箱船航海日誌 2005年01月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’05/01/31 (月)

長いンだか短いンだか


 ADプレーヤーを2台に増やしてから3ヶ月近く経った。どちらかをメイン、サブとも決めず、その時の気分、聴きたいタイトルに応じて等しく使い分けている。つもりであっても、知らず使用頻度に差が出てくるのである。

 右側(ウッドキャビ)7、左側(写真のほう)3、くらいの割合だろうか。今日はHELIKONの音が聴きたくなり、久しぶりに左プレーヤーを使った。

 設置当初はすべてをぶっ飛ばすような壮絶サウンド、視界が真っ白になったものが、今日聴くと随分落ち着いた音に変わっている。エージングがどんどん進むほどには聴いていないと思うのだが。

 考えられる原因は色々ある。音圧に揺さぶられて接触面のグワイが変わった。ラックも同様の理由でこなれてきた。修理直後だったH-Z1が、持続通電によってほぐれてきた。ナドナド。あまり使わずにいても、エージングは自動的に進むものなのである。

 性急に答えを求めるのは、キケンである。音は変ってきたが未だ多寡だか3ヶ月。これからも変わり続けるはずだ。最低半年、できれば3年くらいは推移を見たいところである。

 アンタは気が長いと、おっしゃるムキもございましょう。案に相違して、僕はヒジョーに気が短いのである。大阪人は、皆そうだ。いわゆる「イラチ」(じっくり考えもせずにいきなり行動に出る。エスカレーターやムービングウォークではせかせか歩く。エレベーターに入ったら閉ボタンをやたら押しまくる)である。

 いつ獲物がかかるかもワカランものを眤と待つ趣味。釣である。僕はやらないけれど、これを好むのも、短気な人が多いと聞く。それと似ているのかもしれない。

 長岡先生も釣がお好きだったな。

’05/01/30 (日)

ライブとデッド


 ご覧の通り、1階は随分とすっきりした。SレアESをここで聴けないのはいささか残念でもあるわけだが、メインシステムの再生条件としては良くなったと言える。鳴らさないスピーカーが同居するのは、決して良いことではないのである。本家方舟くらいの広さと容積があれば影響は少なくて済むが、箱船にはそこまでのキャパシティがない。

 移動のついでにSネッシーの左右でゴチャゴチャしていたものを片付け、これで視界はぐんと広がった。見た目は音にも反映される。音場が広くなったように聴こえるのである。但し、モノが減った分だけライブになったようで、僅かながら定位が甘くなる。ホッタラカシにしても問題ないレベルである。が、とりあえずはタイルカーペットの数と敷き方で、ある程度コントロールしてみる。今のところはこんなものだろう。

 ライブな音とデッドな音。これにも好みに個人差があり、とても興味深い部分である。これまでに箱船の音を聴いた人の中でも、千差万別十人十色である。

 ある人はライブ過ぎて音が遠いと言った。またある人は直接音が眩しくて聴きづらいと言う。ちょうどよい加減の響きで音に艶があって良いという人、デッドでカスカスだと言う人。感じ方は見事に人それぞれなのである。

 肝心の僕自身は、どちらかと言えばライブ気味で遠めの音が好きである。僕の耳からすれば、もうホンの僅か、ライブでも良いように感じている。定位との兼ね合いも、あるわけだが。

 ライブな部屋をデッドに持って行くのは、比較的やり易いと思う。最も容易な方法は、モノを増やすことである。何でもいいからどんどん荷物を運び込む。これでかなりデッドになる。

 元々デッドな部屋をライブに変えるのは、なかなかに困難である。昔々使っていた、築70数年の和室。ここは全域に渡って音がヌケヌケ、何を聴いてもデッドでドライでカスカス。潤いも艶もクソもない。何とかしようと畳の上に厚手のビニールシートを敷いてみたり、天井に反射板をくっつけてみたりしたが、ほとんど効果はなかった。焼け石に水、九牛の一毛。あの部屋は、苦しかったなあ。

 箱船とて完璧な条件が揃っているわけではない。問題も多いのである。とはいえ、対策への反応は敏感である。全域ヌケヌケ築70年部屋とは比べものにならない。上手くコントロールすれば、方舟のような端正で瑞々しく、音場感抜群超絶定位の音になる。

 のは、いつのことか。

’05/01/29 (土)

二兄弟一従兄


 昨年末からの懸案であったところの、スーパーレアES移動計画。友達による力強い支援のおかげで、今日ようやく実行できた。憲さん、ありがとう。

 スーパースワンES、スーパーレアES、D-55ES、三兄弟ならぬ二兄弟+一従兄の記念写真である。なかなかに壮観だ。これで20cmBHがモアなら三兄弟揃い踏みだったのだが。

 こうして3機種並べてみると、SレアESの巨大さが目立つのだった。D-55ESよりもユニット径は小さいのに、ガタイは異様に大きいのである。何だか随分とエラそうにしてる。決して小型とはいえないD-55ESが、コンパクトに見えてしまうのである。一時はモアも作って置いてやろうか、などと考えたりした、けれど一瞬にして雲散霧消。SレアESがこの大きさでは、とてもムリですわ。

 1階のメインシステムは共鳴管(SWはバスレフだが)、2階では10cm〜20cmのBHが3種聴ける。メインユニットは全てFE-ESシリーズ、同一ユニット異方式による音の違いが体験できるのも面白いだろう。ちっとは長岡先生にご恩返しできるかしらん。

 共鳴管、BHにかかわらず、僕はやっぱりフルレンジの音が大好きだ。他のどんなものにも増して優れているとは、決して思わない。全ての帯域を一つのユニットで賄うわけだから、当然のことデメリットは多い。低域の大入力があれば混変調歪みで中高域はモジられるし、BHで低域を伸ばしているといっても小口径の限界は如何ともし難い。

 さはさりながら、音の生気、鮮度、素直さは何物にも代え難い魅力である。アンプとユニットの間に何も足さず、何も引かず。存在するのは1本の電線のみ。アンプの出力が直にユニットへ入るという潔さ。理論的優劣は、僕にとって問題ではないのである。

 2階でSレアESを鳴らすのは初めてである。堪能しましょう。

’05/01/28 (金)

愉しむ

 SネッシーIIの設計を楽しんでいる。僕の書いた原始的な図面を元に、プロの手によるものが上がってきた。こうなると俄然現実味が増し、いよいよ勢いづいてくるというモノである。尤も、未だプロトタイプ図面であって、これを叩き台にさらなるアイディアを盛り込んで行くのである。

 今回は、キャビネットの構造強度をできるだけ上げたいと思う。現用のSネッシーは、自分で板を切ったこともあり出来はかなりいい加減である。ガタガタに近い。ユニット背面に銅板を入れる荒技で重量は稼げているものの、強度となるとヒジョーにアヤシイものだ。補強桟の入れ方をよく考えれば、金属板に頼らずとも充分な強度を取れるはずである。重量は心配ないと思う。現状より厚い板を使う予定であるし、材の密度もぐんと高いからだ。

 ユニットを増やすのならば、それに応じた工夫も必要になるだろう。共鳴管断面積を増やすのは当然として、後は穴をもう1個空けてOK、ではあまりにも芸がない。音にもルックスにも優れた立体レイアウト、なんていうことができれば面白い。できるのかしらん。

 ひょっとすると今が最も楽しい時なのかもしれない。ああでもない、こうでもない、こうすると決めたがやっぱりヤメタ、いや元に戻そう、でもマズイかな。色々と悩む時。自作の魅力である。

 完成の時は待ち遠しく、しかしじっくりと構えて練り上げたいと、思うのである。

’05/01/27 (木)

マイナーレーベル


 メルシャン(株)がウヰスキーを作っていることをご存知だろうか。お好きな方なら常識かもしれない。アルコール飲料に疎い僕は、寡聞にして不知であった。ハイCPワイン専門かと、思っていたのである。失礼イタシマシタ。

 音元出版「analog」誌第5号、鈴木勝雄氏の記事で知った。メルシャン軽井沢蒸留所だけで少量生産されているのだそうだ。詳しくは記事をお読みいただきたい。今回買ってみたのは、16年もの(1987年蒸留)のシングルカスクモルトウヰスキーである。

 一つの樽から直接ボトリングしたピュアモルトウヰスキー。言うなればこれは、リアルハードマニア向けウヰスキーである。元々呑めない僕が、こんなモノを買ってどーするのか。お世話になった方への贈り物である。味を知らないままでは失礼だと、自分でも飲んでおこうと思ったわけだ。

 アルコール度数59.3%。強烈である。ストレートでなんか飲めるわけもない。オンザロックでもダメだろう。加水して飲んでみるのである。

 ウヰスキーを飲むのは何年ぶりか。完全に門外漢である。その意味ではヴィンテージウヰスキーを正しく味わうには分不相応と言わねばなるまい。例えばメジャーブランドと比べてどうか、という評価はまったく不可能である。そんないい加減な僕でも、この味には深い感激を覚えたのである。

 豊かで芳醇、どこまでも深く、極めて上品な風味と香り。それでいてどこか大地の土臭さ、永く熟成されてきた時の重みのようなものも感じられ、上質さと野趣が絶妙のバランスを保っているのである。平板ではなく、いろんな風味と香りが複雑に折り重なり、飲んでいてシアワセな気持ちになってくる。ウヰスキービギナーに近い僕でも楽しめるのだから、好きな人なら尚更に美味しく飲めるだろう。

 これはイワユル、マイナーレーベルウヰスキーである。ブランドイメージは弱い。しかしだからこそ優れたものを作れるとも言えるわけで、この辺りはCD、LPにも通ずるところがあるようにも感じられる。

 2004年度の受付は昨年11月30日で終了、2005年度の「軽井沢VINTAGE」は、2月1日から注文受け付けを開始すると聞く。

 こだわりの少数精鋭少量生産。今後もがんばって欲しいものである。

’05/01/26 (水)

寒い冬の夜は


 ずっと前にもケーキの話を書いたことがあったはず。調べてみたれば'01年2月4日だった。4年も前である。

 どうやら僕は、冬になると甘いものを食べたくなるらしい。何故だか分からない。糖分を最も消費するのは脳だと、どこかで聞いたことがある。寒いと家の中で眤として、本を読んだり音を聴いたり、特に今はスピーカー設計で無い智慧を絞っているから、余計にノウが糖分を欲しがるのかな。何だか大いなるムダ、なような気もするわけであるが。

 寒い冬の夜、暖かい部屋で紅茶を淹れ美味しいケーキをいただく。シアワセである。さほど出来の良くないノウにエネルギーを補給し、さあ新スピーカーにどんな工夫を盛り込んでやろうかと、考え始めたら血糖値が上がって眠くなった。

 なにやってんでしょうか。

’05/01/25 (火)

くずてつにWIN


 すっかり見飽きたと、言われて当然の写真である。何を今さら。実はコレ、今日新調した携帯電話で撮ったものなのである。さすがに320万画素の常用デジカメには劣るものの、電話カメラでここまで撮れれば文句はない。デジカメ付き電話か、電話付きデジカメか。

 2年間使った携帯が絶不調、電池の保ちが非常に悪くなっての機種変更である。今回はちょいとフンパツしてAUのWINにしてみた。オマエに使いこなせるのかと問われると如何にも汗顔の至りではある。新しいもん好き無意味な好奇心の強い僕としては、一度使ってみたかった、のである。猫に小判、豚に真珠、くずてつにWIN。

 通信速度の速さ、表示画面の美しさ、カメラの優秀さ、加えて恐るべき多機能。着ウタ、着メロ、ムービーメールと何でもアリ。メモリースティックも挿せる。どれもこれもIT原始人の僕には驚くことばかりである。2年間の進化は半端じゃない。前回('03年1月)の交換時にも同じ感慨を持ったが、今回もまた然り。携帯電話はどこまで行く。オーディオはやがてパソコンに取り込まれるという予測、実は甘かったのではないか。

 本命は、携帯だな。

’05/01/24 (月)

新しい音


 今日は朝から快晴である。体調もほぼ元通り、ようやくいつもの更新ペースに戻れそうなグワイである。ご迷惑をおかけしました。

 ちょっと調べたいことがあり、「ダイナミックテスト」のファイルを繰っていた。目当ての記事はすぐに見つかった。が、先生の文章は読み物としても非常に面白い。調べ物が終わったあとも、ついつい読み込んでしまうのである。

 特に巻頭言は、示唆に富んでいて読み応えがある。単行本「喝!」に収録されなかったものの中にも、参考になるもの、道標になるものは多い。今、SネッシーMkIIを計画中の僕にとって、とても勇気づけられる記事があった。'98年第23号('98年10月14日発売号)のダイナミックテスト巻頭言である。

 「方舟のウーファー沈没」と題されたそれには、従来使ってきたFW-220が破損、後継ユニットの選定に困っておられる様子が書かれている。この時点ではFE-208SSをウーファーユニットに、片ch3発使うことを考えておられた様子。

 この件ではウチにも電話がかかり、手持ちのFW-220をお送りしたこともある。あれこれ考えられた結果、最終的にはFW-208N×3のSW-7に落ち着くことになるわけだ。

 巻頭言の結びにはこうある。

 「とにかくどの方式を採用しても方舟の音は変わる。あのドスの効いた音はもう聴けないかもしれないが、新しい音に慣れることも大切だ」

 マニア(先生はマニアではなかった)は概して保守的なので、音が変わることを嫌う傾向が強い。僕もおそらくそうだろう。変わることがイヤ、というよりは、新しくなることでそれまでの努力が水泡に帰すような気がして、要するに怖いのである。現状にヌクヌク穏座しているほうがラクチンに決まっている。

 それでは進歩成長はあり得ない。だから次へ行くのである。保守的なマニアさん達は口を揃えてこう言うのである。「ありゃ、馬鹿だね。失敗するに決まっている」と。確かにそうかもしれない。だが、何もしないで知ったようなことをノベてみても、屁のツッパリにもならん。机上の空論である。

 新しい音に慣れる。大切なことである。慣れることもできないほどヒドい音だったらどーしよー。

 そのまた次へ進めば、よいのである。

’05/01/23 (日)

やや復調


 ようやく出口が見えてきたようで、安心している。昨日に比べれば、随分と楽になった。桃色仙人さんからのご投稿にもある通り、如何にも治りの悪い、極めて高粘着質な風邪である。こちらが歳を喰った所為もあるのだろう。油断してぶり返さないようにしなければ遺憾。

 気分が冴えなかったのは、風邪の所為だけでもないのである。ここのところ酷い天気が続いている。先週の日照時間なんか、あって無きが如し。雪か雨、そうでなければどろんとした曇りである。こうなると、例年の通り僕は鬱々としてしまうのだった。

 今日も昼まではにび色天気で憂鬱だったが、午後から快復し、ご覧の通りである。雪の反射率は凄まじく、少し晴れればくわっとハレーション。モノクロから一気にフルカラー映像へコンバートするのである。インドア趣味とは言え、オーディオするのにも好天のほうが良いに決まっている。

 日照は大事です。セロトニン、セロトニン。

’05/01/22 (土)

ゴクツブシ

 風邪薬というもの、五感の感度を下げる働きもあるらしい。症状は多少なりとも軽減できたが、今度は酷い無気力感に襲われて弱っている。な〜んにもする気が起きない。眠いわけでもないのに、ともかくシャキッとしないのである。休めない業務をこなしたあとは、だたグッタリしているだけである。オーディオする気になど、ゼンゼンならない。う〜む、遺憾のである。

 それでもオナカだけは減るから、どーしよーもないのである。こういうのを「ゴクツブシ」というのだろうな。

 はやく元気になりたい。健康で業務をこなせてこその、趣味なのである。

’05/01/21 (金)

抗し切れず

 今回の風邪は治りが悪いのである。ちっともよくならない。何とかお医者さんにかからず治してやろうとがんばったが、もうダメだ。今朝方、薬貰ってきました。

 これで快復するかなあ。

’05/01/20 (木)

アマチュアの特権


 イマイチ復調せず。鼻の奥が痛くてカナワン。こりゃあ風邪じゃなくて鼻炎かな。こんなことは誰にもビエン。ベタでスミマセン。

 SネッシーMkIIである。やるからには何か新機軸を盛り込みたいわけだが、僕如きの脳ではなかなか良いアイディアが出ない。ディザインにしても同様である。奇を衒いすぎて妙なモノを作ってしまっても仕方ないし。達人である友達からのアドバイスを受けながら、どうにか基本設計までは漕ぎ付けたのである。

 これが本当に実現するかどうかは、まだ何ともいえない。紙に書くだけなら誰でもできるのである。成功するに絶対の自信、などあるはずもない。せめて明るい見通しくらいはあるかというとそれもない。今あるのは、ただやってみたい聴いてみたいという好奇心だけである。

 改めて拙webページのサブタイトルに目を向けていただきたい。「何時までも実験レベルを脱却できない箱船から」。正にそうなのである。無知のシロウトだからこそできる無茶な実験。多くの人が「そりゃダメだ」と断じることに敢えて手を出す。馬鹿だアホだと言われながら「やってみなきゃァわからない」と大きな声で叫べるのは、アマチュアの特権であるはずだ。

 ともかくはこの基本設計を叩き台にして、後はディーテイルを詰めて行くことにする。もちろん僕一人では絶対不可能、今後はこれまでにも増して友達の協力を仰ぐことになるだろう。まこと在り難きは仲間なり。

 全高と型番だけは決まっている。3,333mmの共鳴管システムでF-3333。そーゆーアイディアだけは、出るンだケドなあ。

’05/01/19 (水)

壮麗、透明、重厚


 風邪はまだ治らない。シンドイのである。しかしそう言ってグタッとしていては心まで病人になりそうなので、せめて日誌くらいは更新したいのである。

 今月はソフト紹介の多い月になった。意図してやっているわけではなく、興味を惹かれるソフトが多かった、ということだろう。

 今日はオルガンのCDである。「東京カテドラル聖マリア大聖堂 マショーニ・オルガン Op.1165 / ロレンツォ・ギエルミ」(日CR RECORDING / CRCD 9728-2)。親しい友達からの紹介で知ったものである。後で分かったことだが、AA誌115号344項に林正儀氏が紹介していらっしゃる。恥かしながら、読み落としていました。

 '04年5月6日録音。1964年のマリア大聖堂建築以来、40年間にわたって使われてきたオルガンを新調した記念に、録音されたCDである。「Op.1165」は、マショーニ社が製作した1165番目のオルガン、の意である。オルガン新調の様子は、NHKのBSハイビジョンで特別番組として放送されたそうだ。残念ながら僕は見逃している。

 46ストップ、3,130パイプ、手鍵盤3段×58鍵、足鍵盤30鍵、最長パイプ16フィートの大型オルガンである。設置経緯については東京カテドラルのwebサイトに詳しいので、そちらをご覧いただきたい。

 J.S.バッハ9曲、B.パスクィーニ1曲、D.ツィポーリ2曲、B.ストラーチェ1曲、O.メシアン1曲、全14トラック76分26秒。お約束の「トッカータとフーガ ニ短調」は、1曲目に入っている。僕としてはトラック10、B.パスクィーニの「かっこうのスケルツォによるトッカータ」が楽しかった。

 このCDは、優秀である。どこまでも透明で高分解能、大聖堂に響き渡るエコーは直接音と渾然一体となって厚く豊かで、荘厳な音を聴かせる。広く高いマリア大聖堂の空間へ、音が拡散して行く様子がありありと分かる。音場感抜群。天空から降り注ぐ神の恩恵、という感じである。実在感もすごく、眼前にオルガンの実体を感じる。

 一音一音に厚みと浸透力があり、しかも艶やかで伸びのある音。特に中高域の美しさ、豊かさは特筆モノである。前半控えめに感じられる低域も、後半は俄然ソリッドになってくる。一般的なオルガン録音にありがちな薄っぺらさは微塵もない。これほど素晴らしいオルガン録音には、滅多とお目にかかれない。おそらく国内では最高レベルのオルガンCDではないだろうか。

 店頭売りはしていない。東京カテドラルからの直接購入になる。限定盤ということになっているので、できれば急いだほうがよいかもしれない。

 音楽ファン、サウンドマニア、どちらにもお薦めできるタイトルである。

’05/01/17 (月)

寒さに弱い

 どうやら風邪を惹いたようである。2、3日前からアヤシかった。そこへ昨日の夕方、業務関係での出かけがヒジョーに寒かったのが遺憾かったらしい。症状が軽いうちに治してしまいたい。この冬は11月にも惹いている。情けない話だが、僕は冬に弱いのである。

 早く春が来ないかなあ。

’05/01/16 (日)

大丈夫か


 ○○の考え休むに似たり。というわけで、アレコレ思い悩むより先に動いてしまえと、元旦に決意したSネッシーMkIIの図面書きである。作業は極めて原始的、方眼紙に書きつけるのであった。やっているうち、実寸を縮尺するのに上手く割り切れずイライラしてきた。そうだCADだと思ったら、使い方は完璧に忘却の彼方。ゼンゼン進みません。やっぱり僕は馬鹿である。

 友達の憲さんにこの話をしたら、「新しいスピーカーですか。今のヤツ、ムシに喰われてますしね」と言われてしまった。ムシに喰われて悪かったな。

 最初からこんな調子で、ちゃんと出来上がるンでしょーか。我が事ながら、先が思い遣られるのである。

 思い返せば'97年スーパーネッシー。あの時もこんなだったから、おおかた大丈夫だろう。

 ホントか。

’05/01/15 (土)

ONかOFFか


 現用のパワーアンプには、どちらにもパワーメーターがついている。B-2302は電光式バーグラフタイプ、P-700はアキュフェーズ伝統のアナログ式指針タイプである。

 パワーメーター。あるが有利か無いが良いのか。長岡先生は、音質だけで言えば無いほうが有利、との立場を取っておられたし、個人的にも無しを好まれたようである。永く使われたHMA-9500II、その後釜に座ったTA-N1、いずれもメーターは付いていない。

 僕は馬鹿でスケベなので、メーター付きが好きである。特にアナログ指針式大好き。針がピコピコ動くのは見ていて楽しい。如何にも音を鳴らしてます、っちゅう感じがうれしいのである。スピーカーコーンが動くのを面白がり、ユビで突付くガキと同レベルだ。

 ルックス以外にもメーターの効用はある。B-2302、P-700、どちらにもメータースイッチが付いていて、このON / OFFで音が変わるのである。ホンの僅かな違いだが、システム全体の印象に思いのほか影響を与えるのだった。

 B-2302は70Hz以下の再生なので、低域の印象だけになる。OFFでは量感が増すがやや緩くなり、ONでは締まりが出て男性的になる。P-700は、OFFでスムースなハイファイサウンド、しかしやや沈んだ音調、ONではがぜん明るくなり開放的、音に若々しさが出てくる。

 もちろん僕は両方ともメーターONで聴くわけである。明るいほうがヨイ。エレキの専門家に言わせれば、わざわざ電気的ノイズの多い状態で波形にヒゲの生えた音を聴いている、オマエは馬鹿だ、ということになるのだろう。僕は無知のシロウトだから一向に構わないのである。好きな音を聴けばヨロシイ。

 聴き終わったあとは必ずメータースイッチをOFFにする。聴く前、またONにする。ラックを新調して以来、P-700が後にまわったことで、それをよく忘れるのである。聴き始め、何だか今日は音に生気がないぞオカシイなと思う。しばらく経って、そうだメータースイッチだと、気が付く。

 神経質なんだかいい加減なんだか、よくワカランのである。

’05/01/14 (金)

基準が違うような


 近在の知り合いがやってきた。聞けば、今オーディオ・テクニカのAT-33/PTGの購入を考えている確かお前持っていたな聴かせろ、という。お役に立てるならばどうぞ、と。

 このカートリッジを聴くのは、如何にも久しいのである。'97年11月発売、限定販売かと思ったら、受注生産で今も入手可能だそうだ。税込42,000円。僕は発売と同時に買ったから、既に7年以上。しかし実質の使用時間は10時間にも満たないと思う。

 何年かぶりに聴くだけあって、最初はかなり寝ボケた音である。こいつは一丁叩き起こしてやらんと遺憾。レンジが広くパルシブなタイトルを意識的に選ぶ。これで多少は目が覚めた様子である。

 なかなかきれいな音だ。歪み感が少なく極めてスムース、細かい音もよく拾う。中域の通りがよく、明瞭である。ハイは繊細に出てくるが、ややソフトタッチ。金属の硬さが出にくい部分はある。低域には独特の弾力があり、これまたどちらかと言えばソフトな印象である。一言で表現するなら「美音系」という感じか。知り合いはフムフム頷きながら楽しそうに聴いている。

 常用のHELIKONやeminentと比較すると、やはりイロイロあるわけである。聴感上のレンジがやや狭いとか、ギョッとするような凄みが足りないとか。特に感じたのは、ソフトの描き分けが甘くなること。表現力がやや大味になる、と言うべきだろうか。何を聴いても「33PTGの音」になる傾向があるのだった。キャラクターが前面に出てしまうのである。

 これは決して悪いことではない。こういう鳴り方のほうがよい、というムキもあって然るべきだ。イヤな音は一切出さないし、ピーキーな感じもない。トレースの困難な音溝も楽々とクリアする。非常に優れたカートリッジなのである。ただ、突出した部分がないのは、個人的にいささか食い足りないのだった。僕の好みが特殊なだけか。

 知り合いは、実際に音が聴けて安心したようである。購入決定だと、言った。しかし僕は、イマイチ納得できないでいる。

 彼は、TANNOY / STIRLINGをゆったりと鳴らすヒトなのである。

’05/01/13 (木)

買ったワタシが馬鹿でした


 こりゃあんまりだ。

’05/01/12 (水)

つまらん冬ネタ


 冬の箱船は寒い。四六時中エアコンを回しておけば寒くない、けれどそんなことをしたら今度はフトコロが極寒になってしまうのである。

 これから年中で最も寒い時期になると、夜の室温が12℃程度になる。断熱性は高いが常時換気仕様、わりと速く冷めるのである。エアコンだけでは天井が高い所為もあってなかなか暖まらない。そこで手っ取り早く室温を上げるのに使っているのが、灯油ファンヒーターである。

 オーディオ機器のためにはあまり良くないと思う。長岡先生は嫌っておられた。ストーブよりは少ないと言っても煤が出るし、特有の臭いもある。火災の危険も電気より高い。ランニングコストは安いかもしれないが、最近の原油価格高騰からすればどうだかわからない。分かっちゃいるけど寒い部屋でガタガタ震えながら音楽を聴けるほど、僕はストイックではないのである。寒いの大キライ。

 何よりも面倒なのが、灯油の補給である。特に雪降りの夜中などに給油ランプが点灯したりすると、僕はもう悲しくて悲しくて。

 倉庫には200Lドラム缶があり、定期的に業者が補給してくれるシステムになっている。公共施設的側面を持つウチとしては、簡単に灯油を切らせないのである。危険物取り扱い資格も持ってます。それを20Lポリタンクに小分けし、そこからヒーターへ補給するわけである。

 そのポリタンクが、これまでずっと母屋にあった。寒い雪降りの夜中、カートリッジタンクを抱えて外へ出、母屋の鍵を開けて給油する。それが億劫で億劫で仕方ないのである。雪がなきゃまだよいが、40cmもあったらもうイヤ。

 箱船内には灯油を置きたくないと、文句を言いながらそうしてきた。だが今年はもうガマンならねえタンクを置くぞ。ご覧の通りである。玄関を入った左のスペースに、置いてしまいました。ちょっと臭うけれど、背に腹はかえられない。

 置いてみたればこれほど便利なことはない。外へ出なくてよいのがこんなに楽だったとは。もっと早くにこうしておけばよかった。バカみたい。問題は、タンクの灯油が切れないように常時気をつけておくことである。

 夜中の給油にこれがカラだったら、それこそタダの馬鹿だ。

’05/01/11 (火)

コードはあるがヒモはナイ


 くずてつ箱船を掃除するの図。

 クリスマスプレゼントよろしく、先月25日から使い始めたdyson DC12animalpro。グワイが良いのに気を良くし、稼動率100%である。床の埃を吸い取るだけでなく、部屋全体の埃を減らすのを最大の狙いとしての導入。17日間経ち、果たして効果はあったのか。

 実は半信半疑な部分もあったのである。部屋の空気より150倍きれいな排気? ホントにそんなことあるのかしらん。

 僕は別にdysonのマワシ者でも何でもない。が、効果は驚くべきものがあった。確実に部屋中の埃総量が、減っているのである。機器の上に積もる埃が、非常に少なくなっている。以前の掃除機では、床は確かにきれいになるが、掃除後に舞い落ちる埃は酷かった。実際、部屋の中が埃っぽくなっているのがはっきりと分かったくらいだから。掃除後に残る特有の臭いも不快だった。

 それがまったくないのである。看板に偽りなし。疑ってゴメンナサイ。dysonさん、アンタはエライ。この掃除機は、オーディオファン推奨品である。

 排気に掃除機特有のイヤな臭いがないわけは、粉塵が混入しないことと、もう一つ。カーボンブラシと整流子がない構造のモーターを使っているからでもある。これがどれほどの技術なのか、僕にはわからない。一エンドユーザーとしては、臭くない掃除機を単純に喜ぶのみである。

 何だかdysonのPRページみたいになってしまったな。ACコードはあるけれど、決してヒモはゴザイマセン。

’05/01/10 (月)

1stセット


 十日戎がやってくると、必ず雪が降る。外はひどい雪降りである。明日の朝には30〜40cmに達するかもしれない。こうなったら冬篭り、雪篭り。できるだけ出かけを少なくし、音楽を聴きましょう。

 RCAリヴィングステレオSACDバージョンである。このシリーズのために新しくマスタリングされたもの。今回買ったのは、昨年秋にリリースされた1stセット10枚である。$109.99だから1枚あたり$10.999、最近の為替レートで1,140〜1,160円くらい。マルチch、2ch、CDトラック付きハイブリッド盤、しかもAD2枚分でこの値段ならハイCP。お買い得である。さらに音がよければ萬々歳。

 「MUSSORGSKY / TCHAIKOVSKY / BORODIN / Reiner / CSO」(米BGM CLASSICS 82876-61394-2)である。カバエフスキー、グリンカの曲も1曲ずつ収録。全20トラック70分57秒。ジャケットにはAD版「展覧会の絵」が採用されている。ネームヴァリュー、ありますのものね。

 リヴィングステレオの「展覧会の絵」は、AD33回転180g盤,45回転片面カッティング200g盤も持っている。CDはない。ので、ADと比較してしまうのは致し方なしである。SACDにはちょっと気の毒なような気もする。

 先ずはADのことは忘れて聴く。2chSACDトラックである。ヒジョーに良い音だ。艶やかで透明感が高く、伸びのあるブラスが朗々と響き渡る。リヴィングステレオ独特の切れも充分。弦楽器は繊細微妙で分解能も高い。低域は締まりがよくハイスピードで、鈍重さ暑苦しさは微塵もない。定位明確、響きはとてもきれいだ。CDではまず聴けない音である。優秀盤。

 テープヒスがやや目立つ感じはあるが、これは余計なフィルターなどのデメリットを嫌ってのことだろう。この手のノイズに敏感神経質な人には、あまりお薦めできない。僕はというと、まったく気にならないのである。妙に静かなよりは音に生気があるほうがずっとよい。ヤバンなのである。

 一通り聴き終え、さてADはどうだろうかと。やはり一日の長あり。元がアナログなのだから当然といえば当然である。何が違うといって、音の厚みである。これを聴いてしまうと、SACDはやや細身でダイナミックさが足りないように感じるのだった。フォーマットの差もあろうけれど、マスタリングの違いもあるかもしれない。

 とは言え、このSACDは優れたソフトである。未だ多寡だか1枚きりの試聴で、尤もらしいことは言えない。他のタイトルもどんどん聴くべし。今月末には2ndセット10枚がリリースされるし、今後の展開が楽しみなのである。2ndセットは絶対買わねばならない。

 なにせあの「シェエラザード」が、含まれているのである。

’05/01/09 (日)

老練


 初荷ソフトのうちの1枚である。「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」(米Classic Records RTH-79478)。復刻盤である。原盤は米Nonesuch Records。(P)(C)1997、復刻盤も同じ(P)(C)になっている。最初の復刻は180g盤、今回入手したのはそれが絶版になった後に出た200g盤である。2枚組。

 恥かしながら、僕はこのグループについて詳しいことを知らない。御歳92であらせられるキューバ人ギタリスト、コンパイ・セグンド氏のことは、さすがに知っていたが。

 '97年にライ・クーダーが仕掛け人となって実現したグループだという。この辺りはディープなファンに詳しいだろうから、僕のような門外漢は多くを語らないほうがよいのである。

 全編キューバン・ミュージックである。ギター、ベース、コンガ、ボンゴ、ピアノと、楽器構成はシンプル。それにボーカルがつく。楽器は全てアコースティック、アンプリファイはされていないようだ。ジャケット内側の写真を見ると、よくエージングされた古いスタジオのような場所で録音されている。独特の雰囲気がある空間である。

 音もその通りで、その場の雰囲気や空気感がよく出た良い録音である。無響室然としたデッドなスタジオとは全く違う。音場は心地良くふわりと拡がり、まさにその場でライブを聴いている感じ。全体的に音に生気があり、リアルで生々しい。ハッタリやコケ脅し的な要素はまったくない。至って自然、かったるい音ではないのに全身リラックスして聴けるレコードである。ハイスピード高分解能タイプのカートリッジでなければ、つまらない音になる可能性もあると思う。

 演奏はさすがである。老成と言うか老練と言うか。一種重要無形文化財的でもある。92歳ですからね。テキト〜に揺れるリズムに枯れたボーカルが乗る。それがまた何とも言えない味をカモシ出すのである。若い人が同じことやったら、タダのヘタクソだ。この快いアバウトな感じは、どこから来たものか。やはり、年輪と風土かな。

 音楽、演奏に関しては、好みの分かれるところだろう。だが、殊、音に関してだけ言うならば、一聴の価値は大いにある。こんなに素直な音は、そうあるものではない。初荷レコード第一発目は大当たり。幸先良くてうれしくなってしまいました。

 明日からは、RCAリヴィングステレオのSACDバージョンを、聴いてみたい。これもヒジョーに楽しみなのである。

’05/01/08 (土)

初荷


 更新が遅れました。ご容赦ください。

 今年の初荷が届いた。例によってソフトである。と書きながら何だかヘンな気がする。こんなこと、前にも書かいたような。デジャ・ヴュかな。過去日誌を調べたら、昨年の同月同日にも「ソフトが届いた」ネタで書いている。な〜にがデジャ・ヴュだ。同じ日になったのはただの偶然だが、要するにいささか多忙な正月が終われば、新しいレコードの一つも聴きたくなるということなのだろう。

 今回はAD4タイトル8枚、SACD15タイトル15枚、計19タイトル23枚。ADは片面カッティング45回転盤が含まれているので枚数が嵩んでいる。SACDは、マーキュリーリヴィングプレゼンスのセカンドセット5枚と、RCAリヴィングステレオのファーストセット10枚である。どちらもセットで買えば少しく安くなってありがたい。

 折りしも昨日から本格的な雪降りである。坂の除雪をきっちりやって、あとは冬篭りよろしくレコードを聴こう。

 AD聴くなら、先ず部屋を暖めなくては。

’05/01/07 (金)

ストックは何のため


 5日の日誌で触れたHMA-9500、9500IIの部品である。SIP型7ピンデュアルFET、μPA63H。長辺19.5mm、短辺6.7mm、厚さ2.8mmの小さなパーツである。電気的諸元については、書こうにも書けるだけの知識がないので省略。悲しい話です。

 これを僕は複数個ストックしているわけだが、いざという時ホントに役立つのかどうか、いささか心配でもある。もし故障した場合、このパーツが原因であると特定することなど、僕にできようはずもない。百万歩譲って特定できたとしても、換装調整なんか絶対に不可能である。ちゅうことはつまり、ただ持っているだけ。自分の手でこれを活かす。絶対ムリである。

 ならば何故にストックするのか。仮に故障し修理に出したとする。「原因はこのFETでした、しかし交換パーツがなく修理不能です」「それなら手持ちにあります、使ってください」と、部品提供できるかもしれない。或いはそう言われたが手持ちになく、困っていらっしゃる方を支援できるかもしれない。そう考えストックするのである。大きなお世話だったりして。

 よしんば無駄になっても惜しくない。1個150円ほど、10個買っても知れている。その程度の投資で、あわやジャンクというHMAを上手くすれば復活させられるかもしれないのである。いささか矮小だが、これも夢と希望である。

 将来、もしこのパーツでお困りの際には「そういやくずてつがエラそうなこと書いてやがったな」と、思い出してください。

 東ニ病気ノアンプアレバ 行ッテFETヲテイキョウシテヤリ。

’05/01/06 (木)

寿命


 初めてコンパクト・ディスクなるものを買ってから、今年で20年が経った。早いものだと思う。記念すべき第一号は写真のタイトル「Deep Purple / Perfect Strangers」(日polydor P33P50001)である。'85年1月6日購入。3,300円だった。何故このタイトルだったのか、たぶん再結成第一作目で話題になっていたからだろうと思う。

 この頃はADも併売されていたが、そっちには目もくれずCDを買ったのである。当時は世の中みんなCD万歳ディジタル万歳。僕もそのうちの一人だった。

 初めて聴いた時、「さすがCDさすがディジタル。なんてクリヤーな音なんでしょうか」と思った。実は猛烈なハイ上がりである。低音不足とも言えるが、それ以上にハイのエネルギーがモノスゴイのである。大音量で聴くと、歪み感が多いこともあって視界が真っ白になる。おそろしい録音である。この頃の、特にロック系CDにはこういうものが多かった。尤も、これはフォーマットの所為ではないのだケレドモ。

 初期のCDジャケットには記録方式についての解説が記されているものが多かった。ディジタルの優位性を説いているわけである。その一部を抜粋してみる。

 「再生時はディスクの表面に全く非接触なので、その寿命は半永久的とも言えます」。

 しかし'90年代に入ってから、この「半永久的寿命」に疑問が投げかけられるようになる。

 ピックアップによる盤の磨耗は、あり得ない。問題とされたのは、アルミ蒸着面の劣化である。ポリカーボネートで保護されているとは言え、吸湿性はゼロではない。エッジ部分からの水分侵入も考えられる。となればアルミ蒸着面は経年劣化で徐々に酸化しボロボロになり、遂には再生不能に陥る。そうなるまでには30年か、否、20年も保たないのではないか。エライこっちゃ。

 そこで今日の20年モノCD。劣化してボロボロか。全く問題ナシ。蒸着面が劣化酸化したふうもなく、正常(録音はともかく)に聴けるのである。同年同月に買ったものが数枚あり、これらも同様である。たぶん発売第一号CD('82年。ビリー・ジョエルのタイトルだったかな)、23年モノも大丈夫だろう。

 ならば30年ではどうだろうか。あと7年後、2012年である。現在でさえSACD、DVD-Aが登場している。その頃にはさらに高次元ディジタルフォーマットへ移行しているだろうし、あまつさえパッケージソフト自体がどうなっているかわからない。何のことはない、CDの寿命とは物理的なものではなく、存在そのものの寿命だったのである。

 心配は杞憂に終わった。無事、天寿をまっとうする(まだ死んでません)と、言うべきであろう。

’05/01/05 (水)

慈しんで使う


 昨日HMA-9500IIのことを書いたら、その兄貴分、HMA-9500にも触れておきたくなった。

 世界初のパワーMOS-FETアンプ、1977年発売。28年前の、太古アンプである。1991年6月、中古で購入。9500II人気の陰に隠れ、驚くほど良心的な値で買ったものである。製造番号01001314H。その時すでに14年もの、それからすでに14年。よくもまあちゃんと鳴っているものだと、感心頻りである。

 一度故障している。買って3ヶ月の頃だったと思う。ある日突然、右chが鳴らなくなった。ボリュームに関係なく大きなノイズが出るばかりである。ラジオ離調ノイズのような、つまりピンクノイズ或いはホワイトノイズ様の持続雑音である。

 近くの電気屋さんを通し修理を依頼した3日後、日立から電話がかかる。エンジニアさんからである。曰く「右ch初段のデュアルFETが死んでいました。困ったことに手許には補修パーツがありません。今、各地のサービスに連絡し在庫を確認中です。代替パーツもなく、修理不能の可能性もあります」と。古いアンプだから仕方がない、とはいえ悲しい状況である。

 半ば諦めかけて半月後、再び連絡あり。「地方サービスセンターに僅かな在庫が見つかりました。急ぎ取り寄せ、それを使って修理します」と言う。感激である。以来14年、故障はない。今も元気で箱船2階のスーパーウーファーを鳴らしている。

 壊れていたパーツは、長さ2cmにも満たない小さなSIP型FETである。μPA63Hという。NEC製。これは9500IIにも使われている共通部品である。とっくの昔に生産終了、今では日立サービスにもない。異番代替品もないと仄聞する。となれば、これが壊れた9500、9500IIはハイソレマデヨになってしまう可能性が極めて高いわけである。

 ウチではすでにリタイヤ組に入っているから、重大問題ではないとも言える。しかし、現在もメインに据えている方もいらっしゃるのであって、そうなれば死活問題だろう。えらいこっちゃ、なのである。

 世の中よくしたもので、生産終了パーツでもちゃんと在庫を持っているショップが、存在するのである。恥かしながら最近まで知りませんでした。株式会社若松通商、樫木総業株式会社などがそれだ。1個140〜150円で買える。今後も永く9500、9500IIを使おうと考えていらっしゃる方は、早めに手当てしておかれるが賢明かもしれない。

 と、これは大きなお世話でもあるわけで。メーカーでは受け付けられないような旧製品の修理を請け負う方が、今はいらっしゃるのである。非常に丁寧で、しかも完璧であると聞く。素晴らしいことである。僕の9500、9500IIも、一度診てもらったほうがいいかな。

 古い製品を慈しんで使う。これもまたオーディオの楽しみ方である。

’05/01/04 (火)

8年


 昨日のジャケット写真、やたらと汚い写真だと思ったら、ソフトで解像度変更する時、低画質モードになっていたのである。高画質モードでやり直したら、少しはマシになったので差し替えることにした。大変失礼致しました。

 さて、もう早三が日も終り、明日(1/4)からはお仕事、という方も多いと思う。お疲れ様です。

 正月三が日というと僕は、写真のパワーアンプP-700を導入した時のことを、思い出すのである。

 これ以前のアンプは彼の有名なLo-D HMA-9500II。'89年に中古で購入、その時すでに太古アンプであった。ワンオーナーものだったが、全身これ改造の嵐。見た目もはっきり言って満身創痍だった。最もスゴかったのはスピーカーアウトである。出力端子は取り去ってあり、大きな穴が口を開いている。そこから太いキャブタイヤケーブルがニョロッと顔を出していた。こりゃ一体どーなっとるのかと、思いましたね僕は。

 つまり、基板上のピンに直接キャブタイヤケーブルを巻きつけハンダ付けし、端子を外して引き出してあるわけだ。ケーブルの長さは20cmくらい、先は5cmほど被覆が剥いてあって、巨大万力式圧着金具でスピーカーケーブルに繋ぐことになっていたのである。

 やり過ぎである。有体に言えば、これはもうムチャクチャである。ダイレクト接続が良いからといって、こんなことをやってはイケナイ。極めて危険である。うっかりスピーカーケーブルを引っかけでもしたらさあ大変。基板ごと引きちぎられてしまうのである。

 こんなままではとても怖くて僕には使えない。聞けば外したSP端子はちゃんとあると言う。あわてて送ってもらい元の状態に戻したのである。過ぎたるは及ばざるが如し。

 それから8年後の'97年1月3日、音を出した瞬間「ポンッ」という異音を発して昇天したのだった。この前半年間くらいはなにやら調子が悪く、そろそろ新しいアンプに替えようかと考えていたから決断は早い。よくぞ8年間も動いたものだ。とりあえず修理はしてみるとして、アンプ交換は決定。その日のうちに注文し、P-700が届いたのは1月8日だった。

 まだまだ新しいアンプだと思っていたら、あっという間に8年も経ってしまったのである。当初は高域の伸びや切れがイマイチで、それを勝手にバイポーラトランジスタと多パラの所為だと決め付け嘯いていた。「やっぱり高域の伸びはMOS-FETに優るものなしだよ、チミィ」とか言って。分かったようなことは言うもんじゃない。

 今や何の問題もない。伸び、切れ、繊細感全て最高。厚みは元々9500IIを遥かに上回っている。音場感もヒジョーに良い。切れと厚みが両立し、さらに艶が加わり音場広大。現状何の文句もない。僕には過分なアンプと言ってよいのである。

 アキュフェーズの製品は、何年経っても完璧に修理される。修理で以前より良くなることも多く、故障が買い替えの機会にはなりにくいのである。P-700をリタイヤさせる時、それはこのアンプが僕にとって「過分」ではなくなった時である。

 一生来ないかも、シレナイ。

’05/01/03 (月)

オーディオ事始


 2005年オーディオ事始はこのソフトからである。「EAGLES / hell freezes over」(英SIMPLY VINYL SVLP-050)。2枚組、180g復刻盤である。いや、元々ADのリリースがあったかどうか、ひょっとすると復刻盤とは言えないかもしれない。誤っていたらゴメンナサイ。

 原盤は米Geffen Records、(C)(P)1994年である。昨年12月18日に注文したものが、大晦日の夕方に届いたのである。バタバタしていて今日まで聴けなかった。そういえば昨年は来日公演があったのだなあ。

 メジャーなタイトルである。僕もCDとLD(!)を持っている。もちろんDVDも出ている。しかし音声がDTSのみ、悲しいことにウチでは聴けないから持っていない。CDは'94年12月5日に、LDは'95年7月20日に買っている。つい最近のように思っていたら、既に10年も経っているのである。そうかー、と感無量。

 最初にCDを聴いた時、低域の厚みに圧倒された。特にかの有名な「Hotel California」のバスドラムは強力である。音に驚いてF特を採ったら、20Hz以下まで充分に伸びていてもう一度ビックリしたという記憶がある。中高域は明瞭で切れもあるが、やや歪みが多く伸び切らない感じ。解像度、繊細感ももう一息。ロックとしては悪くないものの、いわゆるドンシャリ系の音である。LDの音声も同じ印象。CDに比べると僅かに落ちる。

 そこで10年後に聴く180g盤ADである。大好きな「take it easy」から聴いてみる。SIMPLY VINYLには、未だいささかの不信感を残しながらの試聴である。

 ヒジョーにヨロシイ。高域がきれいに伸びて繊細感抜群。解像度も大幅向上、中域の厚みが増してドンシャリ傾向からフラット傾向に。埃っぽさが減って見通しが良くなった。透明感がぐんと上がっている。これは良いレコードです。しつこく疑ってスミマセンでした、SIMPLY VINYL様。

 気を良くして2枚4面一気に聴いてしまった。曲、演奏は言うまでもなく最高、その昔長岡先生が「外盤ジャーナル」に取り上げられた「イーグルス・ライブ」よりずっと良いと思う。ロックファンは買い、イーグルスファンなら必携盤である。但し、メンバー全員さすがに歳食った感じで、演奏の若さや勢いは後退気味である。老練な上手さ、という印象。LDで見るジョー・ウォルシュは、老眼鏡をかけているのである。このヒト、髪を短くしてメガネをかけるとハリソン・フォードに似てきます。

 年頭オーディオ一番に良いレコードが聴けて、僕はとてもうれしいのである。ヨカッタヨカッタ。

 2005年は前途洋々、か。

’05/01/02 (日)

冬の入道雲


 年始のお客様をお受けし、配布物を配り終えて午後5時。わずかばかり日が長くなったかと東の空を見上げれば、大きな入道雲が夕日に輝いている。日本海側の冬はつらくもあるけれど、こういう風景を見ると捨てたものでもないと、思う。今年の元旦行事も、無事終えることができた。

 夜来の雪で、久しぶりに白い正月になった。10cm弱、当地としては何ら問題ない積雪量である。但し、脚下は非常に悪く、お出ましいただくお客様には気の毒なことになってしまった。どんな行事にも言えること、晴れているほうが良いに決まっている。

 入道雲。イワユル積乱雲である。とくれば、雷、夕立、それに虹がセットになる。夏空の代名詞だ。真冬の入道雲、といってもピンとこない方が多いだろう。ところがさに非ず、日本海側では冬にこそ頻繁に現れるのである。コイツが雪を降らせるわけだ。

 今まで晴れていたと思ったら、突然真っ暗になり雷鳴が轟き、冷たい風がひゅうと吹く。雪が降り出すと、あっという間に一面真っ白。夕立雪バージョンである。山の彼方を眺めたれば、そこには日が差し虹が大きくかかっている。この辺りで「うらにし」(本来は晩秋の時雨をもたらす西風の意)と言われる、冬特有の天候である。弁当忘れても傘忘れるな。

 今も断続的に降っている。だが大したことはなく、明日は好天になるとの予報である。来客も今日に比べて少なく、多少なりとも緩やかに過ごせるだろう。

 2005年箱船オーディオ初めは、明日になりそうである。

’05/01/01 (土)

年頭御挨拶


 明けましておめでとうございます。

 ついさっき、除夜の鐘を撞きおわり、2005年を迎えたところである。「荒れた申年」に代わる「酉年」は、どんな1年になるのだろうか。近年には珍しく、元日からの雪降りである。風も強く、半身に雪が積もり笠かけジゾウさんみたいになってしまった。こんな天気でも数十人の方々の到来あり。在り難いことである。

 さて、2005年である。年が明けたとて、僕のオーディオに何ら変わりがあるわけでもなく。相も変わらず20cmフルレンジをアンプダイレクトで鳴らすシステム中心にやって行くことになる。要するに、不器用なのである。

 基本的な構成を変更する予定はまったくない。しかし、Sネッシーは今年中に何とかしたいと、これは本気で考えている。ユニットは変えない。キャビネットである。製作から今年で8年、元々あまり出来の良くない箱である。物持ちのよい僕も、さすがにそろそろ替えたくなってきた。ヒラタキクイムシご一家さんも棲みついていることだし。

 おそらくプロに製作依頼することになるだろう。自作派の矜持はどこへやら。ナニ、基本設計は自分でやるのだから、これだって自作のうちだ。と、勝手に決め付けてしまうのである。ご都合主義です。

 斯くの如く元旦早々にブチ上げておけば、腰の重い僕も少しは動く気になるのである。あとは仕上げをご覧じろ。

 今年もよろしくお願い致します。