箱船航海日誌 2004年08月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ 

’04/08/31 (火)

8月を総括する

 休載2回、画像なし(今日も)9回、更新と呼ぶにはオコガマシイ日が7日以上。惨憺たる状況である。どうにも気力が減退し、そうでなくとも品位の高くない日誌が、ますます低品位化してしまった。正真正銘の「戯言」である。誠に以って情けない話である。

 オーディオに熱意を失ったわけでもなく、webページ運営が重荷になったわけでもない。ただ、今年の8月は殊のほか疲労感が激しかった。何故だかわからない。特に暑い夏だったから、と考えられもするけれど、僕は暑さには強いほうなのである。

 ネタ切れ、なのは今に始まったことではない。書き始めて4年、いつも四苦八苦してきたことに変りはないのである。ネタとは、無いと言えば全く無いし、あると言えばいくらでもあるのだ。要は何処に目をつけるか、だけの問題である。自分がつまらんネタだと判断しても、読んでいただく方々からすれば興味を惹くものかもしれない。その逆も、もちろんあり得るわけだ。その辺りの力加減が、今もよく分からないでいる。

 一旦決めたネタで書き始め、ほぼ書き終えたところで読み返し突然イヤになり、全部削除してまた最初から、ということもよくある。こうなるとその日はもうダメ。リスタートした日誌は、ロクなものにならないのである。それを自覚しながらどんどん掲載してしまうのだから、いいコンジョしているのである。

 最近、己が文章の稚拙さを思い知らされることがあったのも、更新が懈怠気味になった一つの原因であろうかと。世の中は広い。僕の知らないところに文章の達人が、ちゃんと存在するのである。そういう方から「毎日読んでいます」などと言われた日にゃ、僕はもう恥じ入り小さくなるしかないのでゴザイマス。

 しかしながら、身の丈以上に突っ張ってみても仕様がない。と、気がついたり開き直ったり。僕は僕の出来た様に続けて行くしかないのである。

 どうにも芳しくない8月総括ですが、今後ともよろしくのご愛顧を、お願いしたいのでございます。

’04/08/30 (月)

当り年


 今年は台風の当り年だそうで、さきほど鹿児島に上陸した台風16号で6つ目の上陸と聞いた。最多タイ記録だという。

 このあと、おそらくウチ辺りにも接近するのだろう。幸い、大概の台風はここまで来る頃にたいぶんと弱っていて、大きな被害が出ることは滅多とない。近年最も酷かったのは13年前、1991年10月の19号だったと思う。

 あの時は怖かった。深夜の通過だったが、猛烈な風と雨に古い庫裏が飛ばされやしないかと眠れなかった。玄関の引き戸が風圧で内側に膨らむ光景など、その時以来見たことがない。あとで聞いたら最大風速は40mを超えていたそうだ。

 「風速50m超もよくあること」というのは沖縄に住む友達の弁である。そりゃあそうだろう。あの辺りにいる時の台風はまだまだ元気だから。「木の葉が柱に突き刺さる」「ガラスは割れずに穴が開く」とも言う。そんなアンタ、サンドブラスターみたいな風がコッチで吹いたら、家なんか忽ち吹っ飛んでしまいます。

 瞬間最大風速の日本記録は、1966年9月5日に宮古島で観測された。85.3m/秒。とんでもない風である。もちろん立ってなんかいられない。イキもできない。その前に、一瞬で飛ばされる。殺人的風速である。

 今回の16号も、今年上陸した中では特に強力なヤツだと言う。九州、中国地方の方々、くれぐれもお気をつけください。

’04/08/29 (日)

10年超えたら


 経年劣化といえば、写真のエアコンもかなりくたびれているような気がする。200V仕様、業務用天井埋め込みタイプである。

 箱船1階には、一般的に言うところの「天井」がなく、したがって天井裏もないので埋め込みができず剥き出し状態で設置してある。視覚的に許せない方もいらっしゃるだろうけれど、これも音とコストダウンを狙った苦肉の策である。

 稼動させてみた瞬間、後悔したエアコンである。さすが業務用、騒音低減対策は皆無。ゴォゴォとヒジョーにやかましいのであった。それでも効率は良く、一般的な6畳間の約8倍近くある容積をキンキンに冷やすのはエラいもんだと、納得して使っているわけだが。

 うるさいことだけがデメリットではなかったのである。4m弱の天井に取り付けてあるせいで、メンテナンスが大変。フィルター掃除はオオゴトである。高い脚立にのぼり仰向けでフィルターを外し、持って降りて掃除してまた取り付ける。これが僕は怖くてイヤなのである。

 しかし、定期的にこれをしないとドレンパイプに埃が詰まり、排水が逆流し本体から溢れ出すおそれがある。エアコン真下にはオーディオ機器があるのだ。考えただけでオソロシイ。

 掃除をすれば、僅かながらも騒音は低くなるし効率も良くなる。ので、イヤだイヤだと文句を言いながらも作業するのである。最近、作業直後でもあまり静かにならなくなってきた。エアコンも、ご老体なのである。

 以前、長岡先生から「10年を超えたらメンテナンスにお金がかかるようになるよ」と聞かされたことがあった。まったくその通りなのである。

’04/08/28 (土)

維持管理


 箱船1階の窓を覆うカーテンは、二重になっている。外側に遮光率100%の遮光カーテン、内側(部屋側)にはエンジ色の暗幕、という構成である。単純に外光を遮る、ということならば遮光カーテンだけで事足りるわけだが、一重では隙間からの漏れが気になる。万全を期して暗幕との二重にしたのだった。

 先日、久しぶりにこのカーテンを開けてみた。おそらく数年ぶりになると思う。滅多に開けないのである。開けてビックリ遮光カーテン。トラブル発見。

 遮光カーテンの裏側(光に当る側)は、ビニール様の物質でコーティングしてある。布目からの光漏れを防いでいるわけだ。これが風邪をひいてニチャニチャになってしまっている。古くなった輪ゴムみたい。11年間紫外線に曝され、すっかり劣化したのである。ヒダが部分的にくっつきあい、それを剥がせば写真の有様。コーティングがハゲてしまった。要するに、交換時期なのである。

 暗幕のほうは直接外光に当ることがないので、まだまだ使える状態である。遮光カーテンだけ交換すれば大丈夫だろう。

 11年経てば、当然建物内外装とも老化するのである。維持管理のことなんか、すっかり忘れてました。というより、まったく頭に無かった。アホである。

 今後は、あちこちに気を配っておかないと遺憾ね。

’04/08/27 (金)

劣化

 お盆が終わってホッとして、里帰りして愚息のイトコがやってきたら、またぞろ業務が多忙になってしまった。主電源までスイッチOFF状態だったので、立ち上がるのに随分と時間がかかってしまうのである。リニアリティ悪し。

 オーディオ機器の電源を常時ONにしているように、僕も瞬時に立ち上がれる状態に、しておかねばならないのである。

 年々過渡特性が、劣化して行くのである。悲しいなァ。

’04/08/26 (木)

里帰り

 ご無沙汰していた妻の実家へ出かけてきた。1年以上見なかった愚息のイトコは、随分と大きくなっていて、ちょっと驚いたのだった。タケノコと同じである。ちょっと見ぬ間に大きくなる。

 と思ったら、帰りにイトコ2号がくっついて来てしまった。ウチの2号と同級生である。夏休みの最後を、こんなイナカで過ごすのだそうな。それもまた良し、か。宿題はすべて完了しているから、心置きなく遊べるという。心配なのは我が愚息。アイツら、一緒になって遊び呆けておるケレドモ、大丈夫なのかしらん。僕はもう知らんぞ。

 あとで泣きが入ることは間違いなし。まあ、それも学習でしょう。がんばって遊んでくだせえ。

’04/08/24 (火)

派閥制度

 僕は、ユーレイながらオーディオサークル「ミューズの方舟」の会員である。サークル設立から10年目、1990年秋に関西支部が発足した時、入会した。もう14年経つわけである。その間、会員としての義務(そんなんあったかな?)は、まったく果たしていない。にもかかわらず退会勧告も無しに会員でいられるところが、このサークル七不思議の一つである。

 実に奇妙、というかフシギなサークルである。明確な会則があるわけでなし、会費の徴収があるわけでもなく、東京本部に支部を云々する権限もない(と思う)。しかし、本部支部とも定期的に集会を開いているし、ご存知の通り東京本部では毎年イヴェントを開催している。大上段に構えることなく、自然体で運営されているからこそ、長続きしているのだろう。

 24年間もの永きにわたって会が存続する理由の一つに、派閥制度の導入がある。会員にはいろんな人がいる。親長岡鉄男の一枚岩サークルでは、決してないのである。アンチ長岡派は多いし、どちらでもない派、どっちでもエエ派、まったく自作しない派、ユーロサウンド派もいる。正に千差万別。派閥に入るも入らないも、一人派閥を立ち上げるも、まったく自由である。

 派閥制度の導入は、かつての黒幕、長岡先生の発案だったそうだ。「一枚岩のサークルは、異端を排斥する傾向になりがちである。そうなれば会の永きにわたる存続は望めない。オーディオは宗教ではないのである。そこで派閥制度を導入し、異端を生まない会にする」という趣旨、だった、ように記憶する。このやり方は、結果的に大成功であったと言える。

 「ワシ、今日から派閥を立ち上げるもんね」と自ら派閥長におさまるも良し、「オイラ、この人を派閥長にして構成員になるから」といっても良し。僕はもちろん派閥の長になるほどの器でもなんでもない、タダの下っ端ユーレイ会員である。ので、後者の道を選んでいる。

 好き勝手にある人を選び「ワタクシは某派の構成員でゴザイマス」と公言、はしないが心に固く誓っているのだった。おそらくたった二人の派閥、おまけに誰も知らんし本部に認知もされていないと思われる。我々は少数精鋭ウラ派閥なのだと、これも自分勝手に決め付けている。恣意的に派閥長と祭り上げられた某氏は、さぞご迷惑なことだろう。

 数あるオーディオ系webサイトを閲覧していて感じること。それぞれのサイトに集まる人は、自然と決まってくるようだ。それはあたかも培養地に置かれたバクテリアが、無作為ながらも自然にコロニーを作りつつ増殖するが如くである。掲示板を見れば一目瞭然。投稿するに何ら制限はないにもかかわらず、知らず顔ぶれが固定されて行く傾向にあるのは面白い。

 これも一種の派閥と言えはしないか。だとすればそれは良い傾向である。それぞれの違いをそれぞれが認めながら、しかし皆同じオーディオファン、仲間である。斯く認識できれば、オーディオ界の未来は明るいと思う。ネット進化の副産物である。

 長岡先生、こうなることも見通していらっしゃった、かな?

’04/08/23 (月)


 もう少しで書き終る、というところでスイッチ切れ、ブラックアウトしてしまった。更新が遅れました。ご容赦のほどを。

 夏が終れば秋が来る。どういう巡り合わせか、秋は新しい機器を導入することが多い季節である。と同時に、オーディオファンのお客様が多い季節でもある。来月、再来月と、2〜3件の問い合わせがあった。できる限りお応えしたいと考えている。

 初めて箱船へお越しになった方の多くが発せられる問い。それは「このような大音量でも、音漏れはまったくないのですか」というものである。僕はいつもこう答える。「完全に音を遮断するのは不可能です。音漏れは必ずあります。しかし、ご近所様や家族への迷惑にならない程度の遮音特性は取れているので、問題ありません」と。

 10m厚鉄筋コンクリート壁でも持ってくるか、或いは真空層で部屋を包んでしまうかすれば、完璧な遮音が実現できるだろう。極めて非現実的である。箱船の壁構造は、決して理想的とは言えない。限りある建設費の中で、ギリギリの線を狙ったつもり。

 外から順に120mm厚鉄筋コンクリート、25mm厚スチロフォーム、130mm空気層、100mm厚重量ブロック、12mm厚石膏ボード、その上に壁紙が貼ってある。設計上の壁厚は387mmになるわけだ。要するに本家方舟のデッドコピーである。ALCを重量ブロックに置き換えただけ。

 この厚みを目視して実感できるところ、それが上の写真である。1階入り口ドア部分。ホールと階段室を隔てる壁の厚みを見ることができる。実測420mm厚。設計値よりも33mm厚くなっている。誤差か、建具が取り付けてある所為か、よくわかりません。薄くなっているより良いとしよう。

 一般的な壁からすれば、えらく大袈裟な厚みである。無駄の極致だ。しかし、この厚みを以ってしても完全な遮音は望めない。漏れるのである。遮音工事の専門家に施工して貰わないからだ、イヤ、何よりおまいの再生音量がデカ過ぎるからだ、ナドという説もあるわけだが。

 箱船にお越しになったらば、音のデカさと壁の厚みと音漏れのグワイ、以上三点を、ご確認ください。

’04/08/22 (日)

夏が終る


 愚息ドモの夏休みも、残すところあと10日余りとなった。初頭は余裕をぶちかましていた彼らも、いよいよ焦りが見え始めたようだ。その原因は知れたこと、宿題の進捗状況である。何時の時代も、子供は皆同じ。と、ウチの愚息をリファレンスにしては、他のお子様に失敬である。

 ペーパーワークについては、二人とも終了しているようだ。あとは絵と自由研究をやっつけるべし。ナカナカの難物を残してくれているのである。

 愚息2号は黄色いゴーヤに感激し、その成長記録を自由研究にあてるという。日誌ネタ用に写真を撮っていたのが幸いだった。新しく撮り下ろした写真とともにプリントアウトし、大判画用紙に貼り付け成長過程に応じてキャプションをつけるのである。ホームページの製作と似ていると思った。

 1号は、ネット上から「シャーペンの芯で電球を作る」という実験を引き出した。1.5V単一乾電池6本を電源に、芯をフィラメントとして赤熱させる実験である。0.3〜0.9mmの芯を各種取り揃え、どれがどのくらいの時間で焼き切れるか、どれが最もフィラメントに適しているかを観測するそうだ。こちらも画像つきの報告書を作るということで、随分たくさんの写真を撮らされた。

 上の写真はそのうちの1枚である。景気よく赤熱しているのは0.5mmHB芯である。同径のH、2H、B、2Bなども実験した結果、硬い芯ほど早く焼損する傾向にあるという。フィラメントには柔らかめの芯が向いているようだ。カーボン/バインダー比の問題か。C/P比ならぬC/B比である。

 宿題に焦る愚息ドモの姿を見ながら、僕は毎年思う。夏が終るのである。

’04/08/21 (土)

ここよりはじまる


 炭山さんからのご投稿にある、別冊FMfan(以下"別F")第50号である。1986年6月19日発行の夏号だ。月日の経つのは速くって、もう18年も前になってしまった。あの時僕は、25歳だったのだなあ。

 表紙には時代が出ている。記事見出しに曰く「デジタル時代のプリメインアンプ/セパレートアンプの試聴リポート」「カセットデッキ研究〜話題のダブルデッキの実力を探る」など。表紙を飾るCDプレーヤーは、当時評価の高かったビクター/XL-V1100(当時150,000円)である。長岡先生がヤマハ/1000Mモニターのユニットネジを増し締めする、クリニックの一場面も見える。

 恥かしながらこの号は、僕が初めて購読した別Fである。それまでは専ら「サウンドレコパル」「ステレオサウンド」の読者だった。FM誌も本誌FMfanや週間FMではなく、FMレコパルを買っていた。何故だかよくわかりません。いずれにしても別Fは、とても読み応えのあるオーディオ誌であって、僕は大ファンだった。

 別F50号を買ったきっかけは何だったのか。極めて単純である。その頃使っていたCDプレーヤー、ソニーCDP-553ESDの評価が載っていたからに過ぎない。しかもそれは長岡先生の筆によるものではなく、故・高島誠先生の記事であった。自分が使っているモノの評価が、ヒジョーに気になっていたのである。「単体ではイマイチ、是非とも別売のDAC(DAS-703ES/250,000円)と組み合わせて使え」と書いてあり、ガッカリしたのを覚えている。当時の僕に250,000円は大金(今もだ)だったのである。

 「長岡鉄男のオーディオクリニック」は、そのついでに読んだようなものだったのだ。運命の出会いというものは、何気なくやってくるものらしい。僕にとって極めて重大なできごとになったのは、現在の有様をご覧いただければ一目瞭然である。もし、この本を買わなかったならば、箱船もSネッシーも戯言も何も無かったと言ってよい。

 炭山さんのおっしゃる、お寺の息子さんも凄い御仁だった。それよりも何よりも、僕はD-70を自作していらっしゃる方の記事に魅入られてしまった。長岡BHの中でも特に優れたルックスを持つD-70、しかも美しい純白である。さらに使いこなしが非常にカッコイイ。JA-0506IIの美しさにも打たれた。羨望とも憧憬ともつかぬ気持ちで、いつか僕にもこんなことができる時が来ればと、何度も何度も読み返したのだった。

 縁とは不思議なものである。この記事を読んだ数年後、僕はご本人と出会うことになる。まったくの偶然である。今から思えば必然だったと言えなくもないけれど、その時はほんとうに驚いてひっくり返りそうになった。爾来十数年、今やこの方無しに僕のオーディオは在り得ない。正に運命の出会いである。

 その後、別Fは第59号(1988年10月19日号)で廃刊。第60号(1988年12月27日号)から「AV FRONT」としてリスタートする。大変優れたオーディオ・ヴィジュアル誌で、毎号とても楽しみに購読した。然るに時代の流れは速い。これもまた1993年1月号を最後に休刊となる。今以てなお残念である。

 その系譜は今、AUDIO BASIC誌にしっかりと受け継がれている。僕のオーディオを決定付けた雑誌の遺伝子は、今なお存続しているのである。喜ぶべきことだ。

 炭山さん、今後のさらなるご活躍を、大いにご期待申し上げます。

’04/08/20 (金)

愚考


 以前からご縁のある方よりメールをいただいた。この方、木工のプロフェッショナルである。「お手伝いできるようなことがございましたら何なりと」という、嬉しくもありがたいお言葉。技術のほどは充分に存じている。職人レベルである。ご連絡、ありがとうございます。

 50mm厚鉄板ラックはあまりにもムチャであるし、やはり現実的にはウッドラックということになるだろう。高い技術と設備を持つプロに依頼すれば、強固な接着接合も余裕で実現できるはず。現用60mmを超える板厚、ホゾ組み接合も可能かもしれない。

 この方に製作をお願いすれば、さぞかし美しく強力で、精度の高いラックが出来上がること間違いなし。何だか嬉しくなってしまった。こりゃあ図面を書かないと遺憾。

 折角新設計するのだったら、何かひとヒネリしたいと、思う。がしかし、構造的には極めて単純、タダのロの字型である。どこにヒネリを加えられるのだろうか。

 僕の不出来なアタマで思いつくのは、ラック内部に定在波が立ちにくくなるような工夫をできないか、ということくらいだ。如何に前後に吹き抜けた形状とは言え、天地左右は平行面が対向している。これがいささか気になるのだった。実際に悪さをしているのかどうか、ワカラナイのだが。

 吸音材を貼り付けておけば大丈夫、という話もある。ご尤も。そこはそれ、自作派無勝手流とプロの技で一工夫できないかと、考えるのである。

 板の内側に、ゴルフボール表面のようなディンプルをつける、っちゅうのんはどうだろうか。それなら穴を開けてしまうほうが簡単迅速。個人的には、できるだけ板の強度を落としたくないのである。ディンプルはゴルフボールほど多くなくともよいと思う。大きく浅いものを三つ四つ、ランダムに配置する。

 これが良いのか悪いのか、まったく分からない。徒に強度を落とすだけ、さらにパラボラ集音効果が出てしまって、全然ダメだったりして。労多くして功少なし。企画倒れの可能性大である。

 と、これはあくまでも僕の勝手な思い。愚考である。実際に製作するとなれば、問題も多いことだろう。

 好きなことをほざいております。ご無礼ご容赦のほどを。

’04/08/19 (木)

50mm厚鉄板ラックの夢


 一昨日はラックネタ、昨日は鉄板ネタ、今日は両方を併せたような鉄板ラックネタである。

 もう何年前からになるだろうか。鉄板ラックを考えている。どのようなモノかといえば、かなりムチャなものである。構造は現用ラックに同じ、単純なロの字型。それを構成するのは、50mm厚鉄板なのである。もし、現用と同一外形寸法で作るとなると、670×450×50mm鉄板が2枚(天、底)、300×450×50mm鉄板が2枚(左右縦板)必要になる。外形670×450×400mm、間口570×300mmの大型ラックである。

 鉄の比重は7.87。1立方cmあたり7.87gの質量になるわけだ。ちゅうことはつまり、天板1枚の重さは....(只今計算中)....ガーン、なんということだ、118.6kgにもなるのだった。縦板1枚53.1kg。総重量343.4kgの鉄ラック。う〜む、凄い。床の強度に憂慮すべき点はないので、是非とも置いてみたいものではある。

 しかし、である。1枚100kg以上の板を、どうやって搬入するのか。仮に搬入できたとして、どうやって組み立てるのか。板同士の接合はどうする。仮に仮に搬入組み立てができたとして、移動の必要が発生した時にはどーするのか。ヒトジニが出る可能性大。

 さらに、これだけの鉄板となると、それはスサマジイ容量を持った振動コンデンサーになるだろう。おそらくダンプは不可能。盛大に鳴きまくり、おっそろしく鉄臭い音になるのではないか。うっかりスピーカーユニットなどを近づけようものならさあ大変。カーンッとくっついて離れない。ユビを挟んだら血を見ること間違いナシ。ヒトジニは出るわユビはちぎれて飛ぶわ、命懸けのオーディオになってしまうのである。

 さらにさらに、如何に安価な鉄と言えども、これだけのサイズとなれば相当な値になるはず。一体幾らになるのか見当もつかない。

 てなことをつらつら惟るに、実現できないまま現在に至るのであった。金属加工の専門家にお伺いを立ててみたこともある。「ヤメたほうが良いと思うよ〜」。当然である。

 それでも思いを捨て切れない僕は、大変人。

’04/08/18 (水)

好き様


 昨日の写真は中央左側のラックである。右側にも同一サイズのものが置いてある。同時期に作ったものだから、当然同じ問題を抱えているわけである。左右非対称になるのもイヤなので、交換するなら二つ同時、ということになるだろう。

 こちらの天位置には、ご覧の通りCDプレーヤーが載っている。ADプレーヤほどではないにしろ、脚下の強度は高いほど良いに決まっている。そこで20mm厚の鉄板を2枚重ねし、その上にプレーヤーを置いているわけである。

 1枚20kgを超える、非常に重いものである。2枚で50kg近くあるだろう。1枚では鳴き易いけれど、重ねれば多少はダンプされ鳴きは減る傾向にある。友達から「不要になった」と言ってもらったものである。うちではたいへん有用である。これとて「対症療法」に過ぎないのだが。

 オーディオマニアさん達には、鉄嫌い、磁性体嫌いのヒトが多いのはなぜだろう。僕だってそのうちの一人といえるかも知れない。スピーカー周りに鉄を使うのは、何だかイヤである。ユニットの磁気回路に何やら悪さをせんだろうかと、穿ってしまうのである。

 「鉄臭い音になる」と言う人もいる。鉄瓶で沸かした湯冷ましを飲んだような感じかな。鉄分補給で体には良さそうだが、それとはチガウか。僕はプレーヤーの下に敷いて鉄臭くなったとは感じない。重量付加のメリットが、デメリットを上回っているように思えるのだった。

 趣味だから何をやっても良いわけで、とんでもない間違いでアンプが火を噴き隣りの家まで類焼、なんてことにならなきゃOKだと思う。尤も、何をしてもよいと言って、オノレの所業が最上第一だと言い誇ることと同義ではない。それとは問題が別である。

 自分が納得しているのならばそれで問題なし、他の仲間には別の方法、論法がある。どうもおかしいと感じた時には、仲間に教えを乞うが良い。好き様にやりながら、自他ともに認め合うことが最も重要なのである。

 一人っきりで生きて行くことは、できない。

’04/08/17 (火)

照顧脚下


 オーディオ機器を擬人化して語るのは趣味ではない。しかし、機械と言えどもこれらも「生きている」と感じることも多くある。特にADは、電気的要素以外に機械的要素による音の違いに敏感である。万全には程遠くとも一応の手当てはできたと安心、していては遺憾。経時とともに劣化している部分もあるのだから。

 ハウリングのヌカルミに拘泥したのは2年半前。御影石ベースを敷いたりラックを補強したり総重量を増やしたりの対策を打ったわけである。結果、マージンは上がり明瞭な音を得ることができた。とりあえずは成功だったと思う。

 されど再考するならばこれらの対策は「頭が痛いから鎮痛薬を飲む」といった対症療法に過ぎない。痛みの大元は何か、原因を究明しそれを根治しない限り、再び頭痛に悩まされるわけである。

 僕のADは、今まさにそういう状況にあるようだ。いくら重量付加したところで、それを受け止めるラックに問題があっては何の意味もない。ラックが弱いからL型金具で補強、これこそ場当たり的対症療法である。当初はそれなりの成果を上げていたものの、時が経つにつれて効果減退。基本的に病は根治していないのだから、当然の帰結である。

 根治するに方法は一つ。ラック交換である。新しく自作する、のはもうよしておきたい。メンドクサイから、というよりは精度が出ないからである。重ねた板を全面接着すること、接合部を強固に固定すること、いずれも僕の工作技術では追い切れない。それらに完璧を期することが、病の根治につながるわけだから疎かにはできない。

 となれば、その道のプロ製作によるラックが必要。厚く重く強度高く、汎用性もあるもの。そんな都合の良いラックがあるのかどうか。新しい機器だ云々だという前に、それを捜すのが最優先だ。

 照顧脚下、なのである。

’04/08/16 (月)

やはりAD


 今夜京都では、大文字焼が行われたとニュースが伝えていた。送り火だ。お盆は終わったわけである。僕も少しく時間ができた。久しぶりに、ほんとうに久しぶりにADを聴こう。

 やっぱりADは良い。音の輝き、艶、瑞々しさ。どこをとってもディジタルメディアを大きく上回る。音場も渺々として広大、聴感上のレンジも圧倒的に広い。高域の伸びと切れ、中域の厚みと抜け、低域の押し出しと深み。言葉にすると薄っぺらくなってしまうのは残念、ともかく最初の一音が出た瞬間、忽ちにして音に魅入られてしまうのだった。これぞオーディオ、である。

 これまで幾度も書いてきた如く、僕には電気的専門知識が皆無である。いくらエラそうなことを言っても、理屈は皆目ワカラナイ。恥ずべきことである。

 されど、斯かる電気的蒙昧の輩であっても、充分に楽しめるのがオーディオの良いところである。音を聴き音楽を聴き、それらが己の好きな音で鳴ったれば、そこにヤヤコシイ理屈は要らない。

 何故にディジタルメディアよりもADは音が良いのか。僕は説明する言葉を持たない。「良いものは良い」としか、言えないのである。将来、ディジタルがADを圧倒する時がやってくるのかどうか、僕にはわからない。しかし、もしその時が来たならば、僕は躊躇なくディジタル再生へ乗り換えるだろう。

 音が良ければ、入れ物は何だったって構わない。乱暴なようだが、無知ドアマチュアはあまり深く考えないほうがよいのダ。ナントカの考え休むに似たり、とも言う。

 現状、最良の器はADにあり。懐古趣味的再生、ではないのである。

’04/08/15 (日)

夏が終われば

 お盆の行事もほぼ終了、である。ああヤレヤレ、無事に終えられるのは如何にもありがたい。皆々様のおかげさまである。

 今年はいささか厳しかった。大好きなオーディオをする気力さえ殺がれてしまったのは初めてである。先月末にひいた夏風邪も効いているのかな。15年前、盆の真っ最中に半徹夜でスピーカー工作したことさえあったのに、あの元気は何処へ行ってしまったのか。28歳と43歳では、やはりチガウのである。ナサケナイ。

 今日は久しぶりに雨模様で、非常に涼しかった。夜になった今、外は半袖が肌寒いくらいである。秋になるのだ。秋と言えば、僕がオーディオ機器を更新するのは決まってこの季節である。「今年はソフト充実の年」と年頭御挨拶しながら、僕は今、少なからずムズムズしている。

 どーしよーかな。

’04/08/14 (土)

南国色


 ゴーヤがなったならば、そのうちの1本は完熟するまで採らないで欲しい。苗を植えた時からの愚息2号のリクエストである。「ゴーヤは熟すとまっ黄色になって先っちょが割れて反り返り、中から真っ赤な種がデロデロ出てくる。ブキミで面白いぞ。宇宙怪獣バイラス(ご存知?)みたいだ」と僕から聞き、楽しみにしていたのである。

 確かにまっ黄色には、なった。だが、なかなか先が割れない。まだかまだかと待つうち、先端が黒ずんできた。触ってみたらブヨブヨしている。こらクサっとるんじゃないかい。どうやらこの品種は、割れないタイプらしい。慌ててちょん切り、ムリヤリ手で割ってみたのが上の写真である。

 正に完熟、である。完熟過ぎてちょっとアブナイ。中には真っ赤でヌルヌルの種がいっぱい詰まっている。赤い部分は、種の実質を包んでいるゼリー状の物質である。これが驚き、ヒジョーに甘いと聞いている。ちょっとブキミだが、食べてみると確かに甘い。だがそこはさすがにゴーヤ。僅かに苦味があり、たくさん食べられる味ではなかった。

 残った種は水で洗い、陰干しして保存する。苗で買ったゴーヤから獲れた種が、来夏再び発芽し実を付けるかどうか。ちょっと実験してみたい。

 さて、これを見た愚息ドモ、である。1号は「うえー、キボチ悪い。でも、何かすごく深みのある色だねえ」と言った。2号は「あははは、おもしろーい。怪獣みたいだ。なんごくー!てゆう色だね」と言った。やはり色に印象を強くするのである。

 この色を見て僕は、沖縄・石垣島で見た「唐人墓」を思い出した。1852年、米・英によって理不尽に抹殺された中国人奴隷を合祀するため、1971年に石垣市によって建立された墓である。小規模だが極彩色の美しい霊廟だ。

 完熟ゴーヤに沖縄の優しさを想う。

’04/08/13 (金)

秋めいて透明青空


 昨日はさすがにクタビレてしまい、日誌の更新ができなかった。申しわけないのである。

 立秋を過ぎ、ほんの僅かではあるが秋めいてきたように感じている。朝夕はヒジョーに涼しくなった。蝉もニイニイゼミ、アブラゼミからミンミンゼミ、ツクツクボウシに主役が交代しつつある。後二者は秋の蝉なのである。

 空を見上げると、空気の透明感が違う。土用の頃に比べると、より遠くまで見通せる感じである。毎年思うことながら、暦とはよくしたものだ。

 透明に輝く空を見ていて、聴きたくなったのは上のタイトルである。「山下達郎/FOR YOU」(日RVC R32A-1020)。初出は'82年6月、当時はもちろんADでのリリースだった。毎度毎度、古いタイトルで恐縮である。

 上の写真は'87年のCDである。当時3,200円。現在はBMGファンハウスからBVCR-17018の品番で出ている。2,400円。このタイトル、ひょっとすると過去の日誌で取り上げているかもしれない。だったらゴメンナサイ。

 何と言っても1曲目、「SPARKLE」である。明るくドライで抜けが良く、スピード感のある楽曲は如何にもタツローさん。鈴木英人氏ディザインのジャケットイメージもバッチリはまり、実に爽快である。

 これをドカン一発と大音量で鳴らす。久しぶりである。う〜ん、キモチヨイ。音としては歪みが多く荒れているしレンジも狭い。上中下とも伸びがなくリミッターのかかったような鳴り方になる、が、そんなことはどーでもヨロシイ。細かいことは気にしないが吉。透明青空を思い浮かべながら聴けば、これはもうヒジョーにグワイが良いのである。痛快爽快。お盆の疲れも癒されるのだった。

 ヤッパリ僕は、大音量でないと遺憾。

’04/08/11 (水)

ビタミン補給


 格別な暑さのせいか、それともトシのせいか、今年の盆は例年にも増してバテ気味である。気力減退、大好きなオーディオさえまともに聴こうという気が起らない。晩ゴハンを食べたあとは、キゼツ状態である。

 これでは遺憾と、夏バテ対策。庭の家庭菜園では、ゴーヤが大きくなっている。それを採り、ご覧のゴーヤチャンプルーに仕立てわしわし食べてやった。ゴーヤ、ニンジン、モヤシ、豚肉、炒り卵。味付けはシンプルにコショーと塩だけの、くずてつ家バージョンである。採ったばかりのゴーヤは瑞々しく、苦味も爽やかでヒジョーに美味しい。ゴーヤ、豚肉ともにビタミン含有率が高いから、これで少しは元気が出るかしらん。

 お盆業務完全終了まであと5日。終わったら思いっきりオーディオするぞ。

’04/08/10 (火)

今日も好天

 棚経二日目。今日も暑くなりそうだ。しかし、棚経はピーカン天気で暑くなけりゃあネウチがないのである。曇天雨降りでは遺憾。

 今日も元気だお経が楽しい。

’04/08/09 (月)

例によってヘロヘロ

 愚息たちのアシストがあるとは言えども、やはりこの時期はキビシイ。棚経一日目、無事終了。例年同様ヘロヘロである。

 あと4日間。がんばろう。

’04/08/08 (日)

BHか共鳴管か

 昨日の施餓鬼供養会は、大過なく無事終了した。お手伝いいただいた方々のおかげさまである。ありがとうございました。今日は一日中休み、明日からは全檀家を回る「棚経」である。がんばらねば。

 昨年の今頃はどんなことを書いていたのか、過去の日誌を繰ってみたれば、スーパーレアESが箱船にやってきたのがちょうどこの時期だったのである。時が経つのはウソみたいに速い。もうはや一年経ったのか。

 気の毒なことにこのスーパーレアES、この一年での実働時間は僅かなものである。FE-168ESも、ほとんどエージングされていないはずだ。これでは遺憾と大反省、お盆が終わったら気合を入れて鳴らしてやろうと思う。デッドストックするにはあまりにも惜しいスピーカーなのである。

 メインシステムに永く共鳴管を使っている所為か、他から見ると僕はBH否定派、或いは共鳴管礼賛派と映るようだ。確かに、BHでは実現できない音を求めて共鳴管をメインに据えているわけだが、BH否定派でも毛嫌いしているわけでもない。もちろん共鳴管のみを礼賛するものでもないのである。僕はBHの音も大好きだ。

 今でも時々「共鳴管とBH、どちらが良いか」というお尋ねメールをもらうことがある。これはヒジョーに難しい問いだ。答えに窮するのである。一般的には「ピュア・オーディオならBH、映像と組み合わせるのなら共鳴管」と言われることが多いようだが、それはヒジョーに大雑把な物言いであって、一概には決め付けられない。

 瞬発力と音の速さならBH、Dレンジの広さと超低域の伸びで共鳴管。と言ってみても上記同様に大雑把である。人によってはまったく逆に聴こえるかもしれない。音の好みは十人十色千差万別なのである。結局は実際に聴いてみるしかない、という、当たり前でツマラナイ、しかも役立たずな答えになってしまうのだった。申しわけないのである。

 箱船には共鳴管メインシステムの他に、上記スーパーレアES、スーパースワン、D-55と3種のBHがある。ナンダ、BHのほうが多いんじゃないか。

 試聴ご希望の方はいつでもどうぞ。但し、お盆の間はご勘弁くださいね。

’04/08/07 (土)

年番さん達


 今日の施餓鬼供養会は午後3時スタートである。午前中は、毎年檀家さんの中からお手伝い衆(『年番』と言う)を4〜5人依頼し、外回りの準備と幡作りをしてもらうことになっている。暑い中、シノブ竹を定尺に切り揃え、先を割って僕が作った五色の幡を挟む。その作業の真っ最中である。ありがとうございます。

 お昼まで準備作業をし、みんなで一緒にゴハンを食べたら午後2時過ぎまで休憩。礼服に着替えてもらい、法要本番では受付と接客をお願いするわけである。この方々のお手伝い無しで法要は立ち行かない。極めて重要で、しかもありがたい存在である。

 法要が終わったれば、再び作業服に着替え内外ともの片付けである。全部終わるのが午後6時頃、それからお疲れ様の一席を設け、今日の施餓鬼は完了となるわけだ。

 本日の予想最高気温34℃。午後3時と言えば最も暑い時間帯である。お疲れ様。よろしくお願いいたします。

 無事の圓成を祈念して。

’04/08/06 (金)

準備ほぼ完了


 明日はお盆恒例「大施餓鬼会」である。新装成った本堂荘厳と併せ、ほぼ準備完了の図。あとは施餓鬼幡を作れば了である。

 施餓鬼供養の意義については以前に書いたことがある。よろしければこちらをご一読願いたいのである。

 施餓鬼幡は、青(緑)、黄、赤、白、黒(藍または紫)、五色の色紙(色唐紙という)を使って作る。仏教五色(ぶっきょうごしき)という。この五色を縦方向に交互配置した幕(紅白幕のカラフル版みたいなヤツ)を、どこかでご覧になったことがおありだろうと思う。例えば、東大寺大仏殿法要とか、或いは狂言や能の舞台でもこの幕が使われる。ウチの什物にそれがないのは残念なのであるが。

 この五色にはちゃんと意味がある。青は釈尊の髪の色で、落ち着いた心、禅定を表わす。黄は釈尊の身体の色、不動の姿、金剛心を表わす。赤は同じく脈々と流れる血の色、日常底精進の表現。白は清らかな心、清浄心を表わし、黒は釈尊の衣の色、何事にも耐え忍ぶ忍辱(にんにく)心を表わしている。

 この五色としばしば混同されるのが、陰陽五行の五色である。この五色もまったく同じ配列である。だが、それぞれの色が持つ意味合いは別物であって、まあしかし同じ色が同じように並んでいるのだから混同されても仕方ないのである。狂言、能に具される五色幕は、陰陽五行に則ったものとされるが、仏教からの影響も大きいようなので、これもまた何時か何処かでゴチャ混ぜになったのかもしれない。

 そういうことを言い出すと、現代日本仏教もアヤシイものである。僕らの正装は、いちばん下に白衣(はくえ)というキモノを着、その上に衣(ころも)を着け、そのまた上に袈裟を掛けるのである。キモノは日本の装いである。衣の原点は道教(ムカシ『キョンシー』で有名になりました)のユニフォームで、これは中国。袈裟は元々「サリー」と言って、インドの仏教僧が身につけているものである。インド−中国−日本。正装とエラソウに言うが、仏教が日本に伝来したルートそのままの、ゴチャ混ぜユニフォームであるわけだ。ハイブリッド。早い話が雑種、である。

 このお盆、菩提寺へお参りされる方もいらっしゃるだろう。荘厳とお坊さんの着衣ウオッチングしてみるのもまた、法要を楽しむ方法かもしれません。

 オイラがゆったら不謹慎。

’04/08/05 (木)

蚊帳の外


 8月4日。愚妻が心待ちにしていた日である。ナ〜ンデカ。「ロード・オブ・ザ・リング〜王の帰還」DVD(コレクターズ・エディション 日ポニー・キャニオン PCBH-50094)の発売日だったからである。愚妻はこの映画の大ファンである。

 僕は、以前にも書いたとおり、この手のモノはヒジョーに苦手である。1作目も2作目(『二つの塔』)も、かなりがんばって観ようと試みたが、どちらも30分で我慢できなくなった。ダメなのである。感情移入がまったくできない。観れば観るほどシラけてくる。「ハリー・ポッター・シリーズ」との区別もつかないのだから酷いものである。

 だから、この3作目完結編も、僕は観ない。もう試みることもしない。観られないに決まっているのダ。8月4日もゼンゼン楽しみにしていなかった。だからDVDを買うのも愚妻である。と思ったらそうではなくて、「出るから買って来い」と厳命が下るのだった。仕方ないのでしくしく泣きながら、アッシが買ってまいりました。

 晩ゴハンを食べるのもいい加減に、愚妻愚息は箱船1階で現在ご鑑賞中である。僕は階下から響く超低域にドドドと揺さぶられながら日誌を書いている。上の写真を撮りに入り「面白いか」と訊ねたら顔も見ずに「オモシロイ」と言った。ケッコウなことでゴザイマスこと。僕はまったくに蚊帳の外、である。

 遅れ馳せながら、一緒に「ファインディング・ニモ」(ブエナ・ビスタ・ホームエンターテインメント VWDS-4874)も買ったので、あとでそれを一人でゆっくり観るのである。こーゆーものは観られるンだけどなあ。

 思うに最近、本当に観たいと思う映画が激減してしまったのは、何故だろう。僕の感性が、衰え枯渇してしまったのだろうか。

 遺憾なァ。

’04/08/04 (水)

隆盛


 先月に続きstereo誌を買った。如何にも久しぶりのことである。7月号は工作特集が面白そうだったから、今月号は自作スピーカーコンテストが例年以上に盛り上がりを見せていたから、である。

 さすが「コンテスト」に応募されるだけあって、いずれの方も超の付くつわもの揃いである。中には既知の方もいらっしゃって、実に楽しく読むことができた。

 グランプリはもちろん、全作品凄まじいまでのこだわりようである。一体どーゆー構造になっているのか、さっぱりワカランような複雑怪奇な作品も多い。メビウスの環か、クラインの壷か。見ているだけでアタマがねじれます。アッシにゃあゼッタイに作れません。

 さて、我が身を翻って思う。僕は久しく工作らしいことをしていない。現用スピーカーシステム(スーパーネッシー、リヤカノンL、サブウーファー)を'97年に作って以来、な〜んにもしていないのである。7年間無作無工作。年に幾作も作る人から見れば、とんでもないヤツに映ることだろう。おまいはそれでも自作派か、と。

 「自作派」とヒトコトで言っても、どうやらいろんなタイプがあるらしい。大雑把に言ってしまえば「音を聴くのも好きだがそれ以上に工作が好きな人」と「工作はさほど好きでもないが市販では得られない音が欲しいので仕方なく自作する人」の2タイプに分けることができそうである。

 僕は後者であるらしい。工作は嫌いではない。僕のような不精者が、嫌いなら絶対に作らないのである。但し、工作に自信があるわけでもないしゼンゼン上手くもないので、どんどん作ろうという気にもならない。設計から完成まで半年もかけて現用セットを作れたのは、その場の勢いだけの所業である。出来上がった時、「モウしばらくは作りたくない」と思った。それから7年経ってしまったのである。僅かばかりの能力を使い果たし、カスカスになったのかもしれない。

 コンテストに出品されている方々、皆さんおそらく前者だろう。「お好きですね〜」っちゅう感じである。作るのも聴くのも楽しくって仕方ない、という雰囲気がヒシヒシと伝わってくるのだった。きっと今回をバネに、今後は改良版、進化版を次々と繰り出されるのだろうなあ。

 自作派の灯は消えず。否、益々盛んである。素晴らしいことだ。

’04/08/03 (火)

ムクれシステム

 先月からなにやら多忙で、ゆっくりオーディオする時間がない。3日に一回、せいぜい1時間聴ければよいくらいである。もちろん、これ以上に忙しい人もいらっしゃるわけで、僕はまだまだ恵まれているほうなのだろうとは思う。ゼイタクである。

 さりながら、個人的にはもう少し余裕を持って楽しみたいのが正直なところである。実際、最近音の冴えがイマイチである。切れが無く寝ぼけたような音。あまり鳴らしてもらえないので、システムもムクれているのだろう。

 エージングも一筋縄では行かない。鳴らし込むほどに音が良くなるのはもちろんだが、良くなったと安心してホッタラカシにすると元に戻ったりして。常時通電しておけば少しはマシだが、やはりミュージック・プログラムでシステム全体を揺さぶることが極めて重要であるようだ。聴けない間はCDにリピートかけて鳴らしっぱなしにする、のも一つの方法である。一般性を著しく欠いています。

 エージングとは老化である。機器のエージングを待っているうちに、自分のエージングのほうが早く進んでしまったりして。

 シャレにもならんのである。

’04/08/02 (月)

15万本


 ウチの町では数年前から「太陽の笑顔15万本」というイベントを実施している。休耕田を利用し、ヒマワリを15万本咲かせる、というものである。6月初旬に町民へ呼びかけ種まきをし、実行委員さんの骨折りで大切に育てられたヒマワリは、今まさに満開真っ最中である。町道の両脇4.6haに15万本。なかなかに壮観なのである。7月31日から8月8日までの開催。あと6日しかないね。詳しくはこちらまでどうぞ。

 この風景を見ていて思い出したのは、1987年にイタリアへ行った時のこと。業務関係の研究旅行で、アッシジへ行った。イタリア中部、ウンブリア地方にある山の上の街である。聖人フランチェスコの生地として非常に有名。聖人を顕彰するサン・フランチェスコ寺院(フランシスコ派カソリックの総本山である)を目指したわけである。

 ローマからバスで数時間、その道中に見た光景は、17年経った今でも決して忘れることができない。

 4.6haどころの騒ぎではない。一体どれほどの面積、どれほどの数なのか。とにかく見渡す限り「ひまわり」なのである。道路の両脇、はるか地平線の彼方までひまわり。後方もひまわり。前方もひまわり。ぜーんぶひまわり。それはそれは感動的な光景であった。懐かしいような、物悲しいような、暖かいような、忘れ去っていた大切なものを思い出させるような。

 写真に撮ろうとカメラを構えた、瞬間、撮るのを止めた。この風景を写真にしてしまっては、きっと後悔する。それよりも僕の中に記憶をしっかりと焼付け、風景全てをイメージできるようにしたほうがよいと思ったのである。チンケな写真を残したところで、イメージを阻害するだけのものでしかないと。だから、その時の写真はない。

 それに比べればわが町のひまわりは、小規模である。しかし、あの時の光景を思い出させるには充分だ。これでさえ、写真にしてしまうとちっとも面白くないのである。是非、ライブでご覧いただきたいと、善良(?)な一町民としては思うのであった。

 この週末は、野田川町へ。水の綺麗な丹後半島も近いですよ。

’04/08/01 (日)

新調


 更新が遅れ気味である。どうかご容赦ください。

 今年も早、8月がやってきた。ワタクシドモの業界では、年中で最も多忙な盆月である。この夏は格別に暑く、昨年の冷夏がウソのようだ。なかなかにキビシイものになりそうな予感。

 お盆の行事を前に、本堂の戸帳・水引(写真の| ̄|型の幕)が新調相成った。 ̄部分が戸帳、左右の|部分が水引である。戸帳中央に懸かっている朱色の組紐は華曼(ケマン)という。

 篤信の檀家さんによるご寄進である。従来のものは昭和17年(1942)10月、この檀家さんのご祖父様によってご寄進いただいたものだった。実に62年間の永きに渡り、本堂を荘厳してきたのである。さすがにここ数年、褪色と傷みが目立っていた。それを見かねての新調ご寄進である。なんというありがたいことだろうか。

 ウチの本堂は、72畳ワンルームである。柱がない。畳敷きではあるが、様相はまるで昔の講堂である。それもそのはず、隣りの小学校の旧体育館を移築したものであるよってに。外観はイマイチだが、内部の広さと使い勝手は最高。ここなら300インチ大画面も可能である。ナニゆってるンでしょうか。

 デメリットは、内陣の間口(戸帳が懸かっているところ)が異様に広いこと。3間(約5.7m)強ある。戸帳は暖簾に同じく、上端に棒を通して掛けるわけだが、5.7m1本通しできるような棒はなかなかないのである。途中で継いである。その所為で左右にしわが寄ってしまった。これは再考の余地ありだ。

 それはともかく、昨年秋の畳替え、襖替えに続くこの新調で、本堂の面目は完全に新たとなった。寺を管理する立場にある者として、これに優る喜びはない。しかし、思い違いをしては遺憾。これらは全て、檀家諸氏の篤信によって為されたことである。我が手柄ではないのだ。僕はひたすら平身低頭し、感謝するばかりである。ありがとうございます。

 面目一新し、お盆を迎える。本当に在り難いことなのである。