箱船航海日誌 2004年10月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’04/10/31 (日)

季節外れのモリアオ君


 1日だけのお休みにするはずが、結果的に2日間になってしまった。どうかご容赦ください。

 台風に地震にと、大規模な自然災害が多発した今年の10月も、今日で終わりである。天気の悪い日がヒジョーに多かった。今夜も外は冷たい雨が降っている。箱船へ入るとき外灯の下をふと見たら、写真の蛙が壁に張り付いている。体長約5cm。アマガエル、にしては大型で扁平、指先の吸盤も大きい。水かきは無く体色は鮮やかな緑。よーく見ると、これはモリアオガエル(♂)だ。

 驚いた。10月末にこの蛙を見たのは初めてである。こんなに寒くなっているのに、どうしたンだろう。もうとっくに冬眠していなければ遺憾のではないか。外灯の光に誘われて集まる虫を狙ってのことだろうけれど、完全に時期外れである。虫はほとんどいない。何かの拍子に冬眠時期を逸したか。早く土にもぐらないと、死んじゃうよ。

 昨年は10月に桜が咲いた。今年は10月中旬まで蝉が鳴き、11月になろうとする今、モリアオガエルがやってくる。台風は10個も上陸したし、何だかヘンである。

 これを以ってすぐさま「異常気象」と決め付けるつもりはない。しかし、何かが変わりつつあることだけは確かなようだ。

 「蛙が土中浅いところで冬眠する年は大雪になる」という。積雪の保温効果で、土の凍結が深いところまで達しないからだと、農業のプロから聞いた。カメムシ予告ならぬ、カエル予告。冬眠し損ねたモリアオガエルの意味するところは?

 今のところ、カメムシは少なめなんだケド。

’04/10/29 (金)

製作順調


 新しいラックの製作者氏から報告があった。ありがとうございます。

 製作は極めて順調だそうである。僕はもう嬉しくて嬉しくて。嬉しさ余ってお送りくださった写真を載せてしまうのである。

 ラックを構成する部材の一部である。図面からするに、これは左右どちらかの側板部分(前後の区別がないのでどちらとも言える)であろう。図面で見るのとは大違いである。ナルホド、15mm厚バーチ合板を曲げ加工すると、こういうふうになるワケだ。形が具現化すると凄い迫力である。写真だけからでも「ラワンベニヤとは何かが違う」と思わせる力があるから不思議である。

 いちばん内側にある板のコーナーを、継ぎ目なしの90度曲面加工することで、ラック全体の構造強度を稼ぐ設計である。前後方向に通しで補強桟を入れたようなグワイだ。菱形歪みを強力に抑え込む狙い。AD再生では、特に大きなメリットを生むはずである。ラック内に立つ定在波の軽減にもなるだろう。アマチュア工作では絶対不可能。ここは木工プロフェッショナルの独擅場である。

 写真の過程では、15mm厚の板を2枚重ねた状態である。30mm厚。これだけでも充分な厚みに感じられる。これに15mm2枚が加わり側板は60mm厚に。天、底板に至っては15mm×5枚の75mm厚になる設計。出来上がりのルックスはどんなものか。

 最近読んだオーディオ雑誌の記事で、アピトン合板120mm厚で組んだ大型ラックを見た。もちろん特注である。ラックというよりは幅の狭い座卓、或いは巨大俎板みたいなルックスである。ロの字型ではないわけだ。あれも強力だろうなあ。こうなると、作り付けラックに近くなる。すべての機器が同じ板の上に載るのは、メリットかデメリットか。120mm厚、しかもアピトン合板となれば、そーゆー細かいことは関係ないか。

 天、底板の厚みを75mmに増やしたのは、このラックの影響である。そうか120mm厚か、それならオイラも厚くしよう、と。僕は馬鹿で単純なのである。

 全貌を見られる時が、実に楽しみである。

’04/10/28 (木)

ニュー・リリース


 中古LPの探索に力を入れ過ぎ、ここ暫くニューリリースのチェックを忘れていたのである。思い立って調べてみれば、興味深いタイトルが数多く出ていた。

 ニューリリースといっても、新譜は少ない。過去のタイトルの復刻盤が中心である。マーキュリー・リヴィングプレゼンス、RCAリヴィングステレオの数タイトルが、SACDでも復刻されている。食指が動く。けれどやはり僕は、ADに目が行ってしまうのだった。

 8日の日誌に書いたブラック・サバス「Technical Ecstasy」の180g復刻盤が出ていて、ちょっと嬉しかった。「Sabbath bloody Sabbath」は相変わらずout of stockで残念。だが、次の入荷が近いそうなのでバック・オーダーしておいた。

 米FIMレーベルからも180g盤LPが、幾つか出ている。45回転盤もある。昨年9月15日の日誌に載せた上のSACDタイトル「autumn in seattle」のADバージョンを見つけて大喜び。早速注文、しようとしてよく見たら、2005年1月リリース予定だった。

 僕はこのタイトルの大ファンで、XRCD2盤も持っている。艶と繊細感、情報量の多さでSACD、切れと力感でXRCD2。どちらにも魅力がある。それがADでも聴けるとなれば、期待せずには居られないわけだ。しかも33回転と45回転盤の2枚組になるという。もちろん180g盤。来年1月が待ち遠しいのである。

 他にもクラシック・レコーズやシンプリー・ヴァイナルから、クラシック、ジャズ、ロック各種取り揃え、多くのタイトルが復刻されている。見ているだけでも実に楽しい。

 中古盤漁りばかりにウツツをぬかさず、時々はニューリリースもチェックせんと遺憾のである。

’04/10/27 (水)

音・楽


 この場所に座って音楽を聴くのも、久しぶりなような気がする。三度のメシよりオーディオが好きだと言えども、それは日常底が平穏無事であってこそ。近しい人々に災厄があったりしては、楽しめない。心から趣味を楽しむための要素、それは平穏と健康である。

 今日は終日、月末にある公式行事の準備作業である。夕方になってそれにも目鼻がつき、夜は少しく時間ができた。ので、リスニングポイントに座ってAD、CDを幾枚か聴いた。

 こういう時、神経を尖らせて音と対決するのはご遠慮申し上げたい。ペンデレツキやクセナキス、アペルギスやパルクール、自衛隊でガンガンやったりしたら即死間違いなし。優しく穏やかな音楽を、フニャフニャと聴くのである。

 システムがご覧のようなモノであると、年がら年中機関銃や爆発音を聴いているように、思われているフシがあるようだがとんでもない。そんなモノを鳴らしている時間など、全体からすればわずかである。ほとんどはマットウな音楽を、聴いています。

 僕は確かにサウンドマニアである。録音が良ければ何でも聴く。ただ、オーディオの起りはロックを聴くため、であったわけだから、その意味では音楽ファンであるとも言える。音楽のジャンル分けにあまり意味が無いように、オーディオファンを細かく分別するのもバカバカしいことなのである。

 結局どちらも、「音楽」。

’04/10/26 (火)

慌しい晩秋

 元の状態に戻るには、まだまだ前途遼遠の感が強い徳さんのお寺である。床下に流れ込んだ土砂の量は半端ではない。今日も復旧作業が続く。僕は業務の都合でここ2日間手伝いに行けない。そうこうしているうちに、いささか規模の大きい公式行事が近づいてくる。例によって僕は幹事役である。

 昨年に続き、如何にも慌しい晩秋に、なってしまったのである。

’04/10/25 (月)

被害少々

 ここのところ台風ネタばかり、これじゃ何のwebページだかワカランのであるが、どうかご容赦願いたいのである。後片付けに忙殺されておりますよってに。

 我がほうには大きな被害がなかった、と思ったら、実は少々あったことが判明した。近くにある兼務寺の崖が崩れ、大きな杉の木(10m超)が1本倒れていたのである。人的被害はなかったのが幸い。建物も無事だった。慌てていて写真撮るのを忘れました。

 しかし、放置しておくわけにも行かず、やはり片付けなければイケナイのである。崖崩れは極めて小規模だし、復旧の仕様もない。杉の木は駐車場の入り口を塞ぐかたちで倒れていたので、プロに依頼し短く切って処分する。

 今日は朝のうち、杉の枝運びであった。全長10m以上の杉の木ともなると、枝だけでも半端な量ではない。一昔前なら風呂や竈の燃料に最適だったろうが、いまやタダのゴミである。寄せ集めて燃やすだけ。本体も杉では買い手がつかない。欲しい人があればどうぞ、くらいである。ヒノキなら少しはマシだったかも。台風23号は、とんでもねえヤツだ。

 明日はまた徳さんのところで泥運びである。おぢさんは筋肉痛です。

’04/10/24 (日)

茫然自失


 隣町への炊き出し助っ人はカミさんに出てもらい、僕は徳さんのお寺へ復旧手伝いに行ってきた。車で国道176号線を25分走る。その間、目にした光景は、聞いていた以上の惨状である。

 土砂が道を完全に塞いでいたと思しき場所3ヵ所、片側車線の路肩が崩れ、表面のアスファルトだけになってしまったところ3ヵ所、大量の流木が流れ込み通行不能になっていたトンネル1ヵ所、小規模の崖崩れ路肩崩れ多数。これらはまさに「同時多発的」に起ったものだろうと思われる。もうムチャクチャである。自然の猛威大爆発。

 危険個所をいくつも通り抜け、着いたお寺の状況がまた凄い。写真は土石流が発生した裏手の沢である。写真右手に見える溝(手伝いの雲水さんが浚っている)、ここが本来の水路である。

 これに大量の土石が詰まり、庫裡と離れを繋ぐ渡り廊下を乗り越え、それでも流れ切れない水は写真手前から奥方向にカーブし庫裡の裏手を通り、床下へ流れ込み本堂前へ出て庭を全面湖にし、山門に至った激流は石段を怒涛の如く流れ下った、のである。

 庫裡に堰き止められた土石のほとんどは、すでに重機によって排除されていた。しかし、よくもまあここで踏みとどまったものである。倒壊流失していても不思議はない惨状だ。不幸中の幸いというべきか。「避難所から戻る時、寺があるかどうか不安でいっぱいだった」と徳さんは言う。さもありなん。

 庫裡、本堂の広大な前庭は、一面泥と石で覆い尽されている。厚さ10cm、多いところでは20cmに達し、山門から玄関に至る敷石はすっかり埋まってしまった。床下にも大量に堆積している。こりゃヒドイ。

 気が遠くなるような光景である。しかしボーゼンとしていても仕方がない。ドカタ七つ道具を携え、遠くは岐阜県多治見市から助っ人に来てくれた8人の雲水さん、応援に駆けつけたモリアオ和尚様、憲さんとともに土石の除去作業開始。

 目が細かく、しかもたっぷりと水を含んだ泥はヒジョーに重く、3時間の作業でも全体の半分に届かない。10人以上で取り掛かってこの有様である。徳さん1人では、絶対不可能。いつ果てるとも知れぬ作業に、体力よりも先に気力が尽きてしまうだろう。

 徳さんとは25年来の旧友盟友である。これまでに幾度も、窮地にある僕を救ってくれた。冗談ではなく、命の恩人である。

 せめてものご恩返しになれば。

’04/10/23 (土)

被害


 ウチから国道176号線を南へ25分、福知山市坂浦付近21日の状況である。この写真は「やまぶきの会HP」さんからお借りした。ありがとうございます。

 山からの水が溢れ、棚田が滝のようになっている。大きな河川の氾濫とは違った、山間部特有の災害だ。おそろしい光景である。

 この近くにある徳さんのお寺では裏の沢が氾濫し、土石流が発生した。もちろん緊急避難である。幸いにも建物はギリギリのところで踏み止まり倒壊は免れた、ものの床下、境内には大量の石と土と泥が厚く堆積し、酷い状況である。いつも綺麗に掃き清めてある境内、もとの姿に戻すにはどれほどの時間と労力がかかるのだろうか。

 隣町では未だに断水が続く地域があり、昨日は炊き出しの手伝いに出てきた。今日もお昼には出かけねばならない。

 ニュース電波には乗らない被害が、ここにある。

’04/10/22 (金)

超台風


 昨日はまだ雲が多く、晴天というわけには行かなかった。今日になってようやく「台風一過秋の空」になりそうだ。明けの明星、金星もきれいに見えている。

 今回の台風23号は、京都府、兵庫県北部に記録的な被害をもたらした。滅多にない、と言うよりも、初めてのことだと思う。後世に伝え遺す被害記録になるだろう。

 これまでの台風で何度も注意を呼びかけられていながら、実際には大したことがなかった所為で、少々油断もあったかも知れない。隣町の中心部はひどい状況である。停電、断水、電話も不通の地域があった。ライフラインの断絶。死者も出た。

 僕の町でも床下床上浸水はあったようだ。最も低い土地周辺を見に行ったら、道路はゴミと泥でグチャグチャ、辺りは何とも言えない臭気が漂っている。磯臭い感じもある。比較的河口に近く、海からの逆流があったか。高潮も起っていたに違いない。

 兵庫県豊岡市(ウチから車で40分)では市街地の90%が水没、にもかかわらず47,000人の市民のうち、非難できたのは3,000人程度という。家の屋根に登って救助を待つ人がたくさんいた。侮って逃げ遅れたんだな。

 舞鶴市内の国道178号線で立ち往生し、水没した観光バス。よくも皆無事に助かったものだ。救助を一晩待ったという。その恐怖や如何ばかりか。フィアレス症候群になりそうである。あの道は僕もよく通るけれど、土地の低さは比類がない。川の水面と道路の高さが、ほとんど同じなのである。今まで何事も起らなかったのが不思議なくらい。

 東は舞鶴市への国道178号線、西は兵庫県出石町への府道、南は福知山市への国道176号線、北は京丹後市への府道。昨日はこれらがほぼ終日不通だった。脱出不可能。朝刊が届いたのは16時である。

 雪への対抗策は万全である。少々の雪では誰も驚かないし、インフラがダメージを受けることもない。しかし、今回のような超台風には、弱い。それがよくわかった。備えあれば憂いなし、と言うけれど、滅多に来ない超台風への備えなど、できっこないのである。

 だがやっぱり、油断があったンだろうなあ。

’04/10/21 (木)

初心


 自作スピーカーの世界に足を踏み入れた最初のきっかけは何だったのだろう。長岡先生の存在は、その前から知っていた。自作記事は必ず読んでいたにもかかわらず、なんとなく敷居が高く感じられ飛び付きはしなかった。

 侮っていた部分もある。ベニヤ板で作ったスピーカーなんか、いい音するはずない。と横目に見ながら、実はいつも気になって仕方なかったのである。「この音は市販では絶対に聴けない」「秋葉原辺りのオーディオショップのおやじに聴かせたら、腰を抜かすこと受け合い」。そりゃ気になりますぜ。

 作る作らんは別にして先ず入門書を読んでみようと、最初に買ったのが「長岡鉄男の傑作スピーカー工作」だった。音友から出ていた全10巻ハードカバーのアレである。本屋さんへいったら10巻揃っていたので全部買った。20年前のことである。

 読み物としても非常に面白い本である。特に巻末の「解説」は秀逸。どの機種も読んでいるうちにだんだん作りたくなってくる。中でもBOOK;9(表紙が日に焼けてマダラになっている)-No.48、D-70の解説は最高である。

 「(前略)特長はやはり圧倒的な腰の強さ、爆発力、怒涛の寄り身だ。レンジは広大で、情報量はやたらに多く、高分解能で、立ち上がりのよさと同時に、余韻、ホールエコーの長さ、深さも印象的。音像音場は実物大(後略)」

 ヒジョーに魅力的な解説である。

 しかし一方で、ホントかな、とも思った。@11,800円(だったかな)の20cmフルレンジ2個とベニヤ板で作るスピーカーである。そんな音が出るのか。@10万円以上のメーカー製システムよりイイ? しかしまさかウソを書かれるようなお方ではあるまい。

 僕は生まれつき馬鹿で単純なので、あれこれ思い悩むのは苦手である。ウソかホントか、作って聴いてみれば分かるわけだ。初めての自作なんだから、もっと簡単なヤツにすればよいものを、どーせやるならデカいヤツ、とD-70に決めてしまった。

 出来上がったD-70を聴いた時、その後の僕の道は全て決まってしまったわけである。先生の言にウソはなかった。まったく解説どおりの音だったのである。それまで聴いていた市販スピーカーなど鎧袖一触。俺はこれまで何を聴いていたのだ。

 と、僕は自作スピーカー(この場合大型BHシステム)の音が、一発で気に入ってしまったわけだが、誰もがこうなるわけではないと思う。やはり市販が良い、と感じる人がいても不思議ではない。人それぞれである。

 音の良さに喜んだのはもちろん、同時に自分で作ったスピーカーからマトモな音が出たことも、ヒジョーに嬉しかった。平らな板から立体を生み出した、という達成感もある。ひょっとするとこっちのほうが楽しかったのかも知れない。

 今、設計から製作まで自分でやった(といっても先生のヴァージョンに過ぎない)スピーカーを聴く。完璧な音で鳴っている、はずもなく、何かと文句は多い。が、僕はいつも幸せな気持ちで聴いている。

 ムツカシイことは言わず、初心に帰って単純明快に喜んだほうが健全なのである。

’04/10/20 (水)

また出る


 analog誌を読んでいたら、このタイトルがまたADでリリースされるという記事があった。「Amanda McBroom / DREAMING」である。

 「また」と書いたのには理由がある。写真は僕が持っているもの。1986年に米GECKO RECORDSからリリースされた180g盤ADである。限定盤仕様で「#0142」のシリアル入り。1995年購入。STEREO SOUND RECORDSの通販だったと思う。その後、Analogue Productionsから180g盤で出ていた時期もある。

 チマタでは優秀録音で通っていると聞く。実際、良い音である。何と言っても声が良い。伸びがよく色気と艶がある。ジャンルで言えばたぶんポップス系になるのだろう。全体としても歪みが少なくきれいな音である。厚みもある。誰もが気持ちよく聴ける音楽、しかも優秀録音。この辺りが何度も再発される理由だろう。

 今度の新盤は、Magnum Recordsというレーベルからのリリース。これで3つのレーベルから出たことになる。移籍が激しいのである。

 XRCDの技術をアナログに生かした盤であるそうな。もちろん180g盤である。CD(XRCD2盤)も同時に発売される。海外ショップを覗いたら、既にカタログに入っていた。そう言えばニューリリース案内が来ていたような気がするな。

 GECKO時代には180gAD、通常CD、ゴールドCDの3種があった。全部持っている。個人的にはADが好きだが、CDもよくできている。通常盤とゴールド盤の差はさほど大きくない。しなやかさと繊細感でわずかにゴールドの勝ちか。ぼんやり聴いていたら分からないと思う。Analogue ProductionsからもゴールドCDが出ていた記憶があるようなないような。定かではないからゴメンナサイ。

 同じタイトルが3つのレーベルから、ADCD含めると7〜8種あるわけだ。全部そろえて聴き比べるのも面白い、けれど、それほどモノスゴイ録音でもないような気もする。今回の新盤にも興味はあるものの、箱船システムとXRCD系ソフトとの相性があまり良くないのは気になるところ。何故だかわからない。昔からそうなのである。

 興味ある方は買っておいて損はないと思う。良い音楽、良い音です。

’04/10/19 (火)

analog


 遅れ馳せながら、analog誌第5号を読んだ。スピーカーシステムがそうであるように、ADプレーヤー、カートリッジとも海外製品の元気さが目立つ感じである。と同時に、二極分化がここでも進んでいると思った。オーディオ全体を包む波である。

 550万円のADプレーヤーにはぶっ飛び。しかもアームレスだから、カートリッジまで考えに入れれば600万円くらいのシステムになる勘定である。マイクロSX-8000IIやトーレンスプレステージどころの騒ぎではない。えらいこっちゃ。たぶん音は極めてオーソドックスなのだろうな。

 国内製品は少々寂しい状況である。そういう中でも健闘するメーカーはある。写真のeminentをリリースするマイ・ソニック・ラボは、そういうメーカーの一つである。

 eminentは正攻法で作られた、極めてオーソドックスなカートリッジである。そうでありながら音は画期的だ。使い始めて半年、その音には未だに新鮮な驚きがある。導入以前よりもADを聴く時間が長くなり、他のプレーヤーの稼働率が低くなってしまった。

 カートリッジは最新である。しかしアーム、モーターはかなりのご老体だ。それがウチでは最もの働き手である。あまり笑えない話だ。

 analog誌は、今号から季刊化されたという。ADに対する読み手の関心が、それだけ高まっているということだろう。喜ぶべきことである。

 '90年代初頭、AD再生受難時代がウソみたい。

’04/10/18 (月)

壮麗清澄


 先師超祥忌(7回忌)は、厳かなうちに無事圓成した。先師はご生前から恐ろしいまでの晴れ男で、行事の大小に関らずおおよそ雨降りになったことがない。ある行事では、台風の直撃間違い無しと言われていながら、開式の途端晴れ間が広がった、という事例もあるくらいだ。

 今日もその例に漏れず超快晴。亡くなってなお、神通力は健在である。住持された寺号が良い。何せ「海清寺」である。

 写真は法要が営まれた、本山妙心寺法堂(はっとう)天井に描かれるところの「雲龍図」である。狩野法眼守信(探幽:1602〜1674)筆。明暦2(1656)年の作というから、348年前の作品になる。直径12.5m、大迫力の天井絵である。

 床から天井までの高さは約13m。龍が睨みを利かせるもとで、100人以上の読経が響き渡る。実に壮麗である。この厚く清らかな響きをオーディオで再現できればと、少々不謹慎な想念を抱いてしまった。遺憾遺憾。

 多くの懐かしい人とも再会した。これも全て御遺徳であると先師を偲び、僕はとても清澄な気持ちになることができたのである。

 御世話いただいた皆々様、どうもありがとうございました。

’04/10/16 (土)

七回忌

 明日は早朝から京都市内への出張りである。修行時代の師匠の7回忌が、本山妙心寺で営まれる。我が大恩師の法要とあらば、欠席するわけにはいかない。万難を排して馳せ参じるのである。

 「わしが死んだら皆こういうのさ。『叩いても死なんような憎たらしいジジイだったけど、もう○年も経ったなあ』とな。おまえさんも法要には来てくれよ」

 厳しくも温かく、洒脱で老練。雲水指導の達人だった。約束通り、明日は老師が育てた300人以上の弟子と一緒に、お経を詠むのである。

 報恩謝徳。

’04/10/15 (金)

排除したり保護したり


 朝の気温が10℃を割った。寒いのである。居間にはコタツが出た。こうなると炎熱の夏も懐かしく、これからの冬を憂うのであった。ああ、寒いのはキライだ。クマが狙いをつける柿も、すでに熟柿になろうとしている。

 里へ出てきてニンゲンを驚かすクマのほとんどは、害獣扱いで射殺されるのだそうだ。今年になって1,000頭以上がその憂き目に遭ったと聞く。RDB(レッドデータブック)にリストイン(京都府では絶滅寸前種)し、保護が叫ばれているものなのに、大丈夫なのかしらん。

 と思っていたらある県では、今年の狩猟解禁を中止にすると発表した。これ以上殺しちゃ遺憾というわけである。毎年許可される捕獲数は当該県内生息数の1割だそうで、今年は害獣として射殺された数がそれを超えたためだという。

 ぶち殺したり保護したり、大変にお忙しいことである。クマもいい迷惑だろう。自分たちの知らないところで、ニンゲン様の勝手に命の行方を左右されているのだから。

 いまやすっかり絶滅してしまったニホンオオカミ、絶滅したらしいニホンカワウソ。かつては京都府内にも普通に生息していた。数が減ったと慌てた時にはもう遅かった。人間が生きて行くうちに他の生物を淘汰するのも自然の営みだと、言えないこともないわけである。

 「自然との共存」。僕にはいまいちピンと来ない。人間の奢りに聞こえるのである。しかし、まあいい。奢り高ぶっておけばよいのだ。そのうちニンゲン様にも、まちがいなく絶滅危機の時がくるだろうから。

 そのときには誰が生息数の調整、保護をするのだろうか。

’04/10/14 (木)

1年


 T-300Aを導入して1年を過ぎた。早いものである。昨年の今頃は、Cをどれくらいに設定するか、何を使うか、あれこれ考えている最中だった。結果、T-300Aを1.8μF、T-500A(当初はそうだった)を0.8μFで繋ぐことに決定。この定数は今も変わっていない。グワイが悪ければ変更するつもりだったものが、まずまずいいところに当っていたようだ。T-500Aは後になってJA-0506IIに変更した。やはり僕はコレの音から離れられないのである。

 この1年間の鳴らし込みは、充分だったとは言えない。1日平均の稼動時間は多く見ても2時間に満たないと思う。なかなか時間が取れないのである。そうするというと2×365で730時間、24で割って30日。数字の上では1ヶ月間ぶっ続けで鳴らしたのと同等である。エージングの進みグワイもそれと同等、とは行かないところがオーディオの妙である。

 鳴らし始めからすると比較にならないほどスムースになり生硬さが失せたのは確かである。最初から超絶高解像度、高分解能を見せつけたトゥイーター、それもさらに向上している。しかしまだ良くなりそうな手応えを感じている。

 理想的には1日あたり6時間程度、現実的にはその半分くらいを毎日鳴らしてやりたいところである。絶対無理だ。CDなりSACDなりをリピートしておけば可能だが、何だかあまりピンとこない。何でもいいから鳴らせばよい、というほど単純なものでもないと思うからである。本音を言えば、ADをバンバン鳴らしたいのダ。

 それでも僕は時間帯や曜日に制限されず大音量再生が可能、という恵まれた環境にあるわけで、一般的な水準からすればエージングは順調に進んでいると見るべきである。これ以上のゼイタクを言うと、バチが当たるのである。

 一旦コレと決めたら腰を据えて鳴らし続けることも使いこなしの一つだと、開き直りのような言いわけのようなことを呟きながら、可能な限りADを聴こう。そのうち、もっと良い音が出始めると信じて。

 鳴らぬなら、鳴るまで待とうT-300A。字余り。

’04/10/13 (水)

久しぶりだから分かる


 このタイトルを日誌に取り上げるのは、'00年12月14日'01年3月17日に続きこれが三度目である。くずてつボケたか。いや、確信犯である。

 「BAMBOO/Pierre Esteve」(仏shooting star CD BAMBOO)。最初に載せた時は思いの外反響が大きく、入手に走った人も多かったようだ。ところがこのCD、'97年ごろには容易に買えたものが、'00年には入手がやや困難だったと聞いた。今はどうなんだろう。全11曲56分20秒。

 3〜4年前は毎日のように聴いたタイトルである。ここのところなぜかご無沙汰で、久しぶりに聴いてみた。

 やはり良いCDだと思う。曲もさることながら、録音が良い。高域の繊細感としなやかさはCDらしからぬ音だ。音場感も良い。いちばん好きなトラック11「Flowering Mystery」だけのつもりが、知らぬ間に全曲通して聴いてしまった。これはただのα波ミュージックではない。サウンドマニアも大満足の音である。

 わざわざ三度目に取り上げたのは、以前よりも良い音で聴けるようになっているからだ。以前のシステムからの大きな変更点。それはWAGC302と、T-300Aの導入である。今さら何を言うかっちゅうハナシである。しかし、永く聴かなかったタイトルを久しぶりに聴くと、音が良くなったことに改めて気付かされるのも事実だ。

 解像度、トランジェント、繊細感、しなやかさ、瑞々しさ。どれもが少なからず向上していると感じた。WAGC302、T-300Aとも、導入に間違いはなかったようである。ヨカッタヨカッタ。

 僕のようなタコ耳オーディオマニアにとって「昔よく聞いたが今聴かない」ソフトを、もう一度聴き直すことは極めて重要ではないかと、思っている。時々はコレをやらないと、道を見失って見当外れの方向へ飛んで行ってしまいそうな気がするのである。

 オーディオは趣味である。ので、何をしようとどんな音を聴こうとどこへ進もうと、それは完全に個人の自由である。好きなようにやればよいのだ。しかし、少なくとも個人比では過去より現在のほうが良い音だと、感じたい。好き勝手やりました、そしてハタと気がつけば以前より音が悪くなってました、では如何にも寂しいのである。

 上記タイトルの他にも永く聴いていないものが山ほどある。まとめて聴こうかな。

’04/10/12 (火)

クマ退散


 今日もニュースではクマ遭遇被害を伝えている。柿を食べに来くるクマに困り、柵を作っている最中に出くわしあちこち引っ掻かれて合計48針縫うことになってしまったおじさん。庭先で出会い頭にぶっ叩かれ、顔の皮がめくれてしまったおじさん。特急列車がクマをはね、ダイヤに遅れが出た北陸本線。ウチの近所では一昨日、公民館の周囲を歩き回るのが目撃され大騒ぎになった。幸いケガ人は出なかったようだが。

 近所にクマが棲息する環境。僕はこれを決して厭うつもりはない。どちらかと言えば喜んでいる。絶滅危惧種が身近にいるのである。どんどん棲息してください。しかし、である。

 やっぱりいきなりカオをぶん殴られて皮がめくれるのはイヤだ。痛いのもコワイのもキライである。ともかくもだしぬけに出くわすことだけは避けなければならない。お互いのためでもある。クマだって人間が怖いのだから。

 そこで、夜に母屋⇔箱船を移動する時は、写真左の鈴を鳴らしながら歩くことにする。仏事用の鈴である。「振鈴」という。青銅製。全長130mm、ベル部分の最大径53mm、重さ200gと小さなものだが、なかなかに強力である。

 写真右は、この鈴をマイク軸上2mで軽く振った時のF特である。強振すると完全にスケールアウトしてしまう。超高域の伸びが凄い。当たり前のハナシである。表示されているのは20kHzまで、実際にはもっともっと上まで伸びているはずだ。

 この到達力と切れのある超高域が、クマには効くのですねえ。ドアを開けたらまずチリチリ〜ンと一振、近くにいないことをよく確認し、後はチリチリ鳴らしながら速やかに移動する。こうすれば、安全である。と、思う。

 身の安全が確保できているのならば、ちょっと姿を見てみたい。などとノンキなことを、ゆってはイケナイのである。

’04/10/11 (月)

ご指摘感謝


 今月2日の日誌中、「正鵠を得た」(下から6行目中ほど)という表記について、親しい友達から指摘をもらった。「急所をついたという意味であれば、『正鵠を射た』ではないか」というものである。ご指摘ご尤も。実は僕自身「射る」か「得る」か、どちらが正しいのか判然としなかったのである。

 そういう時に必要になるのが、国語辞典である。曲がりなりにも毎日文章を書いている。僕の持つ語彙、語学知識など多寡が知れている。そうであってみれば、手許に国語辞典を置くのは必須である。

 常用するのは、久松潜一・佐藤謙三編「角川国語辞典」である。昭和44年12月1日初版発行。現用は昭和59年1月20日発行の、第74版である。修行時代、昭和59年3月に買ったものだから、20年以上使ってご覧の通りボロボロだ。

 これにて「正鵠」を引いてみたれば、次のように記述されている。

 せい‐こく 【正鵠】セーコク 名 《文語的》 《「せいこう」は誤読》 1.的の中心にある黒点。 2.要点。急所。 〜を得る→要点をとらえる。

 これをよりどころとし、僕は「正鵠を得た」と表記したわけだが、では友達の指摘にある「正鵠を射る」は誤りなのだろうか。

 そうではない。彼は極めて思慮深い人である。調べもせずに思い込みだけで不用意な、それこそ正鵠を得ない指摘をするような人ではない。キチンと辞書をあたった上での指摘である。

 辞書によって表記が違っていたのである。彼が調べた辞書では「正鵠を射る」となっていたという。ならば「射る」「得る」については「どちらも正しい」とするのが正解だろう。「射る、とも」「得る、とも」などと併記してくれれば親切だと思う。よすがとすべき国語辞典なのだから。両者とも、最新版では改訂されているかもしれないが。「大辞林」「広辞苑」なども、あたってみるべし。

 昨今、日本語の乱れ、国語力の低下が叫ばれている。「なにげに」(何気なく、のつもりか)「ふいんき」(雰囲気か?)「よさげ」(良さそう?)「〜してあげる」(〜してやる、は死語?)「すいません」(済みません?)。こういう言葉が、僕には耳障りで仕方がないのである。中学国語教師が「なにげに」などと喋っているのを仄聞するにつけ、憤懣遣る方なし。

 斯く言う僕に、誇れるほどの国語力があるとは到底思えない。毎日の日誌をお読みいただけば一目瞭然である。とんでもない思い違い、或いは勝手な思い込みによる誤りは、山ほどあるに決まっているのだ。さればこそ、今回の友達からの指摘は大変ありがたいことである。今後もドシドシご指摘願いたいのである。

 でき得る限り、正しく美しい国語表記を心がけたい。

’04/10/10 (日)

考えるのは自由


 ラックの裏側から機器を眺めながら、レイアウト変更をシミュレートする。最も気を使うのは、SAGEALさんのご投稿にある通り、ケーブルの引き回しである。表から見て使い勝手が良くとも、裏から見ればケーブルが錯綜してしまうこともあるわけだ。下手にやれば長さが足りなくなることもある。三次元的シミュレートが必要になるのである。

 結局いろいろ考えた挙句、P-700をラックの外に出す、だけで終わってしまいそうな雰囲気である。写真に見えるB-2302を手前側に引き、空いたスペースにP-700を置く。ラックの後方にパワーアンプが2台並ぶ形である。この配置ならケーブル長が不足することはない。

 今、C-280VからP-700へ行くケーブルはU字型に曲げてあるが、レイアウト変更後はL字型に接続できる。ケーブルにかかるストレスが、いささかながら軽減できるだろう。C-AX10→B-2302間のケーブルも、今より直線に近い形で繋げるようになる。これは決してデメリットにならないはずである。なにしろWAGC302は、異常に硬くて重いケーブルなのだ。これが素直に引き廻せることを第一に考えねばならないのである。

 パワーアンプをスピーカー方向へ寄せることになるわけだから、スピーカーケーブルも僅かながらも短くなり、これもメリットと言える。P-700の放熱効率が良くなるのは大きなメリットである。

 おそらくこの変更のみになる。と言いながら、DP-85をP-700スペースに移し、空いた天位置には2台目のADプレーヤーを置いても面白いか、などと良からぬことを今思いついたりして。プロジェクターを挟んでADプレーヤーが2台並ぶわけだ。M85さんなど、ADプレーヤー4台並列(直列?)配置ですからね。それに比べりゃカワイイもんです。C-280VのPEQは現在アクビしていることだし、使ってやらねば勿体無いということもある。

 と、ラックの完成を待つ間、あれこれと思案を巡らすこの時がヒジョーに楽しいのである。だから待つのはちっとも苦にならない。僕のような思考トランジェントの悪い奴は、考える時間があったほうが良いのである。

 さあて、どうしようかなあ。

’04/10/09 (土)

レイアウト再考


 新しいラックが完成すれば、まずは旧ラックとの入れ替え作業が急務である。写真右側のラックには、天位置にDP-85、下にP-700。プロジェクターを挟んで左側のラックには、天位置にADプレーヤー、下には御影石の上に載ったDVD-H1000が入っている。

 どれも決して軽いものではないから、簡単には済まないのである。特に、ADプレーヤーを動かすのは気を使うわけだ。しかし、ここはどうしてもやらずばなるまい。良いラックが出来てくるのだから。

 ついでに機器レイアウトも変更しようかと考えている。こういう機会でもない限り、重い機器を動かすことなどできそうに、否、しそうにないのが僕なのだから。

 ADプレーヤーとDP-85は、そのままで良い。放熱の向上を考えれば、P-700はラックから出し床直置きにしたいところである。空いたところにラックからはみ出ている機器を入れる。DVD-H1000の下の御影石は単なる重石である。ラック新調なれば必要なくなるだろうから、ここにも何かを入れることができる。

 各機器を繋ぐケーブルの引き回しも睨みながら、今のゴチャゴチャした状態を少しでも整理したいのである。機器レイアウトは、思いの外音に影響を与えるものだ。見た目綺麗であれば、音も抜けが良くなりスッキリするのである。

 以前、この風景を見て「工場みたいだ」と呟いた人がいた。工場。言い得て妙である。しかし、それでは遺憾のダ。少なくとも方舟のレイアウトは、さらに機器が多かったにもかかわらず工場には見えなかった。もっともっとスマートな配置だった。こういうところにセンスが出るわけである。

 配置計画表を作っとかんと遺憾です。

’04/10/08 (金)

Sabbath bloody Sabbath


 ネタに困るとソフトへ逃げる。

 このオドロオドロしいジャケットを見て、クラシックやジャズのタイトルだと思う人はいない。間違いなくロック、それも先月2日に紹介したCDと同じスジのものである。「Sabbath bloody Sabbath/Black Sabbath」。再発を重ねた独盤(AD)である。レコード番号はまったく参考にならないと思うから記載しない。1973年発表。邦題「血まみれの安息日」。このセンスは何なんだ一体。

 僕と同じ世代のロックファンなら良くご存知のグループである。グループ名よりもバンドのボーカル、オジー・オズボーンのほうが有名かな。曲でちょっと知られるのは「パラノイド」か。最近CMにも使われていた。

 この手のレコードには録音の良いものが非常に少ない。歪みだらけでFレンジが狭く、Dレンジは小さく音場感は皆無。聴くに堪えない音がほとんどなのである。このタイトルはまだまし。レンジは狭く音場感もない、けれど歪みは比較的少ないし、音に透明感がある。優秀録音には程遠くとも、まあまあ聴けるほうだと思う。31年前の録音だケド。

 ショップサイトを見ていて、このグループのタイトルが180g盤ADで復刻されていることを知った。デビューアルバム、2ndアルバムなどが既に発売されている。それなれば、是非ともこの「血まみれの安息日」も復刻してもらいたいと、思っていたら出たのである。大喜びで買いに行ったらあっという間に「out of stock」になっていた。シマッタ。買い逃しである。くそー。仕方がないから次の入荷を待とう。

 同グループのアルバムの中で、個人的にはいちばん好きなタイトルである。以降は徐々にヘビメタ色を強め、僕にはちょっとツラくなってくる。オジー・オズボーンが脱退し、後釜にロニー・ジェイムズ・ディオ(レインボウのボーカルだったヒト)が入ったアルバム「Neon Knight」('77年発表。復刻されている)はどうも遺憾。そんなのより「Black Sabbath Vol.4」を先にやってくれ。録音悪いからダメかしらん。

 この次々作、「Technical Ecstasy」('76年)も悪くない。と言っても、今や誰も知らんか。

’04/10/07 (木)

復活ソフト

 電脳オンチの僕には珍しく、今日はPC関連ネタである。ベテラン諸氏にはタイクツな話だ。ご勘弁を。

 先日、業務関係で記録写真を撮った。印刷へ廻す時の利便性と、多少下手な写真でも後でゴマカシが利くのとで、デジカメを使った。便利便利。ところが、である。そこに落とし穴が、あるわけである。

 何をやってんだか、うっかり全消去してしまった。消すべきものと残すべきものを完全に取り違えたのだった。うわーえらいこっちゃ。個人的な記録なら、残念でした、でオワリだが、公的な性質の記録だったからグワイが悪い。こういう時に限って、ほかに記録を残している人が一人もいないのである。あった、と思ったら参加者の記念撮影だったりする。それじゃダメなのよ。あー弱った。

 頭を抱えて悩む姿は、ある意味では美しいのさ。と泉谷しげるは歌うがそんなユーチョーな話ではない。どうしようどうしようと、狼狽するばかりである。オロオロ。

 うんうん唸っていたら、頭の中に一筋の光明が差した。そういえば、何かの本に「うっかり消去してしまったファイルを復活させることができるソフトウェアがある」という記事が載っていた、かすかな記憶がある。これだ。今はこれに縋るしかない。

 早速Googleで検索する。そうしたら、ちゃんとあるンですねえ。パッケージソフトからフリーソフトまで色々と。シェアソフトでも安価である。お恥ずかしい話、僕はゼンゼン知りませんでした。こんなソフトがあるなんて。ドシロウト丸出しである。ベテラン諸氏から見れば、僕なんぞ原始人並み。何時の時代のニンゲンか。

 何と言っても安心なのは市販パッケージソフトである。が、時間がない。ので、機能は限られるものの、初心者でも使えそうなフリーソフトをダウンロードしてみた。

 僕はもうカンドウしました。見事、削除した画像ファイル全て完全復活である。ソフトの注意書きに「完全に復活できないファイルもあります」とあったが、今回は完璧である。いやあ、助かりました。地獄に仏とはまさにこのこと。

 しかし、頭を冷やして良く良く考えたならば、手離しで喜んでばかりも居られないのではないか。今回は誤って消去したファイルの復活に使った。ということは、意図的に消去したファイルを復活させることも、当然できるわけだ。使いようによっては、ヒジョーに危険である。さらに、完全に消去したと思い込んでいたファイルが、実はメモリー内で生きているという事実。こんなのゼンゼン消したことにならない。メモリーの空き容量を確保しているだけである。うーむ、無知は怖いのである。

 以前、あるベテラン氏から「デジカメは不用意に人へ貸してはいけないよ。たとえメモリーカードをフォーマットしてあっても。どうしても貸すなら、カードだけは先方で用意してもらいなさい」と言われたことがある。その時は理由まで聞かなかった。ナルホド、こういうわけだったのね。

 すさまじい速さで進化するPC周辺事情。幸せなのか、はたまた不幸なのか。

’04/10/06 (水)

保護獣


 学名Ursus thibetanus、英名Asiatic black bear、哺乳綱食肉目クマ科。早い話がツキノワグマである。体長1.2m〜1.4m、体重60kg以上、大型のオスでは140kgに達する。胸にある白い模様が「月の輪」のように見えることが和名の由来。模様の形や大きさは個体によって異なり、「月の輪」がまったくないものもいる。それじゃただのクロクマだな。

 クマの話題は幾度か書いたことがある。今年は例年にも増して出没例が多く、もちろんウチの近所、というより庭にもお出ましになっているようである。勝手口を出たところにフンがあった。幸い、今のところ出くわしたことはない。あったらタイヘンだ。

 夜、母屋から箱船へ移動する時、或いは母屋へ帰る時。僕はドキドキするのである。ドアを開けたらそこにクマ、だったらどーしよーかと。クマ除けには音の出るもの、例えば鈴、ポータブルラジオなどが有効だという。クマは耳がよく、人間の気配を察知すると逃げてくれるからである。

 但し、彼らの耳はロー落ちらしい。高域には非常に敏感、低域はほとんど聴こえない。ちゅーことは、箱船でガンガンバンバン音を鳴らしても、漏れるのは低域だけだからあまり効果はないわけだ。だから鈴、なんだな。でも、ホントにロー落ちなのだろうか。実験したのかしらん。

 目は良くないらしいが、嗅覚はイヌ並みに鋭敏だそうな。何でも食べる雑食性、フンからイノシシの蹄が出てくることもある。獲って食うわけだ。すごいね。甘いものが好きで、特に秋は、柿や栗を好んで食べる。どっちもウチの庭に、ありますがな。

 冬眠するクセに寒いところが好きなようで、昔は京都府北西部〜兵庫県北東部(ちょうどこの辺りである)が生息分布の南限(西限というべきか)とされてきた。現在は中国、四国にも分布することが分かっている。九州にも極少数分布するが、目撃例はほとんどないという。絶滅危惧種である。

 さて、夜中箱船から出たところで出会い頭に襲われたら、鋭い爪で頚動脈を切られて即死である。それはできればご遠慮申し上げたい。と言うてテッポで撃つ、のは遺憾。京都府では大切な保護獣なのである。それ以前に、殺生は遺憾のである。

 ヤッパリ熊鈴ですかねえ。それとも熊除け用のミニスピーカー作って首から下げて歩くか。低域は出なくてよいのだったら、裸ユニットでも良いかな。

 都市部とは違った危機管理が必要な、田舎暮らしである。

’04/10/05 (火)

CRAMMEDとSUB ROSA


 昨日のCD-Rが紹介されたダイナミック・テストの記事は、何時のものだったかとファイル(A4のホンマモンである)を捜しているうち、上のようなCDタイトルを見つけた。「spears into hooks/MEIRA ASHER」(墺CRAMMED CRAM095)。FMfan'99年第10号に紹介されている。

 「メイラ・アシェル」か「マイラ・アッシャー」か。よくわからない。オーストリアの人らしいから前者かな。録音などの詳細については記載なし。(P)(C)1999となっているから、'98年〜99年頃の録音か。9トラック55分14秒。

 長岡先生の紹介記事見出しにはこうある。「平和への祈りを歌った現代曲。時に雑音。時に絶叫。ゲテモノ」と。ジャケットに写るスキンヘッドの女性。この人がメイラさんでしょう。中身を聴く以前に、もう完全にそーゆー雰囲気である。

 如何に先生紹介のタイトルとは言えこんなのは買わねえよなあジャケットだけでダメだもんなあ買ったって聴かんだろうしなあでも買う人は買うンだろうなあ大変だなあボカァ絶対買わないよ。

 よくもまあヌケヌケと言えたものである。ブツブツ嘯きながら昨日のCD版をラックから見つけたら、その隣りにコレがあった。どひゃー、オイラ買ってたんだぁ。しかも、同じ時に同じ店で。完璧に忘却の彼方。たぶん一度も聴いていないものと思われる。どんな音、どんな音楽か、まったく記憶にございません。いい加減にも程がある。

 折角だから、聴いてみた。

 後悔しました。どの曲も30秒と聴けません。確かにレンジは広く音も悪くない。超低域の伸びが凄い。しかしコリャ、雑音です。僕はゲテモノも平気で聴く。が、これは完全に守備範囲外である。リアルハードゲテモノマニア向けだ。おそらくもう二度と聴かんと思う。

 今も入手可能(誰も要らんな)かどうか、少し検索してみた。ちゃんとありました。立派なwebサイトが。一番上にある「CRAMMED」をクリックすればカタログページへ行ける。もう一枚「DISSECTED」(CRAM094)というタイトルもあるらしい。

 以前利用したことのあるゲテモノ専門海外ショップでも検索してみたところ、レーベル名ではヒットしなかった。アーティスト名で1件ヒット。何処のレーベルから出ているのかと思えば、それは彼の正体不明ゲテモノレーベル、ベルギーSUB ROSAだった。何をかいわんや。ともかく、このスジの人なのである。

 興味あるお方は是非どうぞ。ワタクシは、ご遠慮申し上げておくので、ゴザイマス。

’04/10/04 (月)

guillemets


 時と共に聴く頻度の高いタイトルは遷り変わって行く。これは何方にも共通することだろうと思う。webサイトを立ち上げた4年前、僕はどんなものを聴いていたのだろう。極めていい加減な記憶だけを頼りにラックをゴソゴソ捜してみる。

 そういえば、と目が止まったのが上のタイトルである。「osamu saruyama pour contrebasse」(日guillemets 004)。ダイナミック・ソフト(FMfan'99年第6号)に紹介されたCD-R盤である。猿山修氏のコントラバスソロと、モリシゲヤスムネ氏のチェロとのデュオ、合わせて4曲63分20秒。「ジャズを母体とした即興演奏」であると、解説には書かれている。1998年3月27、28日、杉並区井草地区区民音楽センターで録音。機材はAKGのマイクとマイクアンプ、パイオニアのDAT D-07だけである。

 これをよく聴いていた。特に1曲目。コントラバスソロである。叩く、引っ掻く、擦る、はじく、引っ張る、転がす。何でもアリの奏法で強烈な音を聴かせる。

 最近あまり聴かなくなった。何故だかわからない。今、改めて聴いても録音は極めて優秀である。透明で清澄、歪み感なし。瞬発力があり音に生気が漲っている。音像はソリッドで実在感抜群。非常にリアルである。全域に渡ってハイスピード、もたつきは皆無。非常にシンプルな録音に加え、CD-Rであることが効いているのだろうか。4年前より良く聴こえるところを見ると、僕も多少は進化しているらしい。ちょっと安心した。

 実はこのCD-R、正規CD盤もあるのだ。ジャケットディザイン、品番はまったく同じなので、外からは見分けがつかない。CD-Rはレーベル直接購入、CDは大手ショップで売っていた。僕は'99年当時、たまたま立ち寄った石丸SOFT1で買った、はず。

 音はほとんど違わない。よ〜く聴けば、多少CD-Rのほうが透明感と切れに優る、ような気はする。たぶんブラインドで聴かされたら、僕には判別できないだろうと思う。

 どちらも大変優れたソフトだが、さて、今も手に入るのだろうか。「guillemets」或いは「ギュメ」、さらには「猿山修」で検索してみたが、それらしいレーベルにはヒットしなかった。元々猿山氏が一人で運営していたらしい、超マイナーレーベル(とさえ言えるかどうか)だったから、どうなっているのかいささか不安である。解説書には連絡先が載っているけれど、5年前の情報である。ここに書くのは差し控えたほうが良いような気がする。

 このCD-Rを買った時、なぜか猿山氏ご本人から電話があった。注文の確認だったと思う。ついでに少し世間話をした中で氏はこうおっしゃった。

 「いつか僕も、長岡先生の方舟へお邪魔したいと思っています」

 僕は「お会いになれば、きっと多くのことを得られると思います。方舟でコントラバスソロを録音できれば、面白いですね」と言った。それきりになってしまったのは残念である。猿山氏が方舟を訪問されたという話は、ついに聞けなかった。

 今となっては、願っても叶わないことである。

’04/10/03 (日)

四周年

 拙webサイト「船長の戯言」も、今日を以って公開以来四周年を迎えることができた。この4年間はあっという間であったような、同時にまだ4年という印象もある。いずれにしてもここまで継続できているのは、すべて毎日ご閲覧いただいている皆さんのおかげさまである。心から御礼申し上げねばならない。本当にありがとうございます。

 0-1年目63,000件、1-2年目134,000件、2-3年目179,000件、3-4年目196,000件、計572,000件超。この4年間のアクセス数である。年々増加しているのが大変ありがたくもあり、またヒジョーに恐ろしくもある。延べ57万回ものご閲覧に、充分堪えているとはとても思えない。忸怩たる思い、また慙愧に堪えない。

 されど身の丈以上に背伸びしてみても、結局ロクなことにはならない。知らないこと、分かっていないことは山のようにある。いつも念頭にある言葉は「継続は力なり」。これだけである。能力の知れた人間にできることと言えば、ただ続けることくらいのものだ。続けてどうする、どうなるとも思わず、只管打坐の如くに。

 斯く言う僕は凡庸極まりない人間である。皆さんからの反応があると、すぐに嬉しくなってしまうのだった。ネガであってもポジであっても、それらは全て大いなる励みになるのである。この思いは4年間まったく変わらない。

 今後、質の飛躍的向上がある、とは思えませんが、変わらぬご愛顧とご閲覧を、よろしくお願いしたいのでございます。

 皆さん、本当にありがとうございます。

’04/10/02 (土)

願い


 今日はとてもいいお天気だった。一昨日から昨日にかけては、またまた台風上陸で大荒れだったわけだから、まさに台風一過である。気温は30℃近く、庭の桜でツクツクボウシが鳴いたのには驚いた。うっかり出てきてしまったのだな。可哀想に、いくら鳴いても、メスはもうどこにもいない。

 それほどの陽気でも、花はちゃんと秋の訪れを知っている。金木犀が咲き始めているのである。これは正しく秋の匂いだ。芳香剤にこの香り(もちろん人工生成)が頻用された時期もあったが、最近は随分と減ったようだ。香りにも流行があり、近頃はレモン、ライム、グレープフルーツなど、柑橘系に人気が集まっているらしい。爽やかさが売れる時代。

 金木犀の匂いが漂い始めると、僕は拙webページを立ち上げた時のことを思い出すのである。げんきまじん氏、流離いの旅人氏に手取り足取り、一からお教え願ってサイトを作ったあの時を。

 その旅人氏のwebサイト「百万円以下ホームシアター」が、突然閉鎖されてしまった。極めて残念である。何故なのか、僕はよく分からないで居る。掲示板には、いささか手厳しい(しかし正鵠を得た)投稿もあったようだが、あれしきのことで凹んでしまうようなお人とも思えない。ただでさえ寂しく感じる秋に、ネット接続以来4年半、毎日閲覧してきたサイトが閉鎖されるとは、尚更に悲しい思いで一杯である。

 「実りの秋」という。その季節に、仲間のサイトが消えて行くのは如何にも無念でならない。同じ思いを抱く人は、決して少なくないはずだ。

 旅人氏の復活を、心から願う。

’04/10/01 (金)

責任


 8月は暑かった所為か随分と長いように感じたのに比して、9月はあっという間に終わってしまった気がする。10月、最早季節はすっかり秋。ああ、さみしいなあ。

 先日、初めて方舟へ行った時のことを書いた。その後、1999年12月14日に最後の訪問をするまで、何度お邪魔したかわからない。最初は音を聴かせてもらうに専一だったが、最後のほうは音よりも話とダイナミックテストのお手伝いが中心になっていた。ヨタ話したりユニットやアンプの目方量ったり寸法測ったり。これがまた楽しくて。

 今から思い返せば、随分いろんな話をした。いつか先生がおっしゃっていたことに、「ココに来て音を聴いて、とてもこんなことはできないとオーディオ熱が萎える人、逆に俺もやってやると異様に熱が上がる人、の両方がいる。人間観察としてはおもしろいけれど、責任も感じるね」と。

 僕は馬鹿だから、後者だ。異様に熱が上がってしまったクチである。さすがに建物までのデッドコピーはできなかったが、どうやらハーフサイズくらいは実現できた。中身は当初ほぼデッドコピーである。部屋が違って中身が同じ。冷静に考えてみれば上手く行くはずがないのである。完成から4年後、「オーディオ漫遊記」でお出でいただくことが決まった時、「楽しみにしてますよ。僕にも責任があるからね」とおっしゃった。

 「アナタの好みからして20cm1発では足りない」。先生の、この一言が現用スピーカーシステムを作るきっかけである。部屋が違うにもかかわらず、システムだけはデッドコピー。その矛盾に気づかず上手く行かないと小手先対策に拘泥している馬鹿には、最高のアドヴァイスだったわけだ。

 思えばありがたいことである。この言葉がなければ、僕は今も進めずにいたかもしれない。同じようなことをやり、同じように悩んでいたことだろう。

 何とかしてやらんと遺憾という、責任感。長岡先生、優しいお人でした。