも古びているが盤の傷みは極少で、状態はとても良い。

 さて、33回転盤と、どれほどの違いがあるのだろうか。

’05/09/15 (木)

早くも終了


 晩ゴハンが終わって一息ついて、拙webページを開いてみて、びっくらコイた。2日前に「777,777まであと3,657アクセス」と書いたカウンターが、とっくにオーバーしている。778,000台の数字を見た時、俄かには意味がわからず、ぼんやり眺めてしまった。しばらくして「アレ? この数って、777,777超えてるじゃん」と気がつき、こらえらいこっちゃと、思ったわけである。

 すごい進み方だ普段は1日500程度なのにどーしちゃったのかなと、あれこれ思いをめぐらせているうち、僕はだんだん可笑しくなってきた。おそらく意図的に数字を進ませた人が、いるのだろう。ウチのカウンターは再読み込みすれば「1」とカウントするタイプである。PCに向かってブラウザの「再読み込みボタン」をカチカチクリックする人の姿を想像すると、何だかとても可笑しい(失礼!)。実は僕も、とあるwebサイトのプレゼント企画で、カチカチやったことがあります。

 ともあれ、プレゼント企画は終了したわけで、あとは当選者氏に賞品をお贈りするばかりである。写真の如く既に荷造りは完了し、何時でも発送できる状態だ。

 ところが、その連絡がまだ来ない。まちがいなく「777777」を引き当てた方がいらっしゃるのだろうから、是非ともご連絡いただきたいのである。即日発送致します。

 皆さん、ありがとうございました。

’05/09/14 (水)

走れ


 何故のトラ写真か。そりゃあもう決まっている。一昨年以来のヤキューネタ。某在阪プロ球団優勝マジックナンバー点灯記念である。とは言うものの、残り16試合のうちのマジック13だから、とても安全圏内とは思えない。C日だってこのまま黙ってはいないだろう。

 2003年は、最後でモタついたもののシーズン中頃から独走しての優勝だった。それに比べて昨年はさっぱりダメダメで、こんな調子じゃ次の優勝まではまた20年くらいかかってしまうンじゃなかろうか、生きているうちには見られんなあと、暗い気持ちにさせられたものであったが。

 今年はヒジョーにイイ。特に最近3試合は、大いに溜飲を下げたのである。3試合で47得点。こりゃスゲエ。こんなの初めて見るのである。ここまで得点すると、何だか勿体無くなってしまうのだった。緊迫した小得点差ゲームのために、少しは取っておいたらどうだろうかと。それができりゃあ苦労しないのである。

 来月の予定試合は4つしかない、ということは、今月中に結果が出る可能性が高いわけで、是非ともこのまま走り切って欲しいものである。

 最後の最後でコケないように。

’05/09/13 (水)

協賛大感謝


 777777アクセス記念プレゼントに、MYUタカサキさんがご協賛くださるとおっしゃる。なんともありがたくうれしく、また恐縮至極である。一エンドユーザーのクダラナイwebサイトに過ぎない「船長の戯言」如きに、貴重音源の復刻で名を馳せるMYUタカサキさんのバックアップを得られるなど、思いもしなかった。僥倖である。ほんとうにありがとうございます。

 僕のプレゼントに加えて、タカサキさん独自のプレゼントをご用意くださるわけである。して、その内容は。これがまた、なんともその。

 彼の貴重な「日本の自衛隊」180g復刻盤ADを、提供してくださるのである。超豪華プレゼント。分不相応である。内容が内容だけに、万人向けのソフトとは言えない。しかし、オーディオファンなら1枚は持っておいて絶対損はないと思う。何しろ「日本の自衛隊」、しかも180gADですからね。食わず嫌い(聴かず嫌い?)の人も、一度聴けばぶっ飛ぶこと間違いなし。ある意味、僕のwebサイトにふさわしいプレゼントとも言えるのである。

 現在のアクセス数774,120。あと3,657アクセス。かなり近くなってきました。

’05/09/12 (月)

足るを知れ


 8日に載せた「オルガン銀さん」未開封新盤。封を切って聴いてみた。厚意により贈っていただいてから既に4年2ヶ月と2日、死ぬほど聴いたレコードである。だからこそ細かな差がよくわかる。新盤は、やはり静かである。ヨカッタヨカッタ。

 もう一つうれしかったのは、綺麗なカラーカタログが入っていたこと。A4版(正確にはLTR版か)見開き4ページ、'81年頃のカタログである。なんてことのないモノだが、アナログ時代最後の栄光を見るようで、実にうれしい。

 上の写真はその最後のページである。今や入手極めて困難になってしまったD2D盤が、ズラッと揃っている。ネットを始める以前の僕がこれを見たなら、パブロフの犬よろしくヨダレを垂らしながら地団駄踏んだに違いない。探しはしていたが入手叶わず。1タイトルも持っていなかったからだ。

 それがこの4年で、RT-101「FOR DUKE」以外のタイトルはすべて手に入れることができたのである。ネットの恩恵である。

 しかしさらに歩を進めて考えてみれば、ネットの恩恵とは結局多くの人との縁であるとも言えるわけで。パソコンがネットにつながっている、ことは手段の始まりでしかない。正確には「ネットにより縁を持てた多くの人々による恩恵」と言うべきだろう。モノが手に入ることよりも、そういう縁を得られたことこそが、真の財産なのである。

 昨今、匿名性を逆手に取っての誹謗中傷罵詈雑言、騙し裏切り詐欺盗賊大流行である。それも一つの使い道、というがあまりにも悲しい。同じ道具なら、みんなが幸せになれるような使い方をするのが智慧ある人間の所作だと、坊主は考えるのである。

 エラそうなこと言ってはイケナイ。僕は恩恵を受けるばかりで、何らご恩返しができていないことに気がつき、ガクゼンとするのである。

 「足るを知る者は常に富む」。遺憾である。

’05/09/11 (日)

見事収穫


 先月21日に載せた2世スイカ。あの時点で成長が止まったと思ったらさに非ず。さらに大きくなりつづけ、長径35cmを超える立派な大玉スイカに大成長した。いよいよ収穫の時である。

 美味しいスイカの条件とは。その道のプロに聞いた。「まん丸よりもタテ長気味で、縞模様がくっきりとしていて、ヘタのつけ根が凹んでいる」スイカを選べば、ほぼ間違いないそうである。ナルホド。皆さんも来年の夏はご参考に。して、ウチの畑(というより花壇だが)で穫れたヤツは。

 条件にぴったりである。まさにその通りのスイカ。2世なのがウソみたいだ。だがしかし、切ってみるまでわからない。さらに言えば、食べてみるまでわからないのである。

 ドキドキしながら切ってみる。ご覧のとおりである。ヒジョーに良く熟れている。完全自作、完全無農薬、などと言っては聴こえが良すぎる。早い話がホッタラカシの野性に近いわけで、スイカ独特の匂いも強い。種が非常に少ないのは、どーゆーわけか。ともかく食べてみるのである。

 バカウマである。甘い甘い。ホントに勝手に生えた2世スイカなのかと。市販のものでもこれより劣るものはいくらもある。ガショガショ食べながら愚息1号が言う。「コレ、買ったら高いな」。ビンボー育ち丸出しである。ただ、市販品よりもアクが強いようで、少々後味が悪い。野性だからな。

 畑(花壇だって)に種をプププと飛ばし、その結果大玉スイカが3つも穫れる。それが美味いときた日にゃ、スイカ屋さんは商売上がったりである。こんなことも、あるンですねえ。

 調子に乗ってこのスイカから取れた種を、またぞろ花壇にプププと撒き散らしてみる。連作は遺憾というのは農作物の常識だから、場所をずらして。3世スイカ狙いである。

 ナンボなんでももうダメだろう。と言いながら、来年の夏が楽しみだ。

’05/09/10 (土)

逡巡の末


 これまでに幾度も逡巡し、そのたびに見送ってきたレコードを、やっと入手した。「QUEEN / A Day At The Races」(米MOBLE FIDELITY MFSL 1-256)である。

 逡巡した理由は、すでに音の良いバージョンを持っているから。と言えば格好良いわけだが、実はもっと情けない。高価だから。200g限定盤、しかも廃盤になって久しく入手困難なことから、プレミアがついているのである。開封中古盤でも$100を下らない。リリース直後、フツーのお店にあるうちに買っとけばよかったのに。

 だが、一時に比べると少し値が下がったようで、初めて見つけた時は開封中古盤が$150以上、シリアルの若い未開封盤になると$250程度の値がついていた。

 今回買ったのは、シリアルNo.1232未開封盤、つまり、まったくの新盤である。最も高騰していた頃から見れば、半額以下で入手できた。それでも高価ですな。

 オリジナルマスターテープからハーフスピードカッティング、高精度200gプレス、分厚い二重ジャケット入りと、MO-FI得意のこだわりレコードだ。ジャケットも盤も、極めて美しい。当然である。

 例によって「このジャンルとしては」の但し書き付きで、音は良い。以前に載せたEMIレーベル180g限定盤とイイ勝負である。ただ、傾向には違いがあって、EMI盤はしなやかさ重視、こちらはロックらしいエネルギー感重視、という印象である。高域の伸びと歪み感の少なさ、低域の厚みでEMI盤。中域の厚さ、低域の締まりと馬力でMO-FI盤。オーディオ的な分解能、解像度ではMO-FI盤有利か。それぞれに魅力がある。どちらが良いか、一概には言えないところだが、僕としては僅差でEMI盤にグンバイを上げたい。

 僕は異様に好奇心が強いので、こうしてガマンできずにMO-FI盤にまで手を出すのである。一般的にはぐんと安くで手に入るEMI限定盤がお勧め。捜せば今でも$30程度で買えるはずだ。

 これで胸のつかえが取れた。気分的にはコムプリートである。やれやれ。

’05/09/09 (金)

老眼


 T-300Aのホーン前面に貼るための植毛シートを切り抜くの図。再DHKで剥がれかけての貼り直しである。シートをリング状に切り抜くだけのことだが、これがなかなか骨が折れるのだった。

 元々強い近視がある上、十数年前に受けた眼の手術以来フォーカス調整機能が著しく悪化し、近くを見る時はメガネを外さねばならなかった。外しさえすれば問題なく見えていたのである。ところが最近、それでもなお近くが見難くなってきた。これは一体どーゆーことであるか。

 メガネを外し手元を見る。知らず対象を遠ざけ眼を細めている自分に気付く。このしぐさ、何のことはない。老眼である。40代も半ばにさしかかれば、こういうことになってくるわけである。

 近視を持つ人は、視力の良い人に比べ老眼症状が早く出る、というデータがあるとも聞く。老眼とは早い話が遠視の一種である。近視と遠視が合体すれば±0で視力復活する、などとまことしやかに言う人がいる。いい加減なことを言ってはイケナイ。大嘘である。遠くも見えず近くも見えず、如何にもヤヤコシイことに成り下がるのが真実である。

 切り抜けたシートを見ると、前回のものよりグワイが良くない。切り口がデコボコしている。う〜む、弱ったな。

 いよいよ以って、僕にもオーディオアシスタントが必要か。

’05/09/08 (木)

未開封新盤


 ヴァージンシールを引き裂き、ジャケットには凶悪な傷がついている。うっかりクギのようなものに引っかけたのだろう。幸いにして、ジャケットを突き破る寸前で止まっていて、肝心のレコード本体は、無事のようである。

 このレコードの正体。文字の一部が写っているから、既におわかりの方もいらっしゃるだろう。米M&K REALTIME、ご存知「The Power and The Glory Vol.2」(RT-113)である。

 ヴァージンシールはヨレヨレ、ジャケットには大きな傷。だがこの盤は、立派な未開封新盤なのである。僕にとっては初の快挙。同レーベル他タイトルでは過去に例があったが、RT-113、114のシリーズではこれが初めてである。

 先日、webショップで発見した。僕が利用するショップの中では最もブッキラボーでいい加減な店である。とは言っても通常、盤の状態、開封の有無など、最低限度のコメントは付いているのだが、このタイトルに関しては何も記述がない。ただ、値がいつもの相場よりも随分と高かった。こりゃ何かあるなと、深読みして注文したわけである。結果的には「読み勝ち」だ。

 僕は、開封モノだろうが多少傷があろうが、一向に構わない。聴きたいレコードが見つかれば、細かいことにはムトンチャク。イケイケドンドンである。だが、未開封新盤が手に入ればヤッパリ嬉しいわけで。特にこの盤は、僕にとって特別極まりないものである。ヴァージンシールの四辺をグルグル検分し、どこも切れていないことが分かった時は、スケベな顔でニタリとしてしまった。誰にも見せられまへんな。

 貴重な未開封モノ、このまま封を切らずにウヤウヤしく保存する。なんてこと、この僕がするわけない。そーゆー趣味は、持たないのである。一度も針が通ったことのないこの盤がどんなものか。おそらく大きな違いはないと思うが、確かめなければ気が済まないのである。

 ボカァ、ヤバンなサウンドマニアですから。

’05/09/07 (水)

記念プレゼント


 拙webページのアクセスカウンターをぼんやり見ていて気がついた。769,000件を超えて、もうすぐ770,000である。ちゅうことは、7の6並びが近いわけだ。777,777。

 これまでに7のゾロ目は、77、777、7,777、77,777の4回があった。その度に、僕は考えていたのである。この番号を踏まれた方に、ラッキーセブンで何かプレゼントしようかな、と。ハード、ソフト、アクセサリー、いろいろ考えたが、気の利いたプレゼントを選ぶことができず。結局思いとどまった。

 今回、777,777が近づいてきて、さあどうしようかと悩むのである。悩んでみても同じこと、やはり洒落たプレゼントなど思いつかない。やっぱりヤメようかと、思ったがしかし。

 つらつら惟んみるに、次の7ゾロ目は7,777,777である。当たり前だ。777,777までほぼ5年かかっているわけだから、そこまで行くには単純計算であと45年かかることになる。世の中どーなってるか分からない。てゆーか、死んでます。生きているうちに見ることができる7ゾロ目は、これが最後なのである。そうであれば1回くらい記念プレゼント企画してもバチは当らんだろうと、ここに思い至ったわけでゴザイマス。

 というわけで、777,777アクセス記念プレゼント大会を敢行いたします。大袈裟な。777,777カウントを踏まれた方は、カウンター画像(gifファイルです)をメールに添付してお送りください。メールはメニューフレームいちばん下、くずてつタマゴからお送りいただけます。写真のアナログレコードを、2タイトルセットでプレゼントいたします。

 一つは「la spagna / ATRIUM MUSICAE DE MADRID / GREGORIO PANIAGUA」(瑞BIS LP-163〜164 2枚組)。もう一つは「寒い冬を追い払うために / 中世の浮かれ騒ぎのための音楽の炉辺演奏 / JOHN SOTHCOTT / St.George's Canzona」(英CRD crd1019)。前者は開封新盤、後者は中古盤である。どちらも盤にはまったく問題なし。CRDのジャケットには、内側に少々シミがある。

 一生に一度の記念にしてはいささかショボいプレゼントだが、どうかご容赦願いたいのである。

 お便り、お待ちしています。

’05/09/06 (火)

トゥイ−ター遍歴


 現状、FE-208ES Ver.2のハイを補強するトゥイーターは、T-300A+JA-0506IIで落ち着いている。この組み合わせが変わることは、おそらくないだろうと、今は思っている。

 初めて自作したD-70以来、ホーントゥイーターとの付き合いはかれこれ20年近くになった。最初に使ったのはFT-66Hである。ドームに比較してもどかしさがなく、浸透力のあるサウンドに一発で魅せられたのだった。思えば66HはハイCP、価格のわりに音の良いホーントゥイーターであった。

 その後、クオリティアップを狙って買ったのがJA-0506IIである。1986年頃だったと思う。当時の定価27,000円/1本、買値は30%OFFくらいで、これまたハイCP。厚みと輝き、しなやかさが高次元でバランスした音に、大感激したのを覚えている。未だに使っているのだから、これはもうウルトラハイCPである。

 D-70からD-55へバトンタッチしてまもなく、T-500Aに浮気する。65,000円/1本は、僕にとっては非常に思い切った買い物である。音は極めてオーソドックス、一聴大人しく感じるものだった。0506IIのような強烈な自己主張はない。当初は何となく物足りない印象だったが、クセが少なくよりリアルな音色に、だんだんと惹かれていった。

 箱船が完成しネッシーIIにしてからも、T-500Aのままであった。後、スーパーネッシーになり、FE-208SS2発使いになってからはいささか悩みが深くなってしまった。T-500Aでは繋ぎ目に谷ができて上手く行かず、Cを大きくすると大音量で悲鳴を上げる。焼損寸前。危ないのである。と言って500Aより下の帯域まで使える0506IIにすると、今度は音色がまったく合わない。木に竹を接いだような音なのである。

 そこで選んだのがT-925A。500Aより下にレンジが広く、208SSとの相性も良い。調子に乗って925A×2発シリーズ、なんてえのもやってみたがこれは大失敗。却って音を悪くするだけだった。フルレンジが208SSの間は、925Aで落ち着いていた。

 FE-208ESに変更当初、安易に925Aのまま繋いでみてまたまたビックリ。まったく合わないのである。このトゥイーター、どちらかと言えば寒色系の音で、輝きや切れはあるものの、しなやかさや厚み、瑞々しい表現などは不得手だ。線が細いのである。208ESとの組み合わせでは、その辺りが目立ってしまうのだった。

 というわけで、JA-0506II復活。これはヒジョーに上手くつながった。音色もよく揃う。T-500Aも試したが、やはり苦しい。2年前、T-300Aを導入するまで、20年選手0506IIは、孤軍奮闘していたのである。

 こうしてふりかえってみるに、僕はやはりホーントゥイーターの音が好きなのである。さらに言えば、高能率フルレンジ+ホーントゥイーターという構成が、好きだ。優劣論ではない。個人的嗜好である。

 今後も変らないと思う。特に、JA-0506IIとは、死ぬまで一緒かな。

’05/09/05 (月)

YESのようで


 「STARCASTLE」(スターキャッスル)というグループをご存知だろうか。知る人は知る、知らん人はゼンゼン知らん。当たり前である。

 1976年に結成されたアメリカの、プログレロックバンドである。'76年、グループ名と同じ「Starcastle」でアルバムデビュー。写真は2ndアルバム「FOUNTAINS OF LIGHT」(邦題 『神秘の妖精』)である。'77年発表。これが日本でのデビュー作になる。このあと2枚のアルバムを発表したところで'78年頃解散した、と思っていたら、公式webサイトが存在していてびっくりした。今も活動があるのかどうかはわからない。

 '70年代後半の、プログレッシブロックブームと共に現れたグループである。先月載せた「TRILLION」などと同時期になるわけだ。当時彼らは「アメリカのYES」と呼ばれていた。音作りが(ファンの間では超有名な)YESにそっくりなのである。

 僕が初めて聴いたのは'77年、上のアルバムに収録されている「DIAMOND SONG(DEEP IS THE LIGHT)」という曲だった。イントロからモロに「YES」。ギターの旋律、ベースの音色、ボーカルのクセ、全体のメロディーライン、どれをとっても「YES」丸出し。ドラムが入ってきて初めて、YESではないことに気がつくくらいである。YESにはない粘っこさがある。

 YESのようでYESでない、ベンベン。それならホンモノを聴いたほうがヨイ、ということになるわけだ。確かにその通り。「ずっこけたYES」と酷評するムキもある。しかし、スターキャッスルにはそれなりの魅力があることも事実で。

 どの曲を聴いても底抜けたような明るさがあるのである。メロディーラインにはかかわらず。これというのは、アメリカの風土が関係しているとしか思えない。イギリス出身のYESにはまったく感じられないものだ。YESのようなサウンドメイクで明るくプログレを演奏する、などという奇特なグループは、スターキャッスルしかなかったのである。僕は、好きです。

 商業的にはまったく成功しなかったのであって、4枚のアルバムセールスはサッパリだった。4thアルバムではYES色がすっかり消え去り、ポップなアメリカン・ロックになっていると聞く。最初のままで押し切ったほうがよかったりして。

 手持ちはCDである。只今AD探索中。音は、言わずもがな。

’05/09/04 (日)

ラックと床


 ラックの新調計画から早くも1年経ってしまった。その後、山越木工房さんの強力なバックアップのもと、昨年11月に完成したラックは予想を遥かに越える素晴らしい出来ばえであった。新旧入れ替えから10ヶ月、接地面はすっかり落ち着き、根が生えたように動かない。こうなってこそ、ラック本来の能力を発揮し始めるのである。

 箱船の床は、200mm厚鉄筋コンクリートをエポキシ塗料で仕上げただけの、極めて単純明快頑丈な、しかし居住性は極めて悪いものである。本家方舟のコピーだ。エポキシ塗料は同系接着剤と同じで、2液混合性である。着色した主剤と、透明の硬化剤を混ぜるわけだ。

 硬度は一般的な1液性の塗料よりかなり高いと思う。乾燥する、のではなく硬化するのである。とは言っても、コンクリートのようにカチカチになるものでもないらしく、多少のコンプライアンスはある。重いものを永く置くと、僅かばかりの凹み痕が残る。

 誇張して考えれば、置いたものが床に沈み込み食いつくような形になるわけだ。これはデメリットなのかメリットなのか。

 オーディオ専用の部屋としては、たぶんメリットのほうが大きいと思う。ラックが落ち着いたのも、こういうことがあってのことだろう。他の機器についても同じことが言える。だから僕は、頻繁にレイアウト変更するのは避けたいのである。

 使い勝手が悪いのをガマンしてまで変更しないのは馬鹿げている。最初のレイアウト設計が肝心なのである。現状、不グワイがないかと言えば、そうでもないような気もする。

 しかし、もうしばらくは、このまま行くんだろうなあ。

’05/09/03 (土)

大ハズレ


 昨日の話題は、レコードが届くにはまだ時間がかかるだろうと踏んでのものだった。注文したのは先週の土曜日8月27日、今日でちょうど1週間である。早くて10日間、発送にちょっと手間取れば2週間は待つことになると思っていた。のだが、夕方業務から帰ってみたら、早くも届いていたのである。1週間で着いたのは、初めてじゃないかな。通販もこうなると国内海外たいして違わない。

 AD「WISHBONE FOUR」は、ご覧の通りである。ジャケットディザインは同一、しかし色目が随分と違う。僕の記憶によると、ADも水色だったと思うのだが。さらにゲイトフォールド(所謂ダブルジャケット)だったはず。おそらくこの盤は、再発盤だろう。この段階で、ちょっとイヤな予感がした。

 ジャケットがどうでも再発盤でも、要するに中身がちゃんとしていれば良いわけである。例によって埃は多いものの、盤そのものは健全である。傷も少なく静かな盤だった。

 そこまでは、よし。問題は音である。一番肝心なところがどーも遺憾。何だかかすれたような音だ。埃っぽいしレンジは狭いし、音が前に出てこない。ボーカルはCDに比べて随分と遠くで歌っているように聴こえる。厚みも切れも伸びもない。音が死んでいる。誇張して言えば、原盤をカセットテープに落とし、それからマスターを起しカッティングしたかと思わせるような凋落ぶりである。予感的中。この盤は大ハズレである。

 こういうのはよくあることで、驚くには値しない。ADだからと言って必ずしも音が良いとは限らないのである。条件次第だ。いい加減に作った再発ADなら、真面目に作られたCDに負けるのも当然の結果と言える。フォーマットだけが音を決めているわけではないのだから。ある時期、テキト〜な再発廉価盤がウジャウジャ出まくったことがあったと、今思い出した。今回のADはその類か。

 尤も、冷静に考えてみればこのタイトルを「音」で買う人はほとんどいないだろうし、ショップも僕のような変人向けではないわけで。安価でこういうレコードが手に入るのだから、喜びこそすれ文句は言えないのである。

 それを承知の上でも、この音はいささか悲しいものがある。次は注意して、ゲイトフォールドジャケットの初期盤を捜してみようかしらん。と言って、当るまで買い続けるのも、どうかと思う。

 違う趣味になっちゃいます。

’05/09/02 (金)

願い叶う


 先月、ご厚意により教えていただいたレコードショップで、またまた面白いタイトルを見つけた。「WISHBONE ASH / WISHBONE FOUR」である。ブリティッシュロックバンド、ウィッシュボーン・アッシュの4thアルバムだ。写真は手持ちのCDジャケットだが、LPも同じディザインである。

 1973年発表というから、32年前の、最早ヴィンテージロックと言ってよいタイトルである。懐かしいのはもちろん、僕がこれを欲しがる理由はもう一つある。ロックの中では突出して音が良いのダ。

 32年前の録音だからといって侮る莫れ。透明感が高く音に生気がある。切れも良い。埃っぽさや歪み感は極少、レンジは広くないにしても厚みがある。ボーカルは自然で、電気臭さがない。エコーやリバーブなど、各種エフェクターが使われているのは明らかだが、センスが良く厭味が少ない。この手のジャンルでは例外的なことである。

 ファンの間では有名なグループなので、中古レコードもさほど入手困難ではないと思う。他のタイトルは揃っているのに、どういうわけかこの「FOUR」だけが縁遠く、今に至ってしまった。

 どうやら無事手に入るようだ。WISHBONEだけに、願いが叶ったか。

’05/09/01 (木)

秋に向けて


 長かった(と思うのは親だけか)夏休みも終り、今日から9月である。日の暮れは目立って早くなり、午後4時を過ぎればすっかり夕方の風景である。秋の気配は日に日に強まって行くのだった。ああ、悲しいなあ。大好きな季節が、去ってゆく。

 だが、鬱々としているバヤイではないのである。今月来月再来月と、業務カンケイの行事目白押し、人数集約やら会場押さえやらお弁当手配やら足の準備やら、やるべきことは山のようにある。幹事役は秋の感傷にひたっているヒマなど、ないのである。

 そんなグワイだから、オーディオのほうはどうしてもオロソカになりがちである。お盆が終わればと、思っていたが世の中はそう甘くないらしい。尤も、業務あっての趣味であるわけだから、多忙なのはある意味喜ぶべきことなのかもしれない。

 オーディオも、やるべきことはたくさんあるのだが。