箱船航海日誌 2004年04月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’04/04/30 (金)

マイリマシタ

 業務上の必要に迫られ、これまで避けてきたExcelに取り組まざるを得なくなってしまった。今までは、かなりヤヤコシい表なども無理矢理Wordで作成してきたわけだが、ご存知の通り不都合が多い。

 先日もげんきまじんさんに「こんな表なら、エクセルのほうが圧倒的に楽ですよ」と言われた。そうなんだろうなーでもなー使い方ゼンゼンわかんねえしなー、と、逡巡。しているわけにも行かなくなったわけでゴザイマス。

 はっきり言って、サッパリ、ワカラン。これは格闘、解読、である。書類作成の期日は間近に迫っている。どうしようか。う〜む、ともかくヤミクモにでもやってみるしかないのである。初めてHPBを触った時のことが、走馬灯のように頭をよぎるのであった。今夜は徹夜だな。

 ナントカとハサミは使いよう。使う人間がバカだと、これはもうどうしようもないのである。

 今時、Excelも使えないなんて。

’04/04/29 (木)

緑の日


 今日は緑の日である。今年は木々の芽吹きが早く、山々は既にすっかり新緑である。昨年はさっぱりだった小学校の藤、今年は生気を取り戻して綺麗に咲いた。それでも、一昨年に比べるとイマイチの感あり。ムゲに伐っちゃダメだって。

 この花が咲くと、世間様は黄金週間である。長い休みになる人、逆に仕事が増える人。僕は後者である。来月第一週が終わるまで、全日是オツトメに専一となる。

 がんばりましょう。

’04/04/28 (水)

幻の如く


 この写真をご覧になって、あっと驚かれたらゴメンナサイ。実は、タダの空箱でゴザイマス。サンワSS-30RTの純正マイクを捜そうと古い荷物をひっくり返していたら、たまたま見つかったのである。懐かしくなって載せてしまいました。

 これが中身の入った未使用新品ならばどんなに良いだろうかと、僕も思う。本体寸法のわりに大きな箱(205mm×170×95)なのは、コレも時代かな。このカートリッジと同様、PH-L1000もSP-10MkIIIもEPA-100MkIIも、今や幻の如くに消え去ってしまった。旧きにしがみつき現状を嘆くつもりは毛頭ないけれど、いささかからぬ寂しさを感じるのも偽らざる感慨である。

 Analog誌最新号(Vol.4)には、テクニクスSL-1200シリーズ製造工場の記事が掲載されている。今も営々と作り続けられているのだ。驚くべきことである。アーム製造過程では、一見EPA-100シリーズに共通のパーツが使われている、ように見える。これなら再発できそうじゃないか、と、思うのはまったくシロウトの浅知恵である。コトはそう簡単ではないのだ。だが、一縷の望みを捨てられないのは未練がましきに過ぎたることか。

 現状、カートリッジは充分に頑張っている。あとはモーターとアーム。何とかならんかなあ。

’04/04/27 (火)

ドライブ方法


 こんな写真は以前にも載せたような気がする。面白くも何ともないのは、ご勘弁願いたいのである。

 今さら言うまでもなく、スーパーネッシーにはFE-208ESを2発使っている。つなぎ方は単純明快、2発をフツーに並列としてあるだけである。両ユニットは、まったく同じ帯域を、同じように鳴らしているわけだ。

 このドライブ方法に少し工夫を加えてみてはどうだと、親しい友達からアドバイスを貰った。ムチャな冒険ではなく、確固たる目的があってのことである。詳しく訊いてみたれば、そのアイディアはなかなかに興味深い。少なくとも、僕ならまず思いつかない方法である。知識ナイから。

 先に花火を打ち上げておいて、プス〜と不発に終わっては格好がつかない。し、少々手の込んだ準備も必要である。ので、詳細は実際に作業にかかった段階で改めて報告したい。報告できるのかな。

 パワーアンプ3台、ちゅうことになると、これがまた.....。

’04/04/26 (月)

また出た


 Rchスーパーネッシーのトゥイーターを固定している鉛インゴットの上に、細かい木の粉を発見。言わずと知れた、ヒラタキクイムシの食べカスである。またまた出てきやがったな、コノヤロ。今回はどうやらトップパイプの上端らしい。

 早速ハシゴに登って(全高3mもあると、こういうことになる)確かめると。あったあった、直径1mm程度の小さな穴が5つほど。このまま放置したら、彼らは容赦なく喰い散らかすのである。穴はあっという間に増えるだろう。早めの駆除にかからねば遺憾。

 まずは一つ一つの穴に専用殺虫剤を注入。さらにアロンアルファをたっぷり流し込み、ムシの動きを封じようと、万全を期した。つもり。

 だが、はっきり言って完璧な駆逐は不可能だろうと思う。表に見えている穴の数は大したことがなくても、裏側ではどうなっているかわからない。板の内部では複雑な迷路のようにつながっているに違いないのである。奥の奥まで薬剤やアロンアルファが入り込むとは考え難い。避難場所はいくらもあるだろう。

 当面は薬剤の染み込んだ板を喰って昇天してくれと、これは希望的観測。今後は穴を見つける度に対策して行くより方法はない。厄介なムシに取り憑かれたものである。

 尤も、多少小穴が開いたとて、音に大した影響はない。少なくとも僕の耳では判別不能。ムシだけにムシできる。何を言ってるんでしょうか。「むむっ、これはヒラタキクイムシに喰われた音であるっ」と一聴して看破する人は、たぶんいないと思う。が、決して気持ちの良いものではないのである。

 延び延びになっているスーパーネッシーIIを、本気で考えねばならんかなあ。

’04/04/25 (日)

神楽の舞


 春祭り接待と業務と来客とがいっぺんに重なり、更新が遅れたのである。御容赦ください。

 3日前は真夏の陽気で、気温は32℃あった。こりゃあ祭りはキビシイぞと、思っていたら突如冬型に転じ、この二日間はヒジョーに寒い。好天なのは幸いだが。

 3年前から神楽組に入り、舞を舞っている愚息2号も、今年を最後にお役御免である。後進に道を譲るわけだ。それを記念して、今年はうちの境内でも神楽を舞ってもらうことにした。こりゃもう完全に神仏合祀である。ナニ、ちっともかまやしねえのである。大昔からお寺には鎮守さん、お稲荷さん、天神さんの小さな祠が祀ってあるわけで、今に始まったことではないのダ。

 奉納舞はありがたかった。終わったあとは神楽組十数人を接待する。これがまた良いものである。来年からは毎年舞ってもらおうかな。

 この祭りが終われば、この街も初夏である。

’04/04/24 (土)

2.5cmのチカラ


 近年稀にみる優秀なシェルリード線、A・クラフトのCW-Rh1。残念ながら今や既にディスコンである。何を思ったか、僕は買い置きをしなかった。こんなに早く市場から消え失せるとは考えていなかったのである。見方が甘かったのだ。もっと欲しい、と思った時には、後の祭り。またやってしまった、前にもこんなことがあったろうにとジダンダ踏んでも時すでに遅し。

 と、悔やんでいたら、いつも世話ばかりかけている友達から連絡があった。1セット(4本)ストックがあるから送ってあげる、という。ああ、地獄に仏蜘蛛の糸。お言葉に甘えてしまったのである。ありがとうございます。

 ビニール包装込みの重量0.98g、線材の実効長2.5cm。芯線は4N銅と6N銅のハイブリッド、0.22sq。リードチップはロジウムメッキ、線との接合は圧着カシメの上に無鉛銀ハンダで固定する。極めて微細なパーツだが、大変な念の入れようである。

 多寡が2.5cm、多寡が0.22sqと言う莫れ。これによる音の違いは驚くほど大きい。いろいろ試した上これまで使ってきたA・テクニカのPC-OCCも良いシェルリードだったが、Rh1はさらに上を行く。ツッパリ感が無く、非常にスムース。硬さが取れてしなやか、しかも寝ぼけた音にならない。音のフォーカスがぐっと締まって音像が鮮明になる。要するに、とても良い音に、なるわけである。一度使ったらヤメラレナイ。

 音を変えるファクターが極めて多く存在する。それがAD再生の妙である。ネガティブな捉え方をすれば、それだけ不安定、不確定なものだとも言える。だが、だからこそ趣味性が高いとも言えるわけだ。さらに言えば、同じモノを同じように使っても、環境によってはまったく逆の結果になることもある。いくら僕がこのリード線をホメたところで、他の人にとっては何の意味も為さないかもしれないのである。

 それが趣味だと思う。同じようにやれば必ず同じ結果が保証される、ようなものは、趣味ではないのだ。十人いれば十通りの好きな音と良い音がある。それぞれが好きなようにやればよいのである。

 2.5cmの微細な電線に、オーディオの深さを思う。

’04/04/23 (金)

カタクリ咲けば春爛漫


 友達の徳さんから電話があった。「今、カタクリの花が盛りだから見においで」という。僕は未だカタクリをライブで見たことがないのである。昨年、来春は見に行くから知らせて欲しいと、お願いしていたのだった。

 うむ、是非行きたい、ところだが、折り悪く業務多用で叶わない。せめて写真だけでもと、徳さん撮影のものを送ってもらった。ご覧の通り、ヒジョーに美しい写真である。さすが、カメラにも一家言を持つ徳さんである。どうもありがとう。

 彼の在所の近くには、群生地があるのである。カタクリ。山野に自生するユリ科の多年草である。学名Erythronium japonicum。今はジャガイモデンプンから作られている「片栗粉」だが、元々はこの花の鱗茎から取ったものである。乾燥した鱗茎にはデンプンが50〜60%も含まれる。だから「カタクリ粉」。名前だけが残ったわけだ。

 英名では「Japanese Dog's Tooth Violet」という。直訳すると「日本の犬牙スミレ」。尖って反転した花弁が犬の牙みたいに見えるからか。

 和名「カタクリ」の由来は多くの説があり、曰く「葉の片方に鹿の子模様があるので『片葉鹿の子』。それが訛って『カタカゴ』。さらに転じて『カタクリ』になった」という説。「実の形が栗に似ているから『片栗』となった」という説。はたまた「花を傾いた籠に見立てて『カタカゴ』、それが訛って『カタクリ』」という説、など。

 どれが本当か、それはそれとして、いずれも英名よりも風情があってヨロシイ。「犬の牙」は即物的に過ぎて好きになれない。

 必ずしも英名より和名のほうが風情があるわけでもなく、花によっては逆もある。毎年初春に載せる「オオイヌフグリ」などは、英名のほうが綺麗である。なんてったって「聖女ヴェロニカ」の名を貰ってるンだから。和名なんかヒドイもんだ。「犬の大キン○マ」だもんな。あんまりですぜ。

 カタクリが咲くと、山深い徳さんの在所にも本格的な春がやってきた証しだそうである。

’04/04/22 (木)

音と音楽と


 「Recorder Concerti〜Blockflotenkonzerte/CLAS PEHRSSON/THE DROTTNINGHOLM BAROQUE ENSEMBLE」(瑞BIS LP-210)。次に驚いたのは、このバロック・リコーダー曲集である。ヴィヴァルディ、サンマルティーニ、テレマンの小組曲を3曲収録。(C)(P)1982と、古いレコードである。外盤A級セレには選ばれていないが、確か外盤ジャーナルには取り上げられ、好評価を得ていたと思う。

 '88年11月に買って以来16年間、ずっと聴き続けている、イワユル僕の愛聴盤である。曲も録音も良い。この頃僕はBIS、仏HM、ASTREEなどを手当たり次第買っていて(今もあまり変わらん)、そのうち図らずも当った一枚である。

 教会の礼拝堂で録音。デッドなスタヂオとは違って響きがとても美しい。テープレコーダーはルヴォックスA-77を15i.p.s.で、マイクはゼンハイザーMKH105を2本使っている。早い話がペアマイク、レコーダー直結の超シンプルアナログ録音である。基本的には僕が時々やる生録と違いはない。格は全然チガウ。ジャケット裏の写真を見ると、バロック・アンサンブルの中央にリコーダー奏者が座り、その前に2mくらいの高さでマイクがセッティングしてある。やや上向き仰角をつけてセット。確かにマイクは2本だけのようだ。

 とにかく音が綺麗。リコーダーは下手をするとヒステリックな響きになりがち(特に高い音)だが、このレコードはそうならない。独特の鋭さを持ちながら、ハスキー過ぎず、切れのよい豊かなリコーダーの音色が聴けるのである。音場感も非常によい。リコーダーの定位は素晴らしく、散大せずに実物大でそこにある感じ。演奏者の動きまでが見えてくるような優秀録音である。

 リコーダーをとりまくように柔らかく、しかし実在感と厚みを持って各楽器が定位する。ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバは極めて繊細に、コントラバスは柔らかくも確かな力感と厚みで深々と鳴る。クラヴサンは優しく控えめに、けれど茫洋としない。トータルでヒジョーに美しいアンサンブルになっている。

 というようなレコードであるわけだが、これをEminentで聴いてまたビックリ。繊細感と厚みが、ぐんと向上するのである。分解能が良い所為か、音場が拡がり、各楽器の音像はさらに小さく自然になる。今そこで演奏している瑞々しさが、確かに伝わってくるような音。極めて生々しく、極めてリアル。ああ、良い音。音が良くなれば、音楽そのもののクオリティも上がる。充分だと思っていた音、音楽に、実はまだ上があったわけだ。これこそオーディオの最も美味しいところである。

 この感激、お金には代えられない。

’04/04/21 (水)

効果以ってしても


 托鉢無事終了。脹脛パンパン、ヒザはカクカク、またぐらギシギシ、箱船の階段昇り降りがガニマタになってしまうのである。情けないことだ。

 「春眠暁を覚えず」という。托鉢の疲れもあり、ADを聴きながら居眠りをブッこいてしまった。眠いが聴きたい。こういう時、強力な味方になるのが今日の写真にあげるブツである。別に危険なものではない。タダの、ガムである。特にロッテさんのマワシモノではない。たまたま買ったのがロッテのキシリトール・ガムだっただけ。

 眠気覚ましにはこれが一番よい。なんでも人間は「噛む」ことで脳が活性化し、集中力が上がり物覚えも良くなるという。ひょっとすると音質判断も正確になるかもしれない。噛む音が聴覚を邪魔し、却って良くないような気もするが。いずれにしても眠気は飛ぶので、日誌を書くには助かるのである。

 今月はまったくのAD月になった。相変わらずEminentを聴くに専一である。18日に「次は何に驚くか」と書いた。今晩はガム効果を以ってしても、眠気をこれ以上シンボウし切れず。明日、その「次」なるADタイトルを紹介したい。

 電池切れでございます。

’04/04/20 (火)

今年もグニャグニャ

 春恒例の町内托鉢である。一日目終了。これも僕の重要な業務の一つである。年々歳々、グニャグニャ度が酷くなるのは致し方なし。一種のエージングである。早い話が、老化劣化なんだな。

 コツバンとダイタイコツが噛み合っている部分が磨り減ったような感じ。日頃の運動不足丸出しである。自己責任だ。

 もう一日歩く。今日は強風と雨に困ったけれど、明日は朝から好天の様子である。今夜は早仕舞いし、脚を休めておくことにしたい。

 久立珍重。

’04/04/19 (月)

機運熟するまで


 1ヶ月ほど前、cadenzaに注文していたCDのうち、3タイトルが届いた。いずれも独THOROFONレーベルの打楽器モノである。手に入って大喜び。「Picture for Percussion」(CTH-2169)、「Stick Attack」(CTH-2113)、「X-Pression」(CTH-2290)。以前紹介した「Impulse」(CTH-2063)や「Art of Percussion」(CTH-2085)の兄弟盤(だと思う)である。

 ので、それなりに期待感はあるわけだ。さっさと聴きゃアよいのだが、僕は今ADに大ハマり中なので、イマイチ喰い付きが良くないのである。和食が美味しくて舌鼓を打っている最中に、突然フランス料理を出されたような。聴こうという気になるまでには、少々時間が必要になりそうである。いや、決してCDが悪いというわけでは、ございませんのですよ。

 物事にはタイミングちゅうものが大切である。抹香臭い言い方をすれば、縁、ということになるだろう。機運が熟するまで待つのも縁。その時には、きちんと報告したいと思う。

 などと言いながら、再びAD方面へ去る。

’04/04/18 (日)

目もクラム


 またまたEminentの話題で申しわけない。食傷気味でいらっしゃることとお察し申し上げるが、何分にも嬉しがっているのでご容赦願いたいのである。

 僕はもう完全にハマっていて、僅かの時間があればADを聴いている。陳腐な表現だが、何を聴いても楽しくて仕方ない。人間やってて、オーディオやっててよかった。大袈裟かな。

 沢山聴いた中で、特に驚いたのが、今日の写真に掲げるADタイトルである。「George Crumb/Music for Summer Evening〜Makrokosmos III」(米nonesuch H-71311)。これは長岡先生の外盤A級セレクションに入っている(第二巻168番)ので、特に珍しい物ではない。ひょっとしたら過去の日誌で取り上げたかも知れない。記憶が曖昧で申しわけないのである。

 僕はジョージ・クラムの大ファンである。リアル・ハード現代音楽はいささか苦手ではあっても、この人の曲は色彩感があって大好きだ。クラムと言えば「魅入られた風景」(米NEW WORLD NW326)が(一部の人々の間で)有名である。同じく第二巻166番に入る優秀録音盤。個人的には168番のほうが好きである。曲がよい。恐ろしく寡作なのが残念。新譜は出ているのだろうか。

 元々凄まじい切れ込みと繊細感、広大な音場感が特長のタイトルである。Eminentで聴くと、それがさらに際立ち、極色彩の音洪水と目もクラム、イヤ、目も眩む音の切れにキゼツしそうになるのである。こんな音聴いたことない。色褪せた錦絵巻を、描かれた当初の極色彩で完璧に復元したようなイメージ。立体感の再現力も凄まじく、永年の風雨に曝され細部の崩れたレリーフが、彫り込まれた直後の状態に復元されたように聴こえる。

 この音を聴いてしまうと、「オーディオで生音を超えることはできない」という不文律が、疑わざるを得ないもののように思われてくる。B-2の「Music of the Starry Night」は圧巻である。恐るべきリアルさ。星の光が超微粒子となって天空から無数に降りそそぐような音。この音を聴かずして何とする。既にある部分、生音を超えていると言ってよい。

 このレコードがこういう音で鳴るのならば、アレはどうだろうかコレはどうだろうかと、イモヅル式に次々と聴きたくなる。まだまだ聴かずばおけぬタイトルが、山のようにあるのだった。

 次は何に驚かされるンだろう。引き続き、僕はAD三昧。

’04/04/17 (土)

便利なソフト

 パソコンを使い始めて間もなく4年が経過する。相変わらず知識は深まらない。が、毎日すること、つまり、HTMLファイル制作、そのFTP転送、メールの送受信、webページの閲覧、などについてはまず問題なく実行できるようになった。と、思っていたら、実はそうでもなかったのである。

 拙ページに貼ってあるメールアドレス。さすが公開しているだけあって、毎日多くのメールが届く。残念ながらそのほとんどが即ゴミ箱行きの不要メールである。つまらん広告メール、これは捨てるだけだからまだよい。ウットオシイのは、やはりバイキンメールである。アンチ・ウィルスが反応してくれるから感染の心配は少ない。けれど、あまり気持ちの良いものではないのである。

 今日、ヒジョーに困ったのは、受信できないメールがあったこと。何度受信しても同じところでつっかえてしまい、その度にそこまでのメールを繰り返し受信してしまうのである。こんなことは初めてである。大変にイライラする。僕のメーラーに問題があるのか、或いは送信されたメールそのものの問題か。はたまたサーバーの不都合か。

 さあ困った。どうしよう。プロバイダへ連絡して助けを請う。否、ちょっと待て。以前「ホストサーバー内のHTMLファイルを削除するにはどうしたらよいか」と質問したら、「アンタはFTPソフトも知らんのか」と鼻の先でセセラ笑われた苦い経験がある。今回もそうなるような気がする。別にセセラ笑われても構わんけれど、僕は笑えないのでできれば避けたい。捜せばきっと、トラブルを解消するためのソフトがあるはずだ。

 ベテラン諸氏は既にお分かりのことだろう。調べてみたら、ありました。受信する前にサーバー内のメールを確認し、不要メールやバイキンメールを削除してしまえるソフト。メール・デリーターって、言うんですねえ。いやー、知らなかった。お恥ずかしい話である。こんなこと、おそらく常識なのだろうな。この程度のレベルなのでございます。

 早速ダウンロードし、実行してみた。極めて便利である。ヒジョーに助かる。つっかえていたヤツの正体も判明する。HTML形式のメールだった。重たいばかりで意味がなく、時にこうしたトラブルを惹起するアレは、できれば送信しないで欲しいものである。僕のメーラーでは、テキスト形式でしか読めないのだから。無意味である。

 不要メールを削除し、メーラーで受信してみる。スカッと開通、ベンピが治ったみたい(食事中の方、ゴミンナサイ)で気持ちヨイ。ああ、ヨカッタヨカッタ。このソフトは極めて有用である。みんな知ってたんだ。ズルイなあ。

 パソコン生活多寡だか4年。まだまだ知らないことは多い。と言うよりも、知っていることなどほんの僅かだと、言うべきである。

 ケンキョな姿勢で居らねばならぬ。

’04/04/16 (金)

片腹痛い

 「僅かな音の違いを針小棒大に騒ぎ立て、年中重箱の隅をつついて喜んでいる輩の集団」。オーディオ好きの人間を指して言う、ある知人の言葉である。要するに、音楽なんぞ何で聴いても大差ないだろう、と。数千円のラジカセで聴いても100万円のシステムで聴いても、モーツァルトはモーツァルト。ベートーベンに化けはしない。

 僕はこの考えを否定しようとは思わない。そう考えるならばそれでよい。どう思おうと、それは個人の自由である。音の違いが分からないのも結構である。但し、こういう人にオーディオを語る資格なし。「黙して語らず」の態を取るべきだ。考えるのは自由だが、聞きかじりの情報で得た生半な知識を振りかざし、知ったようなことを言葉にすると大恥をかくのはチミだから、今すぐヤメなさい。

 個人レベルの会話でさえ、聞いている方が恥ずかしくなるほどなのに、同等レベルの評論を衆目に曝し得々とする御仁がいらっしゃるのには、まったく以って呆れかえるのである。流離いの旅人さんが、4月13日の一家言で紹介されているコラムを読んだ。

 この人は、何年前の状況や資料を基に、評論を書いたのだろうか。「開き直ったところが、新しい」ってねえアナタ。そりゃアナタが知らんかったことは個人限定的に「新しい」ンでしょうケレドモ。ああ、ハズカシイ。

 「さまざまな媒体で執筆活動を行っている」身でありながら、雑誌メディアを否定するのもよくわからない。情報収集をネットのみに頼り、それ以外見向きもしないような連中へのオモネリか。

 「ユニークな文章と鋭いツッコミ」ね。知ったかぶりで恥をかいてヘーキなところは、確かにユニークではある。この評論を読んだ限りでは、ツッコミどころを外しスベっているとしか思えないのは、僕が大阪人だからだろうか。これじゃまるで「スベりザメ」だ。なかやまきんに君じゃないんだから。

 音を文章で表現することの限界は、日々痛切に感じている。もちろんそれは、僕の文章力不足によるところが最も大きいわけだが、そこを一万歩譲ったとして、それが無駄であるとは思わない。何かしら、伝えられるものがあるはずだと信じるからである。それが見当外れであったとしても。

 ある音について誰がどんなふうに書いたとしても、それは主観による表現であることに違いない。「そんな個人的なことで優劣を決めたものが、別の個人の役に立つのだろうか」と言う。個人の主観表現などは他者にとって無意味であると言うのならば、物事に対する全ての評論が無意味であるということだ。オノレの行為をオノレで「役立たず」と否定する。「語るに堕ちる」とは、正にこのことである。

 知らないことを「知らない」と言える人が、何故にもこんなに減ったのか。知ったかぶりが、何故にもこんなに増えたのか。「人気コラムニスト」と言われる人の評論をして、この程度なのである。

 片腹痛いわ。

’04/04/15 (木)

静かな季節


 Eminentに呆けているうち、季節はどんどん進み桜はすっかり散り去ってしまった。今日の画像はちょうど10日前、4月5日に撮った月と夜桜である。時刻は午後8時少し前、東の山から昇った満月の光に、桜が浮かび上がる光景はとても美しかった。ヘタな写真からでも、雰囲気くらいは感じ取っていただけるだろうか。

 この季節からしばらくの間、箱船のオーディオ環境は最良になる。何故か。エアコン、ファンヒーター、ホットカーペット。暖房三種の神器が不要になるからである。つまり、部屋のS/Nがヒジョーによくなるわけだ。

 もとより外の暗騒音レベルは低い。ヒトやクルマの少ない田舎ですよってに。かてて加えて箱船二重壁の効果で、エアコンの類OFF状態では、怖いくらいに静かである。自分の衣擦れや呼吸音が、やたらと大きく聴こえる。

 実際に音楽を聴いても、エアコンがゴォゴォ(箱船のエアコンは業務用でウルサイ)動いている時との音の差は、大きい。情報量が増え、音にトゲトゲしさがなくなるのである。デカい音を出せば、それより低レベルの騒音はマスキングされて問題なし、などというのはとんでもない話。大きな間違いである。そんなこと、当たり前ですな。ちゅうわけで、僕はまたEminentの使いこなしに専らとなるのであります。

 なんだ、結局そこへオチるわけね。

’04/04/14 (水)

前振り終了


 昨日は曜日表示が誤っていました。13日は火曜日、今日は水曜日でございます。ここに謹んで訂正致します。

 さて、Eminentである。試聴機でない、さらピンおろしたてを聴きました。悪いはずがない。ヒッジョーに良い音である。ヘッドシェルにPH-L1000を使っての変化は、思っていた以上に顕著である。低域の実在感が増し、よりパワフルになった。地の底から一気に噴け上がるマグマ(見たことないケド)のような圧倒的力感。中域、高域の透明感、繊細感も良くなり、もう言うことなしである。質量と素材の違いが音に表れた形か。

 本当の使い始めで、音に硬さと突っ張り感があるのは否めない。しかし、それもレコードを聴いているうちにどんどん変化して行くのである。一面の半分くらい聴いたところで既に随分とほぐれた感じになった。これから先は、文字通り時間の問題である。ひたすら聴くに若くは無し。

 とうとう月の半分近くをEminentの話題に割いてしまった。アナログに興味を持たれない方にとっては、さぞかしタイクツであったろうと思われる。申しわけなくも思うわけだが、しかし、僕にとってAD再生とは斯くも魅力的なのである。理由はただ一つ。音が良いから、である。単純明快。

 CDにも音の良いものがある。SACDも素晴らしい。しかし、現状優秀なADを凌ぐには至らない。そこへ以ってEminentのような優秀カートリッジが出てきてしまったわけだ。今のところ勝負あり。ADを凌ぐ大きな可能性を秘めたSACD(DSD)には、今後更に頑張ってもらわねば遺憾。

 Eminent。素晴らしい。

’04/04/13 (火)

もひとつ過程を楽しむ


 ようやくシェルに取り付けるところまでたどり着きました。いったい何時までヒッパルんでしょうか。

 今日の画像は、滅多に見られないEminent2連発である。試聴機の返却期限がやってきて、今日送り返した。荷造りの前に2台並んで記念撮影。こんな光景は二度と拝めないだろうということで。この機会を作ってくださったM85さん、某販売店さんには深々の敬意を表し、心から感謝したい。ありがとうございました。

 さて、僕用の実機はご覧の通り、PH-L1000につけた。シェルリードは、もちろんCW-Rh1である。試聴機はシェル込み24gだったが、2g増えて26gになっている。多寡が2gと言う莫れ。ここでの2gの差は、極めて大きな意味を持つのである。実際、アームにつけた時の感触はまったく違ってくる。慣性質量、重心位置などが変わる所為だろう。使用感のみにしても個人的な好みでは、やはりPH-L1000、ということになるのである。

 本体ベースは、円盤の一部を切り取ったような形状になっている。こういうカタチをしていると、困るのである。シェル中心線と本体中心線をきっちり合わせるのがヒジョーにムツカシイのだ。センター決めのよすがとなる直線部分が、ナイからである。何度も何度も眺め透かし微調節。ようやく決まった。はず。これがズレていたらシャレにもならん。手際が悪いね、どうも。

 あとはゼロバランスを取り、凡その針圧をかけ、アームの高さを調節し、再度針圧を細かく追い込み、高さを微調整し、インサイドフォースキャンセラーを合わせれば再生準備完了。

 さあ、明日は聴くぞっ。

’04/04/12 (月)

過程を楽しむ


 3年(正確には2年9ヶ月)ぶりの新しいカートリッジ導入が、うれしくてたまらん。ので、今日も前振り日誌なのである。ヒッパルのである。

 重厚なケースから本体を取り外すと、ベース部分はこんな形をしているのである。上から見ると、サイドビューとはぜんぜん違った印象になるから面白い。スター・トレックに出てくる宇宙船みたいだ。

 全身アルミ(だと思う)の塊で自重9.0g。重量級の部類に入る。MC-L1000/10.5g、HELIKON/8.0gだから、ちょうど中間の自重である。「147」の刻印はシリアルナンバー。試聴機は「003」だった。高価なカートリッジだが、随分売れているのである。

 厚く丈夫なベースはシェルとの接触面積も広い。加えて、取り付け穴にネジが切ってあるタイプなので、極めて強固な取り付けが実現できる。留めネジには、昔(今もあるか?)A・クラフトから出ていたステンレス製キャップ・スクリューを使おう。コイツは強力である。HELIKONにも使っている。いい気になって締め過ぎないようにしなければ遺憾。

 カンチレバーは、M85さんのレポートにもあった通り超ジュラルミン製パイプ二重構造である。アルミ、ジュラルミン、ボロン無垢など、多くのマテリアルを試行した結果であると説明されている。スタイラスチップは短径3μm×長径30μmのセミ・ラインコンタクト針。

 特筆すべきは内部インピーダンスの低さと、出力電圧の高さである。内部インピーダンス1.8Ω、出力0.5mV/1kHz。超高効率磁気回路である。かなりの低インピーダンス高出力だと思ったHELIKONでも5.5Ω、0.5mVである。磁気飽和を起こし難い新開発コアと、強力なネオジウムマグネットの組み合わせで実現できたという。あの驚異的超低歪みは、この辺りに秘密があるのかな。

 ゴチャゴチャ能書きをタレとらんで早う聴け、っちゅう話もあるわけだが、まあお待ちください。

 過程を楽しむのも、オーディオでございます。

’04/04/11 (日)

ずしりと重く


 今月の日誌はもうEminentだらけである。5日からずっとこればっかり。それだけの大物であると、ご勘弁ください。たぶんまだ続きます。

 大きさのわりにずっしりと重いケースに入っている。実測586g。アルミブロックくり抜きのケースに5mm厚クリアイエローのアクリル板がネジ留めしてある。黄色く見えるのは色温度がヘンなのではないのである。

 カートリッジ本体は、ケース裏からネジ留め。付属品は、留めネジが6本とクリーニングブラシ1本。ネジは真鍮製のようである。ちょっと珍しい。ブラシは、短い毛を硬く密集させたタイプでなかなか優秀。リード線は付属しない。純正専用シェルが用意されているので、それに付属のものを使えということだろう。僕としては純正シェルよりもPH‐L1000を、リード線はA・クラフトのCW-Rh1(残念ながらディスコン)を使いたいところである。

 全国を回ってきた百戦錬磨の試聴機と、鳴らし始めのEminent。シェルも違えばリード線も違う。さてさてどんな音で鳴りますことやら。

 カートリッジ、幾つあっても楽しいのである。

’04/04/10 (土)

んで、こうなる


 イッヒヒヒヒヒヒ。来た。

’04/04/09 (金)

思い立ったが


 午後、電話が鳴る。昨今ご無沙汰のげんきまじんさんからだった。

 「今からお邪魔してよろしいですか?」

 オヲ。びっくりした。業務が17時くらいまであるけれど、それ以後なら大丈夫ですよと答えたら、本当に飛んでこられた。相変わらずすごい行動力である。お久しぶりです、いらっしゃいませ。お目当てはEminent、ということで、ADをどんどん聴く。さて、御感想は。後日に待ちたい。

 うむ、やはり仲間は、良い。

’04/04/08 (木)

傑出


 2日間、M85さんに日誌の更新をお願いしたようなものである。その間、僕は何をしていたかと言えば、ヒタスラにEminentを聴きまくっていたわけである。おかげさまです、M85さん。

 多くのADを聴いた。そのどれもに新しい発見があり、実に楽しく、学習することの多い試聴である。感謝せねばならない。

 機器、あるいはシステムのクオリティが上がった時、しばしば使われる表現に「良いソフトはより良く、悪いソフトはより悪く聴こえるようになった」というものがある。僕も一度ならず書いた記憶がある。

 それを直ちに誤りであったと断ずることは、僕にはできない。しかし、Eminentで様々なADを聴いていると、あながちそうとばかりも言えないような気も、してくるのである。

 良い録音がさらに素晴らしい音で鳴る。これは間違いない。問題は「悪いものはより悪く」という点である。歪みだらけで聴くに堪えないと断じていたADが、実はヒジョーに良い録音だったことに気付かされるケースが少なくなかった。

 これまでにも、ある特定のカートリッジを使えば、聴感上の歪みが減ることはあった。だが、同時に失うものも多く、例えばそれは音に生気が無くなったり、切れが後退したり、音場がイビツになったり、という形で表れるのだった。僕の耳にはそれが情報量を減らし見かけ上の歪みを減らそうという、一種の作為と感じられる。聴き心地が良くないのである。

 Eminentにはそれが無い。皆無である。歪みが減り透明感増大、今まで聴こえなかった細かな音までが鮮明に浮かび上がってくる。そう聴かせようという作為感はなく、押しつけがましさもない。極めて自然、何の違和感もなく音と音楽に没入できるのである。

 これはひょっとしたらモンゲリャー(丹後弁で"モノスゴイ")ことではないのか? 「悪いもの(のうちの幾らか)が実は悪くなかった」のである。再生側の不備を棚に上げ、録音側にばかり罪をおっかぶせていたという、笑えない話。冤罪だな。全てがそうだ、とまでは言えないものの。

 エポック・メイキングである。ネーミングは伊達ではない。この事実を落ち着いて受け止めるには、さらに多くのADを聴く必要がある。

 残り4日間。試聴は続くのである。

’04/04/07 (水)

特別寄稿 (2)


 さて、今日はM85さんによるEminent試聴記の第2回目である。愚にもつかぬ僕の前振りは必要なし。早速お読みいただきたい。


 Eminent試聴記 (2)

 カンターテ・ドミノでは、ヴォーカルの艶と潤いが素晴らしい。声を張り上げた時の大入力にも飽和せず、音像が肥大化することもぼやけることも無いし、全くヒステリックにもならない。伸び伸びと艶のある声が出てくるだけでなく、混濁とは対局にある音で、コーラスが加わると音場の奥行きと幅がグッと広がる。

 また他方では、弦の瑞々しさも申し分ない。このカートリッジで聴く、グリュミオーのBWV1041-1043(A級外セレ第2集)やシュポアのVnとHpのソナタOp.113のイェックリン盤(同)は殆ど麻薬的な心地良さである。これだけの艶と輝きと潤いを持った音色を有するにもかかわらず、情報量が間引かれたり音の角を丸めたりする事が全くない。

 ギル・エバンスのミサ・エスピリチュアル冒頭のジャングルを模した部分では、音の微粒子一粒一粒までが完全にほぐし尽くされて、さらさらと流れ落ち、飛び散って、リスニングルームの何倍もの空間にキラキラと散乱する。逆立ちしても、CDでこんな音は聴けない。

 リファレンス・レコーディングの幻想交響曲の第五楽章は、ローエンドまで延びきったグランカッサと中高域のあまりの情報量の多さのため、凡庸なカートリッジでは低域はドロドロ、中高域は混濁し歪みで喧しくなってしまう。ところがエミネントで聴くと、ブルンブルンと締まりの良いグランカッサと低弦の上に、呆れるほど音数が多いのに歪み感皆無の中高域が乗って、ボリュームをいくら上げてもうるさくならず、オーディオ的快感の極み。  

 エミネントの低域は、L1000やヘリコンと違ってガツンと来る硬さは無く、ソフトタッチだが非常に締まりが良く解像度も高いという不思議な低音である。

 あるオーディオ雑誌では、何処かの評論家がエミネントを評して、「高解像度系のカートリッジではない。」と書いていたが、これを高解像度と言わずして何を高解像度というのだろう? このカートリッジを使っても高い解像度が得られないとすれば、ソフトか装置か使い方のいずれかに問題があるとしか思えない。

 何より驚いたのが、歪み感の少なさである。今までに聴いた全てのカートリッジの中でも、飛び抜けて低歪みである。それがこれ程のトランジェントと両立しているのだから、もう脱帽。カートリッジに限らず、こんな音は聴いたことが無い。とにかく素晴らしい。

 おそらくこのカートリッジでは、A級、非A級を問わず、聴くに耐えないソフトというのは極めて少ないのでなないか? 少なくともL1000やヘリコンに比べると守備範囲は圧倒的に広い。真価を発揮させるにはそれなりの環境(特にフォノイコとアーム)を準備してやる必要があるが、定価30万円は決して高くないと思う。DNA残党としては絶対の自信を持ってお薦めする。

(了)


 2日間に渡ってお届けした試聴記は如何だっただろうか。拝読してちょっと驚いたのは、僕のイムプレッションと似通った部分が多かったことである。事前にM85さんから伺っていたのは、良い音だということだけ。詳しいことは意識的にお聞きしなかった。試聴前にバイアスがかかるのを避けたかったからである。

 それでいて印象を同じくする部分が多いという事実。やはりM85さんと僕とは、「同じ穴の貉」(失敬失敬!)なのである。

 M85さん、改めて御礼申し上げます。玉稿を、ありがとうございました。

’04/04/06 (火)

特別寄稿 (1)


 昨日、Eminentの音を聴いてひっくり返っていたら、アナログの鉄人M85さんから試聴記が届いた。なんて間が良いんでしょ。早速に読ませていただいたところが、単に私信として留めておくには勿体無いものである。そこで今日から2日間に渡り、特に了解をいただき特別寄稿として掲載したい。

 M85さん、ありがとうございます。

 では、M85節を存分に味わっていただきたいのである。


 Eminent試聴記 (1)

 昨年末に、My Sonic Labの新作カートリッジ「エミネント」を二週間ほど拝借し、自宅で試聴する機会を得た。このご時世に30万もするカートリッジの新製品を発売するとは、何と意欲的なことだろうか、音を聴くまでもなく、我々ADファンはその意気込みには敬意を表するべきだと思う。だが、正直に白状すれば、ジュラルミンのカンチレバーと聞いていたので、現物を聴くまでは、音については全く期待していなかった。

 というのもMC-L1000のような特殊な構造のカートリッジを除いては、針先の振動はカンチレバーを介して発電コイルに伝えられる為、カンチレバーの撓みは音質に多大な影響を与えることは良く知られている。理論的にはカンチレバーの撓みが大きなもの程、また撓みの伝播速度の遅いもの程、トランジェントは劣化する。実際、今までに聴いたカートリッジでは、殊トランジェントに限って言えば、ほぼ例外なく、この理屈どおりのパフォーマンスを示していたからである。

 ジュラルミン(アルミ合金の一種)のカンチレバーは、曲げモーメントに対する比剛性および横弾性波の伝播速度という点では、ベリリウムやボロンには遠く及ばない材料である。そのため、さほどトランジェントの良い音がするとは、夢にも思っていなかった。

 ところが、音が出た瞬間にこの先入観はどこかへ吹っ飛んでしまった。「何かの間違いではないか?」と思うほど素晴らしい音だ。

 音場は深く広大であり、トランジェントの速さはテクニカのPTG、ART-2000、オルトフォンのMCジュビリーの何れをも遙かに凌ぎ、MC-L1000やヘリコンに匹敵する。しかもそういったカートリッジにありがちなオーバーシュート感やアンダーシュート感が極めて小さく、喧しい音や不愉快な音は全く出さない。歪み感の少なさは驚異的で、今までに聴いたどのカートリッジよりも優秀である。その上極めて鮮度と解像度が高く、出てくる音は非常に生々しくリアルであり、情報量はとてつもなく多い。でありながら全く無機質にはならず、希代の美音を聴かせるところがエミネントの凄いところである。

 オルトフォンのMCジュビリーも、ハイファイ指向でありながら、綺麗な音色で聴かせるカートリッジであったが、エミネントは技術点、芸術点の両面で、ジュビリーとは次元の違いを見せる。



 明日は、テストに使われたADソフトがどのような鳴り方になったのか。そのあたりの実際をレポートする編である。

 お楽しみに。

’04/04/05 (月)

圧巻


 今日こそマトリックスを観ようと思った、ら、夕方になって例のブツが届いてしまった。そう、My Sonic LabのEminentである。借りていられる時間には限りがあるので、ここはコイツを聴かねばどもならん。マトリックス、ちっとも観られないのである。

 My Sonic Lab製のヘッドシェルに付けられている。実測24gと、ちょっと軽い感じだが付け替えはせずそのまま聴く。うっかり事故でも起したら大変なのである。試聴機ですからね。

 推奨針圧1.9g〜2.2g、ということで2.0gに設定。ヘッドアンプC-17、100Ωで受け、AE86カスタムビルドPEQからC-280Vラインイン(チューナーポジション)へ入れての試聴である。この辺、HELIKON、MC-L1000と同。

 一言で語ってしまえれば極めてらくちんである。メチャクチャ良い音。以上オワリ。では、日誌にならないので、冗長になるのを承知でイムプレッションを書いてみたれば。

 超高解像度、超分解能、超低歪み。しかし冷たさ、硬さはまったく無い。艶やかで瑞々しく、まさに美味な音である。無機質な印象は皆無だ。粗さ、粗暴さがなく、極めて端正、上品。それでいて喰い足りない音ではないのだから恐れ入るのである。素晴らしい。

 低域にはちょっと特徴がある。柔らかいのに締まっている、というフシギな音。フヤけているのではない。ややソフトタッチで、独特の温かみを含んだ音である。鈍重な感じは全く無く、フットワークは軽やか。音程明確、曖昧さはない。でも、柔らかい。実に魅力的な音である。

 歪み感の少なさは特筆モノ。今までにこれほど歪みの少ないADの音を、聴いたことがあっただろうか。否、無いのである。音のカドを適度に丸め、見かけ上の低歪みを狙った音では、絶対にない。本質的極超低歪み。その証拠に、全域に渡っての解像度、分解能は恐るべきものがある。特に中〜高域は凄い。細かい音の大洪水、超微粒子サウンドが部屋いっぱいに散乱するさまは圧巻である。いやあ、凄い凄い。

 音楽ファンもサウンドマニアも、非常に高い次元で満足できるカートリッジだろうと思う。HELIKONにEminentが揃っていれば、これはもう鬼に金棒。矢でもテッポでも持ってこい。向うところ敵無し、完全無欠のAD再生環境が実現できる。

 この音を聴きながら、冷静で居られるほど僕は達観できていないのである。今や完全に煩悩の塊と化し、モンモンたる思いで胸をカキムシるのであった。

 すさまじいカートリッジが出てきたものである。

’04/04/04 (日)

意志薄弱


 夕方から夜にかけて、少し時間ができたのでマトリックスを観ようと思った、ら、BSディジタルで上のようなモノの放送があり、ヨロヨロそっちに靡いてしまった。スミマセン、見たかったんです。

 僕は熱血野球ファンではない。どちらかと言えば映像ファンの眼で見ている。BShiでの中継は、極めて綺麗である。音もそんなに悪くない。同じ見るなら大きくて綺麗な画面のほうが良いのである。

 久しぶりにHD放送を見たわけだが、ドギツくないのに高精細、圧倒的な奥行きと立体感のある映像は、さすがである。大袈裟に言うなら、壁に四角い切り抜き窓があり、そこから球場を覗き見ているような感じ。眼のまえに介在物、夾雑物が存在しない印象である。120インチでは小さいくらい。300インチくらいで見ることができれば、さぞ素晴らしいだろうに。

 やや暗めに感じるのは、太古プロジェクターの限界と、スクリーンの経年劣化もあると思う。今や誰も見向きもしない、ゲイン2.8などというスクリーンを、未だに使っているのだから。プロジェクター側に充分な光量が保証されているのならば、ゲインは低めでもキメの細かいスクリーンが有利である。これはHD映像を見れば誰でもすぐに分かる。走査線が細かい分、スクリーンの粒子がミエミエになってしまうのである。特に白い部分を見れば一目瞭然。ただし、ウチの映像環境では低ゲインスクリーンはちょっと厳しい。個人的にはゲイン3.0以上あっても良いくらいに思っている。

 映像に関してはいろいろ改善したい部分もあるわけだが、小金が溜まるとどーしても音のほうに投資したくなるのは困ったものである。たぶんこれからも太古な環境のままなのだろうなあ。やはり僕は、音マニアなのである。

 んで、試合結果というと開幕連勝。ヨカッタヨカッタ。

’04/04/03 (土)

本日発売


 僕がDVDソフトを紹介する時は、ひどく旧聞であることが多い。ものぐさが災いしているわけである。今日は珍しくタイムリーな紹介。本日(4/2)発売の「MATRIX REVOLUTIONS」(ワーナー・ホーム・ビデオ DL-33209)である。本編129分。劇場でご覧になった方も多いと思うので、内容説明の要はないだろう。シリーズ三部作の完結編、ですよね?

 残念ながらまだ観ていないのである。前作を観たときも、ターミネーター3の時も、最近のSF映画が手詰まり気味であるのが少々気になった。この最終章はどうだろうか。第一作のような新鮮さは、無いだろうな。

 まとまった時間が取りにくく、今のところいつ観られるかわからない。こんなことゆってるから、いつも旧聞になってしまうのだよ、くずてつくん。

 サクサク観ましょうね。

’04/04/02 (金)

満開2004


 新年度が始まる日に、ぴったり合わせたような満開である。こうなるのは滅多にあることではない。実に気持ち良いのである。昨年より12日も早い。先月中、寒い日も多かったが異様に暖かい(というより、暑い)日もあったからか。

 「船長の戯言」を始めて4回目の春になるわけだが、いずれの年も花付きが良く非常に美しい満開風景を楽しんでいる。桜に当たり年、ハズレ年はないというのが定説みたいだが、2000年までの数年間は、花の多い年と少ない年が隔年で交代していたのである。何故だったかは、分からない。

 今日は花冷えの、寒い晴天だった。ここまで来れば少々寒くてもかまわない。少しでも花が長持ちしてくれれば、それでよいのである。

 7日、8日が小、中学校の入学式だが、それまではちょっと無理かな。

’04/04/01 (木)

春、新しい鞄に出会う


 春本番の4月がやってきた。サイファのタイヤはようやくノーマルラジアルに替えられたし、桜も満開までもう一息である。いやあ、うれしいなあ。

 春といえば桜、桜と言えば新学期、新年度である。新入学生、新社会人さんたちのスタート季節でもある。学生時代を終えて20年も経てば節目節目が曖昧平板になり、折角の春も新鮮な気持ちで迎えられなくなりがちである。遺憾。ここは一つ気分を改めねば遺憾。と思っていた時、一つの鞄に出会った。

 ご覧の通り、ヒジョーにクラシックな意匠である。時代遅れも甚だしい。けれど、僕はこのデザインがとても好きなのだ。総牛皮製、460W×350D×140mmH。ブランド物でも何でもなく、イワユル無印良品である。しかし作りはしっかりしている。重いのがいささか難ではある。

 昔々、これと同タイプの古びた鞄を神戸三宮高架下の古道具屋で見つけ、300円(!)で買ったことがある。とても気に入り、主に業務用に使っていたものである。だが数年前、元々古いに加え日々の酷使に耐えかね、寿命が尽きてしまったのだった。以来、二代目をずっと探し続けていたのである。

 ところが今や完全に主流から外れたこのデザイン、なかなかに見つからないのである。偶にあっても大き過ぎたり小さ過ぎたり、作りが雑だったり異様に高価だったりで間尺に合わない。まさか300円で買えるなどとは思わないわけだが。

 先日、普段なら絶対に素通りするような店へぶらりと入った折、偶然発見した。思わずあっと声を上げてしまうのである。御丁寧に同デザインの小型サイズが2つ、大型サイズが1つ、4つ揃って並んでいる。大喜びである。値札を見ると、どれも極めて良心的な価格。これはウレシイ。3秒考えずに購入決定である。ホントは全部、欲しかったんだな。

 さあ、新しい春。僕はこの鞄にお仕事七つ道具を詰め、新社会人のような気持ちで業務に励むのである。

 ルーキーの皆さんにとって良き門出の春になることを、心から祈りたいのである。