箱船航海日誌 2004年03月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ

’04/03/31 (水)

花になって還る


 咲いたのである。残念ながら今日は雨降りで、花の色乗りがイマイチ。写真に撮ると益々マズい。曇天モードでもごまかし切れない。美しくない写真で、申しわけありません。明日は良い天気になるそうだから、楽しみである。お昼ゴハンは花見をしながら食べようかな。風流なのである。

 この樹の根元には、昨年うまく生まれることができなかった子猫が1頭、眠っている。埋葬したのは花の盛りだった。願った通り、土にとけ込み樹に吸い上げられ、今年の花となって還ってきたのである。うむ、キミの命は、樹と花にしっかり受け継がれたのだよ。

 生まれかわり死にかわるとは、こういうことなのだろうなあ。

’04/03/30 (火)

温故不知新


 昨今のTVを見ていると、'70年代のロック、ポップスがCMや番組のBGMに使われることが多いように感じているのは僕だけだろうか。QUEENの「WE WILL ROCK YOU」「WE ARE THE CHAMPION」、スティーヴィー・ワンダー「SIR DUKE」、旧いところではデレク&ドミノスの「愛しのレイラ」も使われていた。カーペンターズも最近の流行りみたいだ。他にもまだ沢山あると思う。

 番組では、TBS「世界遺産」(内容忘れた)のBGMにピンク・フロイド「狂ったダイヤモンド」が流れてきて驚いた。NHKスペシャルにキング・クリムゾン「風に語りて」「ムーン・チャイルド」が使われていたこともある。どこかの紀行番組で聴いたレイナード・スキナード「Sweet Home Alabama」「Free Bird」などになると、ヒジョーにマニアックである。

 こういうモノを聴いて育った世代、イワユル僕などと同世代と言えるわけである。'50年代後半〜'60年代前半生まれ。年齢にして40〜45歳くらいか。CM、番組制作の中心を担う立場になっていてもおかしくない年代である。完全に好みで作ってます。

 松嶋菜々子さんがキモノとタビを脱ぎ捨て、フーッと息をつくCM(お茶の、でしたっけ?)に使われているのは、大滝詠一の「君は天然色」である。上の画像はその曲が収録されている彼のアルバム「A LONG VACATION」(日CBS/SONY CSCL-1661)。CD選書シリーズ廉価盤、だが、たぶん現在は廃番になっているだろう。

 これはやや時代が下って'81年発表のJ-POP(当時はこんな言葉は無かった)である。僕はリアルタイムでADも買っている。この頃の大滝詠一ソングは盛んにCMに使われ、三ツ矢サイダーやリプトン紅茶が上手く商品イメージを作っていた。〜薄く切った/オレンジを/アイスティーに浮かべて〜で始まる「カナリア諸島にて」。〜キャンドルを/暗くして〜「恋するカレン」。アナタも覚えがおありでしょう?

 23年経った今、再びCMソングとして彼の曲を聴く。懐かしいのである。しかし、古さ、カビ臭さは感じない。今も新鮮なのである。他の'70年代ソングも同様だ。古びない。選曲が良いことを差し引いても、基本的に楽曲が優れていなければ、こうは行かないとも思う。良いものは良いのである。

 それはとても素晴らしいことである。だが、過去の遺産ばかりで喰っているのも情けない。本質的価値の高い音楽を、どんどん創って欲しいものである。既得権を振りかざし、音楽業界衰退の責任をユーザーにばかり押し付けているバヤイじゃないのである。

 本当に欲しいものを、売ってください。

’04/03/29 (月)

開花寸前


 間もなく咲くのである。別の枝では既に一輪咲いている。気象庁の規定では、標準木で五輪(六輪だったかな?)咲けば開花宣言を出すそうだから、ウチでの宣言はまだ早いのである。現在午後2時、気温20℃超。これを書いているうちにも、現在開花進行中である。眤と見ていたら開き行くのが見えるかも。夕方には宣言できるかな。

 この季節、飽きもせず毎年毎年同じこと書く。いやあ、桜が咲くのはほんとに嬉しい。春の青空と桜のコントラストは、一年のうちで最も好きな風景である。それにしても今日の暖かさはどうだろう。8日の雪が同じ月だったとは到底思えない。何か遠い昔のことように感じてしまうのである。

 14日には「4月5日より遅れるだろう」などと予想したが、大ハズレである。近年で最も早かった一昨年とほぼ同じグワイになった。初旬の寒さを思えば、これはちょっと驚きである。花が咲いてチョーシに乗って、浮かれた気分でEminet買っちゃったりして。

 危ないね、どうも。

’04/03/28 (日)

幸と観ずべし


 今日の画像はAE86さんのwebページよりお借りした。AE86さん、転載のご快諾、ありがとうございました。

 昨年12月29日の日誌に少しく書いた新進カートリッジ、それはご覧のEminentである。My Sonic Lab製。昨年末の時点で既に試聴した友達から「アレは凄いよ」と聞き及んでいた。極めて信頼のおけるスジからの情報だったから、そのまま買ってしまっても良かったわけで、しかしながらそこまでの経済力が無いのは悲しいところなのである。

 今回、ちょっとしたご縁で試聴機を借りられることになった。友達の尽力によるものである。深く感謝せねばならない。ありがとうございます。

 来週末〜再来週初めくらいには、聴ける手筈になっている。1週間ほどのご滞在に恵まれそうだ。滅多にないことである。感謝感謝。

 実に楽しみなのである。尽力してくれた友達、AE86さん、その他複数の友達から聞く評価は、非常に高い。ルックスは見ての通り武骨でクラシックである。しかし出てくる音はそれに相違して繊細微妙で超高分解能、しかも無機質にならないという。期待感、極大。

 なのは大変結構だが、聴いてしまったらもうオシマイかも。「購入を前提としたレンタルじゃないから」などと冷めたことを言っていられなくなるおそれがある。ヒジョーに危険な試聴なのである。

 欲しいものが存在することは、幸せだと観じよう。

’04/03/27 (土)

だから無理

 昨日の日誌、終わりの三行分くらいで「死の恐怖を感じるほどの恐ろしい眠気」にハイボクし、なんだか酷く尻切れトンボみたいになってしまった。え、いつもそう? コリャまた失礼致しました。

 ええと、それで、「ハイエンド」である。僕のシステムがそうでないのは当然として、僕は別にハイエンドを避けているわけでも嫌っているわけでもない。もし、経済力、知識、経験、能力が備わっていたならば、ソッチ方面へどんどん進んじゃうかもしれないのである。如何せん、僕はそのすべてを持ち合わせてはいないのである。

 今までに聴いた超高級オーディオ機器の音は、僕にとってはどれも食指の動くものではなかったのも事実である。但し、いずれも箱船で聴いたのではなく(そんなことは到底叶わないのダ)、オーディオ店の、或いは代理店の試聴室だったから、その分(おそらく悪条件)は差し引かねばならない。名うてのマニアが注意深くセッティングし、細かく追い込んだシステムを聴くことができれば、結果はまた変わるかもしれない。進んで聴かせて貰おうとは、あまり思わないが。

 とは言うものの、人にはそれぞれ「分」というものがある。「分相応」「分不相応」の「分」である。アンプ1台ン百万円。こういう世界が僕にとって分相応であるとはとても思えない。機器の強烈な支配力に圧倒され、自由闊達(勝手気ままとも言う)なオーディオがまったくできなくなってしまうのは間違いなし。ホウモツのような機器に、きたねえ鉛板などをドカドカ置いてはイケナイのである。

 尤も、そーゆーことを言い出すと、テメーにゃ箱船自体が既に分不相応、という説もあるわけで、もちろんそれは否定できないと思う。だからこそ、月々の払いと固定資産税の納付(生々しいね、どうも)には、日々汲々としているわけである。恵まれ難い縁に恵まれ、実現した箱船であってみれば、それもまた当然至極。ノウテンキに馬鹿オーディオやってるようですが、それなりに苦労もあるのでございます。誰にゆってるんでしょうか。

 歳とともに好みは変わってゆくと言う。この伝からすれば、将来はハイエンド変身しているかも....イヤ、歳に応じて分が上がることは考えられず、歳とともに経済力は低下の一途を辿り、その前にたぶん舎利になって土の中、だろう。

 ちゅーわけで、くずてつのハイエンド化は、一生無理です。という、つまらんお話でした。

 2日間にも渡って書くようなことでは、ナイね。

’04/03/26 (金)

そりゃチガウ

 僕には5歳年長の実兄がいる。僕のオーディオ好きは、彼からの影響が極めて大である。5歳の年齢差は、今でこそたいして違わない。どっちも中年のオッサンである。しかし、10代の頃の5歳差は大きい。小学5年と高校1年。中学2年と大学1年。エライ差である。

 僕が小学生の頃、既に彼は自分専用のオーディオシステムを構築していた。サンスイのプリメインアンプ、トリオのチューナー、パイオニアの3WAYスピーカー。いわゆる「サントリパイ」(死語である)の黄金セットである。ADプレーヤーはビクターだったかな。これがヒジョーに羨ましく、兄が留守の間に勝手に使ってよくぶん殴られた。

 その後、彼はオーディオマニアの道へは進まず、徹底したロックマニアへ転身、今はそこそこのシステムでロックを聴くに専一である。その兄が僕のシステムを見て、こう言うのだ。

 「アンタのシステムはハイエンドだから」。

 考え込むのである。ハイエンドとはコレ如何に。そんなことゆったら、リアルハードハイエンドマニアさんに叱られます。こんなもんと一緒にするなと。

 確かに今では兄の機器より高価なものを使っているけれど、少なくとも「ハイエンド」ではないだろうに。と、そう思ってまた考え込む。そもそも「ハイエンド・オーディオ」と「フツーのオーディオ」との境界線は、どこにあるのだ?

 僕が恣意的にイメージする「ハイエンド」とは、海外製品中心。アンプ、プレーヤー、スピーカーの三点セットで総額一千万円に届こうか、というような世界だと、思うのだが、チガウかな。違ってたらゴメンナサイ。現用の機器をすべて定価で計算しても、とてもそれに追い付かない僕のシステムは、やはり「ハイエンド」ではないと、言うべきだろう。

 しかし兄は「ハイエンドだ」という。

 ヤッパリ違うと思う。多分音もゼンゼン違うのだろう。

’04/03/25 (木)

避けられた浪費


 昨日は3行書いたところでスイッチが切れた。ので、変則的だが今日は2日分まとめて更新する。よろしくお願いしたいのである。

 19ヶ月ぶりのMC-L1000である。注意深くHELIKONを外し、これまた慎重にL1000を着ける。僕は生来粗忽でマヌケだから、こういう時には人一倍気をつけねばならない。ゼロバランスを取り直し、針圧を加える。カウンターウエイトにはタングステンシートで重量を付加してあるので、アームの針圧目盛りはアテにできない。

 ここで出番になるのがWindsの針圧計、ALM-01である。これは抜群の精度と使い良さを持っていて、一度使うと手離せない。HELIKONやL1000のような、針圧に極めて敏感なカートリッジには絶対必要。と、僕は思う。既に8年使っているが、故障皆無。超ハイCPである。

 ご覧の通り、1/100gまでぴったり1.5gに合わせたら準備完了である。

 久しぶりに聴くMC-L1000の音に、僕は感激してしまったのである。凄くいい音。軽やかなのに厚みがある。低域の豪快さはHELIKONに譲るものの、超低域までの伸びと中域、高域のスピード感では明らかに上回っている。音の艶と鮮度は圧倒的。今生まれたばかりですと言わんばかりに、音が輝いている。粗さ、トゲトゲしさはまったく無い。これが20年前のカートリッジの音かと、ただ驚くばかりである。やはりL1000でしか実現できない音は、今も厳然と存在するのだった。18年使い続けているにもかかわらず、今さらながらにそう思うのである。

 19ヶ月間のシステム変更は、どうやら正解だった(と言うより見当外れではなかった)らしい。L1000の良いところが出せていると感じた。浪費になっていなくてヨカッタヨカッタ。

 現状数枚のADタイトルを聴いたのみである。まだまだ聴きたいものが山のようにある。しばらくはAD三昧になりそうだ。

 どこまで保つか。最も危惧するのはそれである。

’04/03/24 (水)

健闘を祈る


 愚息1号が小学校を卒業した。6年間は夢のように過ぎ去ってしまった。ランドセルが愚息を背負ったようないでたちで通学し始めたのは、ついこの間のことのように思われるのであった。如露亦如電。

 彼のクラスは全21名(男子9、女子12)である。もちろん一クラスのみ。悲しいことに20人以上のクラスはこれが最後になると見られている。現在の全校生徒84名。21名卒業し、4月の新入学児童は11名。前年度比10名減、全校生徒74名という、寂しい小学校である。愚息2号が卒業する2年後には、何名になっているのだろうか。いささか心配である。致し方ないことなのだが。

 4月から通い始める中学校への新入学生徒の総数は、141名だそうだ。町内にある5つの小学校から1つの中学にまとまるわけだから、当然一気に増員するのである。

 21名1クラスから35名4クラスへ。このドラスティックな変化に適応できるかどうか。適応できれば、チミの中学生活はバラ色ですぜ、1号君。

 健闘を祈るのである。

’04/03/23 (火)

進化か浪費か


 最近ご無沙汰のMC-L1000である。使い続けてこなれてきたHELIKONのグワイが頗る良いので、足が遠のいている。特に出し惜しみしているわけではないのである。

 このまま、まともに音を出さず、久しぶりに使ってみたら壊れてた、なんてことになると痛恨の極み。1年7ヶ月ぶりに付け替えることにする。

 極めて興味深い変更である。1年7ヶ月前と言えば、WAGC導入前だ。トゥイーターも違う。T-300Aなんか影も形もなかった。ついでに言うなら直接関係はないけれど、DP-85も入っていない。と、振り返ってみれば、随分システムに変更があったわけだ。

 こういうことも、オーディオにおける醍醐味の一つなのかもしれない。まるでタイムマシーンで時を遡った(のか、未来へ飛んだのか)ような気分である。19ヶ月分のシステム進化を実感できるか、はたまた時間、労力、経済力の大いなる浪費と気付かされるか。

 ジャッジメント・デイ。実に楽しみである。

’04/03/22 (月)

記憶にございません


 箱船1階の片隅に、ドシャドシャと固めてある物を整理していて見つけたのが、今日の写真である。100mm×150mm、厚さ5mmの板。一目見て「あれか」とお分かりになる方、貴方は木工ファン、と言うより「材木が好き」な人でしょう。

 メイプル板、の中でも比較的稀少で高価なバーズアイ・メイプルの板である。木目の中に鳥目紋様が入っているものを特にそう呼ぶのである。粋な小型スピーカーシステムなどの化粧板にも使われることがある。無垢だと高くつくので大概は薄い突き板、或いは非常に良くできた塩ビシートであることが多いが。

 東急ハンズの紙袋に5枚入って出てきた。買った日を見たら、'97年7月1日とある。7年も前じゃないか。僕は一体何がしたくてこんなものを買ったのか。まったく覚えにないのはムチャクチャいい加減な話。こんな中途半端な大きさで何をどうしようというのか。1枚400円、5枚で2,000円。う〜む、何を考えていたのかさっぱりワカラン。

 念入りに磨き、カシュークリアなどで綺麗に塗装すれば、とても美しい化粧板になることは間違いない。ギブソンのエレキギター、レス・ポールのバーズアイトップ仕様などは、そりゃあもう美しくて溜息が出るほどだ。

 ひょっとすると、特に用途も考えず、ただ単に「綺麗な板」だから買ったのかもしれない。こういうものを見ると、条件反射的に「欲しい!」と思ってしまうのである。子供みたいなヤツだな、まったく。

 折角7年ぶりに見つかったのだから、どこかに使ってみようかな。

’04/03/21 (日)

梅は咲いたか


 日誌のネタを季節別に見てみると、自然ネタ、花ネタが圧倒的に多いのは、この季節、春先である。よほど冬が嫌いで春が好きなのである。山ほどある雪の中をナガグツ履いてボシュボシュ歩くのはイヤダ。気軽に雪駄をつっかけ、外を歩き回れる季節。犬も歩けば棒にあたる。くずてつが歩けばネタに当たる。ちゅうわけで、今日も花ネタである。

 早春の夕暮れに咲く、中庭の紅梅である。今月7日には雪に降られて固かった蕾も、ここに来てようやく咲き始めたのである。八重咲きの梅である。実も成るけれど小さくて固い。観賞用なのだろう。桜はまだまだ先の話になりそうだ。

 「梅一輪 いちりんほどの暖かさ」。有名な俳句である。誰もが一度は聞いたことがあるだろうこの句、僕は恥かしながら詠み人を知らなかった。完全に勉強不足、と言うより、学生時代にキチンと学習していないのがバレバレなわけだ。

 松尾芭蕉の弟子、服部嵐雪(はっとり・らんせつ:1654〜1707)の俳句である。嵐雪は「蕉門十哲」のうちの一人。優秀な弟子だったのである。

 詠み人を知らずとも、一度聞いたら忘れられない印象的な俳句である。彼岸中日の今日(20日)、天気は悪くなかったけれど、3日前に比べれば随分と寒かった。まさに「いちりんほどの暖かさ」。この梅が満開になる頃には、桜が咲き始め春は爛漫となるか。

 18日、東京では桜の開花宣言があったようだ。うらやましくもあり、しかし花を待つこの時間がいちばん良いとも、言えるわけである。

 今年の桜は、どんなかな?

’04/03/20 (土)

ストイック

 ボケッと漫画などを読みながら、穏やかな音楽を聴く。ソファに深くもたれかかってα波ミュージックを聴くともなしに聴く。対決型オーディオとは対極にあるような聴き方である。

 最近そういう聴き方をする時間が長くなっている。真正面から音と対峙するのも面白いけれど、筋肉を弛緩させてフニャフニャと音楽を聴くのもまた、幸せな時間であるわけだ。

 しかし。

 これを続けていると、今度は「これでよいのだろうか」と思い始めるのがサウンドマニアの悲しい性なのである。「遺憾。これは堕落である。オレは優秀録音盤と対決せねばならんのだ」と、半ば脅迫観念にも似たような気持ちになるのだった。ストイックなのである。

 考えてみれば趣味に堕落もクソもないわけで、あまつさえストイックである必要はまったくないのである。好きなようにやれば良いのだ。誰から咎められるものじゃなし。ストイック=禁欲主義者。一体何を「禁欲」するというのか。

 「手段が目的化するを以って趣味という」。どのような趣味であれ、必ず「様式」が存在する。主流、傍流、我流の違いはあっても、それぞれの様式があるわけだ。その「様式」から外れた時、「これでは遺憾」と一種の禁欲性が生まれるのだろう。

 禁欲すればストレスが生じる。「好きなようにできない」のだから、当然の帰結である。ストレス開放のための趣味が、ストレスの種になるという、なんだかよく分からない状態である。

 それを開放するため、別の趣味に走る。するとまた「様式」に縛られストイックになりストレスが。またまた別の趣味に走りまたまたストイックに....。

 これじゃいつまで経っても救われないね。

’04/03/19 (金)

何へぇ?


 自然ネタが続くことをお許し願いたい。春になるのが嬉しいのである。

 箱船東側の庭に佇むラクの姿。その周りに点々と見える緑の正体は。すべて呆けたフキノトウである。小さい時は目立たないものが、こうなってみればちょっとした「フキノハナ」畑である。業務の多用さに、今年はじっくり摘んで食べるヒマがなかった。これを好物と楽しみにしていた友達にも、ついに送れず仕舞いになってしまった。申しわけありません。

 そもそも「フキノトウ」とは何者か。漢字で書くと「蕗の薹」。宿根草である蕗の花茎である。要するに蕗の花、それの芽がフキノトウである。

 であってみれば、その役割は、例によって子孫繁栄。種を作るために花が咲くのである。今はまだ背の低い蕗の花だが、咲き終わるとこれがどんどん伸びて綿毛付きの種を作る。ちょっとタンポポに似た感じだ。と思ったらどちらもキク科の植物だった。

 写真に見える株すべてが伸びるわけではない。毎年フシギに思っていたのである。背が低いまま枯れてしまう株と、伸びて種を付ける株がある。何故だ?

 あっ、なんということだ、蕗の花は雌雄異株だったのである。よーく見ると花の色に違いがある。黄色の株と白色の株。前者が雄花、後者が雌花だという。つまり、伸びて種を付けるヤツは白花、雌花だったというわけ。そういえば、雌株のほうが少ないような気がする。

 身近にありながら、知らないことは多い。僕は感心してしまいました。幾つになっても勉強はするもんです。

 でも、オイラの日誌って、ちょっとトリビア。

’04/03/18 (木)

デボン紀の生まれよ


 これが出たのを見ると、本当に春が来たと思う。ツクシである。「土筆」とはよく言ったもので、正に土から生えた筆のようである。

 先週の日曜日、40cmの雪があったとは思えない。その時は影も形もなかったのに、たった10日で箱船裏庭は一面ツクシだらけになってしまった。眤と見ていたらニョキニョキ生えてくるのが分かるんじゃないか。まったくに凄い生命力。さすが、数億年の時を超えて生きるシダ植物の仲間(トクサ科)である。

 ツクシにやや遅れて生えてくるのがスギナ(杉菜)である。杉の葉に似ていることからこの名が付いた。ツクシとスギナ。地下茎で繋がった同じ植物である。尤も、こんなことは誰でも知っているだろう。

 一般的にはスギナが親でツクシが子、のように思われているようだが、この二つ、実は親子関係ではない。子孫繁栄のための重要な役割を、それぞれで分担しているのである。二つで一つ。対等なのである。

 ツクシの頭が何のためにあるか、皆さんそれはご存知だろう。そう、あの中には胞子がぎっしり詰まっているのである。胞子茎(ほうしけい)というんだそうな。生えてしばらくすると笠が開き、胞子を風に飛ばす。その後、すぐに枯れてしまう。

 ご覧の通り、ツクシは緑色をしていない。葉緑素をほとんど持っていないのである。つまり、光合成できないわけだ。胞子飛ばし、勢力拡大専門である。そこで生命維持専門のスギナ登場。ツクシが枯れたあと、緑色の枝(正確には『楔葉:けつよう』という)をぐんぐん広げ、盛大に光合成して栄養補給に専らとなる。文字通り、これを栄養茎(えいようけい)という。

 胞子茎(ツクシ)と栄養茎(スギナ)。いや、うまいことになっているもんだ。完全に役割分担しているわけである。見事な子孫繁栄戦略。デボン紀(4億1600万年前)生まれはダテじゃない。ニンゲン様など足元にも及ばぬ。スギナを根絶やしにするのは容易なことではなく、専用の除草剤があるくらいだ。

 ところで、スギナも食べられることをご存知だったろうか。茹でて油炒めにすると、美味しいンですって。さらに陰干しして煎じて飲めば、利尿、解熱、咳止めの薬草にもなるのである。

 知らなかったなあ。

’04/03/17 (火)

ドヤシ系


 こういうソフトを紹介したりするから、イケナイのかな。数あるCDソフトの中で、これほど強烈な高域を聴かせるものは、極めて少ない。トゥイーターのテスト、エージングに最適。だが、鳴らし過ぎると危険である。

 「Siegfried Fink/Art of Percussion」(独THOROFON CTH-2085)。(P)(C)1990。長岡先生推奨盤(確かディスク・ホビーでの紹介だったはず)なので、お持ちの方も多いだろう。

 のっけからシンバルの強打で始まる。一瞬目の前真っ白。歪み感はないが壮絶な音である。全編どちらかと言えば高域寄りのバランスで、リスナーによっては酷いハイ上がりで聴くに堪えないというムキもあるかと思う。僕も208SS時代はキツくて聴けなかった。

 高域寄りではあっても、透明感抜群、トランジェント最高。音場感も広大で、音像はスピーカーを無視して三次元的に定位する。奥行きの表現は特に優秀で、楽器の配置が手に取るようにわかる。サウンドマニア必聴盤。音楽ファン、癒し系ソフトを好む人は聴いてはいけない。これはドヤシ系ソフトである。

 THOROFONというレーベル、一時見かけなくなったと思っていたら、1990年代初めに国内代理店がなくなっていたのである。10年近いブランクがあって2001年に再登場。なるほど、道理で見かけなかったはずだ。

 少し調べてみたら、現在はCadenzaで入手可能だった。同レーベルのカタログを見るとこのCDは勿論、兄弟盤の「DRUMS」(CTH-2003)、「Impluse」(CTH-2063)、「打楽器のための絵画」(CTH-2169)の各タイトルも買えるようだ(在庫の有無は未確認)。THOROFON未だ健在。僕はちょっと嬉しくなってしまった。

 ヤッパリ、くずてつか。

’04/03/16 (火)

至極平凡


 AUDIO BASIC誌30号誌上「高音質ディスク聴きまくり」ページに、ゲスト枠として僕が紹介したソフトを取り上げていただいた。レギュラーメンバー三氏には、心から御礼を申し上げたい。ありがとうございます。

 SACDCDを各1タイトルずつ。どちらも拙webページで紹介したものである。その内の1枚、SACDについての市川さんコメントには、思わず笑ってしまいました。曰く、以下の如くである。

 「M井さんは極めてダイナミックな人ですが、この盤は繊細で洗練されたジャズで、失礼ですけどちょっとイメージと違う(笑)」

 なるほど、市川さんのくずてつイメージとは、斯くの如しであったか。爆裂ソフトを四六時中巨大音量でぶちかましている、ような印象なのかしらん。それを即座に否定するつもりはないけれど、しかし僕だって時には(!)繊細で洗練された音楽も、聴くのでありますよ、市川さん。

 幾度か実際にお会いし、お話もしたことがある市川さんをしてこういうイメージを持っておられるのである。ならば、拙ページをご覧いただき、現物をご存知ない大多数の方々が持つ「イメージ上のくずてつ」とは、一体どんなことになっているのだろうか。想像するだにオソロシイ。とんでもないバケモノ(或いはモノスゴイ馬鹿野郎)だと思われているのだろうなああああ。イメージとは一人歩きするのである。

 ワタクシは至極平凡、極々普通のどこにでもいるオヤヂでございます。

’04/03/15 (月)

様子が違う


 今日、この春初めてウグイスの声を聴いた。昨年よりやや遅かった感じである。例年なら、裏山のわりと近距離で鳴くのが、今年は随分と遠くの山からしか聴こえてこない。何となく個体数が少ないように思われるのは気のせいだろうか。

 スズメの数が少ないのは確実である。いつもなら文字通りかまびすしい「街のスズメ」が、異様に静かである。スズメは留鳥だから、どこかへ引っ越したわけでもあるまいに。どうしたんだろう。

 様子が違うといえば、カラスもそうである。近頃集団をよく見かける。この間は、近くの電線上で真っ黒になるほど集まっていたのを目にして、些かブキミだった。たぶん100羽以上いただろう。別の場所でも同じような光景を見たと、知人から聞いた。何故だかわからない。僕はカラスが特に不吉な鳥だとはまったく思わないし、嫌いでもない。だが、何かしら異常なことが起こっているのかと、考えてしまうのである。

 今、高病原性鳥インフルエンザで大騒ぎになっている京都府丹波町はウチから約60kmと、さほど遠くない。京都市内へ出かける時には、必ず通る町でもある。既に複数のカラスに感染しているわけだから、これはもうほとんどのカラスが病鳥であると見るべきだろう。ウチの町だって、まったく他人事ではないのである。

 カラスの集団は、それに関係があるのどうか。非常に知能が高く、仲間意識の強い鳥だというカラス。ひょっとすると、仲間内で対策集会を開いているのかもしれない。もし、死烏が出たら、丹波町と同様大騒ぎになるだろうな。

 昨年はSARS、今年は鳥インフルエンザ。騒動である。得体の知れないモノがはびこって困る。

 奢り高ぶったニンゲン様への罰か。

’04/03/14 (日)

待ち遠しい


 一日お休みをいただいた。昨日は業務が立て込み、どうにも時間が取れなかった。それが大切な本業なのだから、疎かにはできない。勤められることはありがたいのである。

 向後、休載の時には今回の如く掲示板上でお知らせしようと思う。トップページに「○月○日更新」と表示し、開いてみたら「今日は書けません、休みます」では詐欺同然である。尤も、どんな内容を書き連ねてみても同じことだという話もあるわけだが。よろしくお願いしたいのである。

 さて、業務に専一な間にも、季節は随分と春めいてきた。一週間前の40cm雪は、一体何だったのか。既にすっかり消え去ってしまった。雪かきとは、なんたる非建設的作業であることか。

 この季節になると、毎年同じような写真を載せるのが最早拙ページのシキタリみたいになったのである。成長しつつあるトコロの、桜である。冬枯れだった枝の先に、開花準備を始めた蕾が目立ってくると、僕は嬉しくて仕方がないのである。

 当地の開花予想は、今のところ4月5日頃だという。昨年実績は4月6日だった。大概の場合予測から遅れるのが常なので、昨年と同じ頃か少し遅くなるはず。今月に入っては寒い日が多いことを考えれば、まずまずそんなところだろう。

 歳を食う毎に一年を速く感じるようになった。そうではあっても、春の桜は、待ち遠しいのだった。

 間もなくである。

’04/03/12 (金)

戯言


 ついこの間導入したばかり、と思っていた箱船アンプ群も、改めて考えてみれば決して新しくはないのである。プリアンプ(C-280V)、2台のパワーアンプ(P-700、B-2302)、これら全て今ではディスコン機種である。

 C-280Vは'91年9月の導入で既に12年半。B-2302は'94年7月で9年8ヶ月、いちばん新しいP-700でも'97年1月導入だから、もう7年を越えてしまったわけだ。みんなすっかりご老体。

 更新の優先順位を考える時、使用年数からすればC-280Vが第一位になるだろう。けれど、僕はこのアンプを替えるつもりはない。「20年使う」と言い放ってしまったから、ではなく、音に独特の魅力があるからだ。

 では第二位となれば、使用9年8ヶ月のB-2302である。これは更新したいと思わないでもない。しかし、後継機種がない。メンテの可不可が気になるところではある。サンスイの製品を専門にメンテしてくれるところがあるそうだが。晩年の方舟ではP-1000(今ならP-7000か)が入った。僕にはあまりにも分不相応である。

 第三位、使用7年P-700。このアンプもヒジョーに気に入っていて、現状特に文句がない。一昨年の修理以来極めて好調。以前に増して切れがよく明るい音になったのも大きな魅力である。

 言いわけがましく何を書くのか。イヤ、実は1機種、ヒジョーに気になるアンプが、あるのでゴザイマス。欲しくてタマラン。うっかりすると走ってしまいそうになるのである。それを抑えようと、ヒッシになっているわけだ。如何にもつまらん戯言である。申しわけない。

 T-300Aを組み伏せてからのことに、しようね。

’04/03/11 (木)

太く繊細


 ラチェット式の大型カッターを物々しく持ち出し、現用タップの根元からケーブルをブチンとちょん切る。あとは被覆を取り去り、芯線を出して流離い的対策を打ったFI-15に繋げば、3Pアウトレット付き5.5sqキャブタイヤ電源ケーブルの出来上がりである。されば写真の如く、強力型テーブルタップ側のインレットに挿し込むだけ。

 プラスチックパテのお陰で、ガタやぐらつきはほとんどなし。挿し込みグワイはかなりシブいけれど、これくらい窮屈なほうが安心感が高いのである。少々引っぱったくらいでは抜けない。大正解である。

 ここに繋がるのはSACD/CDプレーヤー、DVDプレーヤー、DATなどのディジタル系再生機である。この中で最も使用頻度の高いのは、もちろんDP-85である。

 僕のタコ耳で、昨日までとの違いが判別できるだろうか。些か自信を持てないまま、ともかく聴いてみた。

 思いの外、音の違いが大きいのにちょっと驚いてしまった。音が太く、しかも繊細である。ケーブル直出しよりも接点が増えているわけだから、そういう意味では不利なはず、なのにこちらの方が音に澱みがないように聴こえる。実に不思議である。

 現状ケーブルは、文字通り取って付けたVCT/5.5sqである。ベストとは言えない。それでもこれほど音が変わるのである。超強力型ケーブルを作れば、間違いなくあの時聴いた音が出る。確信するのである。

 やはりオーディオは、ナンボやっても面白い。近頃、業務の多用さに押されて下がり気味だった熱意が、こうなるとまたぞろ盛り上がってくるのだった。

 それは、ヒジョーに良いことである。

’04/03/10 (水)

予備実験とはおこがましい


 カバが大口を開けたような物体、皆さんよくご存知だろう。フルテックのFI-15である。恥かしながら、僕はこれの正式名称を知らない。電源周りのパーツについてはヒジョーに疎いのである。3Pアウトレットと、呼ぶのでしょうか。

 FI-15はフルテック製品第一号だったと記憶する。ガッチリした造りで、当時としては画期的だった。今では多くのヴァージョンが出ているようだし、他のメーカーも頑張っている。一昔前は、2種類ほどしか選択肢がなかった。時代は進むのである。

 友達からカスタムメイドのテーブルタップを譲ってもらった。音に惚れ込んで、ほとんど強奪したようなものである。4口縦長タイプ、全身コレ真鍮厚板製、実測重量6.0kgという怪物。内外ともに執拗なまでの防振対策が施されている。この友達は電気知識に明るく、安全性は充分過ぎるほどである。もし、同じものをメーカーが作って発売すれば、おそらくはモノスゴイ値段になるだろう。ゆえあって画像が載せられないのは残念である。

 このテーブルタップはケーブル直出しではなく、3Pインレットで接続するタイプである。ケーブルは好きなものを使えるわけだ。試聴させてもらった時は、これまた友達カスタムメイドの超強力ケーブルとセットだった。電気の通りが100倍くらい良くなったような、エネルギー感極大の凄い音。「このテーブルタップを使うなら、チミも同じケーブルを作りたまい」と、彼は言う。が、行うは難し。そう簡単に作れるようなケーブルでは、ないのんである。

 いつかは必ず作ることにして(実は材料はある程度揃っている)、ともかくは現用タップで使っているところの5.5sqキャブタイヤケーブルに、FI-15を着けて繋いでみようという企てである。やることがセコいね、どうも。

 ベストではないにしろ、これだけでも充分効果はあると思う。ケーブル自作本番に向けての予備実験である。と、コレは完全に言いわけだ。

 ところで上のFI-15、挿し込み部分をプラスチックパテで太らせ、インレットとのガタを取り去ったカスタム版である。知る人ぞ知る、流離いの旅人さん謹製。ご厚意でいただいてから、2年4ヶ月。随分と時が経ってしまった。

 旅人さん、グズグズしていて申しわけございません。ようやくにして、使わせていただきます。

’04/03/09 (火)

不許葷酒入山門


 久しぶりに食べ物ネタである。くずてつ家名物カスタム焼きギョーザ。何がカスタムなんだか、要するに自作である。手前味噌(このバヤイ手前ギョーザか)だが、これがヒジョーにウマイのである。少なくともミ○ミンの蒸しギョーザには完勝、ニチ○イやA○Fの冷凍ギョーザにも圧勝だと思う。鮮度とシンプルさの勝利なんだな。ブタミンチ、ニンニク、ニラ、ネギ、白菜、キャベツを使う。しかしコレ、僕の立場から見れば完全に破戒食物なのである。

 「不許葷酒入山門」という言葉をご存知だろうか。「くんしゅさんもんにいるをゆるさず」と読む。臨済宗の修行道場山門前には、必ずこの7文字を彫った石塔が立ててある。結界石(けっかいせき)と言う。僕が修行時代を暮らした西宮のお寺にも、もちろん立っているのである。

 「葷」とはニンニク、ニラ、ネギなど臭いの強い野菜のこと。「酒」は文字のまま。つまり、葷や酒の類は修行の妨げになるので、山門内に持ち込んでは遺憾という戒めである。

 さればギョーザなんてえのは「葷」そのものである。修行妨害物質をコネ合わせてカタマリにし、小麦の皮で包んであるようなものだ。諸悪の根源、ギョーザ許すまじ。それをムシ焼きにして喰うってんだから、破戒行為以外の何モノでもない。なんちゅうバチ当たりな。

 お酒好きは自分に都合よく「葷は許さず。酒、山門に入る」と読むらしい。無理矢理である。

 とイロイロ言いながら、みんなで寄ってたかってすっかり食べてしまった。満足。だが、葷クサイままで明朝のオツトメをするのはさすがに遺憾。寝るまえにはブレスケアを飲んでおこう。

 それで許されるものでもないのであるが。

’04/03/08 (月)

もうやめてくれ


 全くに3年前の再現である。しかもその時より雪が多い。もう勘弁してくださいよ、ダンナ。ご覧の通り、愚妻の愛車パジェロミニは雪に埋まりかけている。今朝の時点で15cm、夕方25cm。業務で出かけた帰り、問題の坂は10cm弱の雪。さあてFFのサイファがどこまで行けるか。

 半分くらい登ったところから滑り始め、7分目で舵が利かなくなり、8分目でスタックし止まってしまった。ここで慌ててはイケナイ。少しバックして仕切り直し、グリップしないのも構わずアクセルを吹かす。一気の大勝負(大袈裟である)に出るのである。

 これでダメなら撤退するよりない。坂の下で一晩違法駐車である。それはイヤなので、ハンドルグルグル、車体グニャグニャしながらガンバルのである。慣れているとは言えちょっと怖い。どうやら登り切った。この辺りがFFサイファの限界である。10cmを超えたらもうダメだ。

 その後も断続的に降って今35cm、まだどんどん降っているから明日の朝はたぶん40cm超。雪かきは必至である。

 3月が終わるまでは除雪機の燃料常備を忘れられず、車のスタッドレスタイヤは外せない。ノーマルタイヤで雪道を走ることほど、コワイことはないのである。止まりたいのに止まれない、動きたいのに動けない、曲がりたいのに曲がれない、曲がりたくないのに曲がってしまう。死ぬかと思いました。

 自然の営みは誰の所為でもなく、文句の持って行き所はない。しかし僕は独り叫ぶのである。

 もうやめてくれー。

’04/03/07 (日)

周期ド真ん中


 「一朶の寒梅雪裡に香ばし」。3月だというのに今日は一日雪降りで、正に「雪裡」になった。しかし蕾は未だ固く、「香ばし」いところまでは行かない。昨年同様、寒い早春である。

 中庭の古木である。正確な樹齢は分からない。僕が生まれる前からあることだけは確かである。北丹後大地震で土地もろとも堂宇全壊し、現在地へ再建されたのが昭和2(1927)年。それ以来の樹なら、樹齢77年ということになるわけだ。梅としてはさほど老木とは言えないのかもしれない。

 ちょうど今日、3月7日は震災記念日である。毎年この日には全町挙げての避難訓練が行われ、避難場所に指定されているウチの境内にはご近所の皆さんが集まることになっているのである。これが始まったのはわりと近年のことで、それは丹後地震の周期が70年とも80年とも言われている所為だろう。今、周期スイートスポットの、そのまたど真ん中的時期なのである。危ないのである。来るかな?

 もし同規模(震度7くらい)の地震が来れば、ウチの堂宇は間違いなく全壊するだろう。築17年の隠寮、位牌堂はかろうじて残るかどうか。箱船はヒビが入って傾くも、どうにか踏み止まるか。

 オーディオシステムは酷い被害になる。Sネッシーは間違いなく倒れ、アンプ、プレーヤー群を叩き潰すだろう。ソフトはラックから全て飛び出し、特に高く積んであるADラックは全倒壊、エラいことになるのである。

 こうならないように何か対策を打ってある、ほど僕は用心深くないのである。メチャクチャになった部屋にボーゼンと立ち尽くす姿を想像していながら、何もしない。こういうヤツを楽天的、不精、いい加減と呼ぶのである。

 東海地方の方々は、万全の対策をされているのだろうか。



 
〜お詫びと訂正〜

 先日紹介した「ハイエンドディスクフラッター DF-01」をリリースしているメーカーORBは、歴とした国内メーカーでありました。webサイトもあります。いい加減な記述をしてしまい、誠に申しわけございませんでした。不勉強を猛省し、ここにお詫びして訂正致します。

’04/03/06 (土)

大音量中毒


 些かウスラボケた写真になってしまった。ご容赦願いたいのである。

 この画を以ってお伝えせんとするところは、要するに僕の常用音量である。音楽のジャンルやソフトのカッティングレベルによって多少の幅はあるけれど、おおよそいつもこの位置くらいで聴いている。

 C-280Vの目盛りで3.5、時計文字盤上で表わすならば10時半というところである。実際の音圧はアンプのゲイン、スピーカーシステムの能率などで相当違いが出るのは当然。だが、少なくとも小音量とは言えないと思う。能率100dB超のSネッシーで鳴らしているわけだから、やっぱりでかい音なのだろう。

 最近この最大音量が、ジワジワ上がりつつある。何故か。

 システム全体のクオリティが上がり、歪み感が減った。ので、音量を上げてもやかましくならないからである。と、大見得切れたならばマニアの鏡。ヒジョーに格好良いのである。そんなことはゼンゼンなくて本当は、耳の感度が低下しているからではないかと、密かに心配しているのである。

 大音量派といい気になるもの結構である。しかし、適正音量を知ることも極めて重要だ。もう若くはないのだから、身の程を知らねばならない。

 と、思いながらも椅子に座ると条件反射の如くボリュームノブをグルッと回し、嬉々として大音量に揺さぶられるのだった。

 完全にラウドホリック(こんな言葉は無い)である。

’04/03/05 (金)

晴耕雨読型オーディオ


 愚息1号は、あと少しで小学校卒業である。「ついこの間入学したと思ったら、もう卒業か。早いもんだ」と言ったら、「何ゆーてんねんな、めっちゃ長かったわ!」とコウギされてしまった。そりゃそーだ、大人と子供では時の感じ方が違うよなあ。時間感覚はリニアではないのである。

 卒業式まで20日足らず、学校に置きっぱなしになっている私物の整理を始めているらしい。大切なもの、そうでないもの、教材、ガラクタなど、いろいろ取り混ぜて持ち帰る。その中に、ちょっと興味をそそられるものがあった。

 写真上の如く、学習用光電池である。小さなソーラーバッテリーだ。135mm×67mmのガラスエポキシ基板の上に、57mm×29mmの光電池パネルが3枚並べてある。パネルは直列に繋がれていて、透明度の高い硬質樹脂でモールドしてある。透明でないと困るわけだ。電気が起きない。両端に+、−の電極が出ている。

 ソーラーバッテリー。一昔前は、如何にも未来的な響きを持った名前だったと思う。今ではすっかり市民権を得た感が強い。それほど珍しくもなくなったわけである。しかし、僕は恥かしながら実際に手にするのは初めてである。ちょっと嬉しい。結晶粒界を蒼く光らせるパネルは、不思議な魅力がある。

 これ1枚で、どれほどの電圧が出るのだろう。もちろん、光の強さに応じて変動するのは当然として、夜の屋内ではどうなるか。

 箱船2階でテスターを使って測ってみる。照明は40W蛍光管6本、240Wの明るさ(照度計はないのでルクスではワカリマセン)である。机の上に置いて測定すると60mVの電圧が出る。僅かである。光源に近づけて行くとぐんぐん上がり、蛍光管にほぼ密着させると約1,000mV。1Vの電圧が得られるわけである。結構イケるものだな。

 真夏の炎天下なら、かなりの電圧が得られそうな感じ、と言っても飽和点があるはず。ネットで調べてみたら、1枚の最大起電力は1.7V-450mAまでだそうだ。

 これを大量に買い、ずらりと並べて、家中の電気を賄うのは大変だからせめてオーディオ専用クリーン電源だけでも実現できないものか。できるなら、或いはメリットがあるのなら既に誰かがやっているはずなんだな。

 昼間は良いが光源に困る夜はどーする? そりゃあ決まっている。寝るのである。なんて素晴らしい晴耕雨読型オーディオ。

 エコブームに最適でしょう。

’04/03/04 (木)

伸しLP


 AA誌最新号(112号)に、面白いものの紹介記事が載っていた。上の写真の如くである。一見薄型ポータブルADプレーヤー風。だが、些か様子が違うようでもある。コリャ一体何かいなと思って記事を読んだれば。

 「ハイエンド・ディスクフラッター」。もうお分かりでしょう。何故に「ハイエンド」なのかはよくワカランが、要するにLPの反りを矯正する機器である。ORBという、国内メーカー製。型番はDF-01となっている。

 反りのあるLPをサンドイッチし、ヒーターのスイッチを入れる。最大2時間までのタイマー付き、反りグワイによって調整する、というもの。針跳びを起すほどの酷い反りがある場合だと2時間くらいが良い加減だとレポートされている。矯正完了までにはタイマーセットした時間の倍かかる。1時間セットなら2時間、2時間セットなら4時間ということだ。暖められた盤が自然冷却されて落ち着く時間が必要なのだろう。

 効果は抜群だそうで、再生不可能だったLPが、まっ平らになったと報告されている。もちろん問題なく再生可能。なるほど、これは面白い。

 だが、気懸かりが無いではない。要するに熱で盤を柔らかくして伸す(のす)わけである。音溝への影響はどうだろうか。微妙に変形しないのかな。原理的にはガラス板に挟んで炎天下に放置するのと変わらない。もちろん温度時間の管理についてはテストを重ね、全面均一に加圧できる機構にもなっているそうで、余計な心配はしなくてよいのかもしれない。

 ただ、接触面の埃は完璧に取り除きたいところである。下手をすると、盤面に埃を埋め込むことになる。リスクを考えると「再生不可能盤に対抗する最終兵器」的認識で使うのが無難か。

 と、懸念は色々あるものの、誰もが考えつきそうで、しかし今まで製品化されることがなかったこの装置。良し悪しは別にして、僕は嬉しくなってしまった。大ヒットするとはとても思えない、けれど、それなりに売れるんじゃないかしら。

 定価78,000円。ADファンのアナタ、お一つ如何でしょう?

’04/03/03 (水)

春雪随想


 奈良・二月堂のお水取りも終わったというのに、こちら丹後の山奥では冷たい雪降りである。先ごろの気温23℃ってのは、一体全体何だったのか。チキューは狂っておるのである。

 3月の雪、と言って思い出すのは、今を去ること3年前(にもなるのだナァ)2001年3月8日、げんきまじんさん宅へお邪魔して帰りの出来事である。アレは一生忘れられない。ホンマに死ぬかと思いました。まじんさんには随分なご心配をおかけしてしまったのである。

 それ以来、僕はげんきまじんさん宅へお邪魔していない。「羹に懲りて膾を吹く」ではないけれど、僕とまじんさんの間には、いつも雨か雪がついて回るような気がするのはヒガミかしらん。きっとどちらかが雨男、または雪男(意味がチガウ?)であるに違いない。まじんさん、この頃ご無沙汰ですが、また遊びに来てくださいね。

 さらに思いを至すのは、徳さんへの感謝である。今考えても、やっぱり彼は命の恩人だ。如何に近くだったとは言えあの猛烈な吹雪の中、即座に駆けつけ一切の恨み言も漏らさず黙々と助けてくれたのである。一昨年から昨年にかけては、業務関係に於いても極めて重大な役割を果たしてくれた。これまた僕は命拾い。そのわりに、僕は何一つ返すことができないで居る。正に罰当たりである。徳さん、いつかは必ず恩返ししますから。

 趣味に於いても業務に於いても、何よりありがたいのは損得勘定抜きの仲間、友達である。人間一人では生きられない。おかげさまである。

 3月の雪に、友達を思う。

’04/03/02 (火)

後悔しそう


 僕は漫画が好きである。今、毎号読んでいるのはビッグ・コミック、ビッグコミック・オリジナル(以上小学館)、週刊モーニング、アフタヌーン(以上講談社)の4誌。漫画ファンには単行本派と週刊誌派があり、僕は後者である。メジャーなところでは他にもジャンプ系(集英社)があるし、ちょっとマイナーになってアクション系(双葉社)、リイド・コミック(リイド社)などもあるけれど、最近はほとんど読まない。

 ビッグ・コミックに「大人のためのCD探検隊」というコラムが連載されている。1ページのみの読み物である。その中で上のCDが紹介されていた。

 このモノスゴいジャケットには、ロックファンなら見覚えのある方も多いと思う。「IN THE COURT OF THE CRIMSON KING/KING CRIMSON」(日ヴァージン VJCP-2301)である。邦題「クリムゾン・キングの宮殿」。1969年発表、デビューアルバムである。ここに載せるのは、1989年にグループのリーダーであるロバート・フリップによってリマスターされた「THE DEFINITIVE EDITION CD」の国内盤である。

 記事中では、最近リリースされた紙ジャケットバージョン(日ユニバーサル・インターナショナル UICE-9051)が取り上げられている。24bitディジタル・リマスターHDCDである。こちらは聴いていないので、手持ちCDとの音の違いはわからない。聴き比べてみようかな。

 「キング・クリムゾンの音楽は一般的に難解だと思われるが、このCDはメロディアスで聴きやすい。サイモン&ガーファンクルが好きな方なら十分楽しめる」とある。確かにキング・クリムゾンと聞いてイメージするのは「難解」「哲学的」「理屈っぽい」「独善的」など、如何にもとっつきにくいものばかりである。

 僕が初めてこのタイトルを聴いたのは、今を去ること30年前、1974年である。自分で買って聴いたのではない。5歳年長の実兄(現ロックオヤヂ)のADを盗み聴きしたのである。「風に語りて」「ムーン・チャイルド」を聴いて「これってロック?」と思った。静謐、穏当。やや難解なイメージはあるものの、思っていたような気難しさはない。些か拍子抜けしたのを覚えている。

 が、1曲目の「21世紀の精神異常者」を聴いてぶっ飛び。なんじゃこりゃ。前半はロックっぽくもあるけれど、後半はフリージャズみたいだ。ある意味独善的。タイトルチューン「クリムゾン・キングの宮殿」も同様。当時の僕には理解できなかった。今も理解できたとは言い難いけれど、嫌いではない。マニアにはこれが堪らない魅力なのだろうな。

 音についての印象を、手持ちのCDに限って述べれば、そんなには悪くないと思う。ギターやボーカルはエフェクター全開みたいな音で聴きづらい。ドラム、中でもシンバルのpp、或いはpppは定位が自然で良い。レンジは狭い。SNもイマイチ。1969年録音の、しかもロック。こんなものだろう。

 S&GファンならOK、っちゅうのはどうかと思う。僕からすれば後悔しそうな気がするのだが、どうだろうか。

 キング・クリムゾン。今も活動中である。ロバート・フリップ。天才は須らく粘着質である。

’04/03/01 (月)

未だ冬


 3月である。毎年ナントカの一つ覚えのようにイヤダイヤダと文句を言う冬も、この月の声を聞けばいよいよ終わりに近づく感じである。うれしいなあ。

 だが、今日はご覧のとおり、ドンヨリ曇天の寒くて陰気な日になった。日本海側に典型的な冬の風景である。日本海側地域には「冬眠型人間」が多いそうだ。冬になると気分が憂鬱になり、テキパキと動けなくなるタイプの人。まるでオイラじゃないか。

 冬季の日照時間が短いため、脳内セロトニンの分泌が低下する所為だと聞いた。セロトニンはもともと昼間に分泌が多く夜になると減るもので、日照不足だと脳が夜と思い違って減ってしまうのである。そうすると気分はもう憂鬱。冬の憂鬱は単なる気のせいだけでもなかったわけだ。

 自然相手に天候はどうしようもない。カルシウム含有率の高い食べ物を取ることで幾許かの改善が見られるそうな。う〜む、カルシウムねえ。メザシ、チリメンジャコ、牛乳、チーズ、など。来年から冬場はこればっかり食べて過ごせば、少しは鬱々たる気分から開放されるのかしらん?

 人工太陽、は無理でも、日焼けサロンなんかは、どうなんだろう。