箱船航海日誌 2005年07月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/07/31 (日)

去り行くメディア


 久しぶりにD-C88を引っ張り出した。ちょっとした録音を頼まれたのである。対象は小規模なウインドオーケストラだったが、ロケーションが良くなかった。40畳ほどの会議室に、15人のメンバーがスシヅメ状態。要するに、練習場での録音なのである。ともかく音として残っていればOKということで、録るには録ったが出来は最悪だった。

 箱船でPBしてみるも、演奏はともかく録音としては全く褒められたものではない。悪条件を克服できるだけの技量など、僕は持ち合わせていないのである。それでも依頼者は納得してくれ、それがせめてもの救いだった。ヘタクソでごめんなさい。

 さて、このD-C88、購入は'94年11月だから、既に11年選手になるわけだ。当時のDATを取りまく環境と、今のそれは随分と異なってしまった感が強い。11年前は、パイオニアはもちろん、ソニー、テクニクス、ティアックなどからDATデッキが出ていた。生録ファンを狙ったポータブル、ウォークマンタイプもあった。

 それらは今、ほとんど消えてしまった。現況はどうかと思って調べてみたら、ソニーに据え置き型が1機種、ウォークマンタイプが2機種残っているだけである。パイオニアなんかとうの昔にやめてしまっているわけだ。なんという寂しい状況。若い人は、DATという名前さえ知らないんじゃないか。

 確かに使いづらいモノなのはよく分かる。IDを打ち込めばサーチ一発、といってもディスクメディアの速さには到底及ばない。音が良い、ことがアドバンテージになり得なくなって久しい現状を考えれば、あとに残るのは使いにくさだけである。そりゃフツーに考えて、売れませんわな。

 僕はフツーではないサウンドマニアである。音が良ければ使いにくくったってちっとも構わない。特にD-C88は、マイク入力でハイ・サンプリング録音可能な唯一のDATなのである。16BIT / 96kHzの威力は(上手く使えば)凄い。当時はこのディジタル信号を受けられるDACがほとんどなく、宝の持ち腐れの感もあった。DATが衰退した今になって、やっと真価を発揮できるようになったとも言えるのである。DP-85のDACで聴くハイ・サンプリング録音は、明らかにCDを上回っている。

 されどDATが息を吹き返すことは、絶対にないと思う。消え去るのみである。惜しいが仕方がない。流れには逆らえないのである。

 D-C88、大切にしないと遺憾。

’05/07/30 (土)

信頼関係


 今日の除草作業には、65人の方々のお手伝いあり。女性男性ちょうど半々くらいだった。女性には主に草ムシリ、男性には刈り払い機(或いは長柄鎌)で草刈をお願いする。広い境内(1,300坪=4,320uある)が、あっという間に驚くほど美しくなった。まさに、舐めたが如く。人海戦術恐るべし、である。一人でやったら無限に終わらないと思う。皆さん、朝早くから本当にお疲れ様でした。おかげさまで無事お盆を迎えることができます。ありがとうございました。

 お寺は、建物什物備品敷地その他諸々、すべて含めて檀家さんみんなの共有財産だという。住職は代表役員という法的な立場にはあっても、決して寺院を「所有」するものではない。皆を代表して維持管理運営するに過ぎないのである。「オイラは代表役員だからエラいのである」「寺はワシのモノである」なんてえのは、思い違いも甚だしい。尊大不遜になっては、絶対に遺憾のである。

 わが寺わが財産だと思っていただければこそ、暑い夏の日、多くの方がお手伝いに出てくださるわけである。不出来な住職としては、これに優る喜びはない。寺院から見れば、これは大いなる人的財産なのである。

 思えば寺檀関係とは不思議なものだ。契約書が存在するわけでもなく、なにかしらの縛りがあるわけでもない。寺と檀家を繋ぐもの、それは信頼関係のみである。それが崩れた時、双方にとって良くないことが、起るのである。

 僕はその信頼に、応えねばならぬ。

’05/07/29 (金)

お盆が、来る


 7月も終わりに近付いた。ワタクシの業務としては、そろそろレコードに浮かれているバヤイではなくなるのである。間もなくお盆が、やってくるのダ。

 準備はいろいろあるわけだが、まずは外周りを調えねばならぬ。要するに、除草作業である。初夏からヒマを見つけては写真のエンジン刈り払い機でチョコチョコやる。だが、一人ではとても追い付かない。雑草の生命力は半端ではないのである。

 そこで毎年この時期、檀家さんにお手伝いをお願いするのだった。今年は明日30日朝6時からの作業になる。何とも無理なお願いで心苦しく思うが、いつも60〜70人くらいの方々が集まってくださるのである。普段から見れば作業効率70倍以上。1時間半ほどで広い境内は舐めたように美しくなるのである。本当にありがたいことだと、思う。

 これが済み、8月に入れば気分はすっかりお盆である。施餓鬼に向けて荘厳準備開始。その後は、棚経に歩くことになる。暑い時期の行事だが、僕は決して嫌いではない。

 1年経つのは、早い。

’05/07/28 (木)

レコードの7月


 26日に書いた「NITE CITY」。何ともありがたいことに早速情報提供をいただいた。ありがとうございます。僕はとっても喜んでおります。

 さすが検索名人さんはいらっしゃるものである。検索の極意はキーワードと見付けたり。僕のようなヘボ検索ではヒットさせられないようなwebサイトを、捜し当てられるのである。マイリマシタ。

 教えていただいたwebサイトは、ヒジョーに面白い。今や入手難でどうにもならんようなレコードがザクザク出てくる。僕にとっては寶の山だ。買う買わないは別にして、捜しているだけで充分楽しめるのである。

 うわー、こんなのもあるー、と大喜びしたのは、上のレコードである。「TRILLION」(トリリオン)という。'78年ごろにデビューした、アメリカのロックグループである。このグループもまた短命で、たしか2枚だけリリースして終わったンじゃなかったかな。これはそのうちの1枚、デビュー作である。かなりマイナーだが、ボーカルのファーギィ・フレデリクセンは後にTOTOへ加入し、アルバム「ISOLATION」で歌っている。いきなり超メジャー。

 当時はプログレッシブ・ロックの仲間、とされていたけれど、僕の耳にはストレートで明るいアメリカンロックに聴こえる。メンバーやバンドについての詳しいことは何も知らない。だが、非常に僕好みのロックである。これも持っていないんだなあ。

 ムカシムカシあるところで、5歳年上の兄から聴かされ、一発でファンになった。でも、当時のビンボー中学生にはおいそれとレコードを買えるはずもなく。兄が持っているのだからいいやと、思っているうちにどこかへ消えてしまった。

 上手くすれば「NITE CITY」と一緒に入手できるかもしれない。嬉しいなあ。早速注文。イヤ待て。他をいろいろ捜してからでも遅くはない。懐かしく楽しいレコードが、どんどん出てきそうな気配である。

 今月は、レコードの月になってしまった。

’05/07/27 (水)

バチ当たり


 さて、「MACHINE HEAD」の音である。予想通り(というより当然と言うべきか)、大昔に買った国内盤よりは、ずっと良い。全体的に明瞭で、曇りが少ない。ローハイともレンジが広く、中高域の歪み感は少ない。特に低域は随分と力強くなっている。これならまずまずだと、思うがしかし、優秀録音かと言えばそうでもない。ロックの中ではかなり良いほうに入る、くらいのことである。

 曲によって差が大きいのも特徴の一つ。目玉トラックの「ハイウェイ・スター」(A-1)「スモーク・オン・ザ・ウォーター」(B-1)は、あまり良くない。最も良いのはB-2の「レイジー」である。これはなかなかイケる。すっきりと見通しがよく、ロックのわりに透明感がありトゲトゲしさが少ない。ローハイのバランスもよく取れている。全曲これくらいの音で録音して欲しかった。この点は、オリジナル録音の問題である。

 先日来、70年代ロック復刻盤を少々まとめて聴いてきたわけだが、総体的には以前の盤より良くなっている。そうでなければ困るのだが。特に異なるのは、低域の印象である。ぐんと分厚く、下まで伸びて(伸ばして?)いるのである。昔の国内盤ロックは、何を聴いても低域不足でカスカスしたものが多かったのだが、それからすれば大いなる改善と言える。

 ただし、レンジの上では拡がってはいても、質という点ではイマイチのタイトルもあった。量が増えたのは結構、しかしやたらとブカブカドンドンしていて締まりがさっぱり。こういうのはヒジョーに惜しい。

 ロック復刻盤、大いに結構。大歓迎である。しかし、もう一息、クオリティに留意してあれば、もっと大きな喜びを得られるのにと、ロックファン同時にサウンドマニアである僕は、考えてしまうのである。不可能なことではないはずだ。例えばClassic Recordsがリリースする復刻盤などは、非常に質の高いものが多い。やればできるのである。

 と、何も分かっちゃいねえエンドユーザーは、エンジニアさんたちのご苦労を慮ることもなく、好き勝手なことをほざくわけである。

 バチ当たりなことだ。

’05/07/26 (火)

お願い


 僕が最もロックに近かった時期、それは1976年から1978年までの3年間である。その頃、必ず、何があっても絶対にチェックしていた「渋谷陽一のヤングジョッキー」というNHK-FMの番組があった。

 確か、毎週日曜日の午後9時からの放送だったと思う。「こんばんは、ヤングジョッキーの渋谷陽一です」の第一声で始まり、すぐにその日の1曲目がかかる。聴き始めた頃は曲だけをエアチェック(死語である)していたが、そのうち彼のしゃべりも残しておきたくなって、番組まるごと全部を録るようになった。

 かなりの本数を録ったはずだが、ほとんどは散逸してしまった。最近、ヒョンなことからそのうちの1本を発見。1977年4月9日(アレ? この日って土曜日だな)放送分の録音である。メディアは安物のカセットテープ、当時小僧が使えるようなメディアはそれしかなかった。

 リクエスト特集と題された放送で、特にその年のニューバンド中心の紹介だった。その中の一つに、「NITE CITY」(ナイト・シティ)というグループがあった。

 「NITE CITY」。伝説的な天才ボーカリスト、ジム・モリソンを擁した「Doors」のキーボード奏者であるところの、レイ・マンザレクがリーダーとなって1977年に結成されたロックバンドである。

 上の画像は、そのデビューアルバムである。といってもこの1枚きりで終わったグループだから、デビューにしてラストアルバムになるわけだ。左から2人目がレイ・マンザレク。番組ではこのアルバムから「Love will make you mellow」という曲が選ばれていた。

 今や聴くことが少なくなった、非常に重く、骨太で男性的なロックである。曲名に相違して甘さはまったくない。どこまでもゴツくてふてぶてしいのである。ボカァとっても好きだなあ。

 ジャケット写真を掲げたり曲を紹介したり、恰もアルバムを持っているようなふうに書いているが、実は僕、持っていません。当時、何故かしら買わなかったのである。レコード屋さんで手に取った、ところまでは行ったと記憶する。ナンデ買い逃したかなー。自分でもさっぱりワカランのである。

 というわけで、このレコード(CDは出ていないモヨウ)をお持ちの方がいらっしゃれば、是非とも御連絡をいただきたいのである。お譲りいただきたく存じます。海外オークションでは見つかったが、ショップでは捜し切れなかった。

 おそらくは売れなかったレコードだろうから、難しいことは承知の上でございます。

’05/07/25 (月)

OK盤でした


 今回はさすがに無意味に終わるだろうと思われたレコパック。案に相違してまたもや救われる結果となった。と言っても傷は傷として、ご覧の通り消えるはずもない。だが、目に見えていた傷のほとんどが実は汚れ(レコード面の削りカス、或いはこすった物体のカスだったかも)であり、クリーニング後は面積が随分と小さくなったのである。

 当初は左端(外周方向)の傷から右端(内周方向)の傷まで、倍ほどの幅で連続して見えていたのである。こりゃヒドイと、思ったわけだ。ここまで小さくなるとは思わなかった。やってみるモンですなあ。

 小さくはなったものの、通常レベルで考えればまだまだ大きいとも言える。これ以上はどうしようもない。あとはこれが音に出るか出ないか、である。出ないワケはない。と、考えるのがフツーなのだが。

 アナログレコードとは実にフシギなもので、肉眼では見えないような微細極まりない傷が、「バッチン!」と大きな雑音を出すことがある。何事か起きんと肝を潰すわけである。場所のアタリをつけてルーペで調べれば、確かに小さくしかし致命的な深さの傷が見つかったりする。と思えば、大袈裟に目立つものでありながら、ウソのように音を出さない傷もある。上っ面を削いだだけで、針はその下をトレースしているのだろう。

 写真の傷は、後者タイプだったらしい。ノイズ皆無。プチとも音に出ない。針が真上を通る時、目と耳を凝らして今か今かと雑音を待ち構えたが、完全に肩すかし。何だかキツネにつままれたような気分である。ともかく、一安心。ショップへのクレームは不要になった。

 ただし、製造過程での扱いはかなりラフなようで、A面最内周には接着剤をなすりつけたような汚れがある。レコパックしてみたが、これにはまったく歯が立たない。A面最終曲「Never Before」が終わった直後から「バッツンバッツン」と酷いノイズを出すのだった。180g盤のクセに安いのは、こういうところを見込んでのことか。と、これは下衆の勘繰りである。このタイトルすべてに不グワイがあるわけでもないのだから。

 おしなべて観ずるに、こういうケースは米盤に多く、欧州盤には少ない。殊、日本盤になればほとんどないと思う。さらに言えば、クラシック系には少なく、ロック系に多い印象だ。きちんと統計をとったわけではないが、レコード購入歴30年で感じる傾向である。ナーンデかな。

 レコードに対する、考え方捉え方の違いかしらん。

’05/07/24 (日)

いささかのトラブル


 さあ聴くぞ、と、ジャケットからレコードの入った内袋を取り出した、瞬間、何だかイヤ〜な予感がした。昨日のレコードである。

 紙製にナイロンの内張りつきのその袋、ジャケットの中でカドがクシャクシャになっている。端っこがチョイと折れているのはよくあることだが、それとはいささか様子が違うのだった。

 入りにくいものをムリヤリ押し込んだようなふうである。手作業なのか機械がやったことなのか、それはわからない。いずれにしてもかなり雑な扱いである。なーんかオカシイなあと、思いながらレコード本体を出してみたれば。

 悪い予感というヤツは、概ね的中するのである。良いほうはハズれることが多いのに。A面はOKだった。問題なのはB面である。リードインエリアからB-1(スモーク・オン・ザ・ウォーターである)の中ほどにかけて3cm×2cmくらい、大きな擦り傷がついている。硬いもので強くこすったような傷。音溝は、かなりのダメージを受けているように見える。

 希望的観測でもって、汚れではないかとクリーナーでそっと拭いてみた。残念、間違いなく傷である。それでも諦めきれず、只今レコパック中。しかし今回ばかりはおそらく無意味だと思う。新盤でも、こういうことがあるのだなあ。

 ではどうするか。このショップでは、以前にもこういうこと(その時は傷ではなく、明らかなミスプレス盤だった)があった。ヘタクソな英文に現状写真を添えてその旨を伝えたところ、大変誠意ある対応をしてくれた。それは遺憾でしたと、完品を送ってくれたのである。

 レコパックで様子見し、それでもダメだったら相談してみようかと思ったり、これはこれで良いからもう1枚買おうかと思ったり。

 こういうことがあるから海外通販はイヤダという見方、リスクを上回るメリットがあるから積極的に利用するという見方。どちらを採るかは人それぞれだ。僕は、言うまでもなく後者である。不格好な直訳英文でも、意を尽せば相手も人、ちゃんとわかってくれる。むしろ、国内通販よりも誠意を感じることが多い。

 レコード全面が聴けないわけではなく、ましてや命に別状あるわけじゃなし。これくらい屁でもないと、鷹揚に構えたほうが精神衛生上ヨロシイのである。このレコード、$18だったし。

 ビンボ臭いオチでスミマセン。

’05/07/23 (土)

元祖ハードロック


 '70年代ロックの復刻盤ADがたくさん出ている。CLASSIC RECORDSのレッド・ツェッペリン復刻は既知の通り。L・ZをやるならD・Pはどうしたのかと、思っていたら、別のレーベルがちゃんとやっているわけである。

 「DEEP PURPLE / MACHINE HEAD」(米RHINO R1 75622)。180g盤である。「HQ」の表示があるところからすると、RTIの180g盤か。ジャケットも忠実に復刻されている。原盤は1972年の発表だから、33年も前になるわけだ。ロック小僧の定番「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」収録、曲名は知らなくてもメロディーは知っている、という人も多いはず。「湖上のケム〜リ〜、火の粉がパチパチ」って、誰かが歌ってましたねえ。

 D・Pのアルバムは、はっきり言って録音の良いものが少ない。'71年発表の「IN ROCK」なんかは悲惨である。それに比してこのアルバムは、かなり良い方、というより、たぶんD・Pの中では最も良い録音だと思う。

 マスタリングし直したCD復刻盤は聴いたことがある。なかなか良かった。ので、このADにも期待するわけだが、どうだろうか。実はまだ聴いていないのである。

 この他に、レイナード・スキナード(アメリカのサザンロックバンド)、イーグルス(御存知ホテル・カリフォルニア)などの180g復刻盤を聴いたけれど、どうもイマイチだった。必ずしも良いとは限らないのである。

 中学生時代に買った国内盤より良ければ、ヨシとすべきかしらん。

’05/07/22 (金)

翼は時空を超えて


 今月の日誌はポール・マッカートニーのレコードで始まった。そのご縁かどうか、こんなレコードに出会うことができた。CDなら珍しくもなく、わざわざ海外ショップで買う要はない。どこでも買える。これはADなのである。

 「WINGSPAN / Paul McCartney HITS AND HISTORY」(英EMI 7243 532850 1 2)。(P)(C)2001。WINGS時代の曲が40曲収録された、4枚組ベスト盤である。ヒット曲中心選曲の「HITS SIDE」2枚4面18曲、ポールさんの思い入れのある曲を選んだ「HISTORY SIDE」2枚4面22曲という構成になっている。

 全曲2001年にディジタル・リマスターされたとクレジットにある。盤は通常盤である。だが、やや硬めで目方もあるように感じる。新盤にしてはノイズが多い感じ。音は、まあまあのものもあればいささか苦しいものもある。おしなべて優秀とは言えない。そんなことは構わないのである。音に期待して買ったわけではないのだから。

 ポールさんのメッセージが付いていて、それに曰く「このレコードには私のお気に入りの曲がたくさん入っています。初めて聴く人、1970年代の曲に思い出を共有する人、そのどちらにもかかわらず、私の最良の時代を楽しんでくださることを、心から願います」とある。

 ジャケット内側、インナースリーブには'71年から'80年まで続いたWINGSの写真が、たくさん載せてある。中でも多いのは'75年〜76年頃のものである。アルバムで言えば「Venus And Mars」「At The Speed Of Sound」の頃だ。僕が最も好きなのもこの時期で、バンドとして最も脂の乗った時だったと思う。ポールさん自身もそう感じているのかな。3枚組ライブアルバムが発表されたのも、この頃だった。

 僕はまさに「1970年代の曲に思い出を共有する」うちの一人である。40曲、どの曲も懐かしく、さまざまなことを思い出しながら、聴くことができた。

 30年、過ぎ去ってみれば夢の如し。

’05/07/21 (木)

「指環」も読みたい


 1冊の書籍を紹介したい。「レコードはまっすぐに〜あるプロデューサーの回想」( ジョン・カルショー著 山崎浩太郎訳 学習研究社刊 ISBN4-05-402276-6)。原題は「PUTTING THE RECORD STRAIGHT」。内容は、オビにある通り。

 ジョン・カルショー。1924年生、1980年没。英DECCAレーベルで1950年代から60年代にかけて活躍した伝説的レコードプロデューサーである。なんと言っても史上初の「ニーベルングの指環」全曲スタジオ録音を成し遂げたプロデューサーとして圧倒的に有名である。クラシック音楽への暗さでは人後に落ちない僕でさえ、知っていたのだから。

 M85さんからの紹介で、僕はこの本を知った。それがなければ自発的に購読することは絶対になかったろうと思う。実は、薦められてなお、読むことに抵抗があったのである。なにしろ僕はクラシック方面に暗い。M85さんの造詣の深さに比べれば、月とスッポンどころの騒ぎではない差である。そんなガサツな輩が、このような本を読んで楽しめるのだろうか。

 「実に興味深く、楽しく読めますから」という言葉に背中を押され、ともかく読んでみることにした。今のところ、本編505ページ(未完である)のうち、最初の1/5ほどまでしか読み進んではいない。が、M85さんの薦めに間違いはなかった。ヒジョーに面白いのである。

 冒頭60ページほどは、著者がイギリス海軍航空隊(第二次世界大戦)に従軍した時の物語である。ここがまた、実にヨイ。音楽に何の関係もないとお思いでしょうが、その後に続く音楽物語のエピローグとしてきわめて高い効果をカモシ出している。

 除隊して後、著者はDECCAへ入社するわけだ。ここからが本題である。伝説的な指揮者、演奏家が次々に登場する。しかもそれらはすべて生々しいライヴ人物として描かれ語られるのである。既に読んだ100ページほどの中で最も面白かったのは、かのヴィルヘルム・フルトヴェングラーについてのエピソードである。

 ここに詳しくすることはエチケット違反になるから書かない。なるほど、名指揮者必ずしもレコーディング(或いは、音)のことを分かっているかと言えば、実はそうでもないという、今もありそうな話である。とだけ、言っておこう。

 他にも興味深いエピソードはたくさんある。残された400ページの中にも、まだまだいっぱいあるだろう。先を読むのが楽しみで楽しみで。

 僕でさえ楽しめてしまうのだから、リアルクラシックファンならさらに楽しめるはずだ。是非とも購読されることを、お薦めしたいのである。

 そしてみんなで「リング・リサウンディング」の復刊を求めましょう。

’05/07/20 (水)

いい加減に


 箱船の片隅から出てきた、ムカシのシステム写真である。'98年4月頃、webサイトを立ち上げる以前である。何だか雑然としているのは今も変わりはない。使い手が雑然とした人間なのだから仕方ないのである。主要機器にも大きな違いはなく、AD、プリ、パワー、それにプロジェクターは現在も同じである。スピーカーは全く同一。ユニット(当時は208SS、168SS)だけが替わっている。

 ただ、パワーアンプはP-700、B-2302に加え、トゥイータードライブにHMA-9500IIを使っていた。トライアンプ方式である。C-280VからP-700、B-2302へはバランス接続、そうすると280Vの「サブシステムアウト」にもう1系統アンバランス出力されるので、そこからHMA-9500IIへ繋いでいたわけだ。

 DVDプレーヤーはソニーの1号機DVD-S7000(現DVD-H1000)、CDプレーヤーはGT-CD1(同DP-85)、ヘッドアンプC-17はまだなかった。SWのローパスは6mHのコイルで。まさかC-AX10をローパスのみに使うことになるなど、考えもしなかった。

 この写真から7年経った今、箱船システムは進化したと、言えるのだろうか。さらに大掛かりになったことだけは確かである。それに見合っただけの向上があったのかどうか、そのつもりで手を下してきたのだから、多少なりとも進化していなければ遺憾のである。大丈夫なのだろうか。

 歳とともに、経験値が上がるとともに、再生音への考え方や好みは変わって行くようでもある。この頃は、ひたすらにハードでシャープでダイナミック、ハイスピード再生のみを追い求めていたわけだが、近頃はそれに加えて歪み感の少なさ、質感、気配といったムツカシイものまで再現しようとする。歳取って枯れ行くのではなく、だんだん欲深くなっているのだから救われない。これじゃまるで欲張りジジイである。

 尤も、欲(スケベゴコロとも言う)を失えば、この趣味もそれまでなのかもしれない。常に現状より上を求める心があればこそ、楽しめるのである。オーディオに双六のような「あがり」はないのだ。今際のキワになってなお、「もっと良い音を!」なんて言えたら、それは趣味人の本懐である。

 さりとて人生のすべてをオーディオに捧げ尽くすほどの覚悟は、僕にはまったく、ナイ。たくさんある大切なもののうちの、一つである。あれもある、これもある、いっぱいあってヨカッタヨカッタ。これくらいのほうが健康的だと、僕は思う。7年間、空振りし続けだったとしても、ちっとも構わないのである。

 いい加減にしておくのが、ヨロシイ。

’05/07/19 (火)

センスあり


 再起動成ったドラムセットに、早速のお客様あり。大江山を越えたところにある町に住む友人の、カワイイ御令嬢である。高校1年生。Janne Da Arc(J-Rockバンドです)ファンの彼女、聴いているうちにドラムに興味を持ったという。ただし、セットの現物を見るのも触るのも初めてである。

 最も初歩的な8ビートを教えると、最初はマゴついていたがすぐに馴染み、帰る頃には一応のビート感が出せるようになってきた。ふむ、センスはありそうだ。あとは、投げず腐らず諦めず、あまり面白いとは言えない基礎練習にどこまで耐えられるか。成るか成らぬかはそこにかかっている。

 お父上も趣味でフルートなどを演奏される、音楽家である。理解度は非常に高い。仲間と音楽を作ってゆく楽しさを、よく知っていらっしゃるわけだ。問題はドラムの音のデカさである。軽く叩いても日常にあり得ないような大音量が出てしまうのである。家族、御近所への影響は大きい。でも、彼女はセットが欲しいみたい。そりゃあそうだろうなあ。

 あまりのめり込まないよう、勉強もドラムも、両方がんばってください。自分にできなかったことをやれと、おっさんは身勝手な物言いをするわけです。

 また、おいで。

’05/07/18 (月)

再構築


 愚息1号は、休みの日になると楽しそうにドラムを叩いている。御近所様、お客様に迷惑がかからぬよう、時間帯を限定してある。上手下手にかかわらず、ドラムの生音はデカい。特に初心者は、加減もわからず力任せにドカスカ叩くだけだから、ほとんど騒音でしかないのである。最初はみんなそうなわけだが。

 あんまり楽しそうだから、僕も永らく眠らせてあったドラムセットを再構築することにした。実際には叩くヒマなどほとんどないのだが、ばらばらでうっちゃっとくのも勿体無い話である。きちんとセットすれば、目の保養にもなるし。ドラムセットは、見ているだけでも楽しいのダ。

 愚息のセットに比べ、随分と大袈裟である。シンバル、タイコともやたらと数が多い。まともに叩けもしないクセに。大掛かりなセットは組むのにも時間がかかる。と同時に、叩き易さと見た目の良さを両立させようとするものだから、ナカナカに労力が要るのである。

 バスドラムを動かせばタムの位置関係に影響し、タムを動かせばスネアの位置も変更になり、スネアが動けばハイハットとの位置関係が狂う。これでは堂々巡りになってしまうから、まずは椅子の位置を決め、バスドラムを置き、スネアの位置決めをする。すべてはここからである。何となくオーディオのセッティングに似ている。

 今日は途中で完全に息切れ、シンバルのセッティングまでは行けなかった。アシストしてくれた愚息2人は「最後までやったら?」とヒジョーに元気である。中年おやぢはこらえ性がありません。

 25年前のセットである。ギターならオールドギター、ヴィンテージギターだ。悲しいかな、ドラムにはそういうジャンルがない。タダの、古びたドラムである。

 これがホントの、太古セット。

’05/07/17 (日)

大丈夫でした


 友達とヨタ話をしていて、たまさかこのレコードの話題になった。「Virgil Fox / The FOX TOUCH Vol.1」(米 CRYSTAL CLEAR CCS-7001)。D2Dである。(C)(P)1977。A級外セレ第2集125番に掲載されている。

 百戦錬磨のオーディオマニアであるこの友達、なぜかこのレコードは持っていないという。よく分かった人だから、僕のようにA級盤だからといってがっついたりはしないのである。それに海外中古ショップではさほど珍しくはなく、比較的安価で容易に入手できるものでもあるわけで、何時でも買えると鷹揚に構えていらっしゃるのである。

 非常に優秀な録音である。先生評にあるほどソフトタッチでもないと、僕の耳には聴こえる。明るく翳りがなく、歪みの少ない中高域、押し出しの良い低域、力と空気感のある超低域、僕がオルガン録音に求める条件が揃っている。教会設置オルガンにしてはエコーが控えめで、天空から音が降り注ぐような感じが少ないのは、ちょっと残念。その分鮮明ではある。

 「それってイイ?」と訊ねられ「イイですよ。僕は大好きです」と、上に書いたようなことを言った。が、ちょっと待て。最近あまり聴いてないな。無責任なことを、言ってはイケナイ。慌てて聴き直したのである。

 ヨカッタ。間違いなかった。D2Dのメリットが充分に発揮された良いレコードである。B-1、バッハの「トッカータとフーガ」(ちゃらり〜、鼻からぎゅーにゅー)も良いが、B-2のヨンゲン「協奏的交響曲〜トッカータ」がヒジョーにヨイ。展開が速く豪華絢爛、息つく間も与えず一気に聴かせてしまうパワーは凄い。是非買ってください。

 「Vol.1」なのだから、続きがあると見るのがフツーである。御安心召されよ、ちゃんと「Vol.2」(CCS-7002)もある。録音日時はどちらも1977年8月28日〜31日、もちろん場所も同じである。2枚に分けてカッティングされているわけだ。D2Dは長時間収録に不向きなのである。ジャケットディザインは同一、「Vol.2」は背景色だけが緑色になっている。こちらも優秀盤。

 クリスタル・クリアのD2D、成功例はこの2枚だけかも、しれない。

’05/07/16 (土)

明日は明日の


 MJ誌8月号を読んでいたら、読者投稿のページに「レコパックの主成分である酢酸ビニルエマルジョンはレコードに良くない」という意見が載っていた。詳しい記述はなかったが、ビニールに何か悪さをするのだろうか。僕には知識がなく、よくわからないのである。

 使い始めから数えると、もう20年になる。ちょっとコツ(ケチらず厚めに、乾燥固化は充分に)が要るものの、汚れの酷いレコードには極めて大きな威力を発揮するのである。しばしば中古盤を買う僕にとっては、ヒジョーに心強い味方だ。手離せない。

 20年前にパックしたレコードは、今もきれいなまま何らグワイの悪いところなく聴くことができる。盤面に妙なものがセキシュツすることもない。盤への悪影響は皆無、とまでは言えずとも、極少だと感じている。更に年数が経ってのことは、現状わからない。当たり前である。たぶんその頃僕は、あの世行き。

 だから僕は、今後もどんどん使いまくるのである。盤面に液をたらして布で拭くタイプのクリーナーは、どうも気色悪くて使う気になれない。どんなに柔らかなクロスを使っても、硬質微粒子の埃(これが存外に多い)を巻き込んでしまうことは避けられないのである。圧をかけずそっと包みこんで剥し取る方式のほうが、僕には合っている。

 問題は、すでにディスコンであること。入手不可能。数年前、終了間際に駆け込みまとめ買いをしたものがなくなれば、それでオワリである。あと15本あるけれど、どこまで持つかいささか心配ではある。

 だからと言って使い渋るのもバカバカしい話である。今ここにクリーニングが必要なレコードが、あるというのに。先のことを気にしても仕方がない。バンバン使いましょ。

 明日は明日の風が吹く、と。

’05/07/15 (金)

アマチュアリズム


 写真に撮ってしまうと、迫力半減するのが惜しいのである。ご覧の通り、ピーマン(正しくはパプリカだそうだ)である。何が迫力なのかといえば、それはコイツの大きさである。

 赤ちゃんの頭くらいある。巨大である。僕は今までこんなにデカいパプリカを見たことありません。なにしろ実の重さで樹(ってゆーのかな)が倒れるほどなのである。そりゃそうだ、こんなものにヒシメキ合って生られたのでは、本体もタイヘンだ。しかも瑞々しくツヤツヤしていて、如何にも美味しそう。

 度を越えて大きなものは一般的に大味で美味くないとされるが、そんな定説は鎧袖一触。めちゃくちゃにウマイ。恐ろしく肉厚で香りが良く、ヒジョーに甘い。ベエコンと一緒に炒めて食べたら最高だった。市販品では絶対に味わえない、本当の野菜の味。

 土壌にこだわり、水に配慮し、完全無農薬。化学肥料を一切排し、有機肥料のみで育てた自作野菜である。もちろんプロの仕業ではなく、純然たるアマチュアの作だ。職業農家がこんなことをやっていたのでは、採算がとれずに赤字必至。アマチュアだからこそできるスーパーヴェジタブルである。

 この他、60平米ほどの畑に希少品種の落花生、セロリ、ズッキーニ、サツマイモ、ジャガイモ、カボチャ、キュウリ、プリンスメロン、オクラ、ナス、トウモロコシ、ニンジン、トマト、ネギ、中国菜(品種名忘れた)、サラダ菜などを作付けするこの方。個人的な楽しみとしてやっているとおっしゃるが、手間のかけようはタダゴトではない。うーん、凄いなあ。

 手間を惜しまず時間をかけて大切に育てた野菜は、どれも出来が良く素晴らしく美味しい。僕もいくつか御相伴に与った。市販品との差が大きすぎるのは、困ったことではあるのだが。

 オーディオも同じことかと、思う。良い音を聴こうとすれば、一朝一夕には叶わない。今日始めて明日良い音が出ることなど、あり得ないのである。半年後、1年後、ひょっとしたら5年くらい後になって、今やっていることが実るかもしれない。また、だからこそ趣味たり得るのである。

 偉大なり、アマチュアリズム。

’05/07/14 (木)

お買い得


 ADの話題が続くことをお許し願いたいのである。

 今日紹介するのは「レスピーギ/ローマの祭、ローマの松/マゼール指揮、クリーブランドSO」(米MOBILE FIDELITY SOUND LAB MFSL 1-507)である。これは昨年6月29日にも載せている。ただし、その時はUHQR盤(以下U盤)だった。今回はレギュラー盤。といってもDECCAオリジナルマスターからハーフスピードカッティング、スーパービニール仕様、MO-FIのこだわりレコードであることに変わりはない。

 既にU盤を持っているンだから、もう要らんではないか。御尤も。しかしそれはフツーのヒトが言うこと。オーディオに関して僕はフツーではないのである。U盤があんな音なら、元盤はどんなふうなのか。そう考えるといても立ってもいられなくなるわけであります。

 実は昨年、U盤を入手した直後に、1枚買っている。それなれば尚のこと要らん。何が悲しくて2枚目を。ただでさえ数少ないレコードを独占しては遺憾ではないか。これまた御尤も。

 異様に安かったのである。前回のものの半値以下。1/3に近い。こうなるとビンボー人根性丸出しである。条件反射的に「Buy now」ボタンを押してしまうのだった。パブロフの犬並みだ。どーもスミマセン。

 安いにはそれなりの理由があるわけだ。まず、この盤はカットアウト盤である。加えてかなり聴き込まれた中古品、ジャケットの傷みは激しく、盤面には大きな傷があり完全な再生は保証の限りに非ず。と、これはショップの注意書きである。いわゆる、プア盤だ。

 届いた実物を見ると、確かに傷んではいるけれど思ったほどではない。注意書きなしで、もっと酷いものもある。問題ナシ。肝心なのは盤質である。再生不能かもしれないという傷。見た目には相当目立つものではある。だがしかし。

 レコパックでクリーニングしたら、ほとんど消えてしまったのである。表面的に目立つだけで、音溝にダメージを与えるような深い傷ではなかったという、ラッキーなお話。実際、再生に何ら問題はなく、音にも全く出ない。こりゃあ得しちゃったなあ。

 U盤は、切れと厚みが高次元で両立するウルトラアナログサウンドである。ではこのレギュラー盤はすべての点で劣っているのかというと、そうでもないからオーディオは面白いのである。低域の締まりでやや劣る印象はあるものの、ハードでシャープな切れ込みでは、U盤を上回る部分もある。凄く良い音。リスナー、システムによっては、こちらの方に分があるという判断があってもよいと思う。

 結論。やっぱり両方聴けるほうが、シアワセだ。

’05/07/13 (水)

D2Dの難しさ


 米TELARCはその昔、D2D(Direct-To-Disc)レコードで身を起したことを知る人は、今や少なくなってしまったのではないか。僕も知らずにいて、何年か前に博識の友達から教えてもらったのだった。そうだったのか、手に入るならその時代のレコードを是非聴いてみたいものだと、思ったけれど入手困難である。

 最初に入手できたのは、マイケル・マレイのオルガン(5036 DD-2)だった。運良く未開封新品、のわりに安かったことを覚えている。どうしたことか音はD2Dらしからぬもので、悪くはないがギョッともしない、フツーの音だった。拍子抜け。テラークはオルガンが不得手なのかしらん。オーケストラも聴かねば遺憾、と。

 今回手に入ったのは、そのオケモノである。「DIRECT FROM CLEVELAND / LORIN MAAZEL / THE CLEVELAND ORCHESTRA」(5020 DD-1)。(P)(C)1977は、オルガンと同時期録音である。ファリャ、ビゼー、チャイコフスキー、ベルリオーズらの小作品5曲収録。

 純然たる中古盤である。ジャケットはかなり擦り切れている。盤質はまずまず。だが、汚れは酷く、細かな黒い粉末のようなものがたくさん付いていた。もちろんレコパックで除去するのである。ありゃ一体何だろう。

 オケD2Dの名作と言えば、シェフィールドである。特にラインスドルフのロミオとジュリエット(LAB-8)は優秀である。ややデッド気味ながらも厚みと鮮度が凄い。上記のレコードにも、そういう音を期待したわけだが。

 イマイチである。かなりデッドでドライな音だ。艶、色気などは不足気味。厚みはそれなりに出るものの、立ち上がりがもう一息。グランカッサは真綿で包んだ上からぶっ叩くようなもどかしさがある。後のテラークのような抜けの良さがない。中低域に比較すると高域は一応の抜けを見せるが、これではローハイのバランスが悪い感じだ。どちらかと言えば失敗D2Dか。

 テラークのD2Dタイトルが、全部でいくつあるのか僕は知らない。たぶん成功録音もあるのだろう。だが、結果的に後のテラークは御存知のとおり、D2Dを止めてサウンドストリーム社のディジタルレコーダーを使った録音で成功をおさめるわけである。

 1970年代後半、ディスクウォッシャー、ラビリンスレコーズ、トレンド、グレートアメリカングラモフォン、センチュリーレコーズ、クリスタルクリア、M&K、シェフィールドラボなどなど、多くのレーベルがD2Dレコードをリリースしていた。最後まで生き残ったのは、シェフィールド1社だけ。

 D2Dで成果を挙げ続けるのは、それほどに難しいことなのだろう。

’05/07/12 (火)


 梅雨未だ明けず、毎日シトシト雨が降る。先月のカラカラ天気がウソのようである。しかし季節は確実に夏へ向かっている。一昨日あたりから、ニイニイゼミが鳴き始めた。やや遅めの登場だが、異常というほどではない。

 それに合わせて、でもないのだろう、海外ショップから上のレコードが届いた。「Chaitanya Hari Deuter / CICADA」(独 KUCKUCK 056)である。(P)(C)1982。

 「CICADA」は正に「蝉」である。昔、オランダへ行った時、時期が夏だったのに蝉の声がまったく聞こえないから「ここには蝉がいないの?」と訊ねたら「蝉ってナニ?」と逆に切り返されて困ったことがある。「CICADA」という名詞そのものが通じないのである。つまり、オランダには蝉がいないのだ。ドイツにはいるのかな。

 そんなことはどーでもよろしい。

 このレコードは、外盤A級セレクション第3集245番に取り上げられている。永い間探し続け、やっと手に入った。KUCKUCKというレーベルそのものを捜すのも困難で、大体が今も存続しているのかどうか、怪しいのである。

 長岡先生の解説には「チャイタンヤ・ハリ・ドイターという名前からするとインド系のドイツ人か」とあるが、どうもそうではないらしい。同じKUCKUCKから出ている「CELEBRATION」(KUCKUCK 040)では「Georg Deuter」の名がクレジットされている。こちらが本名だろう。

 インドの宗教家(思想家?)、バグワン・シュリ・ラジニーシ師(1931〜1990)に傾倒し、授与された名が「Chaitanya Hari」である。「CELEBRATION」には「バグワン・シュリ・ラジニーシに捧ぐ」という言葉が見えるし、ライナー・ノーツには師の大きな写真がどーんと載っている。

 「CICADA」にもそういった世界観の影響が強く感じられる。見方によっては独善的とも言えるわけだが、難解ではなくとっつきにくい音楽でもない。敢えてジャンル分けすれば、ニューエイジミュージックの仲間になるのだろう。

 非常に清清しい曲と音である。歪みが少なく見通しが良い。先生評としては「透明度、Dレンジイマイチ」となっている。Dレンジは確かにイマイチ、透明度は低くないと感じた。どことなくピエール・エステヴの「竹」や、喜多郎に通ずるところもある。超優秀盤とは言い難いが、不思議な魅力を持ったレコードだ。一度聴いたら何度も聴きたくなる。ウインダム・ヒルはちっとも面白くなかったが、こういうニューエイジなら僕は好きだなあ。

 KUCKUCKからはもう1枚「Silence is The Anwser」(同 050)というレコードが出ている。如何にもそれふうのタイトルである。

 これも捜してみようかしらん。

’05/07/11 (月)

捜索の成果


 海外レコードショップを捜索(!)していて、ちょっと面白いレコードを見つけた。レーベルは米Sheffield、タイトルは「James Newton Howard & Friends」と、たいして珍しくもない。何が面白いのか。

 ジャケットは真っ白、「SPECIAL C.E.S. PREVIEW EDITION」と銘打ったシールが貼ってある。さらに「Get this record from SHEFFIELD LAB in East Hall Annex Demo Room D-28. Available to dealers April 13.」とある。タイトルも「〜 & Friends」ではなく「〜 Quintet」になっていて、要するにC.E.S.(コンシューマー・エレクトロニクス・ショウ)でのデモバージョンなのだろう。センターレーベル表記もご覧の通りである。こんなレコードがあったなんて、僕はゼンゼン知りませんでした。

 内容は正規盤にまったく同一。曲目、曲数、テイクに変わりはない。では、違うのは看板だけか。それがそうでもないから面白いのである。

 僕はこのタイトルをバカみたいに(今回のも含めて)5枚も持っている。'88年モノ、'91年再発モノ、'92年再発180gモノ×2、それに今回のプレヴューバージョン、の5枚である。

 初聴き一発で大いに感激し、スペアにもう1枚、と買った'91年再発モノは何故だかダメダメでガッカリした。'92年にHQ180g盤が出て、これにも飛びついたが'88年モノには勝てない。何かしら音に冴えがないのである。中高域はイガイガし、低域には力がない。一説にはスタンパーがヘタったとか、プレスがマズいとか聞くけれど、真偽のほどは定かでない。

 結局最初に買った'88年モノが最良で、これを凌ぐヤツを手に入れるのは困難かと、思っていたわけだ。そこへ今回のプレヴューバージョンである。

 これは音が良い。'88年モノを上回る音の冴え、切れ、力強さがある。後期盤にありがちな埃っぽさは皆無、極めて見通しのよい音だ。多少なりとも良い音が聴けるかという期待は、裏切られなかった。ヨカッタヨカッタ。

 正式発表前ということでロットが若く、スタンパーが元気なうちのプレスだろう、と、これはシロウトの勝手な想像。盤はやや重く硬く、これも少なからず音に影響を与えているはずだ。理由はともかく、良いものが手に入ったことを素直に喜びたい。

 ショップ巡りは、楽しいのである。

’05/07/10 (日)

DVDトリロジー


 「スターウォーズ エピソードIII / シスの復讐」が大好評上映中である。そりゃあそうだろう、27年に渡る遠大壮大な6部作が完結するのだから、これを観ないでは済まない。僕も観たいところだが、劇場はニガテなのでDVDを待つのである。

 それまでの間持たせ、というわけでもなく、前3部作のDVDBOXセットを買った。何となく入った近所のCDショップにあったものだ。特典ディスク1枚がついた4枚組である。「初DVD化!」とあるが、そうだったのか。知らなかった。何故に今まで出なかったのだろう。

 実は僕、LDでもトリロジーBOXセット持ってます。ダースベエダーさんがどーんと大写しでディザインされた豪華な箱の、アレである。お持ちの方も、いらっしゃるでしょう。

 '98年1月に買っている。思えば何とも微妙な時期である。DVDがスタートして1年ほど経った頃だ。LDの最期っ屁というか、ひょっとしたらDVDの前途を疑っていたのかもしれない。まったくの見当違いである。或いは「将来希少品としてネウチが出るカモ」なんてヨコシマな考えもあったかな。プレミアがついているという話は、聞かないのである。

 今、久しぶりに開けてみたら、ほとんど新品状態である。まったくと言っていいほど観ていないに違いないのだった。何のために買ったんだか。

 このDVDトリロジーセットはディジタル修復、ディジタルリマスターされているというから、ともかく観てみようと思う。若い(と言うより、青い)ハリソン・フォードを見るのも一興。

 そう言えば「長岡鉄男のスーパーAV」の表紙は、「ジェダイの復讐」のワンシーンだったな。

’05/07/09 (土)

同じ轍を踏むか


 こーゆーことに、なってしまうわけである。ついに愚息1号はシンボウたまらんかったらしく、ネット上で格安ドラムセット(もちろん新品である)を探し当て、自分の部屋に置いてしまったのである。オノレの甲斐性で買ったのだから、まあヨイ。セッティングしたのは僕だケド。

 さすがに国産ではないものの、かなりしっかりした作りの4点セット(バスドラム+2タム+1フロアタム)である。それにスネア、ハイハット、シンバル2枚、スタンド類オールインワンでローコストCDプレーヤー1台分に満たない。おっそろしく安いと言える。僕もチョイと叩いてみたが、安かろう悪かろうではないところが凄い。30年前とは雲泥の差、月とスッポンである。良い時代になったものだ。

 今後のテンカイはどーなるのだろうか。バンドのメンバーは既に揃っているという。秋の文化祭まであと3ヶ月ほど、間に合うのかなあ。

 と、そんなことを僕が心配する必要はまったくない。大きなお世話だ。コケようがどうしようが彼らの好きにすればよいのである。それが楽しいンだからね。

 願わくは、オヤジと同じ轍を踏まぬことを。

’05/07/08 (金)

突然聴きたくなるレコード


 RTIのHQ-180テストプレス盤である。センターレーベルにはプレス年月日とA/B面の表示しかないから、これだけでは何のことやらさっぱりワカラン。ジャケットも真っ白である。買った本人でさえ、時々分からなくなるのだった。

 正体は「Rickie Lee Jones / POP POP」である。テストプレス盤だからレーベル表示もレコード番号も何も無い。'04年1月購入。わりと最近である。新盤で$50だった。特にこの人ファンでもなく、音への期待ともの珍しさで買った。動機不純である。

 信頼のおける友達から「リッキー・リー・ジョーンズって、わりといいよ」と聞いていたこともある。そこへちょうどテストプレス盤を見つけた、のだったかな。だからシンガーとしてのこの人への先入観や予備知識は、ほとんどゼロの状態で聴いたわけである。

 1979年「浪漫」でデビューした、のだそうですね。ハズカシナガラ知りませんでした。リトル・フィートのローウェル・ジョージさんが見出した、ということも寡聞にして不知。デビュー作は後の女性シンガーたちに多大な影響を与えた、と。ナルホド、タイヘンなアーティストだったわけだ。

 さてこの「POP POP」。シンプルな構成でジャズナンバーを歌う。録音は極めて自然で穏やか、爆裂系とは対極にあるような音である。だが、切れのないカッタルい音とは違う。非常に良い音だ。音像はやや大きく出るけれど、鮮度は高い。歪み感の少ないきれいな録音である。

 音も然ることながら、やはり白眉はボーカルである。この人の声、歌を、どう表現すればよいのだろうか。舌足らずというか、メンドクサそうというか、物憂げというか。セクシーといえばそれもそうか。何とも言えない雰囲気である。最初に聴いた時は「ボカァこんなのニガテだ」と思った。

 ところが、である。何度か聴いているうちに、この甘さ気だるさが、妙に心地良くなってくるのである。毎日聴くほどの愛聴盤ではないまでも、時として無性に聴きたくなるのだった。今日のネタにしたのも、さっき突然聴きたくなったからである。不思議な魅力を、この人は持っているのだなあ。

 実はこのレコード、購入当時は上手く鳴らすことができなかったのである。どこがどうと言えないのだが何だか冴えのない音だった。今聴けば、上に書いた通りまずまずの音である。

 1年半の間に打ってきた対策が、あながち見当外れではなかったということか。

’05/07/07 (木)

内袋


 恒例の研修会参加で、更新が遅れました。

 この内袋を使い始めて何年になるだろうか。おそらく20年は超えていると思う。ナガオカのNo.102である。50枚入り1,260円。1枚あたり25.5円は、高いか安いか。

 現行商品であることにちょっと驚くのである。一時廃番になった時期もあったような、しかし復活して今に至る。写真左は昔のパッケージ、右が現在のものである。当時はAD専用、現在はご覧の通り「LD用内袋」と明記してある。だが、今時LDに使っている人は、たぶんいないと思う。

 僕は中古レコードをよく買うから、これが必需品である。埃まみれのレコードをレコパックしたあと、内袋を交換したり、中には内袋の無い、或いはズタズタに破れているものもあるから重宝するわけだ。「静電気の発生を抑える」とあるが、効果はまずまず。まったく発生しなくなるわけでもない。それよりも埃対策のほうが主眼である。

 尤も、内袋も外袋も無いほうがよい、という人もいる。過保護すると却ってカビが出る。レコードなんか裸同然でよいのだ、と。一理ある、と思う。僕も一時はそれに倣ってみたこともあるのだが、やっぱり気色悪くて保護派に戻った。ガサツな性質の僕は、安全を見て保護しておいたほうがヨイみたい。

 使い切ったら買い足す、ということにしているが、考えてみればこれもいつまであるかわからない。例によって、買い溜めしておかなきゃ遺憾のかなあ。

 AD周辺って、こんなのばっかりだ。

’05/07/06 (水)

大正解


 充分とは言えないまでも、数タイトルのレコードを聴いてMRの傾向がつかめてきたようである。たいへんヨロシイ。

 ハイスピード、高トランジェント、高解像度系リード線である。全域に渡ってバランスが良く、ハイからローまでスピード感が揃う。音像の輪郭が鮮明に、しかしシャープネスを上げたような不自然さはない。音に清澄さがある。4年間使ったCWに比べるとやや尖った感じ、生硬い印象もあるけれど、おそらくこれは時の経過と共に落ち着いて行くだろう。

 では、CWとMR、どちらが良いのか。両者ともに同系統の音である。CWのほうが良い意味でオーソドックス傾向か。ヒジョーに優れたリード線だが、今となってはMRを採るべきだろう。CWはディスコンなのである。

 たった3cmにも満たない電線で、こんなにも音が変る。ことほど左様にAD再生は面白いのである。しかし、選択肢の少なさは如何ともし難い。これはリード線に限らず、AD周辺機器すべてに言えることである。新規にAD再生を始めようとする人々の、大きな壁であるわけだ。

 とまれ、MR-1Rhの導入は大正解である。今度は買えるうちに買っておかねば遺憾。早速追加注文しておこう。

 という行動に出なければならない現状が、悲しいのである。

’05/07/05 (火)

CWからMRへ


 CW-Rh1からMR-1Rhへ換装完了の図。これでヘッドシェル以外はマイソニック純正組み合わせになったわけである。無事でヨカッタ。どうもカートリッジ周りを触るのは、シンゾーに悪いのである。

 CWよりもわずかに短く作ってあるようだ。フォーミングした時のループの径が小さくなる。CWが長すぎるわけではなく、MRがやや短め、ということである。もちろん不都合はない。音を考えれば、短いほうが良いに決まっている。

 音のことを書かねばならないわけだが、今のところ5分間ほど聴いただけで、イムプレッションするにはおこがましい状態である。ただ、僅かな試聴でも、CWに劣っていないことだけは充分にわかった。大いなる収穫である。

 今夜は時間をかけて聴きたい。ところだが、業務が山積している上に明日は早くから出張である。

 でも、聴きたいなあ。

’05/07/04 (月)

愚猫2号


 複数飼いはするまいと、強く誓っていたにもかかわらず、愚猫2号を置くことになってしまった。6月7日の夕方、愚息2号が例によって学校に捨てられていたものを、拾ってきたのである。愚猫1号ラクと同じテンカイではないか。今回も「もういっぺん捨ててこいっ」とは、言えなかった。弱いなあもう。

 ご覧の通りのミケ♀である。♂だったら30,000頭に1頭の稀少猫だが、たぶんそうではない。ラクがやってきた時よりもやや大きく、生後1ヶ月弱くらい。2日間ナーナー鳴きまくったが3日目で落ち着き、約ひとつき経った今、ラクよりもエラそうにしている。トイレトレーニングも身につき、すっかりくずてつ家のイエネコに、なりました。名前は「ユズ」と申します。よろしくお見知りおきを。

 性格は異常に活発で、ラク以上の極悪か。寝ている時以外は眤としていることがない。四六時中走り回り、猫玩具で遊び、食べ、水を飲み、ウンコしている。健康そのもの。結構なことであるが、ラクは追いかけ回されて辟易している様子である。大迷惑。彼女からみればユズは、我がテリトリーへの闖入者以外の何者でもないわけだ。この辺りが、複数飼いの難しいところである。

 それは飼い主の配慮で何とかするとして、僕が何より許せないのは、この子猫を学校に捨てたヤツバラである。とんでもねえヤツだ。言うにこと欠いて「かわいい子猫です。拾ってやってください」だと? かわいいのなら手前が飼え。捨てるくらいなら親猫に避妊手術しろ。それができないなら、責任持って里親を捜せバカヤロー。

 ウチは一家ともども猫好きで、どうやら置くことができた。もし、そうでなかったら、この猫は再び打ち捨てられたのだ。結果、野垂れ死に。再度捨てたほうは罪悪感に苛まれる。オノレが罪悪感を、他人になすりつけやがって。そんな奴には、命あるものを飼う資格なんかない。断固、許せないのである。

 ユズと兄弟2頭を捨てた奴。アンタの行く末が、僕にははっきりと見える。地獄行きである。

 ボウズが言うンだから、間違いなし。

’05/07/03 (日)

細心の注意で


 3月13日に載せた、シェルリード線である。マイソニックラボ MR-1Rh。fo.Qシートと一緒に購入した。3月には未入荷で、結局今になってしまった。「逃すなチャンスを」などとリキんでおきながら、なんと悠長であることか。こんなもんです、オイラなんて。

 オーディオクラフトから出ていたCW-Rh1(型番似てます)との違いはどうか。まずすぐに分かるのはシースである。CWは半透明カラーシースだったが、MRは不透明カラーシースである。チップと線の繋ぎ目に被せてあるチューブの色も違う。

 この辺りは外観の違い。さて中身の線材は。CWは4N、6NのOFCを「絶妙に」ブレンドしたものだと説明してあった。MRは「吟味厳選されたOFC素材」と説明されている。4N、6Nなど、純度についての記載はない。以上からすると線材は違うもののようだが、本当のところはどうなのか。

 素材の如何にかかわらず、肝心なのは音である。CWは極めて優れたリード線だった。同等、あるいはそれ以上の音が出れば、大いなる福音なのだが。

 さっさと差し替えてみればヨイ。実は僕、カートリッジ周りを触るのはニガテなんです。グワシャッ、と針先やカンチレバーをぶっ飛ばしてしまいそうで、いつも戦々恐々なのである。

 でもやらなきゃなあ。話が進まんし。

’05/07/02 (土)

自然と共存?


 ウチの庭にはいろんなケダモノがやってくる、とは以前にも書いたことがある。昨秋はイノシシに裏庭を広範囲に耕され、玄関先にはクマが大きなフンを置いて(?)くれた。

 「孫においしいヤツを食べさせるんだ」と言って、隠居が育てていたナンバンキビ(トウモロコシのことです)、今朝見たらエラいことになっている。踏み倒されてカジられて、せっかく大きくなり始めていた実も全部ムシってある。全滅である。こんなひでえことをするヤツは、一体誰だ。

 よく見れば足跡がボコボコついている。イノシシより大きく、クマより小さい。蹄がはっきりわかる足跡。さて、何でしょう。

 鹿である。先日来、職業農家さんは「今年の鹿被害はタダゴトではない」と言い、電気柵で対策していると聞いていた。大きな畑から閉め出された彼ら、まさかこんなところまでやってくるとは思わなかった。

 そういえば昨晩10時ごろ、愚息2号が「外で誰かが歩いてはる」と言った。「ソラミミちゃうのん?」というと「いや、砂利を踏む音が確かに聞こえた」と。イナカのこと、そんな時間に寺の境内を歩く人は滅多といない。ブキミだったから確かめはしなかった。どうやらそれが鹿君だったのだろう。足跡からすると相当大きな個体のように思われる。ハチ合わせしないでヨカッタというべきだろう。

 山の食糧事情が悪化しているのだ。無闇な植林と気象状況の所為か。加えて、一度里へ降りて美味しいモノを食べてしまえば、味を占めてヤメられないということもあるだろう。

 隠居はガッカリしながらも、鹿も生きるのに必死なのだろう仕方がないと、言った。僕もそう思うし、それで済むことである。しかし、作物を生活の糧にしている人々にとっての獣害は、死活問題なのである。

 大自然豊かなのはおおいに結構。しかし、なかなかにタイヘンなのである。

’05/07/01 (金)

既にヴィンテージ


 7月である。ここに来てようやく梅雨らしくなってきた。昨日も、今日も雨。この雨は慈雨である。降り過ぎは困るケレドモ。

 「どっちの料理ショー」を見ていたら、料理紹介のBGMに、何とも懐かしい曲が聴こえてきた。ポール・マッカートニーの「バンド・オン・ザ・ラン」である。1973年発表。なんとなんと、もう32年も前になってしまったのである。ヴィンテージもんですな。

 '73年と言えば昭和48年。僕は小学6年生である。リアルタイムでは聴いた覚えがない。中3くらいになってから、ポールファンの友達からレコードを借りて聴いたのが初めてだろうと思う。それでも30年くらい経っているわけだ。

 僕は1961年生まれだから、いわゆるビートルズ世代では、ない。洋楽に目覚めた頃、彼らは既に解散していたのである。一応、赤盤青盤と「サージェントペッパーズ〜」を持ってはいるが、それだけで「ビートルズファンです」なんてゆったら叱られてしまうのである。

 久しぶり(前回何時聴いたかさえ忘れた)に全曲聴いた。録音はさておき、このレコードは楽しい。ロック、とはちょっと違うかもしれない、よくできたポップスと言うべきか。この辺り、ジョン・レノンファンとは好みが別れるところなのだろうなあ。

 30年前を懐かしく思いながら、しみじみ聴いてしまった。音楽は良い。