箱船航海日誌 2003年09月

日々雑感、出来事などを思いつきに任せて綴っていこう

過去の日誌コンテンツ 

’03/09/30 (火)

時は人を待たず


 春の桜、夏のサルスベリ、秋の彼岸花。そのどれもが遅れ気味に咲くのが今年らしい。彼岸もすっかり終わり、いよいよ晩秋かと思わせる今になってようやく土手の彼岸花が満開である。昨年に比べて1週間遅れ。これは珍しいことだ。

 今日で9月も終わり、まだまだ先だと思っていた行事続きの10月が早くもやってくる。やらねばならないことは山ほどあるし、やりたいことも多い。やりたいことだけやって暮らせたらイチバンだが、そーゆー反社会的行為はイケナイのである。このご時世、仕事が沢山あり恙なく暮らせることには感謝すべきなのかもしれない。

 今月は休みを4回も取ってしまった。来月、再来月も多くなるかもしれない、と、先に言いわけしてしおいて、今後ともよろしくご閲覧をお願いしたいのである。

 いささか元気がありません。遺憾なあ。

’03/09/29 (月)

ジェンセンコレクター


 友達からT-300Aを借りてすぐ、ジェンセンコンデンサーを注文した。それが今月の17日。海外通販である。自動返信メールが1回来て、それっきり何の連絡もない。ホントに受注されとるんかいと心配していたが、今日になって無事届いたのである。よかったよかった。

 届いたのはよいのだけれど、買い方(容量の選び方)は見事にしくじったのである。大方2.0μF程度で良い頃合、あとは0.47があればT-500Aのほうも賄えるだろう、といい加減に決めてしまったのは大きな間違い。1.0を4個、0.47を2個なんて大雑把な選び方は大失敗である。とんでもない勇み足。

 しかも何を思ったか、耐圧1000Vを選んだつもりが630Vが来てしまった。これは販売店のミスではない。僕の大ボケである。な〜にやってんだか。よくあることとは言え、我ながらアホさ加減に呆れるのだった。

 では善後策。1000V耐圧1.0は2個手持ちにあるのでそれを活用。加えて0.22を2個、0.33を4個、0.47を4個注文する。こうすればT-300A側に1.55、1.69、1.8の組み合わせで使えるようになる。T-500Aのほうは0.33+0.47=0.8でイケるだろう。 ...って、ほんとに大丈夫なのだろうか。

 総額$278.8、\120/$計算で\33,456。何だか凄い金額である。でかくて重いコンデンサーばかりゴロゴロあってどーする。uΛに続いて今度はジェンセンコレクターになるつもりか。

 手許に沢山コンデンサーがあると、何故か心が豊かになる。これってやっぱり変人なんだろうなァ。

’03/09/28 (日)

バージョンアップ


 三日間のご無沙汰でございました。何やら永く休ませていただいたような気がするのである。28日付けから「再会」などと大ボケた誤植をカマし、でも本当に皆さんと「再会」できた感じがするのだった。今日から「再開」します。

 さて、毎年彼岸の恒例業務で京都、大阪方面へ出張ってきた。大都会(!)へ出たからには、何か掴んで帰ってきたいところ。欲しいもの、見たいものは沢山ある。なかなか思うに任せず、業務だけをこなして帰宅した感が強いのである。

 その中でひとつの収穫は、サイファ搭載SDカードナビの地図データと、G-BOOKシステムデータのバージョンアップができたこと。これは前々から気になっていただけに、とても嬉しかった。

 コンビニに設置してある「E-TOWER」という端末を利用すれば、上記のほか音楽プログラムや車載ゲーム(個人的には不要だが)などもダウンロードできる。この辺りがG-BOOKシステムのウリでもあるわけだ。今のところファミリーマート、スリーエフに限られている。あとはJOMOでも設置しているところがあるらしい。

 ところがウチの近辺には、悲しいかなファミリマートの店舗がまったくない。JOMOはあるが設置無し。スリーエフは関東展開のみである。ディーラーにも設置してあるというが、トヨタビスタ舞鶴にはあったっけなあ。アヤシイのである。

 京都市内へ行けば、ファミリーマートなんかクサるほどあるのだ。ナビで「E-TOWER設置場所表示」を呼び出すと、地図上にアイコンがウジャウジャ出てくる。スゲエな。適当な店舗へ飛び込み、E-TOWER端末に写真のSDカードを挿し込む。あとは僕(サル?)でもできる簡単操作であっという間にバージョンアップ完了である。う〜む、地域格差はまだまだ小さくないと、妙なところで田舎の悲しさをかみしめるのだった。

 新しい地図とG-BOOKシステムは快適である。少々悠長だった地図スクロールが速くなり、通信速度も上がったようだ。走行中の地域、あるいはこれから到達する地域の道路情報を、一般道高速道別に呼び出し音声で読み上げてくれる新機能はありがたい。その他、多くの機能が盛り込まれた、みたいだが、僕にはとても使いこなせない。道具はあくまでも道具、使うニンゲンの資質が問題なのである。

 この便利なG-BOOKシステム、今のところ搭載されているのはサイファのみである。今後はほかのトヨタ車にも展開し、独自のネットワークを拡大して行く予定だと言う。

 前途洋々、のわりに最も近いビスタ京都丹後展示場にはE-TOWERが設置されていない。

 うちら辺りじゃサイファ、売れてないからなあ。

’03/09/25 (木)

お知らせのみにて

 お彼岸中ということもあり、明朝は少々早出になる。ので、今晩はまったくネタ無しの日誌で失礼するのである。どうかご容赦願いたいのである。

 この忙しさは明後日まで続く。ちゅうわけで、明日、明後日の日誌はお休みにさせていただき、28日付けから再開致します。

 今月は図らずもお休みが多くなってしまった。申しわけないことである。またのご閲覧を、心からお待ち申し上げます。

 今年は未だに彼岸花が咲かない。おかしな年である。

’03/09/24 (水)

自己表現的音

 ここ4日間ほど、T-300Aのことばかり書いている。こういう音もあったのだと、未知のものに出会えたのがとても嬉しいのである。

 確かにこのトゥイーターは音が良い。但し、それはあくまでも「僕個人にとって」良い、のであって、他の人が聴いてどう感じるかはわからない。「音のカドが綺麗に出る、解像度が高い、なんて僕にはすごく相性が良さそうだね」と連絡をくれた友達がいる。彼なら間違いなく気に入るだろうと、僕も思う。しかし、そういう人ばかりではないわけである。

 近くに住む知人は、フォステクスF-120Aで作ったバスレフにGS-90Aを繋ぎ「好みの音にならない」とボヤいた。これは単なるミスマッチング、という話でもあるのだが、実際高能率ホーントゥイーターの音を好まない人も沢山いるのである。その後彼はドームトゥイーターに変更し、好みの音になったと喜んだのだった。

 音の好みを明確にすることは、オーディオをやっていく上で極めて重要なことである。今でこそ「オイラはこの音が好きだ」と自信を持って言えるけれども、実はついこの間まで僕にはそれが良く判っていなかったのが正直なところである。

 方舟に似たようなモノを作り、長岡先生のシステムをそのまま移植し、そうすれば「方舟のような」良い音が実現できる。それが自分にとって幸せなオーディオだと、思っていたわけだ。あながち間違いでもなく、模倣から学んだことは多い。その意味では幸せだと思う。しかし、ある日気がつくのである。「これは自分の音ではない」と。

 では、自分が出したい自分の音とは、一体全体どーゆーものなのか。そう自問した時、即答できないことにまたガクゼンとするのである。今出ている音に取り立てて文句があるわけじゃない、けれども何となくよそよそしくシラけて鳴っているような気がする。自分であって自分でないような。悩みは哲学的なのである。

 その辺りからが本当のオーディオ始めと言えるのかもしれない。遅まきながらもそれに気が付いたのはケッコウなことである。だが、良く良く考えてみれば(みなくても)、僕はまだまだビギナーの域をいささかも脱却できていないのが現実なのである。現用システムを以ってオリジナルと謂うは、おこがましきことこの上なし。

 現状の音を聴きながら、より一層オーディオを深めて行きたいと思うのである。

’03/09/23 (火)

鈴なり


 コンデンサーの鈴なり状態である。実験段階だから許せるようなものの、こういう使い方は決して褒められたものではない。容量だけを考えれば、どんどん並列に繋ぐことで帳尻だけは合うわけだ。しかし、音は良くない。僕の貧弱な経験則からすると、理想的には1個。多くとも2個。一万歩譲って3個まででまとめたいところである。

 むかしムカシD-70(FE-206煤~2)を使っていた頃、0.47×3+0.82(都合4個パラ)=2.23μFに理研RMA抵抗で−6dB/octのアッテネーターを組み0506IIを繋いだことがあった。音はサイテー。その後Cを2.2μF1個に換えたら驚くほど音が良くなったという、笑えない体験があるのだった。

 現在、T-300Aは0.47μF×2+1.0μF=1.94μFで繋がっている。0.47はジェンセン銅箔オイル630V、1.0は同じく銅箔オイル1000Vである。1.0を他のブランドに変えると、定数が同じとは思えないほど音が変るのだった。F特まで違っているのかと測定してみると、そんなことはない。1.0は1.0である。要するにこのトゥイーター、Cの質に極めて敏感なのである。

 その伝からすれば、ゴチャゴチャと鈴なり状態のデメリットもさらに大きく出てくるはず。本格的に使うとなれば、3個パラという状況はどうしても避けたいところである。

 それに加えて僕はなんとしてもジェンセンを使いたい。しかも1000Vを。勝手に使え。イヤ、その通りなのですが、ジェンセンには0.47μFと1.0μFの間が、ナイのんです。現在の組み合わせ、1.94μFではやや大きいと感じているわけであるからして。そうなると0.22+0.47+1.0=1.69μF、これくらいがベターかと。ちゅうことはつまり、どうやっても3個パラになるのである。嗚呼、二律背反。

 いっそ、大きすぎるのをガマンして1.0+1.0=2.0μFで行くか。これなら2個だ。ンな乱暴な。毒を喰らわば皿までと、0.47×4=1.88μFではどうだ。それこそ鈴なり。無意味である。

 大体、あの単一乾電池よりもデカいジェンセン銅箔オイル1000Vが、3個も4個も収まるようなスペースなど、あるのでしょうか。

 ナイ。どーしよー。

’03/09/22 (月)

バラック


 ワニグチクリップで繋いで実験中。バラック状態である。T-300Aの音を確認できたので、次はT-500Aで超高域を補強する。どれくらいの容量で行けば良いのだろうか。最初は小さ目から探って行くほうが安心。先ずは0.33μFで試行する。

 ちょっと小さすぎる感じ。16〜20kHzのレベルはさほど上がらない。300Aの能率に負けている。では、倍に上げて0.68μFではどうか。まだ少し足りない感じはあるがまあまあというところか。500Aの特性と、僕の常用音量からすればこの辺りで留めておきたいところである。これ以上なら0.82μFくらいが限界になるだろう。

 この状態で聴くフルシステム駆動の音は素晴らしい。中高域の厚みと繊細感は格別である。音源の分散による音場感の阻害を心配したのだが、案に相違してデメリットはまったく感じられない。音場は却って広くなったようだ。何もしない先からリクツを述べるよりも、実践が重要だと思い知らされるのである。

 昨日今日と、良いことばかり書き連ねているが、デメリット皆無かといえばそうでもないわけである。ヤマハにあったような艶と瑞々しさ、独特の深みという点では一歩譲る印象が否めない。但し、これは時と共に解消されるだろうと思う。所有者氏によると、このT-300Aは永くお蔵入りになっていて、ほとんど鳴らしていない。本当の覚醒までには時間がかかるはずだ、という。エージングに期待したいのである。

 さて、今後は設置方法、位置調整、Cの選択など、上手く料理できるかどうか。腕の見せ所ということになるわけだが、ハテ、見せられるようなウデが有ったか否か、それがヒジョーに心配なのである。

 宝の持ち腐れにならぬように。

’03/09/21 (日)

無事


 共に載りました。もし載らなかったらそれだけで無用の長物と化してしまうところだった。ああヨカッタ。

 今のところは実験ということで両者とも付属の置き台を使い、ともかくはT-300Aのつなぎ方から探ってみることにする。

 参考にするのは所有者である友達からのアドバイス、メーカー発表のカタログデータ、僕のヘボ勘、などである。先ずは1.94μF(元々0506IIを繋いでいたものに1.0μFをパラっただけ)、208ESに対して逆相で繋ぎ、さて、初めてT-300Aの音を聴く。ドキドキするのである。

 モノ凄い厚みとソリッド感。これに尽きる。見た目通りの圧倒的存在感である。音の噴き出し感が凄い。重量感抜群、しかし鈍重さは皆無スピード感絶大という、実にフシギな音である。これが物量だっ!、ちゅう感じ。音のカドが恐ろしいほど綺麗に出て、しかもヒステリックにならない。音像の輪郭が極鮮明になりながら強調感、不自然さはない。ちゅうことはつまり、本質的な解像度に優れているのだろう。二律背反一発解消の嵐である。トゥイーターとしては超大型のボイスコイルと大面積振動板から叩き出される音は、正に超強力である。厚みという点では他のトゥイーターに差をつける0506IIをしてなお、薄味に聴こえてしまうのだった。208ESとの相性もピタリとはまって問題なし。ううむ、こういう音だったのか。こりゃマイリマシタ。

 いい加減な置き方、Cとケーブルの接続も一部ワニグチ、というような状態でイキナリこんな音が出てしまうのは、チョイと困りもの。細部を追い込んだ暁には、どんな音が出るンだろう。徹底的に使いこなしてみたくなるトゥイーターである。

 12kHz以上の超高域は、最初から守備範囲ではない。だが一聴してハイ落ち、というふうには聴こえない。のは、トランジェントに優れ立ち上がり立ち下りが良い所為だろうと思う。そうは言ってもハイがよく伸びたソフトを聴くと喰い足りない部分はあるわけで、あとは安心してT-500Aに任せればよいのである。

 能率110dB、1.94μFのCでもやや大きいか、という印象はある。1.8μF程度がベストかもしれない。この辺りは今後の使いこなしに待つとして、次の実験はT-500Aを繋ぐ算段である。F特の測定などしながら、徐々に探ってゆこう。

 滅多に(というよりも、ほとんど)聴けないT-300Aを聴かせてくれた友達には、心から大感謝である。ほんとうにありがとうございます。イヤ、素晴らしい音。それだけに、うう〜むむ、僕はヒジョーにツライのである。

 コレ、欲しいなあああああっ。

’03/09/18 (木)

怪物TW


 箱船現用であるところのJA-0506II用GMホーンは、AE86さんとのヨタ話(失敬!)の中から生まれた傑作(と呼ばせてくだせえ)である。そういうものは他にも多くあり、オーディオ仲間との雑談ヨタ話は存外バカにできない。もちろんそれがいつも成功するか否かは、保証の限りではないわけだが。

 先日も友達と話をしていて、どういう流れかトゥイーターの話題になった。今はなかなか良いホーントゥイーターがないね。低いところから使えて中高域の厚みが出せる強力なヤツがあれば面白いのに、などと喋っているうち、昔あったあるトゥイーターの話題になった。

 フォステクス/T-300Aである。'86年、「NEW LABORATORY SERIES」としてT-500Aと同時に発売された、超弩級ホーントゥイーター。実効再生帯域1.5kHz〜16kHz、推奨クロスオーバー3kHz以上、能率110dB/W(1m)。最大外径φ119mm、端子を除く奥行き148mm、重量9.7kg、当時の定価95,000円(1本)という、おっそろしいトゥイーターである。

 僕はこれまでに一度だけ実物を見たことがある。本家方舟の2階で、長岡先生から見せてもらった。数字で見るよりも遥かにデカく重い。片手ではゼッタイに持てない、否、持ってはイケナイ。危険である。正に怪物。

 というブツを箱船で使ったらどうなるンだろう。ハイが足りなきゃT-500Aがあることだし、中高域の厚みと輝き、ソリッド感が出て良くなりそうだと思わない? やってみたいねえ。その話が実現したのである。友達の厚意により借りることができた。夢のようだ。

 500Aを持っている人は多いと思うが、300Aのユーザーは極めて少数ではないか。ディスコンになって久しく、中古市場でもほとんど見かけない。100ペアも売れていないらしいと、さるスジからは仄聞する。今や稀少なトゥイーターである。

 圧倒的迫力。第一印象はそれである。もの凄く大きく、すさまじく重い。写真左に見えるT-500Aが小さく見えるのだった。右はFE-88ES。デカさがお分かりいただけるだろうか。実物は写真で見る以上の威容を誇る。

 さてこれをどのように使うか。先ずは1.5〜2.2μFくらいで208ES×2と繋ぐ。能率は充分である。その上で超高域をT-500Aで補強する。0.22〜0.47μFというところか。できればどちらもコンデンサー1個でつなぎたいと思う。

 もちろん音を聴くのは初めてである。どんな音なのか、予想もつかない。非常なミスマッチングである可能性もあるわけだ。なんでんかんでん全部含めてすごく楽しみ。わくわく。

 盛り上がるのは大変ケッコウ。だがT-300AとT-500Aの巨大ペア、Sネッシーのトゥイータースペースにちゃんと載るのか。それが大問題である。載らんかったらどーしよー。


 〜閑話休題〜

 明日、明後日の日誌は、業務の都合でお休みにさせていただきます。21日付、T-300Aの試聴イムプレッションから再開いたしますので、またのご閲覧を、伏してお願い申し上げます。

’03/09/17 (水)

0.003%


 4月に生まれ、5月にもらわれて行った子猫たち。一番ご近所にムコ入りした♂の「シロ」は、改名しないまま健全なるネコ生を送っている。京都市内へ行った同じく♂の「シマ」は、その後「チューイ」(S・Wファンならお分かりかな)と改名してもらって元気でワガママに暮らしているようだ。そして♀の「ミッケ」である。隣町へ嫁入りし、「ふーこ」という新しい名をもらい、これまた元気に暮らしている。送り出した者としては、それぞれが大過なく過ごせていることに唯々感謝するばかりである。

 今日、「ふーこ」の里親であるMさんからメールをいただいた。近況の報告かと読んだところが、ボカァ"ていーっ"とでんぐり返ってしまいました。

 「女の子として育ててきた『ふーこ』ですが、最近急に大きくなり、コカンに妙なものが...。病院で診てもらったら『コリャあなた、♂ですがな』と言われビックリです」

 なんちゅうことでしょうか。やってしまった。完全に僕の見立て違いである。物心の付き始めからずっとネコと暮らし、数多くの子ネコを見てきた僕としては見立てには自信を持っていた、つもりだが。今から何を言ってもいいわけにしかならない。それを承知で言う。アレはゼッタイ♀だった。はず。だって、他の二頭にはあった「コカンの妙なモノ」が無かったもんなあ。う〜む、なんで間違えたのだろう。う〜む。

 ともかくこうなっては仕様がない。今までと同様にかわいがっていただけることをお願いするばかりである。Mさんもさぞショックだろうなあ。申し訳ないことこの上なし。しかしながら、考え様によっては悪いことばかりでもないのである。

 幼名「ミッケ」。そう、彼は上の写真の如く三毛猫なのである。♂の三毛猫。これは極めて稀少である。モノの本を調べると、♂の三毛が生まれる確率は、凡そ30,000分の1。彼は30,000頭に1頭しか存在しない、超希少ネコなのだ。

 昔は「人に幸せをもたらす福猫」として珍重されたと聞く。中途から突然♂三毛となった「ふーこ」さん、願わくはMさんご一家に、多くの幸をもたらさんことを。

’03/09/16 (火)

カモナス球


 箱船1階の照明は、すべて白熱球に頼っている。完成当初は効率/ランニングコストの上から常識的に蛍光灯だったわけだが、長岡先生からの強い勧めもあって数年前に入れ替えたのである。

 100W形を8灯、都合800W。数字だけで見るとかなりのものに感じられる、わりに明るさはほどほどである。暗いと感じる人もいるだろう。蛍光灯に比べ、色温度が随分と低い(赤に寄っている)所為だろうと思う。だが、目には優しく、しかも低ノイズで音が良いのが一番のメリットである。ランニングコストは蛍光灯に比べるべくもない。最低である。

 では寿命はどうか。一般的には蛍光灯の方が長寿命と言われるようだが、最近の白熱球はよくできている。実際に使ってみると大きな差はない。というよりも、ひょっとすると白熱球のほうが長持ちするのではないかとさえ思われる。

 但し、種類は選ぶべきである。写真左は大昔からあるナス球。右は比較的新しい種類のボール型(前者に倣えばカモナス球か)白熱球である。この二者、寿命にかなりの差がある。圧倒的にボール型有利。リスニング・ポジション真上にあるペンダントのボール型球は、箱船ができてからの10年間で1度交換しただけである。恐るべき長寿命だ。

 もちろんデメリットもある。同じW数で比較して、ナス球よりも消費電力が少々多く、しかし明るさは僅かに落ちる感じ。電気代が嵩んでしかも暗い、ちゅうのは大きなデメリットである。でも、僕は球を交換するのがヒジョーにキライ(メンドクサイのです)なので、ボール型を選んでしまうのである。

 電球が切れるのは、点灯したその瞬間であることがほとんどである。オーディオでも時に問題とされる突入電流(インラッシュ・カレント。始動電流とも)が原因なのだろうか。ボール型はそれに強く作られているようだ。

 「インラッシュ・カレントに強く低ノイズ、長寿命で音も良いオーディオ用白熱球」、なんてえのは出ないかな、ヤッパリ。

’03/09/15 (月)

秋の音


 日誌にソフトを取り上げるのは、いささか反則気味かとも思う。だが、良いものに出会うとやはり書きたくなるわけであって、今月5枚目の紹介である。今回買ったものには当りが多かった。

 今日のソフトは、近頃お馴染みFIMレーベルのSACD(CDハイブリッド盤)である。「autumn in seattle/山本剛トリオ」(米FIM FIM SACD040)。(P)(C)2001。山本剛(P) 金子健(B) 大隅寿男(Ds)のピアノトリオでジャズの中でもかなりポピュラーな曲を全10曲演奏して64分47秒。表題曲も入っていて、これは山本剛氏のオリジナル曲である。2年前の旧譜、しかもXrcd2でもリリースされているので、既にご存知の方も多いと思う。

 2001年4月8日、東京銀座の音響ハウスで収録。DSD録音である。ミキシング・コンソール SSL/SL9000、マスターレコーダー スチューダー/A820、モニタースピーカーはディナウディオ・アコースティックス。DSDマスタリング時のモニタースピーカーにはアヴァロンを使ったとも書いてある。

 マイクアレンジも詳しく記述されている。ピアノにはRode/NT-3を2本。ベースにノイマン/U-67とエレクトロ・ボイス/RE-20を各1本ずつ。ドラムにはB&K/4011を2本(オーバートップ)、ゼンハイザー/MD-421を2本(タムタム)、シュアー/SM-57を2本(スネア)、同/ATM-25を1本(バスドラム)、AKG/C-452を1本(ハイハット)。アンビエンス用にB&K/4003を2本。全14本を駆使しての、ツートラック・スタジオライブ録音である。

 優秀録音である。音が極めて綺麗。歪み感は極少、と言うよりも皆無に近い。どこまでも清澄で爽やか、繊細極まりない音である。しかし決してツマラナイ音ではなく、特にピアノの立ち上がりは最高、トランジェントが非常に良い。かなりオンマイクに聴こえ、音像は大きい方だが散逸はしない。全域に渡って音の抜けが良く、硬さ甘さは感じられない。この辺りはDSD録音SACDのメリットが大きいと思う。

 但し、リアルハードジャズマニア、超エキセントリックサウンドマニア向けの音、では全くないだろう。その方面の人が聴くと「つまらん! オマエの音はつまらん!」と叫んでしまいそうな音ではある。超高品位BGM的でもあるからだ。

 僕はとても気に入りました。こういう音は滅多に聴けない。コケ脅し的サウンドとは全然違い、そこが却って音決めのテストディスクに向いているように感じる。トランジェントの差など、大変明確に出しそうなソフトである。

 FIMは純然たるアメリカのレーベルである。なのに必ずどこかに漢字表記が入っている。このSACDには「西城秋色」とサブタイトルが付いているし、ライナーノーツはシアトルの秋風景写真に「落霞與孤鶩齊飛 秋水共長天一色」(落霞、孤鶩と齊しく飛び、秋水長天と共に一色)という唐代の詩人、王勃の漢詩が付けられている。

 実はこのレーベルのオーナー/プロデューサーがWinston MAという中国系の人だったのである。ナルホド、これで分かった。西洋人の東洋趣味とは違うわけだ。

 ジャケットも綺麗だし、繊細な音とジャズがお好きな方にはお薦めできるタイトルである。

’03/09/14 (日)

内容が無いよう

 なんだか忙しい。何でこんなに、と考えてみれば、世間様は三連休だったのである。ナルホドそうだった。僕の業務は休日になればバタバタするのである。と、更新遅れ内容無いようの言い訳をしておくのである。申しわけございません。

 今晩はキチンとやります。どうかご容赦を。

’03/09/13 (土)

再び登場


 掲示板にご質問をいただいた。10日に載せたタイトル(AD)が長岡先生推奨盤であったか否か、というものである。掲示板上でお答えすればよいのだが、そこはネタ切れくずてつ、日誌のネタにいただいてしまうのである。御無礼ご容赦。

 A級外盤には選ばれていない。かつて別冊FMfanに連載されていた「長岡鉄男の外盤ジャーナル」には取り上げられていたはずだ。調べてみることにしよう。

 ありました。別冊FMfan第44('84年冬)号。それによると次のような評価になっている。

 「...(前略)...シンセサイザーはオーバーダビングが常識なので生演奏ダイレクトカットのシンセは珍しい。録音はさすがである。実にきれい。きれいすぎるくらいのシンセだ。これを聴くとほかのすべてのシンセの音がいかに汚れているかよくわかる。曲は単調。演奏もダイレクトを意識して、ちょっと自己抑制を効かせた感じだ」

 長岡先生はこの手の音楽にはさほど興味を示されなかった。曲、演奏についての辛口評価はその所為もあろうかと思う。個人的には非常に好きなタイトルである。

 ジェームス・N・ハワードは、ミュージシャンというよりもコンポーザーである。映画音楽も少なからず手がけている。僕の知るところでは、ハリソン・フォード主演「逃亡者」のサウンドトラックも彼の手によるものだ。

 バックを務める"FRIENDS"は、ロックオヤジである僕の興味を大いにそそる。デヴィッド・ペイチ(Syn)、スティーヴ・ポーカロ(Syn)、ジェフ・ポーカロ(Ds)はロックバンド"TOTO"の中心メンバーである。残念ながらジェフは既に故人だ。

 パーカッションのジョー・ポーカロはスティーヴとジェフの実父にして有名なセッション・ミュージシャンである。TOTOのアルバムにも参加している。'60年代後半から'70年代前半にかけて大人気を博したTVドラマ版「スパイ大作戦」のテーマ曲で、彼がパーカッションを演奏していたのは有名(かな?)な話。超強力な"FRIENDS"なのである。

 長岡先生の評価如何にかかわらず、ロックファンなら聴いておいて損はないレコードだと思う。中古市場では時々見かけるし、わりと最近まで(株)メース扱いの新盤が手に入ったはず。今はどうなんだろう。

 先日紹介したXrcd24盤も悪くはない。が、できればADで聴いてほしいと思う。

’03/09/12 (金)

ガッチリ買いましょう


 SACDを少しくまとめ買いした。今夜はそのうちの1枚を紹介したい。

 「武満徹/HOW SLOW THE WIND/尾高忠明指揮 紀尾井シンフォニエッタ東京」(瑞BIS SACD-1078)である。「Rain Coming」「Archipelago S」「Fantasma/Cantos II」「Requiem」「How slow the Wind」「Tree Line」の全6トラック71分39秒。CDハイブリッドディスクである。

 2000年2月9日、東京紀尾井ホールでDSD収録。ノイマンのマイク、スチューダー961ミキサー、カスタムビルトのソニーDSDレコーダーを使用、とある。マイクの型番、アレンジなどについての記載はない。

 どの曲も如何にも武満調である。どこから聴いても現代曲だが、よくある独善的なそれとは一味違う。武満徹の曲は、わりと僕好みなのである。トラック3の「Fantasma/Cantos II」1曲だけに、トロンボーンの名手クリスティアン・リンドベルイが客演している。個人的にはトラック5の表題曲が気に入った。曲にも音にも色彩感があり、豊かな気持ちになる音楽である。

 録音は優秀だ。見通しが良く広い音場、鮮明でしかも絶妙に融け合った各楽器、ホールの空気感もよく捉えられている。さすがBIS、と言いたいところだが、ちょっと待て。

 以前のBISとはどことなく雰囲気が違う。鮮明なのは確かである。が、fffでは僅かに弦が荒れる感じがある。否、荒れるというよりも、艶が足りないと言うべきか、或いは瑞々しさが不足すると言うべきか。昔のBISは、もっと繊細で透明、独特の艶と輝きがあったような気がする。いささかBISらしからぬ音とも思えるのだった。

 尤も、録音条件の違いで音はコロコロ変わるわけで、上記のイムプレッションは単に僕の思い込みである可能性は大。それに、手持ちのBIS/SACDタイトルはこれ1枚だけなのである。偉そうなことを言ってはイケナイ。

 BISのSACDがもっと欲しい、と思えども、今のところリリース数は限られている。僕の知り得る限りでは、ステレオSACDは今日紹介した1タイトル、マルチch/ステレオSACDが4タイトルの計5タイトルである。未入手の4タイトルも買ってみて、ちゃんと聴きましょうね。

 ところで、ロベルト・フォン・バールさんはすっかり社長業にお忙しいご様子。録音スタッフの中に名前がない。音の変貌は、その所為もあるのかな?

’03/09/11 (木)

残暑お見舞い申し上げます


 冷夏だった所為か、今年の残暑は格別に厳しいような気がする。もしかしたらこれは"残暑"なのではなくって、今年3回目の夏がやって来たのかと思わせるほどだ。暑いのは決してキライではないけれど、尾を引く蒸し暑さは未練たらしく好きではない。秋には秋になるが宜し候。

 今日の画像は、皆さんに少しでも涼しい気分を味わっていただこうという趣向。真冬、明け方雪化粧の前庭である。冬と雪は大嫌いだが、今クソ暑い中でこの風景を見ると、なんだか恋しいやら懐かしいやら。人間とは勝手なものである。

 残暑と言っても、日の出は遅くなり日の入りは早くなった。季節は正に秋である。今、沖縄付近にいる台風14号。過去30年のうち最も大型で超々強力なヤツだそうである。中心付近の瞬間最大風速は80m(!)というとんでもねえ台風だ。木の葉が柱に刺さり窓ガラスは割れずに穴が空くぞ。沖縄には友達がいる。これって大丈夫なんだろうか。ちょっと心配している。

 今のところ本州直撃コースからは外れているようではあるが、コイツが過ぎ去った後にはすっかり秋になるのではないかと思う。

 なりきれなかった夏の恨みの如し、今年の残暑。

’03/09/10 (水)

届かず


 昨年末「来年(つまり今年)の5月に発売予定だ」と、随分気の早いプリ・オーダー告知のあったタイトルがようやく手に入った。当初の予定から4ヶ月遅れである。

 ジャケットを見れば分かる人には分かる、ワカラン人にはゼンゼン分からん(当たり前だ)タイトルである。「JAMES NEWTON HOWARD & FRIENDS」。元々は米シェフィールド・ラボのD2Dアナログ盤(LAB-23)である。それをXrcd24でCD化したものだ。このCDのリリース元は米FIMだが、レーベル名/CD番号はLIM(Lasting Impression Music)/LIM XR 004となっている。同レーベル内の別シリーズということか。レーベルロゴの上に漢字で「一聴難忘」と書いてある。一聴シテ忘レ難シ。ナルホド。

 Xrcd24。ディジタル・プロセスを全て24ビットで処理、最後で16ビットにビットレートコンバートしてマスターにカッティングする。と、大雑把に言うとこういうことになる(間違っていたらゴメンナサイ)。個々の機器には全てルビジウム・クロックで同期を図り、電源も特別なレギュレーターで供給するというこだわり様である。横浜のJVCマスタリング・センターで製作された、とクレジットされている。同一内容の国内盤がありそうだが、僕は良く知らない。26分ちょっとの収録で$29.99、ひょっとするとわざわざ高価に買っているのかもしれない。

 「24-bit super analog sound」と銘打たれたこのCD、ディジタルなのにsuper analogとはこれ如何に。何となく違和感のある表記ではあるが、これも製作者の意気込みとこだわりの表れなのだろう。

 細部にこだわって製作されたものだが、肝心なのは能書きではなく音である。特に元ネタがダイレクトカッティングのADであってみれば、どこまでそれに迫れるのか。或いはもしかして超えているのか。サウンドマニア、ADマニアの僕としては興味津々なのである。

 S/Nが非常に良く、透明感が高い。とても綺麗な音である。全域に渡って歪み感極少。ディジタル臭は少ない。これまでに出た同タイトルのCD中、一番音が良いと思う。ただ、じっと聴いていると、音がやや甘口であることに気が付く。ハイが落ちているわけでもなく、ローがふやけているわけでもない。中域の張りも充分、なのだがどこかしら音が甘いのである。う〜む、このタイトル、こんなふうに聴こえたかしらん?

 比べてはイケナイ、親方はダイレクト盤なのだから。と思いながら、我慢できずにADを聴いてしまった。聴いてしまって後悔している。AD圧勝。甘さは微塵もない。どうしてこんなに違うンだろうか。テープ・プロセスが入る入らないの差はこれほどにも大きいものなのか。今さらながらに驚くのである。もちろん、それだけではないはずだが。

 Xrcd24にケチをつけるつもりは毛頭無い。ウチでは残念ながら未だADに届かず、という結果になっただけのことである。

 この後、「DRUM RECORD」(LAB-14)も出るそうだ。オイラはまた買うぞ。

’03/09/09 (火)

講師

 1年前、とあるお寺から法話を請け負った。まだ1年も先のことだからと気楽に引き受けたら、あっという間にこの日が来てしまい大慌て。どうやら曲がりなりにも責務は果たせたようで、安堵している。

 約70名の聴衆を前に1時間弱。内容は僕に一任してくださったので、好きなことを好きなように喋ってきた。お世辞にも上手いとはいえないながら、喋った本人としては達成感がある。聴いてくださった方々はどう思われたのか、実はそれが一番の心配事でもあるわけだが。

 多寡が1時間。だが、終わったあとは些かグッタリする。随分とエネルギーを消費するのである。

 長岡先生は、晩年までオーディオ・フェア(今はオーディオ・エキスポか)のセミナーで講師を務めておられた。如何にその道のプロと言えどもアレはさぞしんどかったことだろうと、思いを至すのである。尤もそれを望んだのは、他でもない僕等だ。

 先生の話が聞けなくなって3年以上。時々思い出しては懐かしさと寂しさを深めるのだった。

’03/09/08 (月)

評価すべきは指導者


 一昨日の土曜日、愚息ドモが所属する少年野球クラブチームの試合があった。本来は夏休み中に終わる大会の決勝戦である。準決勝までは終わっていたが、いざ決勝というところで雨が激しくなり順延。球場予約の都合もあり、夏休みを突破しての試合だった。

 写真は貰ってきたメダルの裏面である。金メダル。めでたく優勝することができた。我がクラブとしては15年ぶりの快挙である。昨年は準優勝に涙を呑んだだけに、ボカァもう嬉しくて嬉しくて。多寡が宮津・与謝1市4町の地方大会である。だが、レギュラーを6年生のみで組むことさえできないような少人数選手層極薄弱小クラブチームが優勝できたことは大いに評価してやりたいのである。

 実際に試合を戦うのは、4年生〜6年生までの子供たちである。良くやったというべきだ。だが、本当に評価されて然るべきは、やはり指導者だろう。監督を始めとする、コーチ陣である。

 現監督は僕と同世代、その昔豪腕投手として鳴らしたことのある人である。この人、なかなか厳しい。厳しすぎて、昨今の軟弱な保護者からはクレームが出るくらいだ。

 「怒鳴られるためにやらせてるんじゃない」「勝ちにこだわりすぎて楽しさを失っている」「ヘタでも試合に出せ」「補欠を作るな」。

 こういう些か見当ハズレな批判に、彼はヒトコトで答えるのである。「イヤならヤメロ」。実は、厭がっているのは親ばかりで、子供はケロンとしている。途中でやめる子は一人もいない。メンバー達に「キビシイ監督で楽しくないか?」と訊いたら「ゼンゼン。監督の言うこと聞いてたらどんどん上手くなれるから、めっちゃ楽しいで」と言う。子供の方が余程良く分かっているではないか。結果が全てを物語っているのである。

 この監督も、今回の試合を最後に勇退が決まってしまった。極めて残念である。一身上の都合、と言うが、モノの道理をわきまえない保護者の影響も、少なからずあると聞いた。本質的な価値を見抜くことができない人々が、優秀な存在を殺いでゆく。何処かでも聞いたような話である。

 良いものを良いと言える人が、どうしてこんなに減ってしまったのだろうか。人の器がどんどん小さくなっているような気がしてならない。

’03/09/07 (日)

冷暖自知


 良い音を再生するために、使いこなしは極めて重要である。買って置いて聴いてOK、ならそれに越したことはないと思う。だが、ほとんどの場合そうは行かないのである。何もしない状態の音が悪いから、と言うよりは、キチンと世話すればもっと良い音が出ることを知っているから、と言うべきか。その辺りがオーディオの面白いところでもあるわけだ。

 使いこなしの方法論は、リスナーがどんな音を望むかによって随分違いが出るだろう。僕などは専ら「重くて丈夫で鳴きにくい」ことを目標にして使いこなしている。それはもちろん、長岡先生からの影響が非常に大きいわけである。加えて再生音量も大きく関係していると思う。音がデカいと「軽くて弱くて鳴きやすい」ものではどうしても良い結果を得ることができないのだった。

 軽いものは悪い、と決め付けるつもりは全くない。不遜である。環境によってはそのほうが良い結果を得られることもままある。著名なジャズ評論家にしてオーディオファン/ケーブル大魔王の寺島靖国氏は「長岡先生のマネをしてアンプに鉛を載せてみた。途端に音の伸びがなくなり頭を抑えつけられたような不自由な音になってしまった」とおっしゃっている。

 僕は鉛の重石を盛大に使っている。音が抑圧されたと感じたことはない。しかし、寺島氏の感じ方もまた、ヒジョーに正しいのである。大切なのは自分がどのように感じるかであって、他者が良いと思うか悪いと思うかなんてことは全く問題にする必要はない。重いから良い(悪い)、軽いから悪い(良い)。斯様単純に仕切れるほど、オーディオの底は浅くないのである。

 今日の写真は箱船のスピーカーケーブル状況である。8sqキャブタイヤが2本と14sqが4本、その上には行き場を失った鉛板、タオックの鋳鉄製脚、などがドカドカと野蛮に積んである。電気的専門知識に明るい人が見れば卒倒しそうな光景だ。デメリットも少なからずあると思う。だが、箱船の環境では充分なメリットが得られるのでこうしている。徹底するなら、ケーブルが通るところだけでもタイルカーペットはない方が良いはずだ。但し、皆さんにも是非お薦め、とゆーよーなつもりは全くゴザイマセン。

 悪いと言われていることが案外良かったり、良いと言われていることが意外にうまく行かなかったり。重要なのは冷暖自知すること。オノレで実践しオノレの耳で判断することが、オーディオの面白さなのである。

 独自の使いこなし、対策を発見するのもまた楽し。

’03/09/06 (土)

空席がち


 箱船航海日誌を書くのは、主に夜である。オーディオするのも主に夜である。僕にとってはどちらも重要で、優先順位をつけることはできない。ただ、「日誌(だけ)は毎日更新」の看板をHPに掲げている以上、基本的に休めないのである。

 そのほか雑事が多い所為もあり、近頃リスニングポジションの椅子は空席のことが多くなっている。聴いてナンボのオーディオ、これでは些かお寒い状況なのである。

 ちゅうわけで今夜は日誌を早仕舞。聴き残したSACDとADを聴こうと思う。日誌のネタにもできるしね。

 早仕舞、と言っても、もう午前様である。ちっとも「早」くないのだった。

’03/09/05 (金)

秋は、夕暮れ


 いつもの如くジケジケと湿っぽかったのは朝のうち。午後からは雲がはれ、少なからず秋を感じさせる爽やかな風が吹き始める。非常に過ごしやすい日になった。夏が終わったのである。

 日が暮れるのも随分早くなった。写真は午後6時半過ぎの風景である。天空には既に月が登り、夕方というよりは夜に近い。庭の桜は葉の多くを落とし、来春に向けての準備を始めている。

 初秋の夕方は、何処となく懐かしくまた心寂しい。

 「秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり」

 彼の有名な「枕草子」第一段からの一節である。清少納言も秋の夕暮れがお好きだったようで、1,000年前のこういう光景を目にして、しみじみと感じ入っていたのかもしれない。古代から続く、日本人の元風景か。

 風土が人格形成に与える影響は多大である、と、僕は思う。四季の遷り変わりを身近に感じられる田舎も、捨てたモンじゃない。また、それを敏感に感じられる細やかな感性を持ち続けたいとも思うのである。オーディオという趣味に、それは無関係ではないだろう。

 サウイフモノニ ワタシハナリタイ

’03/09/04 (木)

快適安眠マクラ


 といっても僕が使うのではない。ハタから見たら大いなる安眠を得ているように見えながら「深く眠れない」と本人は言う、愚妻用のマクラである。

 最近話題の低反発ウレタン製。僕も試しに一晩借りてみたら、ヒジョーにグワイがよろしい。寝起きもスッキリする、ような気がする。僕も買おうかな。肩こりがひどい人にも効果があるそうだ。快適安眠、肩こり解消。さすればオーディオも快適に楽しめます。ウレタンをインシュレーターに再利用も可。

 こんな愚にもつかないことを話題にするそのワケは。

 実は今晩、マブタにツッカエ棒を入れたいほど、眠いのでありました。

’03/09/03 (水)

電光と雷鳴


 午後8時過ぎ。遠雷が鳴り響き、やがて大粒の雨が降り出す。外を見ると瞬時真昼のように明るくなっている。雷鳴は次第に近くなり、電光の間隔も短くなってきた。夜の激しい雷は久しぶりである。この調子ならひょっとすると空を走る稲妻が撮れるかもしれない。と、窓越しに眤とデジカメを構えること半時。幾枚も撮り直した末、どうにかモノにしたのが上の写真である。

 写真右寄りの電柱のようなものは、ウチの裏庭にそびえる避雷針である。高さ約30m。窓から避雷針までの距離10m以内。これに落雷したら稲妻撮影どころの騒ぎじゃない、と思う。過去、一度だけここに落雷があった。その時は一瞬にして電話機とFAXがぶっ飛んだ。幸い、今回は無事であった。危ないこと、やってますな。

 光った一瞬を狙って「ていっ!」とシャッターを押す。ほとんどタイミングを外すのだった。デジカメのシャッターはタイムラグが大きいのダ。稲妻の周期を先読みしてまた「ていっ!」と押すと、やっぱり外れるのである。ええいくそ、こうなったらヤマカンだと、光ったか光らないかの一刹那、またまた「てええいっ!」と押した結果が上の如し。腕にチカラが入り過ぎ。勢い余ってご覧の通り盛大にブレている。文字通り「力作」なのである。アホか。

 雷はヒジョーに怖い、けれど大好きである。空を切り裂く電光稲妻も、恐ろしいばかりのパワーを持った雷鳴も、極めて魅力的だと思う。特に夜の稲妻は空が蒼く光り、実に幻想的である。これを何とか画像に残せないかと、以前から何度も挑戦し続けていたのである。ようやく撮れた、が、ピンボケは悲しい。

 フツーは高級カメラを使ってバルブ撮影するモンだろう。デジカメ構えて30分、ていていやってる馬鹿はどこにもいないのである。

 これも自作派のこだわり。にしては原始的に過ぎるぞ。

’03/09/02 (火)

ソフトの買い方


 ソフトが増えるのは楽しい。ソフト達人の域にはほど遠いような所有枚数の僕にとって、1タイトルでも増えれば、それは大いなる喜びである。なんと言ってもソフトウェアあってのハードウェアなのだから。

 僕の買い方は、基本的に雑食である。音が良いと思われるモノならば手当たり次第何でも買う。あくまでも「思われる」ものであって、必ずしも当たりばかりが手に入るわけでは、全くないのんである。的中率はかなり低く、10枚買って1枚当たればそれは大当たり。20枚買って当たり無し、なんてこともよくある。かつての○イガースの勝率より遥かに低いのだから、これはもう勝ち目の無いバクチみたいなものである。だからこそ面白いとも言えるわけだが。

 カスを掴むのも楽しみのうちである。「チクショー、ヌカヨロコビさせやがってー」と床に叩きつけ踏んづけてやりたくなるようなソフトもまた、大切なコレクションの一つになるわけだ。或いは、音は良くても音楽として全く聴けないようなものも沢山ある。「オヲッ、スゲエ音だ。でも二度と聴かないね、こりゃ」ちゅうソフトが、ラックの中で何枚もアクビしている。ゲテモノもラックの賑わい、か。

 そうであっても湯水の如く使える潤沢な資金があろうはずはなく、的中率は少しでも上げたいところ。時には狙い撃ち指名買いしたく(せざるを得なく)もなる。そういうときに役立つのが、所謂「サンプラー盤」である。

 上の写真は米FIM(First Impression Music)レーベルのSACDサンプラー「Fim AUDIOPHILE REFERENCE IV」(SACD 029)である。CDハイブリッド盤。FIM既発売の16タイトルから1曲ずつ16トラック、74分33秒収録。クラシック、古楽、ジャズ、トラディショナル、いろいろ聴け、本編ディスクの品定めもでき、SACD74分/3,000円ならハイCPである。

 流石にサンプラー、オイシイところばかりを抜粋してある感じ。16トラック、全て水準以上の良い音である。これだけでも充分楽しめるわけだが、この中から特に琴線に触れたものを数枚、買ってみることにする。今回は完全に狙い撃ちである。コイツでアベレージを上げることができるや否や。

 ヤミクモに買ったソフトを聴くトキメキと、指名買いの安心感。経済的効率は低くとも、前者の広大なDレンジには、惹かれるものがあるわけでゴザイマス。

 やはりソフトはDレンジが命。そりゃ意味がチガウって。

’03/09/01 (月)

秋の口


 早9月である。秋の入り口。今年の夏は、遂にまともな夏にならないまま終わってしまった。先月初めと下旬、合わせて10日間ほど、ほんの少しだけそれらしかったのみ。暑いなら暑いで文句を言うクセに、何やら随分な損をしたような気分になるから勝手なものである。

 箱船脇の柿、裏庭の栗の実は、まだ青いながらもだいぶんと大きくなった。すっかり秋の準備である。栗は昨年よりは少しばかり多く実をつけているようだ。味はおそらく落ちるだろう。雨が異様に多く日照も少なかったので、甘味は出にくいと思う。

 田んぼのお米は相当な不作であるようだ。葉は青々としているのに穂だけが真茶色になっている稲が多い。立ち枯れているのである。あれではさっぱりダメだろう。'93年秋のような米騒動が起きなければ良いが。

 これから本格的な秋に向かい、せめて天気だけでも良くなってくれないかと願っている。このまま憂鬱な日本海側の冬になってしまったら、僕はすっかり参ってしまうのである。

 夏が終わったとたん来年の春を待ち始めるのは、毎年の行事になってしまった。